「ここって、どういう場所なの?」

雫さんが写真をじっと見つめながらぼそりと言う。
なんだったっけ、俺も確か、前に来た時に聞いたことがあった気がする。

「………そういえば、ここで一家心中があったとか、そういう噂があったっけ」
「そう、なんだ」
「調べてないから、本当かどうか、分からないけど」

二人でまたじっと写真を見つめる。
頼もしそうなお父さんと優しそうなお母さん、その間で笑っている少年。
幸せそうな家族。
見ているこちらが微笑んでしまいそうな、写真。

「………触るの?」

身を屈めて、薄汚れた写真立てに触れようとすると、雫さんが怪訝そうな声で聞く。
一瞬俺も躊躇ったけれど、なんとなく落としたままにしておくのは嫌だった。

「………直しておこうかな、と」

一回そっと触れてすぐに放す。
特に嫌な感じも、変なことも起こらなかった。
ふっと息をついて写真立てを取りあげる。
今にも崩れ落ちそうなほどに腐蝕したそれは、さっき見た綺麗な写真立てとは全くの別物だ。
壊れないようにそっと鏡台の前に置く。

顔を上げると、薄汚れて曇った鏡の中には、心配そうな雫さんの顔。
そしてその後ろの、人影。

「………え」

咄嗟に振り返る。
すぐ後ろには、驚いた顔の雫さん。
そしてその後ろには、古びた重厚な作りのクローゼット。

「どうしたの、三薙」
「誰か、いた」
「え」

雫さんも慌てて俺の視線の方向に振り返る。
けれどそこには誰もいない。

「………多分、小さな、子だった」
「………」

ぎゅっと鈷を握りしめる。
そしてゆっくりとクローゼットに近づいていく。

「雫さん、何かあったら、フォローお願いします」
「分かった」

雫さんも警棒を握りしめ、後ろについてきてくれる。
取っ手に手をかけながら、クローゼットの中に気配を巡らせる。
何も感じない。
けれど、隠れられるとしたら、ここぐらいだ。

「………」

思い切り手を引いて、後ろに一歩飛びずさる。

バタン!

大きな音を立てて、クローゼットの扉が開く。
俺も雫さんも手にしたものを構えて、警戒する。

「………誰も、いない」
「………うん」

けれど、そこには、何もなかった。
ただがらんとした空間が広がっているだけ。
人は勿論、服も何も、置いてなかった。
しばらくそのままじっとクローゼットを見ていると、雫さんが俺の腕をひいた。

「………出ない?」
「うん、そうしようか」
「あ、ドア、開かなきゃ」

そういえばドアが開かなくなっていたのだ。
あれもどうかしなきゃ。

「………あれ」
「何、雫さん」
「ドアが、開いてる」

雫さんの言葉に振り返ると、確かにドアが小さく開いていた。
さっきまでどんなに叩いてもドアノブを捻っても開かなかったのに。

「………」
「………」

ぞくりと背筋に寒気が走る。
どうして開いた。
何がいた。
何が開けた。
その隙間からは、何かが覗いているような気がして、頭を思い切り横に振る。

「………雫さん、早く出よう」
「うん」

雫さんも力強く頷いて、ドアの方に二人向かう。
ここにいても、いいことはない。
半人前二人で、事態を悪化させてもいけない。

ゆっくりと半開きになったドアを開く。
気配を気にしながら、そっと辺りを見渡す。

部屋のすぐ向かいには、大きな窓が二つすぐ正面にある。
左隣には少し遠くに扉が一つ、そしてその横には二階に通じる階段がある。
右隣りにはすぐ隣に扉が一つ、そしてその隣にはもう一つ扉。
その先突き当たりに玄関だ。
ごくりと唾を飲みこんで、一つ息を吸って、辺りの気配を探る。
音は、しない。
気配も、ない。

「大丈夫、そうだ」
「早く、外に出よう」

岡野のことは心配だけれど、二次災害になったら意味はない。
岡野も俺も、無事に帰らなければいけない。
天の仕事を増やす訳にも、いかない。
天の力を借りて、全員で力を合わせて、岡野を助ける。
それが、何より一番、誰もが安全な方法だ。

