「らったったー」 モップが滑らかに床を流れて気分が良くなってくる。 吹奏楽部に頼まれた音楽室の掃除をしていると、後ろで椅子に座って本を読んでいた北川から声がかけられた。 「君は随分嬉しそうに掃除をするね」 「え、だって楽しいじゃん。掃除をすれば綺麗になって気持ちがいいし、目に見えて成果が出るのは面白い」 「ふーん」 「ご主人様も一緒にやりましょうよ」 「それはやめて」 「ち」 どさくさに紛れて何度かご主人様と呼ぼうとするが中々成功しない。 鉄壁のガードだ。 ちょっとご主人様扱いするぐらいいいだろうに。 口を尖らせる私に、呆れたように北川が肩をすくめる。 「君は本当に変わってるな」 「うん、割と自分でもそう思う」 「自覚してるのに直す気はないの?」 「直す必要ってある?」 「そうだね、僕を不快にさせない程度には」 「どの辺が不快かなあ」 「とりあえず人にSMプレイを強要しないでくれる?」 「北川様って真正ドSなんだからいいじゃないですか。私がMで、北川様がS。となると自然とそれはプレイになっちゃうんです!自然の摂理なんです!」 「さりげなく様をつけないで」 「ち」 本当に鉄壁のガードだ。 しかしその冷たい視線は中々に心地がいい。 人に服従するって気持ちがいいものだったんだ。 私って、男に尽くすタイプの女だったんだなあ。 ちょっぴり乙女な自分がかわいい。 「あ、北川様、お昼食べます?お弁当作ってきたんですけど」 「だから様をつけないで。何を作ってきたの?」 「今日は皆のお弁当なかったから余りものなんですけど。野菜の切れ端のきんぴらと余りひき肉の春巻きがメインですね」 「貧乏臭………。ご主人様に残り物を食べさせる訳?」 「ご、ご主人様って呼んでいいんですか!」 「あはは、どぶ川に落ちちゃえばいいのに」 ああ、その全然笑ってない目の笑顔、眩しい。 この人、本当にご主人様体質だ。 「今度呼んだら本当に契約切るからね」 それは困る。 お金も困るし、私はこの下僕生活を結構気に入っている。 「もうしません。………そういえば、私、楽しませることをあまりしてないけど、どうしよう」 「まあ、君といるだけで大分面白からいいかな」 「え、それはプレイ的な意味で!?」 「動物奇想天外的な意味で」 「い、犬扱いとか………」 「誰も犬とは言ってないし」 「ぶ、豚!?」 「喜ばないで。アホウドリあたりかな。絶滅危惧種」 「あ、ありがとう!」 「だから喜ばないで。このど変態」 自分が変人だとは思っていたけど、変態だとは思ってなかった。 でも北川に罵られるとドキドキする。 もしかして、これって恋なのかな。 これが恋なのかな。 「まあ、君と一緒にいると」 その時音楽室の扉が勢いよく開いて、男子が五人ほどなだれ込んできた。 先頭にいるのはサッカー部の柿崎。 ていうか全員サッカー部か。 「中村!」 北川は楽しそうにくすりと笑った。 「こういうことがあって面白いしね」 「ほー、では部費がなくなったと」 「そうなんだよ!ど、どうしよう!」 「また失せ物探しかあ」 まあ、よくある依頼ではある。 しかし万単位の現金の落し物は中々にシビアだ。 これは腰を据えてかからないといけないだろう。 「どこでなくなったの?」 「ずっとバッグに入れてたんだよ!それが今見たらなくてさ!」 「なんで部費なんかバッグにいれてんのさ」 「一旦銀行にいれてたのを昨日引き出してきたんだよ。俺会計してるから」 「はー、それなのにずさんな管理だこと」 「う、うっせー」 しかし騒がしくて落ち着かないタイプの柿崎が会計とは意外だ。 もっとしっかりした真面目な人間の方があいそうだが、しかし柿崎は信頼されているのかもしれない。 まあ確かに、運動神経がいいし明るいしさっぱりした性格で、結構目立って人気のある方だ。 「家に置いてきたんじゃねーの?それか薄いんだし教科書の中挟まってるとか」 「入れたのもう一個のバッグで家に置いてきたんじゃね。あの青い方」 「よくある茶封筒だし、誰かが間違って持っていったとか」 「部室じゃねーの。お前一回休み時間に部室行ってただろ」 「ああ、そっかな………。そういえばバッグ持ってってたしい」 一緒にいるサッカー部の面々も、心配そうに顔を曇らせている。 付き合ってくれてるし心配してくれてるし、中々に仲間思いのいい奴らだ。 やっぱり柿崎は人気者だ。 柿崎はいつも浮かべている明るい笑顔を消して、青い顔で詰め寄ってくる。 「中村、一緒に探してくれよ!」 「はあ、まあいいけどさ」 しかしこの状況で私が一緒に探してもあまり進展はない気がする。 素直に警察とかに届けた方がいいのではないだろうか。 