お日様ぎらぎら、抜けるような青空。 周りは楽しそうに笑う人々の群。 立ち並ぶ美味しそうな匂いをさせる屋台。 風船を配る綺麗なお姉さん。 地面に店を広げる露天商。 そして、隣にはイケメン男子。 「私デートって初めてだー」 なんとも気分のいい休日に、うきうきとしてくる。 すると隣のいつでも一定のテンションの人が冷たい目で見下ろしてくる。 「デート?僕と君が?」 ああ、その蔑むような視線、今日もゾクゾクいたします。 そのあり得ない馬鹿いうなと言外に告げる表情、いつもながら惚れ惚れする。 「男女二人で出掛けるってデートだと思うんだけどな」 「笑えない冗談だね」 鼻で笑って凍えそうな口調で言い放つ。 まあ、確かに私と北川でデートはない。 ご主人さまとペットの散歩だろうか。 あ、そのシチュエーションもたまらないかもしれない。 「じゃ、じゃあ、ご主人様と下僕の」 「で、なんで動物園?」 私が言う前に、北川が遮って聞いてくる。 相変わらずタイミングも素晴らしい。 今日は、休日が退屈だからどうにかしろとの指令を受けて、動物園に連れて来てみたのだ。 「ここの市立動物園はタダだから!でも中々に動物の種類も多くて売店も充実!なおかつ今日は市民祭りの日だからフリマとか屋台もでるよ!完璧!」 北川が嫌そうに鼻に皺を寄せる。 まあ、似合わないよなあ、この人に動物園。 「動物臭い」 「動物は和むよー。北川様のささくれだって傷つくもの皆傷つける心も刃先が鈍るよー」 「へえ、そう思ってたんだ。ところで君が売店使ったりするの?」 「する訳ないじゃん!」 「うん、だと思った。楽しいの?」 「タダで動物見て、フリマで掘り出し物見つけるのさー」 「本当に貧乏くさいね。君にぴったり」 「ありがとう!」 タダで一日楽しめるなんて、なんて素敵な場所なんだろう。 この街に来てからまだ1年程だが、この動物園にはよく来る。 北川もまあ、たまには知らない世界を知るのもいいだろう。 私に命じた以上、これぐらいは覚悟していただろうし。 「お昼は勿論お弁当作ってきたから」 「そのお金はいいの?」 「勿論北川様にはこれくらいのオプションは付けますよ」 何せ200万、これぐらいは許容範囲だ。 なんなら足にキスぐらいしたっていい。 多分嫌がるだろうけど。 「本当に天気がいいねー。最近は家にばっかりいたから気持ちがいい」 元々家にずっといるのは好きじゃない。 外で体を動かしている方が性にあっている。 「そういえば君はバイトとかはしないの?学校でなんでも屋なんてやるよりそっちの方が稼げるでしょ」 「したいんだけど、親が許してくれないんだよね………」 思わずため息が漏れてしまう。 父ちゃんと母ちゃんが私のことを心配しているのは分かるのだが、バイトぐらいは許してほしい。 「中学生の頃は新聞配達してたんじゃないの?」 「中学生の頃はばあちゃんと暮らしてたのよ。兄ちゃんが体弱くて私まで手が回らないから、ばあちゃんに預けられててさ。ばあちゃん死んじゃったから実家に戻ったんだけど、厳しいー。ばあちゃんは好き勝手やらせてくれてたからなあ」 父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも好きだし私を思ってくれてるのは分かるのだが、私の求める優しさとは違う。 私は別に無理とかしてないし、ばあちゃんの教育が悪かった訳じゃないのだ。 「私はただお金が大好きなだけなんだよー。それが親元から離れて歪んだって心配されても困るよー」 「まあ、そりゃ普通の親だったらそういう反応になるよね。十分歪んでるから安心して」 「私はまっすぐにお金を愛してるだけなのに!」 「うん、清々しいほどにストレートに人間として間違った愛だね。うちの学校、金持ち学校だし、金はあるんでしょ?」 「あるんだけどねえ。