「水葉は蛇神様のお嫁さんになるのは嫌なのかい?」

パパが泣く私を抱きしめて聞いてくる。
私の答えは勿論決まってる。

「嫌だよ」
「どうして?」
「だって、水葉、好きな人と結婚したいもん。蛇神様、会ったこともないもん」

顔も知らない人と結婚するなんて、絶対嫌だった。
ラブラブなパパとママを見て育って私は、当然のようにパパとママみたいに恋愛をして結婚するのだと信じていた。

「そっかあ。そうだな。会ったことない人には確かに結婚できないもんな」
「そうだよ!パパ、おんなごころ分かってない!」
「女心かあ。こりゃ参ったな」

そこでパパは、にやにやとしていた顔をふと真顔に戻す。
そして小さな私に真剣に聞くのだ。

「ま、待った、水葉はもう好きな子がいるのかい!」
「えー、えへへ」

私は照れてパパから顔を隠して笑う。
するとパパは焦って私の顔を覗き込んでくる。

「だ、誰だ!誰なんだ!連れてきなさい!」
「落ち着きなさいよ、パパ。みっともない!」

ママが焦るパパを見て笑いながら窘める。
それでもパパは逆にママに食ってかかる。

「ママは心配じゃないのかい!水葉、誰だ!誰なんだ!」
「あのね、水葉が好きなのはねえ」
「だ、誰だ!」

だから私は教えるのだ。
一番大好きな人を。

「パパだよ!」

そして大好きな人に思い切り抱きつくのだ。



***




「お、おはよ」
「おはよう」

今日も家の前でカガ君は待っていてくれる。
正直カガ君と行くのは皆から見られるし色々言われるしで、遠慮したいって気持ちもある。
でも、私には話を聞いてくれる人がカガ君ぐらいしかいない。
そう思うと、この一時を我儘にも手放すことはできないのだ。

「あの、あのね」
「リボン、髪、バッグ」
「は、はいっ!」

慌てて全てをチェックして、ちゃんと服装の乱れを直す。
カガ君はいつもの通り、上から下まで完璧な装いだ。
私が身だしなみを整えると、カガ君は歩きだしてようやく聞いてくれる。

「それで?」
「あのね、笑わないでくれる?」
「聞いてから決める」
「………」

そう言われると、何も言えなくなってしまう。
思わず黙りこんだ私にカガ君が不機嫌そうに眉を吊り上げる。

「言えよ」
「………だ、だって、絶対笑う」
「言え!」
「ひっ」

そして叱られて、息を飲んでしまう。
いつまでたっても、カガ君は怖い。
カガ君はとっても優しくて面倒見がいいけれど、それ以上に怖い。
言うのも怖いけど、言わなきゃもっと怖いので、仕方なく私は口を開く。

「あ、あのね、蛇穴君の話したでしょう?」
「うん?ああ、転校生だっけ」
「蛇穴君ね、本当に蛇神様じゃないかなって、思うんだけど」
「………」

カガ君は、黙りこんですたすたと歩いている。
私はその顔を見上げて、恐る恐る聞く。

「わ、笑わない?」
「笑わない。呆れてる」
「………」

それは、笑われるより辛い。
カガ君に言われたらこういう反応が返ってくるってことは、分かっていたはずだ。
でも、言える人が、カガ君しかいなかったのだ。
誰かに聞いて欲しかったのだ。

「なんでそう思ったんだ」
「………」
「おい」

気分はもうどん底まで落ちてしまったけれど、問い詰められて私は答える。
自分だって、馬鹿な考えだってことは分かってるんだ。
分かってはいるんだけれど、どうしても、その希望が捨てきれなかった。
だから、馬鹿な話でも聞いて欲しかったのだ。

「………あの、あのね、この前、夜お散歩してた時にね」
「また行ったのか!」
「ひ!ご、ごめんなさい!」

怒鳴られて身を竦める。
いつまでたってもどうしたって、カガ君は怖い。

「行く時は俺に声かけろって言ってんだろうが!」
「ご、ごめんなさい、だ、だって………」

あんな夜に、人を呼び出すなんて、出来ない。
カガ君にはそれでなくても勉強見てもらったり、送り迎えしてもらったりして、迷惑をかけっぱなしなのだ。
学校でだって、私のせいで迷惑をかけてる。
だから、これ以上甘えたくなかったのだ。

