「うわ、酒臭。これはまた酷い有様ですねえ」 何杯飲んだかもよく覚えてなくて、世界がぐるぐる回ってる。 でもなんだかふわふわふわふわ雲の上を歩いているようで、愉快な気持ちになってくる。 ベッドの上には四本のボトルが転がっていて、そのうち一つを抱えながら、楽しくて仕方なくてひたすらに笑っていた。 「よお、三薙が壊れた」 「壊したんでしょう、双馬さんが」 気が付くといつの間にか目の前に熊沢さんと志藤さんがいた。 志藤さんがなんだか慌てた様子でこちらに近づいてくる。 「み、三薙さん、大丈夫ですか?」 「あれえ、志藤さん?なんで二人いるんですか?」 「え、三薙さん」 「あははは、三人いる」 志藤さんはなぜか三人いて、三人とも困惑した様子で俺を覗きこんでいる。 眼鏡をかけた神経質そうな容貌は最初近づきがたかったが、けれどその性格を知っていると怖くもなんともない。 少し気弱で少し臆病で、でも強くて優しくて、かわいい人。 「あー、こりゃまた完膚なきまでに酔っ払ってますねえ」 「ワインの一本や二本で酔っ払うなんてまだまだだな!」 「未成年に何してるんですか!?」 志藤さんがなぜか今度は怒鳴りつけている。 この人がこんな風に声を荒げるなんて珍しい。 どうしたのだろう。 「まあまあ」 「まあまあ」 「まあまあー」 「三薙さんまで………」 皆で一緒に宥めると、志藤さんが深いため息をついた。 なんだかその困った様子が面白くて、また笑いがこみあげてきてしまう。 ひたすら笑っていると、熊沢さんが面白そうに志藤さんの隣から覗きこんでくる。 「まあ、三薙さんは悩み事が多いですし、たまにはこんな風に何もかも忘れるのもいいかもしれませんね」 「酒で忘れるのって後からまたどーんと来るんだけどな」 「それが分かってるのなら、双馬さんも酒を控えてくださるといいんですけどねえ」 「俺は楽しい酒だから平気」 そうだ、酒は楽しいものだ。 なんでこんな楽しくなれるんだろう。 双兄がお酒が好きなのもよく分かる。 「双兄ー、もう一杯」 「おお、そら」 ぐらぐらする体を支えながらグラスを差し出すと、双兄が注いでくれようとする。 けれど、その寸前でグラスが横からひったくられる。 「そろそろ、やめてください!」 お酒がなくなってしまった。 志藤さんが怒っている。 「おお、志藤が怒った」 「おおー、志藤君が怒った」 「志藤さんが怒った………」 志藤さんに怒られて、哀しい気分になってくる。 俺がなんか悪いことをしたのか。 いつも俺がなんかするから、皆が困るんだ。 なんで俺はこうなんだろう。 哀しい。 「ごめんなさい、志藤さん………」 「い、いえ!三薙さんに怒ってませんから!」 「………でも」 「怒ってません!」 「………怒ってませんか?」 「は、はい。怒ってないです」 「本当ですか?」 「本当です。私は三薙さんに怒ったりしません」 志藤さんは、どうやら怒ってないらしい。 すると今度はとても嬉しくなってくる。 また楽しい気分になってくる。 志藤さんは優しくてかわいくて、いい人だ。 「志藤さん、優しいから好きです」 「ええ!?」 「おお、熱烈な告白だな」 「いやあ、羨ましい」 志藤さんがぐらぐらと揺れている俺の体の肩を押さえて支えてくれる。 それでようやく世界が回っていたのが止まる。 「ああ、もう!三薙さん明日学校でしょう」 「学校?」 「そうです。学校お休みするつもりですか」 「やだ、学校行きたいです!」 学校は、出来る限り行きたい。 俺の日常。 俺の、普通の場所。 皆がいてくれる場所。 「それでしたらそろそろお休みになった方がいいですよ」 「俺、学校行きたいですー………」 「え、え、ちょ、な、泣かないでください!」 学校に行けないのは嫌だ。 学校に行きたい。 学校には皆がいるのだ。 「お、俺、学校、行きたいんです。藤吉とかと、会いたいんです。学校、好きなんです。今、すごく楽しいんです」 藤吉と岡野と槇と佐藤が待っていてくれる。 楽しく話してくれる。 友達がいるだけで学校があんなに楽しくなるなんて、知らなかった。 「岡野ちゃんが待ってる?」 「岡野………」 気が強くて怖くて強くてでも頼もしくて優しい女の子。 猫のような大きく吊り上がった目と、勝気そうな表情がとても似合う可愛い子。 岡野を思い出すと、アルコールの効果とは別に心臓の鼓動が急に早まっていく。 「赤くなった」 「赤くなりましたね」 岡野のくれたクッキーはとてもおいしかった。 大事に大事に、一日一枚づつ食べた。 そう言ったら、キモイひくと言われた。 でも、そう言った岡野の耳は赤くて、とても可愛かった。 「おお、にやけてる」 「面白いですね」 岡野のことを思い出すと、胸が温かくなって勇気が沸いてくる気がする。 彼女の強さが、俺に力をくれる。 「藤吉は好きか、三薙」 「うん。藤吉、いい奴だから好き」 「志藤は?」 「優しくてかわいいから好き」 「えっ!?」 「槇ちゃんと佐藤ちゃんは?」 「二人ともふわふわしてて好き」 「兄貴は?」 「一兄、かっこいいから好き」 「俺は?」 「嫌い」 「なんだとこら!」 「意地悪しなきゃ好き」 「馬鹿ものこれは愛だ!」 