やっぱ自分のお小遣いぐらい自分で稼ぎたいなあ。それに………」 その時、どこからか猫の鳴き声のようなものが聞こえる。 顔を上げると、そこには音の発信元がいた。 「あ!」 人ごみから離れた林の影。 木の下で小さな男の子がうずくまって体を震わせていた。 とりあえずそっちに駆け寄る。 「おーい、どうしたの?」 「うわああああん、うう、ひっく」 泣いていたのは小学生になるかならないぐらいの男の子。 声を押し殺して泣いていたようだが、話しかけると盛大に泣き始めた。 耳をつんざく金切り声に、思わずびっくりしてしまう。 「おー、元気な泣き声だ。迷子かなー。名前はー」 「ああああ、ひぃっく、うぅ」 「はー、困ったなあ」 男の子は泣くばかりで答えてくれない。 辺りに両親らしきものはいないし、どうやら迷子のようだ。 「お姉ちゃんと一緒に親御さん探しにいこっかー」 けれど少年は、私の言葉に首をぶんぶんと横に振る。 「ここに、いるっ」 「でもほら、ここにいると親御さんが見つけられないかもしれないし」 「ここにいるの!」 手を掴んで立ち上がらせようとしても、頑強な抵抗にあう。 放っておくわけにもいかないし、どうしたものだろう。 「上」 「へ?」 いつのまにか置いて行ってしまっていた北川が後ろにきていた。 涼しい声につられて、上を向く。 「あら」 隣の大きな木には、空への道を木の枝の阻まれた青い風船がいた。 「よいしょっと」 今日はいてきたのが短パンでよかった。 スカートだったら昔懐かしかぼちゃパンツにしなければいけないところだっただろう。 木は割と瘤が多くて昇りやすいのも幸いした。 なんとか青い風船を捕まえることが出来た。 「とれた!」 「君はやっぱり運動神経がいいね」 「体は資本ですもの」 勿論自分が登るなんて言わない北川が私を見上げて感心したように言う。 時間が結構余ってるし、走り込みもしていて体力には自信がある。 「よっと」 風船を持ちながら恐る恐る木を下りる。 昇るのはいいけれど下りるのはさすがにちょっと怖い。 小さい頃はもっとするする登れたものだが、体が大きくなると難しくなるのは不思議。 「う、うわ!ああ!うわ!」 なんて考えていたら片手がうまく使えなかったこともあり、残り少しのところで足を滑らせる。 風船を握っていた右手を使う訳にもいかず、そのままお尻から落ちてしまう。 なんとか大事なところを守るために身を丸めることだけは出来た。 「ったー」 衝撃はそれほど強くはなかったが、お尻を強かに打って呻く。 じんじんと痛むが、骨とかに異常はなさそうだ。 北川が座り込む私を見下ろして首を傾げる。 「怪我は?」 「擦り傷と、打ち身かな」 「頭とかは打ってないみたいだし大丈夫そうだね」 冷静に私の体を眺めて一つ頷く。 これは心配してくれたりしてるのだろうか。 微妙なところだ。 「こういう時、助けてくれたりしないもんかなー」 「落下時の衝撃力を考えれば、僕も怪我をするかもしれないしね。下手に手を出して二人で怪我をするより、君だけの方が被害が少ないだろう」 「さすが北川様」 「君の運動神経を信じたのさ」 「ありがたき幸せ」 冷静な判断力には恐れ入る。 そして私のことを物質を見るかのような目で見るのもゾクゾクする。 「しかし君もまた無駄な労力を使うね」 「無駄じゃないってー。ほら、風船は死守!って、あえああああああ」 右手を見ると、そこには紐とその先にぶら下がるへにゃりとへたれた青いゴムがあるだけだった。 ふわふわと丸く漂っていた風船の面影はそこにはない。 落ちた時にどっかでひっかけて割れてしまったらしい。 「あ、わ」 「う、う」 恐る恐る少年の方を見ると、みるみる内に大きな目に涙を止める。 うわ、やばい。 カウントダウン開始だ。 5、4。 「ううう、わあああああ、ああああ」 「て、早い!