奇妙な足音や人影はなくなったが、闇と重さの増した空気の中、3人で連れだって歩く。
力の扱い方に大分慣れたし、前の時よりは力が補充されているので、今すぐ倒れそうということはない。
けれど呼吸をするたびに肺の中まで粘つくような空気は、不快で苦しい。
こんな中で、岡野は無事なのだろうか。
早く、無事な姿を見たい。

「すっごい、階段だなあ」

雫さんが恐る恐るといった感じで、手すりを掴みながら階段を踏みしめている。
一段上るたびに古い木の階段は悲鳴のような軋む音を立てて、物理的な恐怖感を生み出している。
いつか踏み抜いてしまいそうで怖い。

「階段壊れないといいけど………たっ!」

手すりに棘があったらしく、雫さんが慌てて手を離し振り払う。
その弾みで傷んで柔らかくなった木に足をとられ、バランスを崩す。

「雫さん!」

後ろで見ていた俺が、雫さんの背中を支えようと手を伸ばす。
けれど俺の手より先に、雫さんの前にいた天が振り返り、雫さんの腕を危なげなく掴む。

「わ!」
「大丈夫ですか?」
「う、うん、ありがと」

雫さんがよほどびっくりしたのか、胸に手をあてて、深呼吸をしている。
天はそっと雫さんのバランスを直す。

「気をつけてください。これ以上怪我でもしたら大変だ」
「そ、そうだよね、あんたたちの責任になっちゃうし」

こくこくと頷く雫さんに、天はふっと眼を細めて笑う。

「それ以上に、女性が怪我するところは見たくないです。せっかく雫さんお綺麗なんだし」
「………っ」

雫さんが顔を一気に赤らめて絶句する。
同じく俺も絶句した。
多分顔色は、雫さんとは裏腹に青いだろうけど。
なんでこんなことがあっさり言えるんだ、この弟は。
俺にはとてもじゃないが出来ない。

「な、なんか宮守家の兄弟は皆女性あしらいに慣れてるよね。あはは、こんな時になんだけど、ドキドキしちゃった」

雫さんはそっと天の手を振り払って、俯く。
顔を赤らめてはにかむ様子はすごくかわいい。
でもそれを向けられてるのが天というのが納得いかない。

「本当のことです。気をつけてくださいね」
「う、うん」

なんか、天、雫さんにはやっぱり優しい。
こいつがこんな親しげな態度と歯の浮くような台詞を放つのはかわいい彼女しかいなかった。
まあ、ただ、雫さんには、からかうし、毒も吐くけど。

「宮守の英才教育なのかな」

照れ隠しなのか笑いながら、ちらりと雫さんが振り返る。
そんな英才教育があるなら、全力で受けたい。
つい返事が毒のある言葉になってしまう。

「………そいつがおかしいだけだろ」
「でもほら、一矢さんとか双馬さんもなんかすごい紳士だし」
「………」

確かに。
そう考えると、やっぱり英才教育なのだろうか。
なぜ、俺にその教育は施されていないのか。

「三薙もあしらいが慣れてるって訳じゃないけど、すごい優しいよね。自然に気遣える。褒め言葉とかも普通に出てくるし」

雫さんが小さく笑ってそんなことを言うから、今度は俺の方が頬を熱くする。

「だ、だって、女性は大事にしなきゃ、いけないものだし、普通、だよ」
「ふふふ、そういうところ、本当に男だよねー。三薙は」

階段を上りきって、雫さんがくるりと振り返り、俺の頭を撫でる。
一段差だと、同じぐらいの身長の雫さんが一兄と同じぐらいの差になる。
言葉は嬉しいが、この扱いは男相手にすることではない気がする。

「………なんか、あまり褒められてる気がしない」
「褒めてる褒めてる」

雫さんがくすくすと笑いながら、また髪をくしゃくしゃと掻き回す。
さすがに恥ずかしくて俺も階段を上りきり、豆のある堅い手から逃れる。

「三薙は高校生にしては、いい男だと思うよ。四天がちょっと中学生らしくないだけで」
「ほんとだよ、そいつ中学生らしくない」
「それはごめんね」

一番最初に登り切っていた天が軽く肩を竦める。
俺たちの会話になんの興味もないらしく、階段を上った先にある廊下を見渡している。

「そういうところが………」
「下がって」
「え」

愚痴を言おうとすると天が俺と雫さんを短く制して、手にしていた剥き出しの真剣を構える。
何かと問う暇も、止める暇もなく天は身を低くして走りだした。

「………っ、な!」

天の走り出した先の廊下には邪気の塊が蔦のように壁中に這っていた。
いつのまにか、辺りが蠢く闇で真っ黒に染まっている。
特に廊下の先は、真っ黒な闇の塊があり、奥を見ることが出来ない。
ずるずると不快感を催す動きで素早く動きながら、俺たちを飲み込もうとするように、その手を広げる。
天はまるで身を投げ出すように、邪気の中に入り込む。

