玄関を開けるとそこには誂えたようにお似合いな綺麗な男女が立っていた。 「お帰り、兄さん」 「お帰りなさい、三薙さん」 綺麗な顔をした弟、愛らしくかわいらしい弟の彼女。 顔立ちは天の方がきつめだし、栞ちゃんは全体的に眼以外は小作りだし、全然似通っていない。 でも、同じように艶やかな黒髪と深い黒の眼は、本当にセット売りの人形のようだ。 「あ、ただいま」 一瞬その非現実感にぼうっとしてしまって、我に返って慌てて帰宅の挨拶をする。 栞ちゃんは恒例のお遣いで家に来ていたようだ。 もう帰るところなのか、靴を履こうとしている。 「じゃあ、車用意してくるからちょっと待ってて」 「………うん」 「栞の言うことはなんでも聞いてあげたいけど、栞の安全に関しては栞の意志よりも優先するから」 「分かってるよ。そんな回りくどい言い方しなくても」 今日も送迎を遠慮しようとしていたらしい栞ちゃんに、天がなんともまどろっこしい説得をする。 ていうかこいつ本当によくそんな口が回るな。 俺には到底存在しないボキャブラリだ。 そのまま天は家の奥に車を手配しに行ってしまう。 「栞ちゃんもう帰るんだ」 「はい。しいちゃんの受験ももうすぐですし」 「………そっか」 そういえばそうだ。 もう来週だ。 本当に天が余裕すぎてつい忘れてしまいそうになる。 まあ、あいつのことだから落ちることはないだろうけど。 「三薙さん、チョコもらいました?」 玄関に上がると、栞ちゃんが悪戯っぽく笑って見上げてくる。 チョコという単語に心臓が跳ね上がる。 「あ、え、べ、別に岡野は義理チョコだし………」 「岡野さんから、なんて言ってないですよ?チョコ貰えたかって聞いただけで」 「………」 なんだかんだでこの子は天の彼女だよなあ。 あいつとやっていけるんだから手強いのは間違いない。 栞ちゃんが愛らしく手の平を合わせてにっこりと笑う。 そんな一つ一つの仕草が女の子らしくて本当にかわいいと思う。 「やっぱり貰えたんですね!よかった。ちょっと心配してたんですよ。三薙さんはここぞって時で押しが弱いから」 「いや、うん、まあ………」 年下の女の子にそんな心配されるっていうのもなんか切ない。 くすくすと栞ちゃんが笑う。 「ふふ、これぐらいにしておきますね」 「………そうしてください」 「でもちょうどよかった。しいちゃんに預けておこうかと思ったんですけど、私からもチョコです。岡野さんのチョコとは比べ物になりませんが」 そう言って、バッグからごそごそと取り出した可愛らしいベージュの包み紙を差し出してくる。 俺はありがたくそれを受け取った。 「ううん。いつもありがとう。栞ちゃんのおかげでバレンタインを毎年忘れないで済んだな」 「あはは」 栞ちゃんは笑っているけど、情けないが本当のことだ。 母さんはこういうイベントはしないし。 いや、母から貰うってのもそれはそれで哀しいけど。 身内しか選択肢ないって本当に侘しいな、俺。 兄達や弟は毎年大量に貰ってくるというのに。 「天にはもうあげたの?」 「勿論です。しいちゃんには手作りですよー」 自慢げに胸を張る栞ちゃん。 微笑ましくてつい頬が緩んでしまう。 「俺は手作りじゃないんだ」 「好きでもない女の子から手作りなんて重いでしょう?」 そういうものなのだろうか。 俺は女の子からの手作りなんて、なんでも喜んでしまいそうだ。 そこで栞ちゃんはちょっとだけ顔を曇らせる。 「まあ、しいちゃんにも重いかもしれないですけど」 「それはない」 断言できる。 四天は栞ちゃんからの贈り物なら例え道端の石でも喜ぶだろう。 「天は本当に、栞ちゃんのことだけは大事にしてるから」 思わずだけ、のところだけ強調してしまう。 いや、まあ、なんだかんだで力を貸してくれる奴っていうのは、最近分かってきたんだけど。 俺のコンプレックスから、余計に天が憎らしく見えていたのだろう。 天だって苦労していて、それでも自分の務めを果たして、そして周りのことにも気を配っている。 合理的な考えすぎて冷たく見えることもあるが、助けてくれる。 嫌みたらしくて皮肉げで偉そうな印象は全く変わることはないが。 「ふふ、本当にそうだと嬉しいんですけど」 「それしかないよ」 「しいちゃんは天の邪鬼だからなあ。そこもしいちゃんの可愛いところなんですけど」 嬉しそうに笑う栞ちゃんは、ほんとうに天が大好きだと伝わってくる。 しいちゃん、か。 そんな風に甘い声で呼ばれたら、あの冷血人間だってそりゃ陥落するだろう。 俺のことはそんな風に呼んでくれなかったな、栞ちゃん。 と、そこまで考えて思いだす。 「そういえば、昔ってさ、栞ちゃんがしいちゃんって呼ばれてなかったっけ」 昔は、確か栞ちゃんは、天のことをしいちゃんと呼んでいなかった気がする。 いつのまにかそう呼んでいたけど。 「あれ、覚えてたんですか?」 「うん、確か天だけ、そう呼んでた気がするんだけど」 小さな天が、年上のお姉さんである栞ちゃんをしいちゃんと呼んでいた気がする。 昔々、まだ天がひねくれていなかった頃。 そういえば、俺が栞ちゃんと遊ぶようになったのって、天が栞ちゃんと仲良くなった頃だったっけ。 最初に天が栞ちゃんに懐き、それで俺も遊ぶようになった。 あれ、その頃にはもう、天はかなりひねくれていた気もする。 まだ一応、一緒に遊びはしたけれど。 栞ちゃんがこくりと頷く。 「そうなんです。