「私が探しても仕方ない気もするけどなあ」 皆で散々探したんだろうし。 後は落としたって可能性が高そうだ。 「それでも、一応もう一回!」 「分かった分かった。いいっすか、北川様」 「だから様をつけないで。いいよ。いってらっしゃい」 北川は快く頷いて手を振って送りだしてくれる。 勿論手伝ったりする気はないらしい。 さすが北川だ。 「んじゃ、とりあえず部室行こうか」 「あ、ああ」 そして5人の男達と連れだって教室から出る。 ちょっとだけ考えて一人音楽室に戻る。 北川は相変わらず本を読んでいるところだった。 「ところで北川様、実はもうお金どこにあるか分かってたりしてー」 一応聞いてみると、北川は顔をあげてにっこりと笑った。 「土下座して頼むなら教えてあげてもいいけど」 「え、していいんですか!?」 「………前言撤回。そのがま口に入ったお金全部僕にくれるならいいよ」 「え!?」 土下座だったら喜んでやるけれど、命と同じぐらい大事ながま口の中身を出すのは身が引き裂かれるような痛み。 この痛みを快感と感じ取れない私はまだまだなのだろうか。 けれど、やはり、苦しくて、胸が痛い。 「あ………」 私が思わずがま口を抑えて一歩身をひくと、北川は楽しそうに笑った。 ああ、本当になんてひどい奴だ。 鬼畜だ鬼畜。 人の風上にもおけない。 「早く」 「う、うう………」 でも、解決するためには、これくらいしなければいけないだろうか。 代償がなければ得ることもない。 今がま口に入っているお金はそれほど多くはない。 依頼解決の成功報酬の方がよっぽど高いだろう。 そう考えると、差し出した方がトータルでは得だ。 「………く、ご、ごめんね、ごめんね、私のお金達。で、でもね、君たちのためにもね、広く羽ばたくことって大切なんだよ。だって、お金はね多くの人に触れられることに意味があるんだからね。離れたくなんかないよ。本当だよ。でも………、君たちのためを思うと、離れることが………」 目頭が熱くなってきた。 涙が出る。 声が震える。 「飽きたからいいや。三回回ってワンって言って」 愛しい子たちに今生の別れを告げていると、北川は冷たい口調で言った。 その温情に満ちた言葉に飛び上がる。 「お、お金はいらないんですか!?」 「うん。はい、どうぞ」 それくらいならお安い御用だ。 私は三回くるくると回って、元気よく言った。 「わん!」 「よくやるね。馬鹿みたい」 「は、はい!」 ああ、本当に最低鬼畜人間だなあ。 ゾクゾクする。 「あの一番小さい眼鏡の子、他のメンバーに気付かれないように連れて来て」 北川が疲れたように肩をすくめて言った。 「な、なに?」 とりあえず5人でばらけて探そうと別れさせて、北川の指示通り小さい眼鏡を連れてきた。 確か4組の、名前は加藤だったっけ。 怯えた様子でおどおどと私と北川を交互に見ている。 なんだか小動物のような奴だ。 「君でしょ。お金持ってるの」 「え、ええ!?え、な、なに、何を、言って、そ、そんな」 北川はにっこりと笑って、ストレートに言い放った。 直球の避けようがない言葉に、加藤は顔を真っ赤にさせたり真っ青にさせたりして慌てふためく。 おお、本当にこいつだったんだ。 「状況証拠なら今ので十分だね」 「本当だー。本当にこの子だったんだ」 さすがにこれは慌て過ぎだ。 こういうことするならもっと根性据えればいいのに。 そこでようやく我に返ったのか、加藤が首を思いっきり横に振る。 「ち、違う!俺はお金なんて盗ってない!」 「そうそう、それ。他の人間はみんな落とした、忘れたって発想なのに、君だけお金を取ったって発想だったんだよね」 加藤が息を飲んで、血の気が一気に引く。 青を通り過ぎて白になっている。 北川は穏やかにただにこにこと笑っている。 「そ、そんなの、だって、ただの可能性だろ!」 「なんで茶封筒って知ってたの?」 「え」 「彼は今まで一回もバッグから出してないって言っていた。なのになぜ君は茶封筒って分かったの?」 「そ、それは、その、よ、予想で」 「銀行から持ってきたっていったんだし、普通は銀行の袋を連想するよね。随分な予想だ。まあ、認めないならいいよ。僕はそれを教師や彼らに提言するだけだから」 「あ………」 そこで加藤はがっくりと肩を落ちして言葉を失った。 なんてドS。 なんて鮮やか。 ちょっとだけ加藤が羨ましくすらある。 これは嫉妬なのか。 やっぱり私は北川が好きなのだろうか。 「加藤、本当に盗ったの?」 「だ、だって………」 加藤君はずるずるとその場に崩れ落ちて、泣きそうに顔を歪める。 ていうか泣いている。 