手を引かれて連れてこられたのは、電車で1時間弱の大きな街。
少し年齢層高いから、いつもはあまり来ない。
私は部活のバッグを持ったまま。
いや、まあ野口が持ってくれてるけど。
でも、汗臭くて、髪はぼさぼさ、かろうじてジャージじゃないことだけが救いだった。
こんなところ来るならもっと綺麗な格好したかった。

「………どこ行くの?」
「いいとこ」
「帰る」

野口がそう言うと響きが変態すぎる。
ここまで来て帰るというのはアレだが、そういえばここ、ラブホ街とかあったような。
身の危険を感じる。
回れ右をしようとすると、野口は小さく笑って手を引いて止める。

「嘘、俺の前のバイト先」
「………なんで?」
「ちょっと確かめたいことあって」

そしてまた私の腕を引っ張る。
仕方なく、一歩前を行く野口の後ろをついて行く。

「………私いる必要あるの?」
「むしろあんたが必要なの」

そう言われると、まあ、悪い気がしない。
バイト先って、なんでだろう。
彼女って紹介してくれる、とか。
や、やばい顔が熱くなってきた。

「………ねえ、私制服で、すっごい場違いなんだけど」
「気にしない気にしない」
「気になるわ!」

どうせなら、もっとかわいい格好したい。
こんなぼさぼさの髪で、汗臭くって、化粧もしてなくって、みっともない。
野口の私服は、なんか大人っぽくて、街にとても似合っている。
別に大した格好はしてないのに。
ベーシックなデニムにTシャツにジャケット。
後はピアスにネックレスと付けてるだけ。
なんだろう、堂々としてるからかな。
なんかちょっと女っぽいんだけど、それがまた似合ってるんだよね。

「………着替える時間ぐらい、くれればいいのに」

それなのに私は制服で、部活帰り。
なんか、周りの人が皆、お前場違いだよって言ってる気がする。

「まあ、ちょっと顔出してすぐ帰るから」
「化粧もしてないし、髪もボサボサだし」
「逆に新鮮でかわいいって」

くそ、適当に答えやがって。
それにしてもちょっと、強引過ぎる。
まあ、こいつが割と強引なのはいつものことなんだけど、いつもより強引な気がする。
いつもはこういう時、私を待つぐらいの余裕を持っていた気がする。
なんか、焦ってるような感じだ。

「………そんな慌てて、何しにいくの?」
「そこさ、初恋の奴にあったところなんだよね」

野口はこちらを見ないまま、さらりと言った。
声はいつものように平坦だ。
けれど私の気のせいかもしれないけど、少しだけ複雑な感情が混じっているような気がした。
本当に気のせいかも知れないけど。

「………さっき言ってた?」
「そう。二年前、好きで好きで好きで、たまらなかった奴」
「………………」
「そいつに少しでも近づきたくて、趣味真似して、外見真似して、精一杯背伸びした」

こいつにそんなかわいげがあったとは驚きだ。
人のことなんて気にせず、自分の道を歩んでいそうな奴なのに。
なんだろう、なんでこんなムカムカしてるんだろう。
なんか変なもの食べたっけ。
いや、違う、部活の後で何も食べてないからお腹空いてるんだ。
そういうことだ。

「でもさ、あいつにとっては俺なんて所詮遊びでさ。まあ、そりゃそうだ。いい大人が中学生のガキに本気になる訳ない。俺が一方的に入れ込んで、押し倒して、抱いてもらった」

どんな中学生だよ、とか犯罪だろそれ、とか何をつっこんでいいのか分からない。
ていうかそもそもどうやって出会ったんだ。
なんでこんなところ来てるんだ。
疑問がありすぎて疑問を挟む余地なく黙っていると、野口は先を続ける。

「あいつ理性にブレーキの効かない駄目な人間だからうまいこと手出してくれたんだけど、視野の狭いガキなんてやっぱりウザイだろ。すぐに捨てられた」

やっぱり声は淡々としている。
でも、こちらを見ないで、ずっと前を向いている。
つないだ手は、いつものように冷たい。

「でも俺はそれが認められなくてさ。その頃、今よりもっとガキだったから、めっちゃ癇癪おこしちゃって駄々こねて。あいつと一緒になりたくて、自傷騒ぎなんて起こして、最終的にはあいつを刺すところだったし」

癇癪とか駄々とかで済まされるのかそれは。
なんで言うこと成すことぶっ飛んでんだよ、こいつ。
このド変態。
そこでようやく野口がちらりと私を振り返る。
眼鏡の下の目は冷たく皮肉げに笑っている。

「ひいた?」
「………どんびき」
「だよね」

小さく笑って、視線を前に戻す。
ゆったりゆったりと二人で夜の電飾が輝く街を歩く。

「別に心中するつもりなんてなかったんだけどね。ただあいつとお揃いにしたくて、あいつと一緒になりたかっただけ。あいつと同じ傷をつけたら、お揃いに出来る。一緒になれたら一緒にいれるかな。あいつを動けなくして、細かくしたらいつでも持ち運べるかな、とか考えてた気がする」