ああああ、ご、ごめん!ごめんよ、ごめん!」 少年を泣きやませるつもりが、更に泣かせてしまった。 ああ、なんだこの罪悪感。 子供の切望感がひしひしと伝わってくる。 「うわああああ」 「ご、ごめんなさーい」 北川が焦る私をよそに、穏やかな笑顔でしゃがみこむ。 そして優しく少年の頭を撫でた。 「ほら、泣かないで」 「う、うわああ」 「すぐに、お母さんが戻ってくるよ」 「う、うう」 「大丈夫」 穏やかに諭すような言葉に、少年が落ち着きを取り戻してくる。 おお、すごい、どういう技だ。 まるで動物使いのようだ。 北川がちらりと私を見上げる。 「中村、君の特技でも見せてあげれば」 「あ、う、うん!」 慌てて近寄り、少年の前で手をグーパーさせる。 「ほら、見て見て」 少年が涙で濡れた目で、不思議そうに私の手を見る。 そして一回手を握って、もう一回開く。 そこにはあーら不思議、飴玉がある。 「ほーら、飴が出たよ!」 「う、わあ」 少年の涙がぴたりと止まり、キラキラとした目で見上げてくる。 まだほっぺたとかは濡れているが、哀しそうな表情は消えている。 「すごい!お姉ちゃんどうやったの!お姉ちゃんすごーい!」 「すごいでしょー」 あー、よかった。 本当によかった。 マジ焦った。 「新ちゃん!」 「お母さん!」 声がして、後ろを振り返ると、若い女性が慌てて駆け寄ってくる。 その手には青い風船が握られていた。 少年が嬉しそうに弾んだ声を上げる。 「えっと」 女性が少年の前にいる私達を見て困惑したように首を傾げる。 まあ、確かに何がなんだかわからんわな。 「お姉ちゃんがね、風船取ろうとしてくれたの。でもね風船割れちゃったんだ。でもね、飴くれてね。でね、何もないのに出てきてね」 これで意味が分かったらお母さんはすごいな。 お母さんは全ては分からないまでも、何度か説明を聞くうちに私が風船を取ろうとしたことは分かったらしい。 慌てて頭を下げる。 「ありがとうございます!ご迷惑をおかけして……。やだ、砂だらけ!す、すいません、怪我とかは………」 「あ、全然大丈夫ですよ。勝手にやったことですしー」 確かに砂まみれになってしまったが、どうせ安い服だ、問題ない。 何度かクリーニング代を、ただ洗濯すればいい、お礼を、大したことじゃないという問答を繰り返す。 最後にはお母さんが、手にもっていたビニール袋を差し出してくれた。 「すいません、せめてこれを」 その中にはジュースとお菓子の詰め合わせの袋が入っている。 きっと今日のおやつだろうに、そんな訳にはいかない。 けれどこれ以上はお母さんはひいてくれなかった。 いい人すぎる。 騙されないか心配だ。 仕方なく受け取ると、頭を下げながらお母さんと少年は仲良く手を繋いで去っていく。 少年の右手からは、結びつけた青い風船が伸びていた。 「お姉ちゃんばいばーい」 「ばいばーい」 最後に手を振ってくれて、私も手を振り返す。 ああ、本当によかった。 一時期はどうなることかと思った。 その様子を一言も口をはさまず見ていた後ろの北川を振り返る。 そういえば、最初からの落ち着きをずっと払っていた。 「北川様、実はお母さんすぐ来るって分かってた?」 「あんなところに一人でいる割には保護者を探してなかったし、あそこを動こうとしなかった。多分いるように言いつけられてるんだろうと思ったかな。近くにトイレなんかもないし、風船なくして泣いてるみたいだし、風船を貰いに行ったんだろうと予測はしたけど。あんなところに子供一人残して行くというのは少し考えなしだけどね」 「はー」 相変わらずの北川様だ。 「で、私にそれを言ってくれなかったのは」 「楽しそうだったから」 「ですよねー。歪みない北川様、今日もご馳走様です!」 本当に真正ドSで、今日も私はドキドキです。 