まだふらつく体を気力で支えて、歩く。
手を貸そうかと楽しげに言った天の言葉は、断った。

佐藤は白峰の背で、眠っている。
その安らかな顔を見ると、少しだけ心が軽くなった。
それでも、佐藤だけは、助かった。

そう、佐藤は、助かった。

俺が佐藤を見つめていると、一歩前を歩いていた天がちらりと振り返った。

「この人、兄さんの彼女?」
「な、違う!馬鹿言うな」
「兄さんはこういう元気そうな人好きだよね。俺とは好みが合わないよね、本当」
「お前は、栞ちゃん以外の子は、全部タイプじゃないんだろ」

そう言うと、天が小さく笑った。
俺より二つ下のくせに、彼女がいる弟。
そんなところも、大嫌いだ。

暗い洋館を歩いているが、来たときのような圧迫感も、恐怖も感じない。
天が、いるからだ。
その力を恐れて、黒い触手も全く近づいてこない。
天は瓦礫が転がる廊下を、重苦しい空気も感じさせないように優雅に歩く。
俺はただ、それをついていく。

「さてと、あのお兄さんの後始末どうしようかなあ」

明日の天気を話すように何気ない様子で、天が言う。
その日常のような空気に、錯覚しそうになる。
ここは捨邪地で、平田は、消えた。
そんなことまるでなかったかのように、感じる。
現実感が、ない。
本当に夢だったら、どんなによかっただろう。
でも、佐藤はここにいる。
そして、平田はいない。

「………そうだ。岡野達に、電話しなきゃ。佐藤を見つけたら、連絡するって」
「一緒に来たお友達?」
「ああ」

天はちょっと考え込むように首を傾げる。
そして、俺を振り向いた。

「じゃあ、兄さん、適当に嘘ついてそのお友達に電話して。お兄さんとお姉さんはお友達を驚かせようとして隠れてた、とかなんとか。まあ、疑われるだろうけど、兄さんの友達が減るぐらいだね。それはしょうがない」

確かに、しょうがない。
明日からまた、変な目で見られるだろう。
それでもいい。
もう、慣れた。
兄さん達や天と違って、俺はそういうのが、いつまでたってもうまくならない。

「で、このお姉さんは一日家で預かって、意識が戻ってから家に帰そうか」

確かにこのままでは、佐藤の家には帰せない。
だから、ただ頷いた。
そうすることしか、できない。

「で、あのお兄さんは」

天は水晶のストラップを取り出すと、ひとつ千切り床に転がす。

「宮守の血の盟約に従い、我が僕、我が声に応えよ」

簡略化した呪を唱えると、闇の縄張りである捨邪地にも関わらず天の力が集まり形作る。
三回ほど瞬きしている間に、影から染みだしたような、黒い獣がその場にうずくまっていた。
黒く輝く美しい毛をもった、狼。
天のお気に入りのもう一匹の使鬼。

「ごめんね、黒輝。さっきのお兄さんに化けて、あの人の家に一日戻ってもらっていい?」

捨邪地で簡略化された呪で、使鬼を簡単に呼び出すこと。
こんなにも力ある使鬼を平気で二匹も使いこなすこと。
変化までさせて、なおかつ自分から離しても平気なこと。

そのどれもが、並大抵の術者では、できない。
二人の兄でさえ、苦労するだろうことを、何気なくやってのける。

「そう、ありがとう。ごめんね」

軽く頷いた黒輝に、天は満足げに頭を撫でる。
黒い狼は気持ち良さそうに目を細めた。
そして体を翻し、一足先に玄関に向かう。

「それで、明日失踪してもらおっか。その後の始末は家に頼もう」

圧倒的な力。
冷静な判断。
そして、ぶれない、意志。

決して届かない力に、焦がれる。
羨ましくて、悔しくて、仕方ない。
事あるごとにそれを見せつける弟を、憎んでいる。
馬鹿にするように嘲笑う天が、大嫌いだ。

そして、恐怖する。
管理者として、即座に判断し、行動できる四天が、怖い。
合理的で、間違いのない行動。

けれど、それは冷たく、誰も寄せ付けない。
弟が、怖い。

「お腹空いたね。早く帰ろ」

にっこりと綺麗に笑って、天がドアに手をかける。
あんなに開けるのに苦労したドアは、すんなりと抵抗なく開く。
むしろ家が、早く天を吐き出したいかのように。

「あんまり、迂闊な行動しないでね、兄さん」

開いたドアからは月の光が差し込んで、天を照らしている。
それは、とても綺麗な光景で。

見ていられずに、俺は一度館の中を振り返った。
そこには1M先も見えない、闇が広がっている。
誰かを探そうとして、唇を噛んで諦めた。

そして、闇に背を向け、光に足を一歩踏み出した。






BACK   TOP