「宮守、大丈夫か?休み時間終わるぞ」
「あ、う、うん」

いつの間にか授業が終わっていたらしい。
藤吉が顔を覗き込んできて、我に返る。
眼鏡の奥の目が、心配そうに細められている。

「なんか最近変だな。どうかしたの?具合やっぱ悪い?」

最近、学校に来るとどうしても藤吉の姿を追ってしまう。
そして色々、馬鹿なことを考えてしまう。
そんなこと、ある訳ないのに。
今だって、俺のことをこんなに気遣ってくれる。
俺の、多分初めての友達。

「平気!その、ちょっと悩み事があるから、寝つきが悪いってのはあるかな」
「やっぱり」

藤吉は困ったように苦笑して、息をついた。
悩んでいたことなんてお見通しだと言うその反応にドキっとした。
藤吉のことを見ていたのに、気付かれていたのだろうか。

「あれか、あの、一矢さんか四天君のどっちかを選べって奴?」
「あ、うん」

そういえば前に藤吉にも相談したっけ。
よかった、見ていたのを気付かれたわけではなかったようだ。
それに、そのことで悩んでいるのは、嘘じゃない。

「まだ解決してないのかあ。結構重いんだな」

藤吉が困ったように首を傾げる。
俺の悩みのことを我がことのように考えてくれる、本当に優しい奴。

「うん、でも、選ぶってことは、決めたんだ。でも、どっち選んだらいいか、分からなくて」
「まあ、宮守に分からないことが、俺にも分かる訳ないけどさ」
「………だよな」

その通りだ。
誰に相談しても、最終的に決めるのは俺だ。
一兄のことも天のことも、藤吉よりも知っているのは、俺なのだから。
ずっと一緒に過ごしてきたんだから、俺が決められるはずなんだ。
藤吉は少し悩みこんでから、明るく笑う。

「もう難しく考えないで、直感でいいんじゃないかな。例えばそうだな、おいしいケーキがあるとして」
「うん」
「それが、一つしかなくて、一矢さんと四天君のどっちに渡したいか、ぱっと思いつく方みたいな。分かりづらいかな。まあ最初に思い浮かぶ方っていうか」

ケーキが一つ。
そして、一兄と天。

「………二人で、半分こしてもらう」
「駄目だこりゃ」
「………ごめん」

ケーキっていう例えが悪いんだと思う。
だって割れるなら半分にしたら二人にあげられるじゃないか。
あ、じゃあ、崖に二人が落ちそうになっていて、どっちを助けるかとかだったら、どっちも助けたいし。
駄目だ、決まらない。

「まあまあ、あんまり考え込むな」

頭を抱え込んだ俺の肩を、藤吉がぽんぽんと叩く。

「お前の家のことはあんまり分からないから役に立たないかもしれないけど、聞くぐらいなら出来るから、言えよ」
「………ありがとう、藤吉」
「ああ、頑張れよ」

太陽みたいに明るく笑う藤吉はずっとずっと憧れだった。
人に好かれる眩しいクラスメイト。
やっぱり、藤吉が俺を結界に誘いこんだりする訳がない。
そんなことする理由がない。

「藤吉、呼んでるよー」

改めて自分の浅はかな考えを振り払っていると、クラスメイトが藤吉を呼んだ。
つられて扉の方を見ると、確か隣のクラスの女子がはにかみながら藤吉に手を振っている。
藤吉が悪いと言いながら扉に向かい、女の子と何かしら話している。
人気者の藤吉はこんな風に色々なクラスの人が遊びに来たりする。

「やっぱ嬉しいよなー」

しばらくして帰ってきた藤吉はほくほくとした感じでにやけている。
その手には可愛らしくラッピングされた手の平大ほどの包み紙。

「何?プレゼント?」
「何って宮守………」
「へ?」

俺の言葉に、藤吉がショックを受けたように顔を曇らせる。
なんだろう、今日藤吉の誕生日だったっけ。
いや、違うはずだ。
忘れてる訳じゃない。

「………今日なんの日か覚えてる?」
「なんかあったっけ?」
「………駄目だこりゃ」

さっきと同じ言葉を、今度は心底呆れたようにため息交じりに言われる。
馬鹿にされたような物言いに、思わず噛みついてしまう。

「な、なんだよ!」
「いや、だってさあ」
「今日がなんだっていうんだよ!」
「宮守君、ひどいなあ。じゃあ、これいらないのかな」
「え、槇?」

その時、おっとりとした柔らかい声が響いた。
後ろを振り向くと、にっこりと笑うふわふわとした女の子の姿。

「これ、欲しくない?」
「え、だから何が?」

手にした包み紙をひらひらとさせながら、槇が笑う。
一体なんなんだ。
混乱して頭を捻っていると、今度は横からがしっと圧し掛かられる。

「チョコだよー!」
「さ、佐藤!くっつかないで!え、チョコ?なんで?」
「ええ!?三薙、あり得ないよ!」

なんとか佐藤を押しのけて、その手元を見ると、やっぱりそこには包み紙。
なんなんだ、みんなして。
藤吉が沈痛な面持ちで、聞いてくる。

「宮守、今日は何月何日?」
「えっと、二月、十四………」

そこまで言って、ようやく皆が何を示しているのか気付く。
どうしてクラス中がこんな浮かれた空気なのかも、分かった。
自分の悩みに入り込み過ぎて、全く気付いていなかった。