ちょっとダメージは大きかったが、結果よければすべてよし。 「儲けたし、よかった!」 「え?」 「ジュースとお菓子ゲット!」 北川が呆れたように眉を潜める。 そして深くため息をついた。 「どう考えても労働力と報酬が見合ってないだろう。いつも思ってたけど君の働きって自給に換算するとかなり低賃金だよね」 「あー、確かにそうかも」 「本当に金もうけが好きなの?」 「まあ、趣味も兼ねてるから。別にさっきのは金もうけしようとしてなかったのに、報酬ゲット!ほら、幸せ!」 ジュースとお菓子を差し出して笑うと、北川も冷笑を浮かべる。 「中村は本当に頭が幸せな人だね」 「ありがとうございます!」 「喜ばないで」 きっつい一言にゾクゾクする。 虐げられて馬鹿にされるって、なんか気持ちがいいなあ。 これは北川が相手だからなんだろうか。 「お菓子何が入ってるかなー。あ!キャベツ太郎によっちゃんだ」 「なにそれ」 「よっちゃんイカを知らないと!」 「だから何それ」 「これですよ!50年は続くベストセラー駄菓子!合成着色料と化学薬品の甘さがたまらない!サッカリンが入ってるお菓子なんて今時ないですよ!」 「うん、頭が悪いね」 「駄菓子は日本人の心です!」 駄菓子を馬鹿にするものは駄菓子に泣く。 こんなにおいしいものを知らないなんて、人生を損している。 熱弁する私に北川が肩をすくめる。 「君は本当に無駄なことをよく知ってるよね。駄菓子にも詳しいんだ」 「だって将来駄菓子屋開くのが夢なんだー」 「へえ」 あ、しまった、思わず言ってしまった。 あまり人に言うことがない、私のささやかな夢。 きつい言葉を言われるのはむしろ嬉しいが、夢を笑われるのはちょっと嫌だ。 しかし北川はさぞきつい言葉で罵ってくるだろう。 「わ、笑っていいよ?」 「は?」 「い、いや、笑っても、いいけど」 「何が?」 恐る恐る見上げると、北川は意味が分からないというように首を傾げる。 笑わないだろうか。 今まで私の夢を聞いた人は漏れなく笑った。 「だから、駄菓子屋開くとか………」 「笑うところなの?」 「だ、だって、おかしいし………」 「ジョークだったの?」 「ううん!」 冗談なんかじゃない。 私のずっとずっと小さい頃からの夢なのだ。 北川が不快そうに眉を顰める。 「じゃあ、なんで笑うの?」 「そうだね!わ、笑うところないね!お菓子だけにおっかしーなんて!」 「木からもう一回落ちたら?」 ああ、いつもの北川だ。 なんだろう、ほっとする。 早いところ罵ってくれないと調子が出ない。 「でも駄菓子屋ねえ」 「う、うん」 北川が考えるように髪を掻きあげる。 なんだろう。 何を言われるのだろう。 やっぱりきっつい一言を貰うのだろうか。 「駄菓子屋だけで食べていくのは難しいだろうね。商品単価が低すぎるし、購買層が狭い。利益率が低すぎる。生計を立てるのは困難だから、兼業は必須だろう。そこは考えてるの?」 どうしよう。 どうしよう。 どうしたらいいんだろう。 「………」 「どうしたの?」 俯いて黙りこむ私に、北川が聞いてくる。 でも顔があげられない。 顔が熱い。 胸が熱い。 いつもよりもずっとドキドキする。 なんだろう、この感情は。 「中村?」 「えへ、えへへへ」 「………気持ち悪い」 「うひひひひ」 「不快だからやめて」 ああ、駄目だ顔がゆるんでしまう。 胸がうずうずする。 「北川様、ジュース奢るよ!」 「は?」 「私の奢り!」 「どういう風の吹きまわし?」 「大サービス!」 夢を笑わなかった人はほとんどいない。 真剣に夢の実現について語ってくれた人なんて一人もいない。 「あ、そこは駄目だ。あっちの売店の横に自販機は100円自販機なんだ。あっちね!」 「………やっぱり貧乏くさい」 この胸のうずきは、一体なんなのだろう。 |