「言い訳するな!」
「ご、ごめ、ごめな、ごめ」

それでも怒られて、私は言葉が出てこなくなってしまう。
怖くて、涙が出てきそうだ。
ひくっと喉がしゃくりあげると、苛立ちを抑えるようにカガ君がため息をついた。

「落ち着け。怒鳴って悪かった」
「う、うん」

声を少し抑えてくれて、ぽんぽんと背中を軽く叩かれる。
落ち着くために呼吸を深く繰り返すと、興奮が徐々に収まってくる。

「お前は確かに運が悪すぎるけどな、酷い目に遭う原因はお前にもあるってことをちゃんと自覚しておけ」
「は、はい」
「次行く時は俺を呼べよ」
「う、うん」

それでも、私はやっぱりカガ君を呼ぶことは出来ないだろう。
落ち着くための夜の散歩も、横にカガ君がいたら落ち着かなくなってしまう。
それに、何かあったら、それはそれでいいかもしれない。
パパとママのところにいけるなら、それで、いいのかもしれない。

「それで、散歩に行ったらどうしたって」
「……さ、蛇穴君に会ってね」
「うん?」

それでもカガ君が聞いてくれるから、私はぽつりぽつりと話す。

「それでね、さ、蛇穴君のお家の話して、すっごい田舎だって、話をして、月明かりが綺麗だって、話聞いて、行きたいって言ったらね。おいでって」
「………うん」
「でね、でもね、まだ早いからね、もう少ししてからだね、って」

パパは言ったのだ。
私が年頃になったら、蛇神様が、迎えに来るって。
だから、まだ早いんじゃないだろうか。
私はまだまだ子供だ。
だから、蛇神様のお嫁さんになるには、早いってことなんじゃないだろうか。

「これって、パパが言ったことと同じだよ。私、まだ年頃じゃ、ないもんね。あのね、蛇穴君、本当に、だから、蛇神様なんじゃないかって思うの」

少しはしゃいで言うと、隣のカガ君は無言。
ちらりと見上げると、むっつりと不機嫌そうに黙りこんでいた。

「………笑う?」
「笑わない。呆れてる」

大きく大きく息を吐きだすカガ君に、私は怖くなってしまう。
本当にカガ君が呆れているのだ。
今度こそ、カガ君に見捨てられてしまうだろうか。

「あのな、水葉。お前は騙されやすい。馬鹿だからすぐに暗示にかかる。変なこと言ってる奴の言うことなんて聞くな」
「だ、だ、だって」
「そんなイカれたこと言ってる男なんて絶対変だ。信用するな。近づくな」

見捨てられはしないみたいだけれど、子供にするようにカガ君がこんこんと諭す。
同い年なのに、いつだってカガ君はお兄さんのようなのだ。

「………だって」
「だってじゃない!」
「ひっ」

怒鳴られて、変な声が出る。
カガ君が強い力で腕を引っ張って、私の目を真っ直ぐに見下ろす。
そんな風にされると、私はカガ君に何も言えなくなってしまう。

「お前、俺の言うこと聞かないでいいことあったか」
「………そ、それは、な、ないけど、でも、でもね」

カガ君の言うことを聞かなかった時は、ロクな目に会ったことはない。
行くなと言ったところに行って怪我をしたり、やるなと言われたことをやって失敗して大泣きしたり。
分かってはいるのだが、今回は違うのだ。