「ああ!」

今日は、二月十四日。
バレンタインデーだ。

「うわ、宮守、健全な男子高校生の発言じゃないだろ、それ」
「え、だ、だって、え、今まであんまり関係なかったから」
「………泣けてくる」

藤吉が眼鏡ととって、目尻を抑える。
だって、本当に縁のないイベントすぎて、いつの間にか素通りする癖がついていた。
覚えていても寂しいだけだし。
栞ちゃんがくれたりするけど。

「さあ、麗しい女性陣!こんな可哀そうな宮守君に、救いの手を差し伸べてあげてくれたまえ!」

藤吉が芝居がかった仕草で槇と佐藤を振り返る。
女子二人は同情に満ちた表情で俺を見つめている。

「可哀そう………」
「切なかったんだね、三薙」
「え、いや、え、うん、そうだけど………」

昔は、周りで盛り上がるのを見て、寂しい想いもした。
大量にチョコを持ちかえってくる兄弟達を見て、切ない思いをしたのも確かだ。

「うわ、認めちゃった」
「可哀そう」
「………三薙、辛かったんだね」

三者三様に、同情を示してくれる。
さすがにここまでされると腹が立ってくるぞ。

「う、うるさい!チョコなんて、結局お菓子会社の戦略だろ!」

消費社会の陰謀に惑わされているだけだ。
みんな騙されているんだ。

「じゃあ、いらない?」
「欲しいです」

しかし槇がチョコをかがげて微笑む様子に、即座に陥落した。
なんだかんだ言ったが、正直欲しい。
お菓子会社の陰謀なんて知るもんか。

「素直でよろしい、はい、どうぞ。義理だけどね」
「分かってます」

槇はわざわざ念を押して、俺の手の平にチョコを置いてくれる。
白い包装紙にブラウンのリボンで、とても可愛らしい。
美味しいものが好きな槇だから、きっとおいしいチョコなんだろうな。

「はい、三薙、どうぞ」
「あ、ありがとう」
「気持ち入ってるからねー」
「え、う、うん」

佐藤もにこにこと笑いながら、チョコを差し出してくれる。
オレンジ色の包み紙に、赤いリボン。
佐藤のは、佐藤らしく少しデザイン性が高い。

「………え、へへ」

手の平の二つのチョコを眺めて、ついにやけてしまった。
ふつふつと浮かび上がる喜びを抑えきれない。
親戚や身内以外のチョコなんて、初めてだろうか。
そういえば、小学校の頃、クラス全員に配ってくれる女子がいた。
でも、俺に、ということでくれるのはこれが初めてだ。

「嬉しそうだ………。なんか泣けてくるな」
「そこまで喜ばれるとあげ甲斐があるなあ」
「大事に食べてね」
「う、うん。もらったのは、勿論嬉しいんだけど、こういうイベントに参加出来たのが、嬉しい」

今までは横で盛り上がっているのを、ただ見つめているだけだった。
我ながらなんとも情けなくていじましくて哀しくなる。
でも、今はそのイベントに参加しているのだ。

「なんか本当に泣けてくるなあ」
「不憫」
「三薙可哀そう!」
「う、うっさい」

本当のことだけれど、改めて言われるとより哀しくなるからやめてほしい。
槇が落ち込みかけた俺ににっこりと笑いかける。

「そんな侘しい青春時代を送った宮守君にご褒美ね」
「え?」

槇はいたずらっぽく指を一本立てて、廊下の方をさす。
侘しい青春時代とかひどいこと言われている。

「今から、西側の屋上階段前に行ってみて」
「え、なんで?」
「いいからいいから」

腕をひかれて、半ば無理矢理席から立ち上がらせられる。
そして背を押されて廊下に追いたてられる。

「あ、私も」
「千津はここにいてね」
「えー!」

佐藤が立ちあがろうとすると、槇はそれをひきとめた。
すると佐藤が口を尖らせて抗議する。

「チエが私の味方じゃなーい!」
「宮守君の味方かな。この場合」
「え、何が?」
「いいからいいから」

何がなんだかわからないまま、俺はそのまま廊下に放り出された。



***




「あ、………岡野!?」

西側の屋上への扉は閉鎖されているから、人気はない。
そんな埃っぽく据えた匂いのする場所に、ただ一人、岡野が携帯を弄りながら立っていた。
俺を待っていたのかと思ったが、岡野は不可解そうに眉を潜める。

