「今日こそ話しかけるぞ」 玄関先で靴紐を結びながら、自分に気合いを入れる。 中学校に上がってから、早くもそろそろ一月が経とうとしている。 それなのに、まだまともにクラスメイトと話すことすらできない。 すっかり友達作りには出遅れた。 でも、まだ、普通のクラスメイトとしてなら溶け込めるかもしれない。 小学校の頃はずっと一人だった。 小学校の頃の評判はまだ引きずっているが、人が増えたり小学校の頃の同級生が減ったりしたせいで大分薄れた。 せめて、少しだけでも話せる人が欲しい。 「頑張ろう」 もう一度目を瞑って、自分に言い聞かせる。 その時後ろに気配がして、慌てて後ろを振り返る。 そこには二つ年下の弟がランドセルを背負って立っていた。 生意気な弟はどこか呆れたような表情で俺を見下ろしている。 「何してるの、兄さん?」 「………天」 「どいて、俺、学校行くし」 慌てて立ち上がって、道を譲る。 天は自分のスニーカーを素早く履くと、そのまま玄関からさっさと出ていく。 「無駄なことしなきゃいいのに。どうせ友達なんて出来ないよ」 そして振り返りざま、そんなことを言った。 その言葉の意味を理解して、頭に血が上った。 「………うるさい!」 「せいぜい頑張ってね」 けれど弟は俺の怒りなんて意に介さず、小さく笑ってさっさと行ってしまった。 弟への怒りでムカムカするが、それと同じくらい哀しくなる。 「………分かってるよ」 全部、俺が悪いのだ。 この性格も、この弱さも、この体質も。 そして頑張って奮い立たせた勇気も朝のうちに台無しにされ、結局今日も誰にも話しかけることは出来なかった。 勉強に集中して、休み時間は本を読んだり図書室に行ったりしているけれど、やっぱり寂しい。 周りで楽しそうに話してる同級生たちが、とても遠く感じる。 「なあ、宮守」 さっさと帰ろうと荷物をまとめていると、不意に話しかけられた。 慌てて顔を上げるとクラスの中でも目立つタイプの男子がそこにいた。 確か、佐々木と言ったはずだ。 クラスの中でも背が高くて、運動神経もよくて明るくて、男女ともに人気のある、中心で笑っているような人間だった。 「あ、えっと、佐々木?な、何?」 何かクラスの用事か何かかと思うが、わずかな期待に声が裏返る。 小学校の頃は特にイジメとかを受けた訳じゃないが、倦厭され、遠巻きにされていた。 あまり話しかけてくれる人もいなかった。 だから、こんな風に朗らかに笑って話しかけてくれるだけでも嬉しい。 「これから、部活ない奴らで遊ぼうって言ってるんだけど、お前も行く?」 「え、お、俺も?」 「そう、みんな集まるしさ、宮守もどう?」 「い、行く!」 考える暇もなく頷いていた。 どういうつもりなのかが分からないが、遊びに誘われるなんて久々だ。 小学校の頃も、何度かあった。 でも全てその機会を台無しにしてしまっていた。 今度こそ、無駄にはしたくない。 「そっか。じゃあ、行こうぜ」 「わ、分かった!」 俺は慌てて荷物をバッグに入れて、立ち上がった。 「あ、コマツよってこーぜ」 「そうだな。お菓子くおー」 クラスの男子が俺もいれて7人ほど。 皆はすでにかなり打ち解けているらしくて、中々話に入れない。 でも、皆の話を聞いているだけでも楽しい。 テレビの話、ゲームの話、芸能人や、クラスの噂話。 どれも憧れていた他愛のない話。 そして訪れたのは、古びたお米屋さん。 俺も双兄につれられて何度か来たことがある。 お米屋の隣に駄菓子を売るスペースがあって、子供が沢山集まっているのだ。 「やっぱかばやきくんは外せないでしょ」 「おれよっちゃんイカ」 「俺ゼリー食おっと」 みんなが手慣れた様子で、入口にあった籠にお菓子をいれていく。 俺も皆の真似をして、なんとかお菓子を籠に入れる。 双兄に連れてこられた時は双兄に色々聞いて買ったのだけれど、自分一人で選ぶのは初めてだ。 「あ、俺も食う」 「俺も俺も」 何か皆が騒ぎだして、俺は慌ててそちらを見る。 みんなは小さなプラスチックのカップを手にしていた。 とりあえず俺は皆と同じものを手に取る。 「宮守。どうしたの?」 それからどうしたらいいのか分からず固まっていた俺に、佐々木が話しかけてくる。 聞くのも恥ずかしいが、聞かなきゃどうするのか分からない。 「………これって、ラーメン、だよな」 商品名にメンって付いてるし、形状はスーパーとかで見かけたカップラーメンそのものだ。 だから、ラーメンなのだと思う。 皆はいつのまにかお金を払ってないのにふたを開いている。 「へ?」 「これって、勝手に開けていいの?お金、払わなくていいの?