「でもね、蛇穴君、いい人、なんだよ。わ、私でもね、ちゃんと話してくれて、いい人、なんだよ」

カガ君は私の訴えに、とても嫌そうに眉間にますます皺を寄せた。
怒鳴られるかと思って目を瞑って身を堅くする。

「………とりあえず、もうそいつに近づくな」

しかし返ってきたのはため息交じりの、そんな言葉だった。



***




「だからさ、あんたはなんで、磯良と一緒に来るわけ」
「一緒に来るなってあんなに言ってるじゃん」
「磯良も迷惑なわけ」

そして今日もカガ君のクラスの女の子たちに捕まってしまった。
カガ君に言いつければきっと追い払ってくれるのだろうけど、それはしたくなかった。
カガ君に頼ってばっかりだから、これ以上迷惑かけたくなかった。

「ご、ごめ、ね、でも、ね、カガ君、ね」
「だから聞こえねーんだよ!」
「ひ、ひっ!」
「マジびびってんだけど」
「やべえ、きめえ」

言葉が出なくて、喉を引きつらせると、それがとても不様だったのか皆が笑う。
そうすると私はますます頭が真っ白になって言葉が出なくなるのだ。
どうしようもない悪循環。

「菅野さん?」
「あ、あ、さ、さら、ぎ、君」

困っていると、昨日と同じような涼やかな声が聞こえた。
私を取り囲んでいた女の子たちは、途端に顔を輝かせる。
取り澄まして、蛇穴君に笑いかけた。

「えっと、あ、あんた、転校生?」
「あー、君がそうなんだ。ねえねえ、どこから来たの?」
「結構かっこいいね」

そしてきゃいきゃいと、今度は蛇穴君を友好的に取り囲む。
その変わり身の早さは、いっそ感心してしまうぐらいだった。

「ごめんね、俺、菅野さんに用事があるんだ」

けれど蛇穴君はそんな風にさらりと断って私の隣に来てくれる。

「ごめん、菅野さん、職員室に用事でさ、まだよく覚えてなくて、連れてってくれる」
「あ、あ、うん。こ、こっち」

私も取り囲まれるのは嫌なので、これ幸いとばっかりに抜け出した。
彼女たちが見えないように角を曲がったところで、蛇穴君に聞く。

「しょ、職員室、なんの用事?」
「え、あ、えーと」

口ごもる蛇穴君に、私は間抜けにもようやく理解した。
彼は私をかばってくれたのだ。

「あの、あ、あの、ありがとう」
「あはは、最後まで格好付けられたらよかったんだけどね」
「う、ううん」

そんな風に綺麗にかばってもらえるのは初めてで、胸が痛くなる。
ただ、純粋に嬉しかった。

「で、でも、でもね、私に、関わると、蛇穴君に、迷惑、かかるよ」
「どんな?」
「さ、さっきみたいな………」

私と親しくしたら、きっと変な噂を流されたり、女子から倦厭されたりするだろう。
なんにせよ、いいことはない。
けれど蛇穴君は軽く肩をすくめる。

「俺、基本的に男友達しかいらないからいいや」
「えっと」
「でも、あんまり話しかけると、今度は菅野さんに迷惑かかりそうだね」

苦笑する蛇穴君に、何も言えなくなってしまう。
確かにこのまま蛇穴君と親しくさせてもらったら、私は嬉しいけれど困るだろう。
また男に媚を売るとか、言われてしまうかもしれない。

「ねえ、あのお散歩、いつもしてるの?」

黙りこんだ私に、蛇穴君が内緒話するように囁く。
それがあまりに近い距離だったので、私は飛び上がった。

「ひ!えっと、た、たまに」
「そっか、じゃあ、メアド教えてくれない?」
「え?」
「散歩行く時呼んでよ。俺も一緒に行きたい」

蛇穴君は悪戯っぽく笑って耳元で囁く。
私は耳に当たる息にドキドキしながら、ただ蛇穴君をじっと見ていた。

「でも、あ、あの、あ」
「嫌?」
「ううん!」

咄嗟に思いっきり首を横に振る。
嫌な訳じゃない。
そんな訳じゃないのだ。
一緒にお散歩出来るなら、嬉しいのだ。

「じゃ、教えて」
「………う、うん」

なんだか流されるようにして、メアドを教えてしまった。
迷惑かもしれないと、気遣う余裕もなかった。

「じゃあ、また、夜ね」

メアドを交換して、私たちは教室に辿りつく前に別れた。






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