布団に潜って蹲っているとなんだか哀しくなってくる。
何も考えたくないのに、苦しい想いだけが胸の中をぐるぐると渦巻いていく。

なんでこんなことになってしまったんだろう。
なんでこんな目にばっかり遭うんだろう。
ただ普通に暮らせればいいのに。
ただ皆と同じであればいいのに。
家族と友達に囲まれて、一緒にいて、一緒に笑って、それだけでいいのに。

「う………、うーっ」

涙がぼろぼろと溢れてくる。
泣いている自分は嫌いだ。
緩い涙腺が嫌いだ。
でも、どうせここには誰もいない。
それなら、盛大に泣いてしまえばいい。

「ひっく、う、うぅ、うう」

どうして俺は誰かに迷惑をかけることしか出来ないんだろう。
どうして俺は一人では生きられないんだろう。
どう頑張っても、存在してるだけで負担になる。

でも、生きていたい。
皆と一緒にいたい。
死にたくなんてない。
どうせ俺は結局、生きることを選ぶのだろう。
そんな自分が本当に嫌だ。

一人では生きられない自分が惨めで可哀そうだ。
それでも意地汚く生きようとする自分が、浅ましくて醜い。
自分に同情して憐れむが、でも本当はそれに振り回される周囲が可哀そうなのだ。

「三薙、起きてるか」
「っ」

一兄の声と共に、扉をノックする音が聞こえる。
今答えたら、泣いていることがばれるだろう。
それは嫌だ。

「三薙、入るぞ」

だから黙っているのに、カチャリとドアが開かれる音がした。
真っ暗な部屋で、ベッドの中に蹲っているから泣いてることなんてばれないだろう。
涙は止まらないし、しゃくりあげているけれど、なんとか聞こえないように息を潜める。

「………っ、く」
「電気つけるぞ」

でもそんな俺の抵抗は、一兄はないようなものだったのだろう。
布団の隙間から急に光が入ってくる。

「夕飯も食べてないなら、腹減ってるだろう」

一兄が近づく気配がして、身動きが出来なくなる。
とうとう足音がすぐ傍までくる。

「ほら」

布団がゆっくりと剥がされる。
眩しさと一兄から逃げるようにうつ伏せになって顔を隠す。

「空腹だと、いい考えも浮かばない」
「………っ、やだ」

しかし簡単に抱きあげられて、ベッドに座らせられてしまう。
帰ってきてから着替えたのだろう、部屋着姿の一兄が明りに下で露わになった俺の顔を見て笑う。

「酷い顔だな。それに制服のままか。皺になるぞ」

そして濡れた頬を、その手の甲で拭う。
鼻がつまっているのですすると、一兄がまた笑った。

「またよく泣いたな。ほら、鼻をかめ」

そしてティッシュを鼻にあてられる。
まるで小さい頃のようで、恥ずかしくなった。

「じ、自分で、できる」

しゃくりあげながらなんとか抵抗して、ティッシュを奪う。
自分で改めて鼻をかむと、息苦しさがなくなって呼吸が楽になる。
一息つくと、涙もとりあえず収まっていた。
それを見届けて、一兄がサイドテーブルに置いてあったお皿を取る。
そこには大きなおにぎりが6個ほど。

「中身はしゃけと梅干とおかかだ」

一兄がラップを取って、自分がまず一つ齧る。
お米の匂いがして、ぐうっとまた腹が存在を主張する。
それが聞こえたのか、一兄がもう一度皿を差し出してくる。

「ほら食え」

少し恥ずかしかったが、別に拒否する理由はない。
一つを取って、齧りつく。
お米の味としょっぱい鮭の味が口に広がった。
その途端空腹が加速して、がつがつと食べてしまう。
あっという間に一個食べ終わる頃には、一息ついた。
一兄は俺を見ながら、自分も二個目のおにぎりを食べている。