「じゃあ、今のうちに玄関に」

二人で足音を潜めながら、それでも出来る限り早足に玄関に向かう。
玄関の扉には相変わらず黒いものが蔦のように巻きついてドアを開かないようにしていた。

「じゃあ、切り落とすね」
「あ、私がやるよ。私の方がそういうの得意そうだし」
「………うん、そうだね。お願い」

俺が力を振おうとすると、横から雫さんが前に立った。
少しだけ抵抗を覚えたけれど、雫さんの言うことは確かだ。
放出系の力は、雫さんの方が圧倒的に得意としている。

「石塚の力をここに示し、黒きもの……」

雫さんが呪を唱えて、警棒に力を込めていく。
そして十分に溜まったところでそれを横凪ぎにした。

「よし、今だ」
「うん!」

急いでドアノブに手をかけ思いっきり開く。
外の明りが漏れ込んできて、目を反射的に瞑る。

「あ」

その一瞬の間に、するするとまた黒い蔦が絡まって行く。
慌てて手の力を込める。
雫さんもノブを掴み、思い切り引っ張る。
二人の力で全力で引っ張るが、黒い蔦はそれ以上の力で抵抗する。

ばた、ん。

そしてとうとうドアがゆっくりとしまってしまう。

「もう!」

雫さんが癇癪を起したようにドアに思い切り拳を叩きつける。
その手を抑えて、自分の動揺を抑えながら、雫さんの目をじっと見る。

「落ち着いて、もう一回やろう」
「………うん」

そうだ、前はこれで外に出れたんだ。
大丈夫。
落ち着いてやればできるはずだ。

「じゃあ、もっかいやるね」
「うん、すぐに俺も開ける」

雫さんが力を警棒に入れ始める。
その時。

コツ、コツ、コツ、コツ。

先ほど聞いたばかりの音が、した。

「あ」
「………落ち着いて」
「分かってる、けど」

雫さんの集中が目に見えて落ち、力がするすると解けてしまう。
半端な力では先ほどのようになってしまうだろう。
もっと大きな力を紡がなければ。
一回紡いでしまえば維持するのは割と簡単なのだが、紡ぐまでは集中力がいる。
一兄や天は力を一瞬で紡ぐことができるけれど、俺には無理だし、雫さんもまだ慣れていないようだ。

「大丈夫」
「う、ん」

でも、焦る気持ちは俺も一緒だ。
後ろの足音は、徐々に徐々にゆっくりと、でも確かに近づいてくる。
心臓の音が、痛いほどに大きくなっている。
近づいてきている何かにも、聞こえてしまうんじゃないかと言うぐらい。

コツ、コツ、コツ、コツ。

振り返れば、すぐそこにいそうなほどに近づいてきた。
先に耐えきれなくなったのは、俺だった。

「駄目だ、一旦そこ入ろう!」
「わ、分かった!」

雫さんもこれ以上集中するのは無理だったようだ。
俺の言葉に頷いて、一緒にすぐ横にある扉に飛びつく。

コツ、コツ、コツ、コツ。

一瞬ちらりと横目で見た廊下の先には、足が見えた気がした。
すぐに部屋の中に入ってしまったので、気のせいだったかもしれないけれど。
入って素早く扉を閉める。

「………」
「………」

部屋の中で息を潜める。
足音が、まだ近づいてくる。
こいつは、なんなのだろう。
この前来た時、こんなものはいなかった。

コツ、コツ、コツ、コツ。
コツ。

「………止まった」

けれど今度は、この部屋の前ではない。
少し遠くの場所で、足音は止まった。

「さっきの、部屋かな」
「かも」

トントン。
トントン。

そしてさっきと同じようなノックの音。
誰がいるのとを、確かめているのだろう。
雫さんが耳を澄ませながら、静かな声で聞いてくる。

「………なんなんだろ、あれ」
「分からない、けど、見る勇気ない」
「………私も」

開けて、俺には手が負えないものがいるかもしれない。
余計な危険には近づかない。
俺一人だったら少しくらい無理をしたかもしれないけれど、今から天の助けが来る。
そして雫さんも一緒にいる。
無茶は出来ない。

コツ
コツ、コツ、コツ、コツ。

ノックが終わり、また足音が響く。
今度は、部屋から遠ざかって行く。

コツ、コツ、コツ、コツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。

「………行った?」

しばらくして、足音が聞こえなくなる。
雫さんが耳をドアに当てて、そっと息を吐くように呟く。
俺も一緒に耳をすませる。

「行った、かな」
「………それなら、もう一回、チャレンジしてみようか」
「うん、そうだね」

しばらくは多分、大丈夫だろう。
さっさと玄関を開けて、ここから逃げないといけない。

「………」

ドアに手をかけて、ちらりと後ろを振り返る。
ここは、洗面所、か。
洋館らしい華奢なタイプの洗面台と、その横には薄汚れたトイレがある。

ぴちゃん。

洗面台の蛇口から、水が一滴落ちてその音が部屋の中に響いた。

「………」
「………ねえ、三薙」
「うん」

雫さんが言いたいことは、分かった。

なぜ、廃屋の水道から、水が零れるのだろう。





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