あと、………どうやって食べるの?」 お金を払う前に開けたりしてもいいのだろうか。 カップラーメンはお湯を淹れるものだったと思うのだが、お湯はどこにあるのだろう。 「そんなことも知らねーの!?」 「あ………」 佐々木がびっくりしたように目を丸くしている。 すると他の男子たちもわいわいとこちらにやってきた。 「どうしたの?」 「なんか宮守がブタメン食ったことないらしくてさ」 「はああ!?」 皆の呆れたような声と視線が、辛い。 自分が世間知らずなのはよく知っている。 恥ずかしくて、消えたくなる。 「………」 「貸せよ。勝手に開けていいんだよ。そんであっちのポットでお湯いれるの。で、それから金払う」 俯いた俺からカップラーメンを取りあげ、佐々木が手際よく調理してくれる。 俺はただそれをじっと見ているだけだ。 佐々木はカップラーメンにお湯を淹れると差し出してくれた。 「ほら。金は自分で払えよ」 「う、うん。ありがとう」 慌てて他の駄菓子と一緒に清算を終えて、皆で近くの公園に行く。 プラスチックの小さなフォークでラーメンを啜ると、それは不思議な味がした。 「おいしい!」 「だろ」 今まで食べたことのないような味だったけれど、それはとても美味しかった。 なにより皆と同じものを食べてるのが嬉しい。 佐々木が呆れたように笑う。 「宮守ってあんまりこういうの食わないの?」 「あ、双兄、あ、兄貴がたまに連れてきてくれたり、買ってきたりしてくれたけど、あんまり来ることなかったから」 カップラーメンは、そういえば双兄も食べさせてくれたことがなかった。 家で出る訳もなくて、今まで食べたことがない。 いきなりクラスメイトと遊びに出ただけではなく、初カップラーメンまで体験してしまった。 「ありがとな」 「変な奴」 思わず礼を言うと、佐々木は不思議そうに目を丸くした。 確かにここでお礼は変かもしれない。 何を話したら楽しいんだろう。 皆のように気軽に話せるようになりたい。 何を話したらいいのか、分からない。 けれど佐々木は、隣で笑ってくれている。 「宮守って結構面白いんだな」 「え」 「あ、そうだな。なんかさ三小の奴らがオバケとか言ってるからどんな奴なのかと思った」 「そうだよな。普通じゃん、宮守」 「………」 他の男子も次々と会話に入ってくる。 小学校の頃、よく化け物に追いかけられたりして、悲鳴を上げたり逃げたり倒れたりしていたら、俺がオバケと呼ばれるようになっていた。 それで、気味悪がられて、誰も近寄らなくなっていた。 遠巻きに色々言われることはあったけれど。 「宮守はなんか部活とかはいらねーの?」 皆が俺の噂話をしているのを遮るように、佐々木が話を変えた。 もしかしたら、気をつかってくれたのだろうか。 「えっと、考え中。にしてたら出遅れちゃった。佐々木は何か入ってるの?」 部活をやると結構時間を拘束されるし、修行があまり出来なくなるから入る気はなかった。 それに俺は体のことがあるから、もし突然倒れたりしたら人に迷惑をかける。 でもそんなこと、言えるはずもない。 「俺は剣道部!小学校からずっとやってたから結構強いんだぜ」 「へえ、すごいな!今日は部活ないの?」 「今日は部活道休み。あんまり熱心じゃないんだよな。うちの中学」 「そうなんだ」 佐々木はなんだか、あまり気構えせずに話すことが出来る。 なんか、普通の会話してることが、嬉しい。 「よかったら、宮守も剣道部入れよ。人数少ないんだよな」 「え」 「実は勧誘もあるんだよな。今日誘ったの。宮守、剣道やってるって聞いたから」 ああ、そういうことだったのか。 誰に聞いたんだろう。 でも目的が何であれ、誘ってくれたのは嬉しい。 それに、部活に誘われるのも、とても嬉しい。 「俺がやってるのは、剣道じゃ、ないけど。でも剣はちょっとやってる」 近代剣道をやっている訳じゃないが、剣の扱いはそれなりに慣れている。 剣道部だったら、俺にもできるだろうか。 体質のことはある。 でも、誘われたなら、やりたい。 迷惑をかけるだろうか。 でも、やりたい。 佐々木が顔を輝かせる。 「じゃあ、見学でもいいから来いよ」 「う、うん、行く」 つい勢いで頷いてしまうと、佐々木が嬉しそうに笑った。 その笑顔を見ると、やっぱり行きたいなって思った。 「なーににやにやしてるんだ」 「そ、双兄!勝手に入るなよ!」 勉強をしながら今日のことを思い返してにやにやしていると、双兄がいきなりドアを開けて入ってくる。 俺は慌てて、後ろを振り向いて文句をつけた。 けれど高校生の次兄は、全く動じることはない。 