「おかえり、水葉ちゃん」 「ただいま、帰りました」 「うん、お疲れ様」 帰ると今日も勝田さんが、にこやかに迎えてくれた。 着替えをしてダイニングに行くと、お手伝いさんが料理を用意していて、テーブルには勝田さんしか座っていない。 「叔母さんは?」 「ああ、仕事で今日は遅くなるって」 「勝田さんは、平気ですか?」 「僕は、彼女より責任のない立場だからね」 勝田さんは、叔母さんの仕事の取引先の人で、なんかフリーの仕事をしていると聞いた。 聞いてもよく分からなかったから、覚えてないのだけれど。 「今日は一緒にご飯を食べよう」 「は、はい」 正直、叔母さんがいるより勝田さんと二人の方が気が楽だ。 明るい勝田さんは私のことを怒ることも馬鹿にすることもないので、私も落ち着いて話すことが出来る。 勝田さんと一緒に食べるご飯は、いつもより美味しく感じる。 「そういえば、例の蛇神様の彼はどうしたんだ?」 「あ」 「お、赤くなったね。いい感じなのかい?」 「そ、そんな、そんなこと、ないです」 夜の散歩の約束をしたけれど、きっとあんなの社交辞令だろう。 蛇穴君は二日目にしてすっかりクラスでも人気者。 誰にでも優しく自然体の人なのだ。 期待したらいけない。 けれど勝田さんはにこにこしながら楽しそうにワインを飲む。 「いいなあ。青春だね。本当に蛇神様だったら、なんだかロマンチックだね」 「さ、蛇穴君に、悪いです。私なんか」 「水葉ちゃんはかわいいよ。まあ、もうちょっと見かけを気にした方がいいけどね」 「う」 確かに、毎朝カガ君に身だしなみを怒られるぐらい、私は身なりに気を使わない。 だって、使ったってどうせ一緒だ。 誰も褒めてくれたりなんか、しないのだから。 かわいい水葉って言ってくれる人達は、もういないのだから。 「今度和江と一緒に服でも買いに行こう。あいつはセンスもいいからね」 「………は、はい」 答えるのに間が空いてしまったのに気付いて、勝田さんが苦笑する。 「ごめんね、悪い奴じゃないけど、不器用なだけなんだよ」 「う、うん」 きっと叔母さんも、本当はいい人なのだ。 私が吃音があったり性格が暗かったりして、付き合いづらいのがいけないのだ。 だって、恋人の勝田さんはこんなにいい人なのだから。 そこで、勝田さんは、ふっと顔を少し曇らせる。 「………水葉ちゃん、ごめんね、答えたくなかったら言わなくていいんだけど」 「はい?」 「ご両親の財産は、君が保管してるっていうのは本当なのかい?」 「………え」 「ごめんね、突然こんなことを聞いて」 勝田さんは、重々しい口調で、言いづらそうに目を逸らす。 パパとママの財産。 それは私にとって、とても触れたくないことだ。 これがあるから、私は今まで散々な目に遭ってきた。 親戚中の人が私に媚を売ったり、パパとママのお棺の前で喧嘩を始めたり、知らない人から声をかけられるようになったり。 今生活出来ているのはその遺産のおかげなのだけれど、そのせいで酷い目にも遭った。 生活のことがなければ、いらないって捨ててしまいたいぐらいだ。 でも、叔母さんが大人になるまでは持ってなさいっていうから、そのままにしている。 生活費分以外は、ただしかるべきところで管理してもらっている状態だ。 「………和江が、気にしていてね」 「………」 そんな醜い争いに終止符を打ったのは、叔母さんだった。 パパのお父さんが作った会社をパパと一緒に経営していた叔母さんは、会社を継ぐとともに私を引き取り、遺産を全て遺言どおり私に一任してくれた。 自分に自信のあるキャリアウーマンだから、パパとママの遺産になんか興味がないと言った。 そんな叔母さんを、私は苦手に思いながらも心から尊敬していたのだ。 「いや、なんでもない。ごめんね、変な話をして。そうだ、今度、その蛇の彼を家に連れておいでよ」 「そ、そんな、だ、駄目ですよ。蛇穴君とは、そんなじゃ、ないです」 さらりと話を変える勝田さんに、けれど私の心は凍りついたままだ。 叔母さんだけは、遺産を気にしないと思っていた。 あの人だけは、大丈夫だと思っていたのだ。 けれどそれも、他の人達と一緒で、やっぱり偽りだったのだろうか。 「ま、待った?」 「ううん」 家の近くの公園に駆けて行くと、すでに蛇穴君は待っていて、滑り台にもたれかかっていた。 薄手のジャンパーを着た蛇穴君はやっぱり制服姿より大人っぽく見える。 