次兄の部屋の前で5分ぐらい逡巡した後、ようやくノックする。

「双兄、ちょっといい?」
「いいぞー。入れー」

気軽な返事が返ってきて、遠慮なくドアを開ける。
部屋の中はアルコールの甘い臭いが立ち込めていた。
部屋の主はベッドの上でワインボトルを抱えている。

「………また飲んでる」
「飲んじゃ悪いか!俺は大人の男だぞ!」
「ごめん、出直す」

いきなり絡まれそうになったので、急いで回れ右をする。
相談をしたかったのであって、絡み酒に付き合うために来た訳じゃない。

「そうは行くか!さあ、お前も飲むがいい!」

しかしベッドから驚くほどの素早さで飛び降りて来た双兄が俺の首をホールドする。
放せと言っても聞いてくれるはずもなく、ずるずると汚い部屋の中ベッドまで引き摺って行かれる。

「俺まだ未成年だよ!」
「そんなん今更だろ」

まあ、うちの家では小さい頃から結構酒を飲まなきゃいけないことが多いので、酒には慣れている。
だからといって強い訳でも好きになる訳でもない。
前に双兄に無理矢理飲まされてぶっ倒れた時は、気持ち悪いわ一兄に怒られるわで大変だった。

「でも、俺、酒おいしいと思えないし………」
「このお子ちゃま味覚め」
「うっさいな!」

全力で拒否しているのに双兄はベッドサイドの棚からグラスをもうひとつ取り出してしまい、手にしていたワインボトルから中身をとくとくと注ぐ。
どうやら白のようだ。

「まあ、一杯だけでいいから付き合えよ」

ここまで来たら仕方ない。
俺はそのままワイングラスを受け取る。

「ほれ、つまみ」

ベッドの上にはチーズとサラミとチョコなんかが乗った皿があった。
シーツの上に零れたりしないのだろうかと心配になる。
仕方ないから一口ワインを飲むとふわりとやや木の香りがする甘い味が舌に広がる。
飲みやすいけれど、やっぱりそこまで美味しいものとは思えない。
チーズでアルコールの苦みを追い払う。

「どうしたの?最近酒の量が増えてない?」
「そうか?」
「うん」

最近双兄は見るたびに酒気を帯びている気がする。
さすがにちょっと心配だ。

「ちょっと休肝日作るか。で、なんだ。なんか俺に用があってきたんだろ。岡野ちゃんのことか!お前キスぐらいはしたんだろうな」
「し、してねーよ!なんの話だ!」
「お前が俺に相談したいことなんてそれぐらいだろ!」
「ちげーし!」

岡野の名前が出てくると体温が急激に上昇する。
ていうか栞ちゃんも双兄もなんですぐ岡野の名前を出すんだ。
本当に心臓に悪い。

「じゃあなんだ。あ、もしかしてやっぱり槇さんがいいとかそういう」
「だからちげーって!」
「じゃあなんなんだよ!」
「なんでキレてるんだよ!」

勝手に推測して勝手にキレるってどんだけ自分勝手なんだよ。
まあ、それが双兄なんだけど。

「………なんでもないよ」

本当は相談したいことがあったのだが、こんな酔っ払いに聞いてもろくな答えが出てこない気がする。
さっさとワインを飲んで退散しよう。

「儀式のことか?」
「ぶは」

急に真面目な声で言われて、ワインを噴き出す。
気管に入ってしまい、しばらく噎せ返る。

「し、知ってたのかよ!」
「まあな。一応、俺たち全員に関わることだし」

双兄はすでにワインのグラスを空けていて、もう一杯注ぐ。
白い顔は赤くなっているし、酒臭いけど、話し方はしっかりしている。

「………どこまで知ってるの?」
「全部。お前がこのままだと体がもたないのも、兄貴か天とヤらなきゃいけないのも」
「………」

アルコールのせいだけではなく、顔が熱くなってくる。
自分で相談に来たものの、いざ知られているとなると恥ずかしくなってくる。
本当になんで兄弟でこんな話をしなきゃいけないんだろう。