ざわざわと、夏なのに背筋が寒くなって小さく震えてしまった。
怖い怖い怖い。
さすがに本気でドンビキだ。

「………ねえ、怖すぎるんだけど」
「だよね」

野口は前を向いたまま、肩を小さく震わせて笑う。
いや、笑うところじゃない。

「まあ、取り押さえられてぶん殴られて、精神安定剤とか飲まされて眠らされて。なんとか落ち着いて、言われたんだよな。お前と一緒にいる気はない。お前がどんなに俺を好きでもお前と一つになることはない。一生、お前の飢えを満たすことはない。俺はお前を愛せないって」

これ以上ってないほどすっぱりとした振り方。
野口の声は、変わらず平坦。

「そのままじゃストーカーになりそうだったけど、それで諦めた。俺、あいつが言うことが絶対だったから。あいつが言うなら、本当にあいつは俺を一生愛することはないんだろうな、って、なんか納得しちゃったんだよね」

行動はぶっ飛んでて熱いのに、そんなに簡単に諦めてしまう。
どんなにその人が好きだったんだろう。
どんだけその人を信頼してたんだろう。
野口にとって、その人はどこまでも大きなものだったんだろう。
寒い話にドンビキで、やっぱり胃のあたりがムカムカして、気分が悪い。

「その時言われた。お前は、一番好きな奴には、手を出すなって」

前にも言っていた、だから三番目に好きな私を選ぶって。
一番目好きな奴は不幸にしてしまうからって。

「それから二人、人を好きになって、付き合ったんだけど、やっぱり同じように俺だけ熱くなって自滅しちゃってさ。マジで今ここで言うのは恥ずかしい思い出なので省略するけど、まあ、似たようなことやらかした」

恥ずかしいっていうか、聞くのが怖いな。
何やらかしたんだこの男。
それにしても、どんだけ惚れっぽいんだよ。
この節操無し。
女たらし。
いや、違う、男たらし。
そしてやっぱり初恋の人って男かよ。
この変態。
自由すぎるだろ。
最低な変態。
最低だ。
最低。

「で、やっぱあいつの言ったことは正しかったんだなーと。だから藤原の時は自制した」

自制してくれてよかった。
こいつが藤原君に手を出していたら、どんな怖いことになってたんだろう。
考えなくない。
そしてやっぱり胸がチクチクする。
なんだろう、これは、どちらに向けた感情だろう。

「自制できるぐらいには、大人になった」

ぽつりと、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
それからちょっと沈黙。
二人で黙って、夜の街を歩く。

「………それで?」
「今、あんたと付き合ってて、俺結構うまくやってると思うんだよね」

先ほどと変わらない声で、いきなり野口はそんなことを言う。
うまくやってる。
やってるのか、これ。
私としては全くうまくやっている気分にならないのだが。
恋って、もっとウキウキして、楽しくて、世界がピンク色になる感じじゃないのか。
こんな苦しくて恥ずかしくて辛いのばっかりって、恋なのか。

「俺はいい感じに幸せだし、あんたのこと、俺なりに大事にできてると思う」
「………う、うーん」
「俺なりにね」

野口がちらりとこちらに視線を流して笑う。
その笑い方がなんかいやらしくて、手のひらにジワリと汗を掻く。

「で、結構大人になれたのかなーって、確かめたくて」
「それって」

どういう意味なのか、と聞こうとしたら野口が足を止める。
いつのまにか裏路地に入っていて、人気はあまり多くない。
私たちの前には、黒い壁、黒い扉で、黒い大理石かなんかにBarって書いてある小さなお店。
溶け込むように目立たなくひっそりとそこにある。
シックで、なんだか大人っぽいお店。

「ついた」
「え!?」

野口がためなく扉に手をかける。
え、ここが前のバイト先ってことか?

「あいつ、しばらく海外行ってたらしいんだけど、帰ってきたって聞いたから」
「え、ちょ」

あいつって、こいつの初恋の人?
どういうこと。
え、何、意味が分からない。

混乱する私をひっぱって、野口は店に入ってしまう。
うわ、めちゃめちゃ私浮いている。
店内は狭くて、ぐるりと顔を巡らせば、全てが見渡せてしまう。
カウンターと隅に二席テーブル席があるだけの、小さなバー。
こんなところは来たことなくて、クーラーが効いているのに緊張して余計に汗を掻く。

「………良?」

カウンターに座っていた男性は、こちらを見て一瞬目を瞬かせる。
端正な顔の、近寄りがたい大人の男性。

「久しぶり。本当に帰ってきてたんだ」

野口が少し首を傾げて、小さく笑う。
すると、その男性も笑った。

「久しぶりだな」

その冷たい皮肉げな笑い方は、どこか眼鏡の男に似ていた。





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