「おー、そういうこと言っていいのか。お兄様がお前にプレゼントがあるのに」 「プレゼント?何?」 双兄が手に持った紙袋をひらひらとかざす。 双兄は意地悪なところがあるが、一兄では連れて行ってくれないようなところに連れていってくれたり、色々なものをくれたりする。 「ほーら。中学生になった弟への俺からのプレゼントだ」 「本?」 手に放り投げられた紙袋はずっしりと重かった。 首を傾げながら、中身を漁る。 「…………な、なんだよ、これ!」 そして驚いて思わず放り投げてしまった。 中身は扇情的なポーズでこちらを見つめる半裸の女性が沢山乗った雑誌だ。 「お前が一人じゃ絶対買えないだろうからお兄様がプレゼントしてやったんだろう」 「な、何考えてんだよ!」 「わざわざ初心者向けにしてやったんだぞ。感謝しろ!」 「余計なお世話だ!」 偉そうに胸を張る兄を怒鳴りつける。 本当にこの人は、ろくなことをしない。 「じゃあ、いらないのか?」 「………」 でも、そう言われると、いらないとは、言いきれない。 正直、興味はある。 勿論自分で本屋で買うなんて、出来やしない。 双兄はにやりと笑う。 「いるよな」 「………る」 俯きながら、絞り出すようにそれだけ言った。 すると大きな手が俺の頭を乱暴に撫でた。 「よしよし。いい子だ」 そして紙袋は再度俺の手の中に戻った。 こういうのを見るのは初めてだ。 後で一人になったら見てみよう。 「で、何をにやにやしてたんだ」 双兄がちょっと表情を改めて、俺の顔を覗き込む。 女性的な顔と少しだらしなく着た制服がよく似合っていて、素直にかっこいいと思う。 双兄みたいだったら、友達もいっぱい出来たんだろうな。 そう、何度思っただろう。 「と、友達が出来る、かも。まだ出来てないんだけど!」 「お?」 双兄が眉を吊り上げて、目を丸くする。 それから身を乗り出してきた。 「今日、遊びに誘われた。それで、クラスの人達と、話せたんだ。また遊ぼうなって言われた」 「………そっか」 双兄がにやっと笑って、もう一度手を伸ばして俺の頭を頭を撫でる。 「んじゃこのまま頑張れ」 「うん!」 「その次は初彼女だな!」 「………それはまだ早いよ」 「早くないわ!俺がお前の歳には彼女の一人や二人や三人は軽かったぞ!」 「いすぎだろ!」 まあ、兄弟は皆女性にモテる。 俺以外は。 「よっし、じゃあ内緒で友達作って、兄貴とか親父を驚かせてやれ」 「内緒?」 「そうだ。また失敗したらへこむだろ」 確かに、今までも友達ができるかもと浮かれて報告して、結局出来なかったことが何度かあった。 またそうなって、一兄に慰められるのも、天に馬鹿にされるのも嫌だ。 「う、うん」 「だからとりあえず水面下で動いて、出来たら報告してやれ」 「だ、だね」 今度こそは、友達が出来たと自信を持って言いたい。 一兄によくやったなって言ってもらいたい。 天にどうだって、胸を張りたい。 「よし、頑張れ!」 双兄がにやりと笑って、背中をばしっと乱暴に叩く。 痛かったけど、気合いが入る。 「頑張る!」 「その意気だ!」 今度こそ、友達を作るんだ。 「防具って結構重いんだな」 「あれ、着たことないんだ」 「うん」 放課後、佐々木に連れられて剣道場まで訪れた。 ちょっと据えた匂いのする剣道着とか、竹刀とかを見せてもらう。 俺は木刀を使った稽古をしたことがあるけれど、防具をつけたことはないし、竹刀を扱ったこともないから新鮮だった。 「じゃあ、素振りとかやってみるか」 「うん!」 それから顧問の先生や、先輩なんかに指導されて、一通りの稽古をしてみた。 いつもはもっと筋トレとかもあるらしいが体験と言うことで素振りや打ち合いの真似ごとなんかをさせてもらう。 佐々木はもう部に溶け込んでいるらしくて、先生や先輩にも可愛がられていた。 それを見ていると、とても楽しそうに見える。 それに、いつもやってる剣術とは勝手が違って難しかったけれど、剣道自体も楽しかった。 「どうだった?」 「楽しかった!」 「そっか。じゃあ、入部考えておいてくれよな」 「うん」 体のことがあるけれど、部活動ぐらい、出来ないだろうか。 父さんと母さんにも相談しなければいけないだろう。 でも、やりたい。 佐々木と一緒に、部活をやりたい。 「今日はありがとな、宮守」 佐々木が朗らかに笑う。 こんな人間の隣にいられたら、きっと楽しい。 今日も教室で、昨日遊びにいった男子達に話しかけられて、嬉しかった。 まるで友達が出来たみたいだ。 「俺こそ、ありがとな。佐々木」 「うん?うん」 礼を言うと、佐々木は不思議そうな顔でとりあえず頷いた。 |