「………一兄も、メシ食べてないの?」
「ああ、忙しくてな」

それからポットに入ったお茶も淹れてくれて、二人で無言でおにぎりを食べる。
6個全部なくなって、お茶を啜ったら、確かに少しだけ心に余裕が出てきた。

「足りたか?」
「………うん」

一兄が笑って頭を優しく撫でてくれる。
そのまましばらく、沈黙が部屋に落ちる。

「………あのさ」
「ああ」

一兄は急かすことなく穏やかに俺を見ていてくれる。
聞きたいことは、いっぱいある。
でも、きっと聞いても、俺の望む答えは出てこないというはなんとなく分かった。

「どうしても、その………」
「ああ、今日話したことは全て本当のことだ」

言い淀む俺に、一兄は天と同じようにきっぱりと断言した。
それでも少しは期待していた俺は、また鬱々と心が沈んでいく。

「そしてお前がこれまでと同じように生活するには、儀式は必ず行わなければいけない」
「………」

やっぱり、そうなのか。
これまで何度も念を押されてきたのだから、もう本当にそれ以外方法はないのだ。
空虚感に、体が重くなっていく。

「三薙、来い」
「………」

一兄に引き寄せられて、腕に抱きこまれる。
ベッドに座る一兄の足に横座りするような恥ずかしい格好だが、今はその頼もしい腕の中が心から安心出来た。

「何が怖い?何が哀しい?」
「………」
「まとまってなくてもいい。怖いか?」

一兄の胸に顔を押し付けられて、温かさが伝わってくる。

「………死ぬのは、怖いよ。力がなくなるのは、怖い」

あの飢えの苦しみの果てに枯れ果てて死ぬというのは、想像すらしたくない。
死にたくなんてない。

「………怖い」
「それはそうだな。俺もお前が苦しむ姿も見たくないし、失いたくない」

一兄がゆっくりと俺の髪を梳いてくれている。
その大きな手が、とても心地がいい。
一兄の言葉が、嬉しい。

「………それと、あの」
「儀式の方法のことか?」
「………それもある、けど」
「他のもあるのか?」

目の前のシャツをぎゅっと握る。
全てを包み込んでくれるような一兄の強さと大らかさに縋るように。

「方法も、そうだけど、一兄と天に、寄生するのが、嫌だ。そんなこと、させたくないし、力を一生奪いながら生きるのも、嫌だ。それに、俺もしたくない、そんな、儀式」
「まあ、そうだな」

一兄がおかしそうにくすくすと笑う。
それから俺を抱え直して、顔を覗き込んでじっと目を見つめてくる。

「とりあえず、俺と四天の件については気にしなくていい。と言ってもしない訳にはいかないだろうが、俺たちはすでに納得済みだ。お前が気にする必要はない」
「………でも」
「俺が死にそうになってて、お前が助けられる力を持っている。その時、お前は俺を助けてくれないのか?」

首を横に思いっきりふる。
一兄が助けられる力があるというのなら、俺はいくらでも、たとえ自分が怪我をしようとなんだろうと助けるだろう。

「それは、助ける、よ。助ける。俺に力があるなら助ける。でも、それとこれとは違う」
「違くないだろう」
「でも!俺は何一つ、一兄にも天にも返せない!」

けれど俺はいつも貰うだけの存在だ。
一兄や天を助けることなんて、出来やしない。
そんな仮定なんてありえない。
ただ一方的に俺が寄りかかるだけの不公平な関係だ。

「俺はお前が元気でこれまでと同じように生活してくれるだけで十分報われるんだけどな」
「………でも」

一兄がそっと俺の頬を包み込む。
穏やかに優しく諭されると、心にじんわりと染みわたっていく。

「お前が心苦しいのは分かる。でも、俺だってお前が苦しむ姿を見たくない。何か出来るならしたい。お前が為す術もなく枯渇していく姿なんて見たくない。そういう俺の感情も汲んでくれないか?」
「………」

一兄の言葉は、本当に嬉しい。
でも、どうしても俺がお荷物になるという気持ちが無くならない。

「それに、そこまで俺たちの負担にはならない。いつもお前の力が失われてから行っていた供給が常時一定の状態で行われるようになるだけだ。供給される力の量もそう変わらない。お前も通常の生活も出来る。俺たちの日常生活に支障はない」
「本当?」
「ああ、儀式をしても、特に何も変わることはない」
「………」

そう、なのか。
負担になることは変わらないけれど、二人にはそこまで支障がないのだろうか。
二人とも、俺が力を奪い続けることを許してくれるのだろうか。
負担にならないのなら、正直な気持ちとしては、助けてほしい。
力が枯渇するのは、怖い。
勝手だとは思うけれど、本当に怖いのだ。

「でも………その、儀式は」

でも、それでも、もうひとつ躊躇うことがある。
一兄が、俺が言えなかった言葉の先を察して、苦笑する。

「まあな。それは確かに躊躇うな」
「………無理、だよ」

一兄や天と、そういうことをするなんて、想像も出来ない。
そりゃ天とは供給の域を超えたことをしたが、とても嫌だった。
やれといわれて、出来ることではない。
それに、気になっていることが、ある。

