顔があっつくなってきて、手に汗が滲んでくる。
心臓がダッシュ30本やった後ぐらいにバクバクと早く強く打ち、耳元でうるさく鳴り響く。

「………それって」

野口は、眉を顰めて苦しそうな顔をしている。
そして、相変わらず私から目を逸らしている。

「のぐ、ち」

ああ、私はどうしてしまったんだろう。
野口の苦しげな顔に、頭が熱くなっていく。
私から目を逸らしていることに、体も熱を持っていく。
野口の言葉が脳内を駆け巡り、ぐらぐら揺れて眩暈がする。

「頼むから、もう、勘弁してよ」

そんな風に弱々しく顔を覆う野口に、目頭も熱くなってくる。
風邪で熱がある時のように、眼圧がかかって、痛い。
息が苦しくて、頭が痛くて、心臓が、痛い。
痛い、痛い痛い。

『だから、三番目ぐらいに好きなあんたにしておこうかと思って』

いつか交わした、会話。
野口から初めて貰った告白。
藤原君に振られてしばらくしてから、告げられた言葉。
告白とも思えない告白を貰って、私は呆れかえったのだ。

「あんた、私のこと、三番目だって、言ったじゃん」

そうだ。
だからこそ、私がいいのだと、言ったのだ。

『一位だと、愛が重すぎて不幸にする可能性が高い』

だから、三番目に好きな私と付き合おうとした。
一位に好きな人間からは遠くにいた方がいいと、あのおっさんに言われたと、野口は笑った。
愛がディープ過ぎて、一番に好きな人間は、不幸にしてしまう。
だから、一番好きな人からは、離れると、そう言った。

「………三番目、だったんだよ」

消え入りそうな言葉は、過去形だった。
でも今はもう、なんとも思ってない。
そんな言葉が続けられる可能性がある。
いや、分かってる。
それは、ない。

でも、信じられない。
そんな、馬鹿な。

『どんな愛だよ』
『手足をもいで目と喉潰して拉致監禁したいような愛』

「………ドンビキ、だわ」

ああ、本当に、ドンビキだ。
ドンビキ過ぎる。

「だから、言ったのに」

野口が私をなじるように、軽く睨みつけている。
だって、ドンビキじゃないか。

「ドンビキ、だよ」
「………分かってるよ」

いつになく、拗ねるような、口調。
冗談めいて拗ねることはあっても、こんなに悔しそうに唇を噛みしめる野口なんて、初めて見た。
いつだって余裕で飄々としている変態が、今にも泣きそうに顔を歪めている。

「ドンビキ」
「分かったってば」

いや、分かってない。
何も分かってない。
こいつは何も、分かってない。

「こんな言葉が、嬉しい私に、超ドンビキ」
「え」

ああ、涙が、出そうだ。
心臓がバクバクうるさく鳴り響いて、息が苦しい。
頬が緩んで、どうしても、笑ってしまう。

頭では分かっている。
言われている言葉が喜ぶべきものでもなんでもない、なんて分かってる。
でも、それでも。

なんだ、簡単なことじゃないか。
野口が離れた理由なんて、こんなに、簡単なことだったんだ。

「………私が」
「………うん」

野口が、泣きそうな顔で、私を見ている。
頼りなさげに、ただ突っ立っている。

「私が、一番?」

ずっとずっと、ひっかかっていた。
三番目に、好きな人間。
その言葉に、物足りなくなっていた。

最初はそれでよかった。
私だって、こいつが好きでもなんでもなかった。
だから、それでいいかと、思っていた。
寂しいから一緒にいる、疲れない、楽な関係、楽な距離。
なんとも思っていない、好きでもないから、それでよかった。

でも、気が付けば、いつのまにか、欲しがっていた。
あんたが一番だって言う言葉を、欲しがっていた。
こいつに甘やかされて、甘やかして、意地悪されて、殴り倒して。
どうでもいい存在が、いつのまにかいなくてはならない存在になって。
こんな風にふられても縋りつくぐらいに、私の心を一杯に占めるようになって。
いつのまにか、三番目じゃ、我慢できなくなっていた。

野口はそれがいいと言うけれど、私はやっぱり一番がよかった。
他の誰よりも好きだと、言われたかった。
あのおっさんよりも、藤原君よりも、誰よりも何よりも好きだと、言われたかった。
それが不幸になるのだとしても、そう言われることに、憧れていた。
誰からも一番好きになってもらったことなんて、ない。
容姿は十人並み、性格はかわいくない、素直になんて、なれやしない。
卑屈で人の顔色窺って、意地っ張りで臆病で、面倒くさい女。
そんな私でも、一番好きだと、言ってほしかった。

「野口が、一番好きなのは、私?」

眉を顰めて苦しげに喘ぐ野口の頬に、右手の指で、そっと触れる。
いつも冷たい頬は、今日はより冷たくて、私の指の熱を奪う。
もっともっと熱を伝えたくて、包み込むように頬に手を重ねる。
じわりと、野口の頬が、少しだけ温かくなる。
眼鏡の奥の、細い感情を映さない目が、瞼の裏に消える。
そして、そっと、息を吐く。

「………そう」

体中に、熱が灯る。
堪えていた涙が、ぽろりと、一つ零れる。
唇が震えて、呼吸をしようとすると、喉が引き攣れた。
話そうとしても、喉がねばついて、うまくいかなかった。

「の、ぐち」

つばを飲み込んで、喉に水分を補給する。
ごくりという音が、耳元で嫌に大きく響いた。
唇を舐めて、貼りつく唇を湿らせる。

「………のぐ、ち」

野口のフレームの細い眼鏡を左手で取り外す。
右手を、そっと冷たい頬から離すと、野口が目を開いた。
怯えるように、私を見ている。
その顔を見ながら、安心させるように軽く笑う。
大きく息を吸って、吐く。

「だったら最初からそう言え!!!!」

そして、大きく振りかぶった右手を、そのまま振り下ろした。





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