これが草食男子って奴か。 「す、少し困らせたかったんだ!この前、俺のミニカー壊して、それでへらへらしてるから!す、少しは困ればいいって!」 ミニカーって、いくつだこいつは。 いや、まあ、なんか思い入れのあるものだったのかもしれない。 「収拾どうするつもりだったのさ」 「あ、後から、俺が持って行って、落としてたって、言うつもりだったんだ、どちらにせよ、会計の信用はなくなるし………」 「暗いなあ」 「うるさい!」 やり口が本当に暗いなあ。 だからこういういじられタイプなんじゃ。 パっと見、苛められている様子はなかったと思うけど、本人にとったら結構辛いのかもしれない。 「壊されて嫌だって言えばよかったのに」 「い、言えれば苦労はしない!」 「まあ、そりゃそうだけど、こんな陰湿なことして、バレたらよっぽど大変なことになるでしょう」 「………」 そこで加藤はがっくりと力を抜いてうなだれた。 あー、なんか哀れだ。 別にこいつを責める気はないからこの辺にしておこう。 「まあいっか。でどうするの?」 「………もう、どうでもいいよ」 「あら投げやり。北川様どうする?」 北川はもう興味を失ったように読書に戻っている。 こっちは相変わらずの一定温度。 氷点下ギリギリで保っております。 「君に任せるよ」 「そうだなあ。うーん」 しばらく考えてから、私は加藤の方に手を置いた。 「ねえ、加藤、いくら出す?」 「ほら、あった!」 鞄を探って茶封筒を取り出すと、周りから歓声があがった。 柿崎を中心にして、周りのサッカー部たちが小突きはじめる。 「ばーか、お前バッグの中にはいってんじゃねーか!」 「あれ?本当に探したんだよ、俺何回も探したんだって!」 「お前探し方が悪いんだよ。もー、驚かせんなよ」 「えー………」 このまま単なる早とちりということで収まるだろう。 キャラ的にこれで嫌われてるってこともなさそうだ。 まあ、それならこれで解決で万々歳。 「まあ、あってよかったじゃない。ほらお代」 「えー………」 「この前望月さんも同じようなことあったんだよね。灯台下暗し的なねー」 嘘ではない。 今回も灯台下暗しってもんだろう。 納得いかない様子だが、一応柿崎はお代を払ってくれた。 「毎度あり。またのご利用をお待ちしておりまーす」 まあ、加藤は兄からもらって本当に大事にしていたミニカーを壊されて腹にすえかねたってことだった。 やり方はえげつないが多少自業自得なところもあるだろ。 「うまいもんだね」 五人が出ていった後、北川が感心したように言った。 さっき鞄の中から取り出したように見せかけたあれのことだろう。 「手先は器用なの」 何かの役に立つかとマジックなんかも少々嗜んでいる。 こんなところで役に立つとは思わなかったが。 「それにしても、本当のことを言わないんだね」 「言っても仕方ないしねー。私と北川様が知ってるって分かってればもうあんなことしないでしょ。記念写真に録音もしたし、次なんかあったら自分が疑われるって分かってるし。後は頑張っていじられ役を脱出してくれるといいんだけどねえ」 口止め料を貰って一応証拠も貰っておいた。 もう何もしないならいずれ破棄するとはいった。 まあ、多少疑心暗鬼に駆られるかもしれないが、そのうち忘れるだろう。 逆上してぐさって感じにならないようにだけ気をつけないとな。 「君は金には汚いが、基本的に正義感が強いタイプかと思ってた」 「人間なんて間違えるもんだし、言わなくていいことは言わなくていいんじゃない?」 「なるほどね」 私だって間違ったことをいっぱいするし、人を責める気はない。 人を怒れるほど出来た人間ではない。 北川は冷笑を浮かべる。 「それで君が過ちを起こした人間の上前を撥ねる、と」 「人の物を壊して反省しない柿崎からも代償を。やってはいけないことをした加藤からも代償を。喧嘩両成敗。等しく罰を!わあ、私ってすごい名裁判官!」 まあ二人ともダメージを負ったし、この代金で禊は済んだといいうことで問題ない。 いいことをした後は気持ちがいいもんだ。 北川が楽しそうにくすくすと笑う。 おお、こういう笑い方は珍しいかもしれない。 「北川様?」 「中村、お腹が空いた。弁当があるんだろう?」 「あら」 どういう風の吹きまわしだろう。 けれどせっかく作ってきたのだから食べてもらえれば嬉しい。 「はい、どうぞ!お茶もあるよ」 水筒にいれたお茶も用意して、お弁当を広げる。 北川は弁当を一瞥してから、躊躇いなく春巻きを口にした。 優雅に咀嚼して一言。 「君らしい貧乏くさい味がする」 「ありがとうございます!」 お礼を言うと、北川は肩をすくめた。 |