「天!」
「ふっ」

天が呼気を吐きだし、下段から逆袈裟斬りの形で蔦を切り裂く。
それと同時に剣を伝って白い力が放たれる。
目を瞑ってしまいそうなほどの眩しい光に、闇の蔦も消えうせていく。

「兄さん、雫さん、そちらにいったらどうにかしてください」
「わ、分かった!」

俺と同じく呆然と見ていた雫さんが、それで我に返り警棒を正眼に構える。
それにワンテンポ遅れて俺も力を紡ぎ始める。
残り少ない力でなんとか結界を紡ぎ、俺と雫さんを包み込む。
すぐに、天が消し損ねた力が、俺たちに近づいてくる。

「消え、ろ!」

雫さんが結界に弾かれた力を薙ぎ払い、消滅させる。
俺は雫さんの体に害がないように、結界をコントロールする。
そんな風に協力しながら、闇の蔦を退ける。
でも、そこまで大変な作業ではない。
ここまでは強い力は来ない。
天がほとんどを喰いとめてしまうからだ。

天が力を振いながら廊下を真っ直ぐに走り抜ける。
蔦は天の体を捕えようとするけれど、その手は決して届かない。
結界を張っている訳ではない。
張る必要なんて、ない。

ただ、届く前に身に纏う力で消え失せてしまうだけだ。
その、圧倒的な力には、生半可な邪気では近づくことすら許されない。

「意志なき力の塊よ、我が前に伏せ、力を散ぜよ!」

闇の中心まで辿りついた天が、呪を唱えて力を集中させ、剣を振りかぶる。
そして天を飲み込もうと最後の足掻きをする闇の蔦に、剣を思い切り付きたてる。

ギギギギギギィイイイイイ。

音ではない、でも心を引っ掻くような不快な金属音が廊下に響く。
耳を塞ぎたくなるような気持ちの悪い音が、徐々に徐々にフェードアウトしていく。

「………虚仮威し」

そして、完全に音がなくなった時には、闇の蔦はなくなっていた。
薄暗い廃墟と、抜き身の剣をぶら下げた弟の背中が見えるだけだ。
慌てて結界を解いて、天に駆け寄る。

「だ、大丈夫か?」
「怪我はないよ」
「………そうか。よかった」

天は不快そうな顔で、たった今自分が剣を突き立てた場所を見ている。
そこには最初からなにもなかったかのように、ただ瓦礫が転がる廊下があるだけだ。
圧倒的な力。
そういえば、そうだ。
天はその気になればこの中を全て綺麗に出来るぐらいの力は持っているのだ。
他家の捨邪地だからする訳にはいかないだけで。

「………天」

天は一度ため息をつくと、顔をあげた。
視線の先には、見えるようになった廊下の奥、突き当たりに扉が見える。
そこから、より濃厚な嫌な気配がしている。

「この先かな」
「………かな」

あの先に、阿部と、岡野がいるのだろうか。
だから今の力は俺たちを排除しようと襲ってきたのだろうか。
やっぱり、阿部が、この家の力を利用しているのだろうか。
いつの間に、そんな力を手に入れていたのだろう。

「兄さんの、力はあまり残ってないね」
「………ああ」

天が振り返って、俺の顔を覗き込む。
否定してもすぐにバレることだから、黙って頷く。
雫さんに貰ったとはいえ、無駄遣いはできない状態。
虚勢を張って無理をすれば、迷惑がかかるのは天と雫さんだ。
自分の力を見極めて、冷静に動かなければ。

「では、雫さん、結界をお願いします。出来ますよね」
「わ、分かった。あんまり、得意じゃないけど………」
「息が出来るぐらいでいいんです」
「うん」

ここではうまく息すらできない。
呼吸する度に肺に邪気がこびりついて溜まっていく気がする。

「兄さんは力を温存しておいて」
「………分かった」

温存するほどの力は、残っていない。
それでも、何かあったときのために、残しておかなければ。
いつ、何があっても、動けるぐらいの力は、残しておきたい。
ここで力が足りないと悔しがっていても、仕方ない。
天がここに残れと言わないだけ、幸運だ。

「じゃあ、雫さん、お願いします」
「うん」

雫さんが緊張した面持ちで大きく深呼吸してそっと目を瞑る。
そして呪を唱え始めて、その力を俺たちの周りに球体に形作る。
やや、不安定ながらも力強い赤い力が、俺たちを包み込んだ。
作り終わって、ふっと息を付いて、期待と不安に満ちた顔で天を見る。

「ど、どう?」
「いいと思います。ただ、結びが少し弱いです。ちょっと補強しますね」

天が雫さんの結界に力を重ねて、結界を引き締める。
少しアレンジしただけで、結界の強度が飛躍的に向上したのが分かる。
俺たちの周りの空気がピシっと引きしまり清浄になる。

