携帯がブルブルと震えている。
私はもぞもぞと布団から這い出して、枕元の携帯を開いてバイブを止める。

「………う」

開いて時間を確認すると、6時45分。
起きて用意しないと。
あー、今日も休んでしまいたい。
月曜日の朝は、とんでもなく面倒くさくて、だるい。
まだ寝ていたいと体が訴えている。
でも学校、行かなきゃ。

「っ痛」

体を起こすと、足の辺りが引き攣れるように痛んだ。
体中がギシギシと軋んでいる。

「………うう、筋肉痛」

昨日部活、だったっけ。
最近は筋肉痛になることもなかったのに。
そんなハードな運動したっけ。
しかもなんか、いつも筋肉痛になるところとは、違う。
ていうか体中痛い。
ひりひりする。
それに、変なところが、痛い。

「………っ」

そして昨日のことをつらつらと思い出して、一気に脳みそが沸騰した。
そうか、この筋肉痛は、あれか。
確かに太腿の裏とか、付け根とか、腰の辺りとか、なんか、使ったことのない筋肉が痛い。
どんな筋肉を使っているんだ、いったい。
それに、昨日無理矢理押し開かれたところが、痛い。
なんか血は出なかったけれど、あんなでかいのがあんな狭い所に入ったんだから、痛いのは当たり前だ。
標準だって言ってたけど、あれが標準だったらでかい人っていうのはどんだけ痛いんだろう。
あれでも十分でかかった。
痛いっていうのに、野口止まらないし。
ていうかあいつ体中噛みまくるから、歯型だらけだし、なんかキスマークらしきものもいっぱい付いてるし。
ひりひりするし、お風呂入った時染みるし。
どうすんだよ、これ。
変な病気みたいに体中にまだらの模様が出来ている。
誰にも見せられない。
お風呂入る時も要注意だ。
服にも気をつけないと。

「っくそ」

ベッドに突っ伏して、羞恥に耐える。
あいつ、本当にろくでもない。
最低だ。
最低の変態のエロ野郎。
昨日のことが詳細に思いだされると、あいつの変態行為に怒りとか羞恥とかなんかもう色々出てきてぐちゃぐちゃになる。
あれが普通なのか。
あんなの、皆やってるのか。

「ああああああ!!!」

枕に顔を埋めて、叫ぶ。
駄目だ。
恥ずかしい。
どうしたらいい。

「………うあああ」

誰にも会いたくない。
特に野口に会いたくない。
恥ずかしい。

あいつと、どんな顔して別れたっけ。
送るって言われて、絶対に嫌だって言って、一人でふらふらしながら帰った。
まだ筋肉痛はなかったからよかったけど、体中痛かった。

でも、あの後に、野口とお母さんと一緒に会うのが、嫌だった。
家に帰って、お父さんとお母さんと顔合わせるのが、たまらなく恥ずかしくて、なんか罪悪感を覚えた。
悪いことした、訳じゃないと、思うけど、でも、なんかいたたまれなかった。
ご飯を食べるのも、苦行だった。
いつも通りの態度をとれていただろうか。

気付かれてないはずだ。
気付かれてない。
絶対気付かれてない。
気付かないでいてくれ。

「………学校、行きたくない」

でも、お母さんになんて言ったらいいか分からない。
下手に仮病使って看病とかされて体見られたら、一巻の終わりだ。

「………うう」

恥ずかしい。
もうなんか死ぬほど恥ずかしい。

私は、後悔は、しているだろうか。
どうだろう。
あれは、嫌だったか。

「………ううん」

いや、していない。
後悔は、ない。
恥ずかしくて、痛くて、腹が立ったけど、でも、えっちしたこと自体、嫌じゃない。
痛かったけど。
本当に痛かったけど。
でも、後悔はない。

「由紀、遅刻するわよ!」

お母さんの声が、聞こえてくる。
もう逃げられない。
行くしか、ない。

ああ、またお母さんと顔を合わせなきゃいけないのか。
辛い。
くそ、あの馬鹿のせいで。

「……頑張れ、私!」

気合いを一つ、ベッドから立ち上がる。
けれど筋肉痛やらなにやらの痛みで、また突っ伏した。



***




朝、学校に来るのも、辛かった。
やっぱり休めばよかった。
筋肉痛が、ひどい。

「おはよ!」
「………お、おはよ」

席に座ると、美香が軽く肩を叩いて挨拶をしてくる。
いつも通り爽やかな完璧な美少女だ。
なんか、ものすごく照れくさくて、顔を見ることができない。
すごい、恥ずかしい。

「ねえねえ化学の小テストの勉強してきた?」

私の動揺に気付かずに、美香は朗らかに話しかけてくる。
全然、気付いていない。
なんか、ほっとしたような、残念なような、変な感じ。

「あ、してない」
「わたしもー。どうしよ。どこ出るかな。もう化学、理科系で一番嫌い」

いつも通りの、美香。
本当にいつも通り。
変なのは私だけで、でも、美香はそんな私に気づくことはない。

「………世界は、変わらない、か」

あのおっさんの言葉が浮かんでくる。
そりゃ、そうか。
私がえっちしたのなんか、私が言わなきゃ誰も気づかない。
興味なきゃどうでもいいし。
ただ、野口とえっちした、それだけ。
大勢の人がやってることを、やっただけ。
世界は何も変わらない。
いつもと同じ日常を繰り返す。
変わったのは、ただ、私だけ。
私の中だけ、何かが変わった。

