冬の空は白みがかった青で、どことなくぼんやりとして見える。 でも、冬の冷たさは意識が研ぎ澄まされていくようで嫌いじゃない。 風に当たりたくて庭に面した縁側を歩く。 あっという間に汗を吸った道着が冷えていく。 道場で汗を流したけれど、気分は晴れない。 つい三日前に父さんから儀式について聞いてから、ずっと気分は晴れない。 天だけじゃなく、一兄まであんなことするし、俺のためだと言ってもやり過ぎだ。 おかげで一兄にどんな顔をして話したらいいのかいまだに分からない。 でも、あれ以上のことを儀式ではしなきゃいけないのか。 「………はあ」 なんで、本当にこんなことになっているんだろう。 兄弟で、男同士で、あんなことするの、変だ。 でもそれをしなきゃ死ぬって、究極の選択すぎる。 でも、あの二人が納得してるなら、頼む方の俺が拒むのもおかしな話だ。 あの二人の方が負担が大きい。 「………でも、やっぱり、変だ」 俺の方が、される方っていうのも抵抗がある。 でも、死にたくなんて、絶対ない。 それなら、道は一つなのだ。 あの二人のどちらかを、選ばなきゃいけない。 でも、どちらかなんて選べない。 あんなことするなんて、考えたくない。 でも、真剣に考えなければいけないのだ。 三日もぐるぐると考えていると、諦めに近い気持ちにもなってくる。 考えるのが面倒にもなってくる。 たった3回の事だ、死ぬよりはいいだろう。 あの二人だっていいって言ってるんだ。 でもやっぱりありえない。 そんなことしたくない。 天は、自分を選べと言う。 一兄も、どちらを選んでもいいと言う。 天の方が力があるから、負担は少ないだろう。 でも、中学生の弟の下に組み敷かれるというのを想像したくない。 一兄だったらまだ、我慢できるかもしれない。 一兄の方がうまそうだし。 「………って、なんでこんなこと考えなきゃいけないんだよ!おかしいだろ、兄弟で!」 「………三薙さん?」 「え!?」 思わず独り言でつっこんでしまうと、その時澄んだ可愛らしい女の声が聞こえた。 慌てて辺りを見渡すと廊下の先で栞ちゃんが座り込んでいた。 「し、栞ちゃん?」 足早にそちらに向かいながら、変なことを口走ってなかったかと焦る。 多分何も言ってなかったはずだ。 栞ちゃんは座りながらこちらを見上げてにっこりと笑う。 「三薙さん、こんにちは」 その表情からして、俺は変なことを言ってなかったようだ。 ほっとすると同時に、栞ちゃんの顔色が酷く悪いのに気付く。 まるで血が通ってないかのように真っ白だ。 座り込んでその顔を覗き込む。 「だ、大丈夫?なんか具合悪い?」 「ちょっとした貧血です。大丈夫ですよ。ありがとうございます」 大丈夫といいながら、やっぱり顔色は悪い。 こんな風の当たるところにいたらあまりよくないはずだ。 「あ、じゃあ休んだ方がいいよ。どこか」 「しいちゃんが来てくれます。さっき呼んだから」 「そっか。それならいいけど」 「すいません、ありがとうございます」 無邪気に笑う目の前の小さな少女を見ていると、さっきまでの思考が蘇る。 この子は、天の彼女だ。 弟の、彼女。 俺にあんなことをして、今度もあんな儀式をしなければいけないかもしれない弟の、彼女。 「………」 「どうかしたんですか?」 「あ、いや」 なんだか酷く申し訳ないようないたたまれないような気持ちになって、顔を逸らす。 やっぱり、天にそんなことをさせちゃいけない気がする。 この子を哀しませたりしたくない。 ああ、でもそれを言ったら一兄も付き合ってる人はいないけど五十鈴姉さんがいるし。 「三薙さん?どうかされました?」 「あ、いや、栞ちゃんの方こそ、大丈夫?」 「はい、平気ですよ。ごめんなさい、ご心配おかけしました」 慌ててとりあえず一旦考えることをやめる。 やっぱり顔がまっすぐ見えなくて視線を逸らしてしまうのだけれど。 「最近寝つきが悪くて、寝不足気味なのも悪かったです」 栞ちゃんはふうっとため息をついて壁に背を預ける。 さっきよりも顔色が幾分よくなってきているかもしれない。 「どうしたの?」 「悩み事です。思春期は悩みが一杯ですね。勉強、学校、友達、家族、恋愛」 悪戯っぽく目をきらめかせる栞ちゃんがかわいくて、思わず和む。 一緒にいるとふわりとした気持ちにさせてくれる子だ。 天もこの子のこんなところが好きなのだろうか。 「うん、確かに」 「でも、一女子高生としてはそのぐらいの悩みは当然ですね。悩んで悩んで青春の汗を流すんです!」 「男子校生も悩むよ」 「勿論です。いっぱい悩みましょう高校生!」 ぎゅっと握り拳を作って言う栞ちゃんの頬は赤くなってきている。 よかった、もう大丈夫そうだ。 「三薙さんは恋愛で悩んでるんですか?」 「え」 「岡野さんとはどうなったんですか?」 いきなりの不意打ちに、言葉がつまる。 岡野の温かい手が触れていたことを思い出す。 思い出して、いきなり熱くなった頬を誤魔化すように俺は言い返した。 「し、栞ちゃんの方はどうなんだよ!恋愛に悩んでるんだろ!」 いえ、しいちゃんに対して悩みなんてありませんけどねと返ってくるかと思った。 