「………双兄は、候補じゃないん、だよね」
「なんだ俺がよかったのか?かわいい奴めー」
「ちげーってば!」

ぐりぐりと乱暴に頭を撫でられて、慌てて振り払う。
この上双兄も選択肢に入れなければいけないとなるともう意味が分からなくなる。
今のままでもいっぱいっぱいだ。

「で、どうした?」

双兄は今までふざけていたのに、すっと表情を改める。
ワインを一口飲んでから、俺の目をじっと見る。

「………」
「まあ、分かるけどな。唐突で遥か斜め上過ぎる話だよな」
「………」
「お疲れさん」

軽い口調で馬鹿にされているような気はするけれど、頭を撫でられてほっとする。
むしろ軽い口調だからこそ、余計に力が抜けていく。

「なんか、何がなんだか、よく分からなくて、どうしたらいいのか、もう分かんない。誰かに相談するとか、できないし。一兄も天も、変だし」
「………うん」

初めて相談出来た第三者の存在に、今までの不安が溢れ出てくる。
一兄も天もあんなだし、父さんには相談できないし、母さんになんてもっと出来ない。
ていうかその人達にはどんな顔をして話したらしいのかすら分からない。

「なあ、どうしたらいいのかな。俺、どうしたらいい?」
「と、言われてもな」
「なんで俺ばっかりこんな!どうにかしてよ!もうやだよ、こんなの!」

双兄に当たっても仕方ないのだけれど、鬱屈とした気分をどこにぶつければいいのか分からない。
誰も悪くない。
しいていえば、悪いのは俺なのだ。

「落ち着け。ほら、飲め」
「………ん」

双兄は俺が怒鳴りつけても怒ったりせずに、俺のグラスにワインを注ぐ。
喉が酷く渇いていたので、苦みを誤魔化してそのままごくごくと飲む。
喉が焼けて、胃が熱くなって、思考がぼんやりとしてくる。

「辛いよな」

双兄が、頭を労わるようにぽんぽんと叩く。

「兄弟として見てた奴を、そんな目で見れるはずがない」
「………っ」

ようやく分かってもらえて、胸がいっぱいになる。
そうだ、多分、俺は同意が欲しかったんだ。
こんな異常を普通に受け止めたくなんてなかった。

「そう、なんだよ!なんで一兄も天も大丈夫なんだよ!訳わからねーよ!」
「うん」
「なん、で、俺ばっかりこんな、おかしいよ!変だよ!なんで皆変だと思わないんだよ!やだよ!絶対おかしい!」
「うん」
「あの二人に迷惑かけるのも嫌だし、そんなことするのも嫌だ!どうして、普通に出来ないんだよ!どうして、俺ばっかり、どうして!普通でいいのに!普通で、いいのにっ!」
「うん」

アルコールの力もあって感情が高ぶり、涙が滲んでくる。
普通っていうのが、どういうことかなんて分からない。
でも、これが普通ではないことは、分かる。

「うん、三薙、お前は怒っていい。大変だったな」
「………っ」

双兄は笑いもせずただ静かに頷いてそう言った。
その言葉に、耐えきれなくて、涙が零れた。

「な、んで、双兄、こういう時ばっか」
「ばっか?」
「………無駄に優しいん、だよ」
「俺はいつだって優しいだろうが!」

いつもふざけてばっかりの次兄は、こういう時は結局優しい。
常に冷静で大人の態度を取る長兄や、皮肉屋で冷たいと感じるほどに正しい言葉しか言わない末弟より、一番近い考え方を持ってくれる。
俺の気持ちを、分かってくれる気がする。

「本当に理不尽だよな。理不尽なことばっかり」

軽い口調で、また俺の頭をぽんぽんと叩く。
双兄もどこか滑稽なこの状況に対してか、苦く笑っている。

「本当だよ………」
「うん、大変だったな。お前は頑張ってる」
「………」

双兄はそれから自分のワインを煽って、俺にももっと飲めと勧める。
残りのワインを飲みこむと、余計に世界が靄がかっていく。

「でも、世の中理不尽なことばっかりだ。仕方ない。割り切れ。お前が生き延びるためにあの二人を利用しろ」
「………」

けれど優しく甘やかしてくれるだけじゃないのは、一兄と一緒。
軽く笑って、肩をすくめる。

「もう仕方ない。人間やりたいことだけやって生きられる訳じゃないんだから。これも嫌な仕事だって思って受け入れろ」
「でも」
「大人はなあ、嫌な仕事でもしなきゃいけないことがあるんだ!大人への第一歩だ!ていうか本当に大人への第一歩だな!第一歩どころかもう大人だな!」
「アホか!」