「………そのさ、ぎ、儀式をやるとして」
「うん?」

気になってはいたけれど、聞く暇がなかった。
でも聞いていいのか分からない。
聞くのが怖い。

「三薙?」

でも、聞かなきゃいけないだろう。
きっと天に聞くよりはましだ。

「お、俺って、その、どっち、なの」

一兄の顔が見れなくて、熱い顔を伏せた。
耳まで熱い。
なんで兄弟でこんな話をしなければいけないのだろう。
双兄はともかくとして、一兄と生々しい話なんてしたことない。

「ああ」

一兄の困ったような声が聞こえる。
さすがの一兄も言うのに躊躇いがあるらしくて、少しだけ間をおいてから言った。

「残念ながら、お前がされる方、だな」
「………」
「力を与え受け入れるために、お互いの体を作り直す儀式だ。お前が受け止める方だからな」

天の言葉を聞いて、そうなのかとは思っていた。
でも、実際言われると、どうしようもない気持ちに襲われる。
恥ずかしいような、怖いような、悔しいような、なんで俺ばっかりというような。

「する方がよかったか?」

慌てて首を横に振る。
俺が一兄や天をどうにかするなんて、それこそ考えられない。

「そんなのどっちも考えられないよ!」
「それはそうだ」

一兄がくすくすと笑う振動が伝わってくる。
大きな手は変わらず、俺の髪をゆっくりと梳いてくれている。
一兄も天も、なんでこんなに落ち着いているのだろう。
もっと抵抗とかあっても、いいだろう。
まあ、俺より先に知らされていたみたいだけれど、それでも落ち着き過ぎだ。

「………ていうか、一兄、出来るの?」

ああ、本当になんでこんなことを聞かなきゃいけないんだろう。
一兄も天も簡単に言うけれど、実際俺なんかにそういうことを出来るのだろうか。
天は、実験とかいってああいうことしてたけど、でも、それ以上のことをするのだ。
俺なら無理だ。
なんて、なんでこんなことを考えなきゃいけないんだろう。

「まあ、やろうと思えば」
「………っ」

軽い言葉に、思わず一瞬固まってしまった。
それが伝わったのか、一兄が小さく笑う。

「そんなに怯えるな。別に今取って食おうって訳じゃない」
「そ、そういう訳じゃないけど」

でも、正直少しだけ怖くなった。
あの時の組み敷かれる屈辱と恐ろしさが蘇る。
固まった俺の背中を、ぽんぽんと一兄が叩く。

「なんとかなるもんだ。実のところ、その手の術は結構ある。そのための備えなんかもある」
「そ、備え!?」

なんだか不穏な言葉に、ますます恐ろしさがこみあげていく。
一兄から逃げ出したいような気持ちになるが、怖いから一兄にしがみついてしまう。

「あまり深く追求しない方がいいが、香とか薬とかその辺だ」
「………っ」
「危険なものじゃないし、俺たちも問題なく儀式を遂行できて、お前にも痛みや負担が少なくなる」

色々な想像が浮かぶが、生々しすぎて血の気が引いていくのが分かる。
一体どんな備えがあるというのだろう。
それを使われるのか。
使われるって何に、どうやって、どういうことをするんだ。

「余計に怖がらせたか?」
「………」

素直に俯きながら頷いた。
一兄は宥めるようにゆっくりと背中を撫でてくれるが、やっぱり怖い。

「悪かったな。ということで、怖くはないし、俺や四天の都合は気にしなくていいということだけ覚えておけ」

そんなこと言われても、やっぱり怖い。
聞いたからこそ余計に怖い。

「て、天は、どう思ってるんだろう」
「俺もあいつの考えてることは分からないが、少なくとも納得はしている。嫌々承諾している訳ではない。拒否権もある」
「………」

確かに天は、積極的に自分を選べと言ってきた。
嫌がっている訳ではないようだ。
一体天は、何を考えているのだろう。
結局、疑問はそこで行き詰ってしまう。
あいつの考えていることは、分からない。

「俺と四天、どちらを選ぶかは、お前に委ねる。まあ、選択肢は少ないがマシな方を選べ。時間はまだある」

一兄が俯いた俺の顔を持ち上げて、視線を合わせる。
そんなこと言われても、どうしたらいいのか分からない。

「マシって………」
「生理的に嫌とかもあるからな。どうにかなることはなるが、さすがにそれは可哀そうだしな」

どっちを選らんでも男なのは申し訳ないが、と一兄が笑う。
ていうか、それなら女性じゃ駄目なのだろうか。
いや、大丈夫だったら一兄と天という選択肢じゃないだろう。
そもそも、俺を供給し続けられるだけの力を持つ人間で、儀式をしてくれる人間なんていないだろう。
自分の考えを、10秒で否定出来てしまった。