「わ、すごい。ありがと」
「いえ、最後に気を散らさないようにした方がいいですよ」

天が表情を緩めてアドバイスのようなことを言う。
本当に、雫さんには親切でとても優しい。
いや、いいことなのだが。

「四天って本当に、すごいね」
「何がですか?」

雫さんが結果をじっと見ながら、感嘆の息をつく。
まあ、そう言いたくなる気持ちは分からないでもない。
嫉妬にチクチクと胸が疼くけれど。

「力が強くて、頭が良くて、冷静で、運動神経もよくてって、うわー」
「はあ。まあ否定はしませんけど」
「うわー………」

天は雫さんのストレートな褒め言葉に、気のない様子で頷いた。
否定しないところが本当にこいつらしい。
謙遜と言う日本人の美徳を知らないのか。

「もう、完璧超人だね」
「完璧なんかじゃありませんよ」

けれど、次の言葉はあっさりと否定する。
雫さんが驚いたように瞬きをする。

「そうなの?」
「当たり前です」

天は目を丸くする雫さんに、困ったように笑う。
どこか自嘲気味に、ひどく大人びた様子で。

「俺の力は足りなくて、俺の腕は短すぎて、経験も脳みそも足りないから、最善の道を選ぶことすら出来ない」

こんな自虐的なことを言う弟は、あまり見ない。
天は強くて、頭がよくて、冷静で何でもできる。
完璧じゃないことは分かっている。
でも、完璧に近いと、勝手に思っている。

「………天?」
「俺に出来ることは多くない。選べる選択肢はわずかだ。ベストは選べない、俺に許されるのは、俺にとってのベターを選ぶことだけ」

苦笑しながら、肩を竦める。
選択肢は多くない、その中から最善を選んで迷うな。
そう俺に言ったのは、こいつだった。

「天、どうしたんだ?」
「何が?」
「………だって、お前がそんなこと、言うなんて」

あれは、力が弱く経験もない俺に向けられた言葉だ。
天には相応しくない。
天はやっぱり苦笑したまま、今度は俺に視線を向ける。

「勿論俺は兄さんより強いし経験も判断力もある。兄さんよりも選べるものは多いだろうね」
「………」
「でも、俺が求めてるものには、全然足りないんだ。まあ、高望みしすぎなのかもしれないけど」

天の表情も口調も冷静で、悔しさなんて滲ませていない。
でも、こいつほどの力を持つ人間が、いつだって強くて揺るぎない弟がそんなことを言うと、苦しくなってくる。
なんだろう。
不安、だろうか。
天はいつだって、強くって、迷わなくて、俺の前に立っているのが当然なのだ。

人間なのは知っている。
傷だらけなのも知っている。
完璧じゃないなんて、知っている。

「………お前でも、お前ほどの力を持っていても、選択できることが、少ないのか?」
「少ないよ。ほとんどない」
「………」

でも、なんだろう。
そんなはずないって天の肩を揺すぶりたくなる、この衝動は。
お前は強いはずだろうと、文句を言いたくなる。
そんなのは筋違いなのに。

「………それは、お前の夢と、関係のあることか?」
「そうだね」

天はあっさりと頷いた。

「この前、一番重要なことが決まっちゃった。俺の意志とは全く関係なくね。それは、俺にとって好ましくない決定だった。でも最悪の事態ではなかった。まだチャンスはある」

俺には分からない言葉の数々。
相変わらず謎かけのような思わせぶりのキーワード。
だからだろうか、こんなに不安になるのは。
天に対して、八つ当たりのような感情が沸いてくるのは。

「だから、そのチャンスをつぶさないように、俺にとってのベターな結末になるように、俺は努力するだけだ」

そこまで話して、天がふっとため息をついた。
自嘲するように、唇を歪める。

「変なことをだらだら話しちゃった。ごめん、忘れて」

こんな風に天が内面を話すことはない。
この前から、天の壁が、少しづつ、薄くなってる気がする。
少しは弟に、近づけているのだろうか。

「………忘れない」

不可解な不安と悔しさ。
でも、それを上回る、胸を溢れる感情がある。

「話してくれて、ありがとう」

天が自分のことを話してくれたことが、嬉しい。
内面を、少しでも話してくれたのが嬉しい。
分からないことだらけだが、きっとこれもそのうち話してくれるのだ。
天は約束は、破らない。

「………そう」

天はちらりを俺を見て、小さくそれだけ言った。
そして剣の柄をぎゅっと握って、奥の扉に対峙する。

「まあ、でも今は気を引き締めてね。そろそろゴールだ」
「………うん」

そうだ、気を引き締めなければ。
天のことも気になる。
でも、それは後でもいい。
後で話す時間は、あるのだから。

今は、岡野の無事を確かめることが、先決だ。





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