そしてこんなところでふざけたことを言うのは、本当に双兄らしい。
なんだか双兄と話していると、重い内容でも軽く感じてくるから不思議だ。

「まー、気にすんな。そりゃ童貞より先に処女喪失ってのはトラウマだけど、仕方ない。犬に噛まれたと思って我慢しろ。それにお前多分痛くねーだろ。薬みたいのも使うし供給時の何倍もの快感って話だぜ」
「な、な、な、な」

生々しい話に、アルコールとは違った熱さが全身を焼く。

「人より多く経験が出来るわけだ!一回ぐらい男とヤってもいいじゃないか!いやあ、お兄ちゃん羨ましい!大人の階段上る弟が眩しくて見えない!」
「何言ってんだよ!人が真剣に相談してるのに!」

羞恥と怒りで頭の中が真っ赤になる。
さっき双兄を見なおしたばっかりなのに、やっぱりこれだ。
ふざけて軽く接してくれるのはいいけれど、これはあまりにもふざけ過ぎだろう。

「悪かった悪かった。でも、これくらい軽く考えておけ。深く考えるだけ消耗するだけだ。どうせやらなきゃいけないことは変わらない。お前死にたくないんだろ?」
「………ない」

双兄はいつのまにかワインを一本開けたらしくて、サイドの棚からもう一本取り出す。
本当に飲みすぎじゃないだろうか。

「なら、深く考えんな。結果は一緒だ。かるーく考えておけ。生理的に無理とかじゃねーんだろ。兄貴も四天も」
「………そ、れは………」

そのことを考えると、自己嫌悪で消えたくなる。
俺は確かに、一兄や天に触れられても、嫌悪感は一切覚えなかった。
恐怖と羞恥と屈辱はあったけれど、生理的に気持ち悪くて無理ということはない。
むしろそんな自分の異常性に吐き気がした。
普通の兄弟では絶対にしない触れ合いに、けれど俺は違和感を感じない。
それが何よりも、怖い。
すでに俺は、普通ではないのだ。

「気にするな」

俯き黙りこんだ俺に、双兄の軽い口調の言葉が降ってくる。
落ち着かせるように、何度も頭を撫でてくれる。

「それも気にしなくていい。うちの家系は元々そういうもんなんだよ。近親とか同性とかのタブーに対するハードルが著しく低い変態一族。お前一人だけじゃない」
「………そ、うなの?」
「こんな儀式が残ってる自体そうだろ。血を濃くするために割と近い血で子供作ったりしてるしな。近現代以前とかは考えたくねーな。最近はさすがに減ってるけど」

何も解決してないけれど、自分だけがおかしいのではないと分かると、少しだけほっとする。
いや、一族ごと変だと言われるとそれもどうかと思うのだが、そういう血筋なのだと言われれば、確かに納得できるかもしれない。
今は確かに減っているが同族内での婚姻は多かったようだ。
同性はどうか分からないが、一兄もそういえばそういった術は結構あるって言っていたっけ。
それなら、同性同士の儀式なんかも、あったのだろうか。

「だから、一兄も天も、あんな、普通、なのかな………」
「あの二人は頭のてっぺんまでどっぷり宮守ナイズされてるからな。常識に当てはめるだけ無駄だ」

あの儀式のことを躊躇いもなく、当然のこととして受け止めていた二人。
俺よりずっと前に知らされていたのだとしても、それにしても落ち着き過ぎだ。
でも、なんとなく理解できた気がした。
そして自分の中の拒否感や罪悪感のようなものが、少しだけ薄れる。

「………そ、っか」
「そういうこと。お前も難しく考えないで治療の一つだって考えておけ!仕方ないんだ!お前は悪くない!」
「………」
「気持ちがいい儀式でよかったじゃないか!」
「アホか!」

あくまでもふざけて笑う双兄に、思わずつっこんでしまう。
確かに普通ではないのだけれど、それが皆同じならば、怖くないかもしれない。
俺だけが普通でないのは、嫌だ。

「………双兄は、頭の先までどっぷり宮守じゃないの?」
「お前と一緒だ。俺は能力も特異だし、跡継ぎからは完全に外れてる。あの二人は力が強くて期待されてるだけ、お家教育も厳しかったからな。そういう風になってる」