「ん?」

美香が小さく小首を傾げる。
だから私は慌てて頭を振った。

「ううん。あ、放課後さ、用事ある?」
「今日はないよ。藤原君も部活だし」
「あ、じゃあ、お茶してかない?」
「いいよいいよ!」

美香が嬉しそうに笑って誘いに乗ってくれた。
気付かれてないし、言う義務はない。
でも、この子にだけは言っておこう。
散々迷惑かけたし、それに、親友だから。
美香は、言ってくれたから。

「あ、野口君おはよ」

美香の言葉に、飛び上がりそうになる。
いつの間にか、野口が教室の中にいた。
ものすごく照れくさくて、顔が見えない。
あの唇とあの手に、ぐちゃぐちゃにされた。
駄目だ、リアルに映像が蘇ってくる。

文句を言ってやろうと思っていた。
散々好き放題やりやがって、って言おうとした。
でも、言葉が何も出てこない。
喉が引き攣れて、呼吸がうまくできない。

「あ、お、おは、おはよ」
「おはよ」

野口はいつも通り冷静に軽く手を上げた。
ちくしょう、こいつはいっつもこんな冷静ぶりやがって。
あの時は、もっと感情的だったのに。

そしてまた思い出してしまって、チャイムがなるまで、一人のたうちまわった。



***




「由紀、どこいくー?」
「あ、えっと」

ぐるぐるしたままのあっと言う前に一日は過ぎてしまった。
今日の授業、ほとんど頭に入ってない。
ああ、もう、大丈夫かな、私。

「三田、ちょっといい?」
「あ、の、野口っ」

そして、私の動揺の原因が声をかけてくる。
声がひっくりかえってしまった。
今日はなんだかんだで野口も私も忙しくて、あまり顔を合わせることがなかったから余計だ。
昨日以来ようやくちゃんと話す。
何を話したらいいのか、分からない。
頭が真っ白だ。
体が熱い。

えっと、誘われてるのか。
駄目だ、何を言われてるのかも、うまく入ってこない。

「あ、あんた、今日バイトじゃないの?」
「うん、バイト。だから、ちょっとだけ。そんな時間とらないから」
「う、うん」

なんだろう。
何を言われるんだろう。
それにしても、なんで野口ごときにこんな動揺してるんだ。
クソ、悔しい。

「由紀?」
「あ、そ、その美香」
「分かった。待ってるよー」
「………」

物分かりのいい親友はにやにやしながら手をふった。
ちくしょう、もう駄目だ。
どうして私はポーカーフェイスとかできないんだろう。

「野口、行くぞ」
「うん」

二人で教室を出て、放課後の賑やかな学校を彷徨う。
そして二階まで下りて、生徒数の減少で使われなくなった空き教室に入る。

「ここで、いいかな」
「な、何?」

二人きりになって、何をする気だ。
こいつなら、ここでヤりたいとかいいかねない。
何せ変態エロ眼鏡だ。

「弁当ありがとう」
「う、うん」

私の妄想をよそに、野口は弁当箱を鞄から取り出す。
野口が先生に呼ばれたので、時間がなくて一緒に食べれなかったのだ。

「今日も美味しかった。三田は料理が上手だよな」
「あ、あり、がと」

こいつにこんな素直に褒められるとなんか落ち着かない。
ああ、心臓がドキドキする。
こんな一言で嬉しくなってしまう自分が、心底嫌だ。
どうしてこんなに野口に、囚われてしまったのだろう。

そうだ、もう家にいって、ご飯作ってあげられるのか。
いや、作るたびにあんなことされてたら身が持たないが、たまにならいい。
今度はちゃんと、肉じゃがを作ってあげよう。

「でも、明日からはいいよ」
「え?」

恥ずかしくて俯いていた顔を、上げる。
野口は無表情に、けれど目を伏せていた。
その目は私を見ていない。
私ではなく、私の後ろを、見ている。

「今まで、ありがとう。これからは食生活もちゃんとする」

それは、いいことだ。
いいことだけど。

「あのさ」

なんだか、嫌な感じに、心臓が軋む。
嫌な、感じ。
前に一度感じたことのある、不安な、不安定な、気持ち悪い、居心地の悪さ。
嫌だ。
聞きたくない。

「三田」

野口が、目を伏せたまま、口を開く。
その顔に表情はない。
ああ、なんだ、この、嫌な予感は。
これ以上は聞きたくない。
けれど野口は、その先を容赦なく、ためらいなく、あっさりと口にする。

「別れよう」
「………え」

何を言われたのか理解できなかった。
それなのになぜか床がぐにゃりと歪んだ気がした。

世界が、軋む、音がする。





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