「三薙、俺に触れられるのは嫌か?」
「え」

ぐるぐると考え込んでいると、一兄が問いかけてきた。
顎を掴んでいた大きな手が、そっと頬を覆う。

「こうして触られてるのは、嫌か?」

頬に触れられるのは、嫌じゃない。
こんな風に抱きしめられているのも恥ずかしくて、そろそろやめないととは思うけれど、嫌ではない。
幼い頃から一緒に眠ったりこうやって慰められていたから、違和感も嫌悪感もない。
むしろ、温かくて心地がいい。

「そうか」

うっすらと目を細めると、近づいてきた一兄の唇がそっと頬に触れる。
わずかな感触と頬に熱を残して、すぐに離れていった。

「い、一兄!?」
「気持ち悪い、とかはあるか?」
「え!?」
「吐き気とかするか?」

それは、ない。
突然であっという間のことだったというのはあったけれど、驚くほど嫌悪感はない。
自分でもそれはまずいのじゃないかと思うけれど、でも気持ち悪くなんてない。
普通の兄弟ではしない触れ合いだ。
男同士だ。
でも、気持ち悪くはない。

「ないようだな」
「………」

返事をしなかったけれど悟ったらしくて、一兄が一つ頷く。
なんで、ないのだろう。
ああ、そうだ、天の供給で慣らされているからだ。
全部全部あいつのせいだ。
いつのまにか、あいつとの供給に慣れてしまった。
だから男同士なのに、兄弟なのに、こんなことしても嫌悪感も何もないのだ。

「そんな不安そうな顔をするな。儀式だ。お前が悪いことは何もない」

また哀しくなって、目を瞑る暇のなく涙が一粒こぼれた。
怖い。
こんな風に嫌悪感もなく、受け入れている自分が、怖い。

「このまま供給しておくか」
「一兄?」
「ついでに少し試そう」

一兄が呪を唱え始める。
いつもの手順とは違い、部屋の清めも行っていない。

「あ」

一兄が自分の指を噛んで、皮膚を食い破る。
溢れてきた血が垂れる前に、俺の口に入れた。
しょっぱくて鉄くさい味が口に広がる。

「んっ」

同時に一兄との回路が繋がって、力が入りこんでくる。
深い深い青。
一兄の人柄そのもののような、落ち着いた深い色。

「ん」

血を舐め、自分の唾液と共に飲み込むと、力がどろりと体内に流れ込む。
一兄の指が痛そうで申し訳ないと思いながら、堪え切れずに必死で飲み込む。

「え」

とさりという軽い音と頭に衝撃があって気付くと、いつの間にかベッドに横たわっていた。
一兄が指をひきぬいて、俺の濡れた唇をなぞる。
血の味を求めて、自分の唇を舐める。
鉄と塩の味が、酷く甘い。

「あ………」

ゆっくりと顔を近づけていた一兄が俺の耳を舐める。
ピチャリと言う音と、濡れた感触がぞくぞくとして鳥肌が立つ。
耳の中を舐められると、そこからも力が入りこんできて、快感に背筋がのけ反る。

「は、あ」
「大丈夫か?」
「んっ………」

一兄の唇がそのまま頬を伝い、首筋を通り、鎖骨まで至る。
手が、俺の背中を撫でている。
一兄の舌と指が触れている場所が、熱い。

「あ………、ふっ」

シャツがいつの間にか開かれていて、舌が腹に伝う。
寒気に似た感触で、体が震える。

「こ、こわ、い」

そんなことはされたことがなくて、未知の感覚が怖くて、一兄のシャツをぎゅっと握る。
その手を一兄の大きな手が包み込む。

「怖いことはしない」

優しい声と共に、俺の指を弄ぶように、堅い手がなぞる。
体中全てが敏感になってしまったようで、指の間をなぞられただけでゾクゾクとする。

「ん、っ、は………」

指にも濡れた感触がして、ぼやけた視界の中そちらをみると、一兄が俺の手を舐めていた。
中指を口に含まれて噛まれると、腰が浮き、足がシーツを掻く。

「いちにっ」
「気持ち悪いか?」

首を横に振る。
気持ち悪くはない。

「怖いか?」

今度は必死に何度も頷く。
このままどうなるのか分からなくて、怖い。
すると一兄が小さく笑う。

「この辺にしておくか」

一兄が最後に額に唇を落とすと、俺を柔らかに抱き込む。
安心感と恐怖と羞恥と快感の中で、一兄からの力を受け取った。





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