双兄に頭を叩かれるが、なんだかあまり痛くない。 けれど勢いで体が傾いでベッドに倒れ込みそうになるところを志藤さんが支えてくれた。 「岡野ちゃんは?」 「………」 それは、なんて言ったらいいのか分からない。 この感情を言葉にするのはとても難しい。 簡単なのかもしれないけれど、簡単な言葉で表したくない。 大事な大事な、温かい気持ち。 「にやけてる。面白いな、これ」 「本当に。青春ですね」 双兄と熊沢さんが笑いながら俺を見ている。 二人とも楽しそうでなによりだ。 「じゃあ、四天は?」 「………」 天は、どうなのだろう。 嫌いだし、憎いと思うことすらある。 でも、兄弟だし、一緒に話してて楽しいこともある。 一杯助けてもらって、感謝もしている。 でも、嫌みだし、コンプレックスを刺激されるし、意味が分からない。 考えてるとぐちゃぐちゃする。 「………分かんない」 「そっか」 だって、分からない。 嫌いでムカついて憎くて、でも憎み切れない。 感謝もしてるし、尊敬しているところもある。 「三薙さんは、皆さんがお好きなんですね」 「うん」 志藤さんの言葉に、頷く。 俺の周りは、優しい人達ばかり。 「俺、皆、好きだよ。皆、好き。だから、皆と一緒に、普通で、いたいだけだよ。楽しく、一緒に過ごしたいだけ。普通でいたい、だけ」 ずっとずっと、一緒にいたい。 ただそれだけ。 今のように、仲良くして、ずっと一緒にいたい。 「普通でいたいだけなのに……」 でも、それを叶えるのがどんなに難しいんだろう。 普通でいることすら、出来ない。 皆が出来てることが、俺にはできない。 「うー………」 なんで俺はこうなんだろう。 どうしていつも、普通に出来ないんだろう。 どうしてこんなに駄目な奴なんだろう。 悔しい、哀しい哀しい哀しい。 「あー、泣いちゃった」 「泣ーかせた泣かせた。志藤君が泣ーかせた」 「私ですか!?」 ぼろぼろと涙が出てきて止まらない。 哀しいな。 なんでこんな哀しいんだっけ。 ただ、哀しい。 「うー」 「ああ、み、三薙さん、すいません、大丈夫ですか?」 「は、い」 「ああ、鼻水出てます!」 志藤さんが鼻にティッシュをあてて拭いてくれる。 その後涙も拭いてくれた。 本当に優しくていい人だ。 「志藤さん、俺、普通でいたい、だけなんです」 「はい、三薙さんは、大丈夫ですよ」 大丈夫と言われて、胸が温かくなる。 俺は、大丈夫なのだろうか。 「志藤さん、ありがとうございます!」 「うわ!」 嬉しくて抱きつくと、志藤さんから柑橘系のいい匂いがした。 首元を嗅ぐと、爽やかな落ち着くいい匂いがする。 「志藤さん、いい匂いがします」 「え、え」 「志藤さん、眠いです」 「ええ!?」 なんだ落ち着いて眠くなってくる。 このまま寝てしまいたい。 「いやー、自由だなー」 「フリーダムですねー」 「どう収拾つけたらいいんですか!」 「志藤君、三薙さんを部屋に戻してさしあげてください」 「え、私がですか!?」 「俺はこのまま双馬さんと飲み直すんで」 「そういうことー、頼んだぞ、志藤」 「ええ!?」 なんだか皆が話している。 誰かの話し声を聞きながら眠るのは好きだ。 一人じゃないと思える。 傍に、誰かがいるのは幸せ。 「ああ、ほら、三薙が落ちるぞ」 「ああああ!」 「さあ、早く」 「もう、あなた方は、少しは自重してください!」 「悪い悪い」 「いい子ですねー、志藤君は」 体が急に浮き上がる。 閉じかけた目を無理矢理開けると、体がベッドから宙に浮いていた。 なんでだろう、不思議だ。 「一人で大丈夫か?」 「ああ、志藤君は何気に力持ちさんなんですよ」 「じゃあ、お前も今度は飲もうなー」 「ザル通りこしてワクなんで面白くないですよ。酒も水も一緒なんですから、彼」 「見かけによらねーな」 「志藤君は何気にハイスペックなんですよねえ。根性がないのと甘え癖が抜けないのだけが欠点なんです。本当に残念なんですよねえ。残念です。残念な人です」 「それは残念だな」 「放っておいてください!」 なんだか楽しくて、半分眠りながらにやにやとしてしまう。 皆が笑いながら話している。 楽しそうだ。 皆が楽しそうで、嬉しい。 「三薙さん、大丈夫ですか?」 「志藤さん……?」 「はい。すぐに部屋に行きますからね」 「眠いです」 「もうちょっとです」 半分以上眠りながら、ふわふわとした感触を楽しむ。 いい匂いがして、心地がいい。 「ん」 しかし空飛ぶ旅はすぐに終わりを告げてしまった。 気持ちがいいシーツの感触が頬に触れる。 自分の部屋の匂いがする。 「お休みなさい、三薙さん」 「おや、すみなさい」 もう目を開けられない。 でも、志藤さんの優しい声と、頭の撫でる手が気持ちがいい。 「三薙さんは大丈夫。大丈夫ですよ。大丈夫です」 「………ほんと、ですか?」 「ええ。大丈夫です」 胸がぽかぽかと暖かくなっていく。 まるで春の日差しの中縁側で昼寝をしているようだ。 なんて幸せな気分なんだろう。 「ありがと、しとうさん」 意識が途絶えるその時まで、髪を撫でられる心地よい感触にずっと浸っていた。 |