「はい、悩んでますよ」 「え」 「いっぱいいっぱい悩んでます」 しかし予想に反した答えがあっさりと返ってきた。 思わず身をこっちも唾を飲んで身を乗り出してしまう。 「て、天になんか駄目なところとかあるの?」 「なんで嬉しそうなんですか?」 いやだって。 「しいちゃんはどんな女の子が好きかな、可愛い服着てきたら褒めてくれるかな、前髪切りすぎたけど変って言われないかな、他の女の子に目がいっちゃわないかな、私を嫌いにならないかな、ずっと好きでいてくれるかな。悩みでいっぱいです」 「………」 ああ、そうだよな、そうなるよな。 うっかりわくわくした自分が馬鹿みたいだ。 「どうしたんですか?」 「………いや、馬鹿っぷるの破壊力を思い知った」 「あはは」 「そんな心配しなくても、天は栞ちゃんにべた惚れだよ」 あいつがあんな優しい態度や笑顔を見せるのは、栞ちゃんにだけだ。 どこからどうみても栞ちゃんにべた惚れだ。 「だといいんですけどね」 栞ちゃんは少し恥ずかしそうにはにかんだ。 その笑顔はものすごくかわいくて、段々天に苛々してくる。 あいつだけずるい。 「前に、しいちゃんと私は同じ夢を持ってるって言ったじゃないですか」 栞ちゃんはふと視線を俺から逸らして、庭の方に向ける。 「え、うん」 そうだ、二人は同じ夢を持っていると言っていた。 だから、気が合うのだというようなことを言っていたけど。 「でも私としいちゃんの夢は、ちょっとだけ違うんです」 栞ちゃんはじっと庭を見つめながらそう言った。 そもそも夢の内容を知らないから、なんて答えたらいいのかよくわからない。 「えっと、どう違うの?」 「んー、手段は一緒だけど目的が違うっていうか」 目的が一緒で手段が違う、じゃないのか。 手段が一緒で目的が違うってあまり聞かないな。 「このずれがちょっと寂しいんですよねえ。私はずっとずっと、しいちゃんと一緒にいたいだけなんですけど」 「えっと」 ノロケのようにも聞こえるが、栞ちゃんの表情は言葉通りどことなく寂しそうだ。 俺がなんと言ったらいいのか分からなくて言葉を探していると、それに気付いたのか栞ちゃんがこちらに視線を戻して照れたように笑う。 「訳分からないこと言っちゃいましたね。夢の内容は叶ったら教えますね」 「………またそれか」 「え」 「天もさ、俺に色々黙ってることがあるんだけど、教えてくれなくてさ。もうしばらくしたら教えてくれるってそればっかり」 後で言う。 叶ったら言う。 それなら最初から思わせぶりな態度や言葉はしないでほしい。 中途半端な態度が一番気になってしまう。 思わず愚痴ると、栞ちゃんが頭を掻いた。 「あはは。すいません、そりゃ気になりますよね。こんな風に思わせぶりなこと言っちゃったら」 「本当だよ」 「ごめんなさい、でも夢はきっとすぐ叶います。そうしたら教えますね。きっと、しいちゃんの秘密もすぐですよ」 「だと、いいけど」 天ももう少しだと言っていた。 それなら、もう少しなんだろうか。 早く、知りたい。 「栞、兄さん」 近づいてくる気配もなく、声が響いた。 驚いて振り向くと驚くほど近くに、四天の姿があった。 弟は長い足ですたすたと歩いてくる。 栞ちゃんの顔がぱっと明るく輝く。 「しいちゃん」 「大丈夫?」 「うん、三薙さんと話してたら元気になっちゃった」 「そう」 天は栞ちゃんの傍らに座りこむと、その体を抱えあげる。 いきなり持ち上げられて、栞ちゃんは慌ててその手から逃げようと暴れる。 「わ、わわ」 「暴れない」 「だって、一人で歩けるよ!」 「気分の悪い彼女を歩かせるような甲斐性のない男に俺をさせないで?でもお姫様抱っこは辛いからちゃんと掴まっててね」 「は、はい」 砂を吐きそうだ。 よくこんな歯が浮きそうな言葉がすらすらと出てくるもんだ。 呆れるを通り越して感心してしまった。 これがモテる男ってことなのだろうか。 いや、俺がいくらこんなことを言っても滑稽なだけだろう。 天が栞ちゃんに向かってい言うから、様になるだけなのだ。 「ありがとう、兄さん。栞を見ていてくれて」 栞ちゃんを抱えあげた天は、珍しく俺に礼を言う。 ああ、そっか、栞ちゃんのためだからか。 「えっと、じゃあ、三薙さん、ありがとうございました」 「あ、う、うん」 栞ちゃんも天にしがみついて恥ずかしそうにしながら、それでも嬉しそうだ。 そのまま二人は何か仲睦まじく話しながら廊下の先へ消えていく。 残された俺は一つ、寒風にさらされている。 「………」 本当に、俺、何してるんだろう。 俺は一人で、天と一兄がどうだとか考えているのに。 二人に迷惑かけたくなくて、でもどうすることもできなくて、あんなことさせるなんて本当に悪いって思って、でも本当に俺に出来ることなんてなくて、どうしようもなく惨めで情けない気持ちになった。 「…………あー、もう!なんで俺だけこんな悩まなきゃいけないんだよ!」 結局天も一兄も、自分たちの生活を十分に満喫してる。 二人とも俺を翻弄するだけ翻弄したくせに。 「一兄も天も、大っ嫌いだ!」 八つ当たりだと分かっていても、理不尽な環境に対する怒りが静まらなかった。 |