「ご家族は、こんな夜に抜け出して何も言わないの?」 「叔母さん、忙しいし、あんまり、家にいないから。お手伝いさんも、夜、帰っちゃうし」 「………そっか」 私の言葉に、少しだけ蛇穴君は顔を曇らせる。 けれどすぐに朗らかな笑顔になった。 「じゃあ、ラッキーだな。俺はこんな風に菅野さんと一緒にお散歩出来て」 その言葉に、私の顔は瞬時に熱くなった。 きっと真っ赤になっているだろうけど、暗いからきっと蛇穴君には分からない。 分からないといいな。 「め、メール、ありがとう」 「うん。誘って大丈夫だった?」 「うん」 蛇穴君を誘うつもりなんかなかったのだけれど、蛇穴君の方から散歩に行くのかとメールが来た。 私は少しだけ迷って、行くと返信をした。 そうしたら蛇穴君も行くと言ってくれたのだ。 ちなみにカガ君からも外に出るなら言えという命令メールが入っていたけれど、こちらは丁重に今日は行かないとレスした。 蛇穴君と会ってることも含めて、バレたらどうなるのだろうと、想像するだけで怖い。 「ああ、そうだ。今度は約束通り菅野さんの話を聞かせてよ」 しばらく他愛のない話をしながら歩いていると、蛇穴君が聞いてきた。 そう言えば、確かに私の話をすると言った覚えがある。 「わ、私の?」 「うん」 「な、何も、ないよ。私」 話して楽しいことなんて、何一つない。 つまらない人間だ。 「そうだな。じゃあまずは、名前」 「な、名前?」 けれど蛇穴君は楽しそうに聞いてくる。 「うん。水葉ってかわいいけど、変わった名前だね。誰が付けたの」 「あ、えっとね、えっと」 「ゆっくりでいいよ」 「ありがとう」 焦ってまだ言葉に詰まる私に、蛇穴君はゆっくりと言ってくれる。 その言葉が嬉しくて涙が出そうになるが我慢して、すーはーと深く呼吸をした。 そうすると、やっと落ち着いてくるのだ。 「名前はね、パ、お父さんがつけてくれたの。みつはって、水の神様の、名前なんだって。字は、違うんだけど」 「へえ、水の神様。なんか理由とかあるの?」 「あの、ね。お父さんがね、その、蛇が、好きだったの。蛇は、水に、関わりの深いものだからね、水のご加護があるようにって」 ちらりと蛇穴君の反応見ながら、私は話す。 蛇という単語に、蛇穴君がどんな反応を示すのか知りたかった。 馬鹿馬鹿しいと分かっている。 蛇神様なんておとぎ話だと思っている。 でも、もしかしたら、という気持ちが消えないのだ。 「蛇が好き、か。変わってるね」 「う、うん」 蛇穴君は特に表情を変えないまま、変わらず穏やかに笑っている。 やっぱり、蛇穴君は、蛇神様じゃないのだろうか。 分かってはいるものの、少しだけどうしてもがっかりする。 「でも、いい名前だね。いいお父さんだね」 「う、うん!」 でも、パパを褒められて、私は嬉しくなってしまう。 パパとママは、いいパパとママなのだ。 「ねえ、水葉ちゃんは、蛇が、好き?」 頬が緩んでにやにやとしていたら、ふと蛇穴君が聞いてきた。 その声がさっきより低くて、私はびっくりして顔をあげる。 「え?蛇穴君?」 「ね、水葉ちゃん、好き?」 蛇穴君は笑っている。 さっきと変わらず笑っている。 けれど、どこか、さっきと違う雰囲気を感じた。 私は雰囲気に気押されるように、唾を飲み込む。 そして、正直に答えた。 「………好き、だよ。蛇ね、好き」 蛇神様は、私を守ってくれる存在。 私には蛇神様がいるから、平気なのだ。 だから、私は蛇が好き。 「そう、よかった」 私の答えに、蛇穴君が嬉しそうに笑う。 その反応に、私の期待はまた頭をもたげてくる。 「な、なんで、よかったの?」 やっぱり。 いや、そんな訳。 でも。 そんな気持ちが、せめぎ合う。 「ほら、俺も名前に蛇入ってるしね。蛇には親近感があるんだ」 「………うん」 けれど蛇穴君ははぐらかすようにそんなことを言った。 いや、はぐらかしたりなんてしていない。 何もおかしくない答えだ。 でも今にも言ってしまいそうになる。 あなたは、蛇神様なんですか。 蛇神様は、会ったこともないから結婚するのは嫌だった。 それなら、出会って、知り合って、好きになるなら、どうかな。 それなら、パパとママのような、素敵な結婚になるのかな。 ちゃんと知って好きになるなら、私は蛇のお嫁さんになることが出来るのだろうか。 |