確かに一兄と四天に対する教育は、俺や双兄に対するものとは根本的に違う。
家の式次第や秘匿とされる部分まで、あの二人には教え込まれている。
それを羨ましいと、以前は思った。
でも今は、羨ましいと思うと同時に、他の感情も浮かぶ。

「………なんか」
「可哀そうだよな。管理者の家に産まれたってロクなことがない。本当にな」

飲み込んだ先の言葉を、双兄が引き取って続けた。
俺は仕事もほとんど出来ないみそっかすだから、管理者の家に生まれた苦労なんてほとんど実感していない。
でも今まで出会ってきた管理者の家の人達を見れば、それがいいものばかりではなく、苦痛にまみれているものであることも、今は分かる。

「………」
「でも、それとお前の問題はまた別だ。二人ともお前との儀式を嫌がっていることはない。そこは間違えるなよ」
「う、ん………」
「お前は自分が生き残ることだけ考えてればいい」

双兄は、俺の目を見据えて、しっかりとそれだけ言った。
結局はそれしかないのだ。
俺は死にたくない。
それなら、俺は儀式をするしかない。

「………」
「すぐに納得するのは無理だろ。ゆっくりと考えろ」
「………うん」
「他にも気になること、あるか?」

双兄はワインをかなり煽ってるはずなのに、口調はしっかりしている。
この前べろべろに酔っ払っていた時は、一体どれだけ飲んでいたのだろう。
そんなことを考えている俺もアルコールが大分回ってきて、ふわふわとする。

「もし、もしさ」

だから、酔いの力も借りて、口を開く。

「うん?」
「もし、俺が、儀式をすると、して、どっちが、いいのかな」
「ん?」
「………な、なんかこういうこと双兄に言うの、アレなんだけど………」

やっぱり、顔が熱くなってくる。
でも、こんな勢いがなければ、聞くことは出来ないかもしれない。

「一兄と、天、ど、どっちがいいのかなって」
「どっちがうまいか?」
「そ、そういうのだけじゃなくて!」
「そういうのも入ってるんだな」
「…………」

まあ、そりゃあ。
だって、想像できない。
怖い。
少しでも、怖くない方がいい。

「や、まあ、うまさでいえば経験値の高い兄貴だろ。あの人実は結構遊んでるし」
「う………」
「四天も彼女いるとはいえ、まだ子供だし」

そういえば天と栞ちゃんはそういうことをしてるんだろうか。
なんてことを考えて思いっきり頭を横に振った。
あの二人のそういうことなんて、考えたらいけない。
ていうか生々しすぎて、考えたくない。

「わ………」

ぶんぶんと頭を横に振ってたら、くらくらとして体が傾いだ。
ベッドに倒れ込む前に双兄が体を支えてくれる。

「何してんだ、お前。ワインこぼすなよ」
「ご、ごめ」

頭を思いっきりふったせいか、急激に酔いが回ってきた。
世界がぐらぐらと揺れている。

「………でもまあ、俺としては四天押し、かな」
「え」

その言葉に、驚いて、双兄を見上げる。
双兄はふざけた様子はなく真面目な顔をしていた。

「どちらを選ぶかはお前の自由でいいけど、俺のお薦めな」
「なんで?」
「あいつの方が力が強いし、負担が少ない。学生で暇だしな」

やっぱり、負担を考えると天の方がいいのだろうか。
でも、やっぱり天に馬鹿にされながら儀式をするのは嫌だ。

「………うう」

本当になんでこんな生々しいこと考えなければいけないんだろう。
でも、双兄と話して、なんだか少しだけ心が楽になった。

「それにきっと若い男の方がきっと楽しいぞ!」
「だから何言ってんだよ!おっさんかよ!」

こんな風にふざけてくれると、俺の悩みなんて大したものじゃないんだって思ってくる。
でも大したものじゃないのかもしれない。
それこそ、犬に噛まれたようなものなのか。
いや、でも、違うだろう。

「まあ、飲め飲め。嫌なことなんて忘れちまえ!くよくよ悩んでる暇があったら人生を謳歌しようじゃないか!」

双兄はそう言って笑いながら、俺のワイングラスにワインをとくとくと注いだ。





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