「何?なんであんたがここにいるの?」
「何って、えっと、槇がここに行けって」
「………チエの奴」

岡野が俺に用事があるのかと思ったが、そうではないらしい。
槇が何かを間違えたのだろうか。

「えっと、何かの、間違えたのかな?」
「………」
「ご、ごめん」

岡野がものすごい不機嫌そうな顔をしていたから思わず謝ってしまった。
するとますます不機嫌そうに眉を顰める。

「何謝ってんだよ」
「えっと、岡野、なんか怒ってる?」
「なんで怒ってんのか分からないのに謝るの?」
「だ、だって、なんか、怒ってるから、俺のせいかなって」
「理由も分からず謝るな!」
「ご、ごめんなさい!」

怒鳴りつけられて、反射的に謝ってしまった。
しまった、謝るなと言われたんだった。

「あ、ご、ごめん」
「………」

ああ、俺は何をしているんだ。
でも岡野怖い。
なんか怒ってる、怖い。
落ち着け落ち着け落ち着け。
大丈夫だ。

「ごめ、じゃなくて、えっと、どうしたの?岡野は、なんで、ここに?」

岡野はじっと俺の顔を見据えた後に、ため息をつく。

「あんたって本当にヘタレだよな」
「へ、たれじゃない、とは言い切れない………」
「もっと自信もてって毎回言ってるだろ」
「ごめん………あああ!」

本当に俺は何をやっているんだろう。
確かにへたれだ。
自信なんて、簡単に持てるものならそりゃ持ちたい。
岡野が呆れたように綺麗に整えた眉を吊り上げる。

「なんですぐ謝る訳?」
「………俺が、周りの人、不快にすること、多かったし、なんか、申し訳ない気分になるんだよな」

昔から俺がいると、周りの空気を乱すことが多かった。
俺がいるせいで眉を顰める人もいた。
だから、つい申し訳なくて謝ってしまう癖が、ついてしまったのかもしれない。

「私には、意味なく謝るな。その方がムカつく」
「………うん、分かった」

岡野はやっぱり不機嫌そうにそれだけ言った。
確かに意味も分からず謝る方が失礼かもしれない。
それは、気をつけないといけない。

「ほら」
「え、なに?」

岡野が急にぐいっと俺の胸に何かを押し付けてくる。
すぐに手を離すから落ちそうになり、慌てて押しつけられたそれを拾い上げた。
それはブルーの包装紙に白いリボンの包み紙。
これは、まさか。

「チョコ………?」
「嫌なら捨てろ!返せ!」
「いや、言ってないし!」

奪い返そうとしてくる手から慌てて逃れて、身をひく。
どうやら、これは本当にチョコらしい。
しかし岡野は更に取り返そうと手を伸ばしてくる。

「いらないんだろ!」
「言ってねーって!欲しいよ!ください!ありがとう!」
「後でいらないっていっても知らないからな」
「だからいるってば!嬉しいよ!」
「うっさい!」

なんだ、なんで岡野はこんな攻撃的なんだ。
もしかして俺にあげたくなかったのだろうか。
いや、でもそれなら最初からくれないよな。
くれるつもりはあったんだと思うんだけど。
これは、怒っているんじゃないのだろうか。

「あ………」
「なんだよ!」

髪から覗く、岡野の耳が、赤くなっている。
いっつもまっすぐに俺を見つめてくる岡野が視線を逸らしている。
これは、つまり。

「もしかして、岡野、照れてる?」
「な」

指摘した途端、岡野の顔がみるみるうちに赤くなった。
慌てた表情は滅多に見れないもので、ドキドキする。
こんな表情もするんだな。
岡野のことを、また、一つ知れた。

「岡野って、照れると、怒るんだな」

顔を真っ赤にする岡野が、可愛くて仕方ない。
だからつい口から零れていた。

「かわいい」
「ふっざけんな、このヘタレ!」
「痛い!」

思い切り脛を蹴られた。
本気で痛くて蹲る。

「もう知るか!」

岡野はくるりと踵を返してずんずんと歩いて行ってしまう。
足を引きずりながら、慌ててその後ろを付いていく。

「お、岡野、待った!待って!」

なんとか岡野の腕を掴めて、引き留めることに成功する。
振り向いてくれないから、表情は分からない。

「岡野、ありがとう」

でも、耳が赤いから、聞いてくれているはず。
嫌がっては、いないよな。
多分嫌がっていたら手を振り払って、さっさといってしまうだろう。

「ありがとう、すごく、嬉しい」
「………ふん」

槇からのものも佐藤からのものも勿論嬉しい。
飛び跳ねたくなる程嬉しかった。
義理でもなんでも、俺のことを考えて、気持ちをくれたのが嬉しかった。

「嬉しい」

でも、岡野のチョコはこんなに、胸が詰まる。
なんでなんだろう。
何が、違うんだろう。
どっちも嬉しいのに。
こんなに嬉しいのに。

「こんなことで泣くな」
「………泣いてない」
「嘘つけ」

声が、少しだけ震えている。
でもまだ泣いてない。
嬉しいのに、泣くなんて変だ。

「この泣き虫」
「………うん」
「ばーか」

目尻から一粒だけ、涙がこぼれてしまう。
でも、岡野は振り返らないから、見られてはない。
ただ、岡野の腕がするりと俺の手から逃れて、空いた俺の手をぎゅっと握る。

岡野の手は、温かかった。





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