昔は私がしいちゃんでした。でも、今は四天君はしいちゃんです。小さい頃に取り換えっこしたんですよ」 「なんで?」 そこで栞ちゃんが首を傾げて、指を一本立てる。 「それは二人の秘密です」 「またか。ラブラブで何よりだね」 「勿論です!恋する女子高生は彼氏のことしか見えないんですから!」 握りこぶしの力説に、思わず苦笑してしまう。 確かに栞ちゃんは彼氏一筋だ。 「そうだね」 「勿論、男子高校生も、ですけどね」 「………」 からかうように言われて、言葉を失ってしまう。 本当に栞ちゃんは手強い。 「好きって素敵な感情ですよね。三薙さんも大事にしてくださいね」 「………うん」 温かくて、時に苦しくて、でも力を与えてくれる、とりとめがなくて強い感情。 好きという感情だけは、許されるはずだ。 想うことだけは、否定しなくて、いいはずだ。 「人を好きになるって気持ちは、多分、悪いものではないはずだから」 「………うん」 栞ちゃんが穏やかな顔で、諭すように言う。 俺の迷いを、知っているかのように。 その言葉に、少しだけ心の重しが軽くなる気がする。 「栞、行こう」 「あ、しいちゃん、ありがとう」 家の奥から天が微笑みながら現れる。 そして自然に栞ちゃんの手を取って、自分も靴を履いてしまう。 「お見送りしてくれるの?」 「家まで一緒にいさせて?」 「………受験生でしょ?」 「だから、かわいい彼女で少しくらい癒されないと病んでしまいそう」 「もう、またそう言うこと言って」 「恋する中学生も、彼女のことしか見えないんだよ」 「………もう!」 甘い。 甘すぎる。 砂どころか砂糖を吐く。 さっさと部屋に行こう。 「それじゃ栞ちゃん気をつけてね」 「はい、ありがとうございます。お邪魔しました」 そのまま逃げるように廊下を歩いていって、ふと振り返る。 ちょうど二人は手を取り合って出ていくところだった。 慕わしげに顔を見合せ笑っている。 そのまるで一枚の絵のように微笑ましい光景に、胸がツキンと痛くなる。 「………いいな」 大切に想う人がいるというだけで、こんなにも幸せだ。 だったら、想い想われる人がいるというのはどれだけ温かい気持ちになれるのだろう。 ノックをすると、部屋の中からはすぐに返事があった。 小さくドアを開けて、覗き込む。 「一兄、今平気?」 「ああ、どうした?」 長兄は帰って来たばかりだったらしく、まだワイシャツを着ていた。 襟もとのボタンを外しネクタイを緩めた姿は、少し疲れて見える。 「供給、してもらってもいいかな」 「勿論だ」 笑いながら手招きしてくれたので、小走りに一人の元へ走り寄る。 袖口のボタンをはずす兄は、本当に大人の男って感じでかっこいい。 そういえば一兄にも彼女って沢山いたよな。 どんな気持ちだったんだろう。 一兄が俺みたいに恋に浮かれたり悩む姿って、想像できないけど。 「どうした、何かあったか?」 「え」 「暗い顔をしている」 じっと顔を見ていると、一兄が俺の顔を興味深そうに覗き込んでくる。 昔から一兄には、隠し事が出来ない。 俯いて視線を逸らしながら、つい弱音を吐いてしまう。 「………俺って、今後、どうなるのかな」 「うん?」 俺は、二人に寄生して生きていくことで、普通の人間になれるのだろうか。 それともやっぱり、寄生して生きていく出来そこないのままなのだろうか。 「一兄か天に、力を貰って、それで普通に生きていけるのかな」 「少なくとも、今よりは力の減少は防げるはずだ。俺たちから離れることも出来る」 「………うん」 今の俺の行動範囲は、とても狭い。 家から離れることは出来ない。 「一人で遠くへ行くことも可能だ。負担と言う意味では今よりも俺もお前も、今よりは減るだろう」 「………そっか」 一兄は諭すように説明してくれるが、でも、それは俺が求めていた答えとは違う。 俺が一人で生きているか、については答えてくれていない。 それが一兄にも分かっているのだろう、宥めるように頭を撫でてくれる。 「正直どうなるかは、今の時点ではなんとも言えない。ただ言えることは、儀式をしなければお前は枯渇するということだけだ」 そうなのだ。 この儀式をすることでプラスになるとは限らない。 ただ、マイナスだけは防げるということなのだ。 一兄と天の負担を考えたら、トータルマイナスなのかもしれないけど。 「………遠くに、行けるか」 「ああ」 でも、とりあえず、遠くに行くことは出来るようになるのか。 例え普通じゃなくても、結局家から離れられなくても、今よりは遠くへ行ける。 それならきっと、今よりはいいはずだ。 「………海、行けるかな」 「海?」 「うん。海、見たいな。青い奴。南の島の海で、雲ひとつない青空の下の海」 写真集で見たような、双姉が見せてくれたような、昔誰かが話してくれたような、青い海。 それが見れるだろうか。 ちらりと一兄を見上げると、兄はふっと表情を和らげる。 「そういえば、お前はずっと海を見たがってたな」 「うん。海行きたいな。一兄と双兄と、それと天も。後、岡野とか藤吉とか、この前の時みたいに」 「それなら今でも出来るだろう」 「あ、そっか」 そうか兄弟がいるのならば、別に今でも行けるのか。 俺の間抜けな答えに、一兄が苦笑する。 「でも、そうだな。暖かくなったら、海へ行くか」 「え、本当!?」 一兄の言葉が嬉しくて、声が弾んでしまう。 大きな手が俺の頭をくしゃくしゃと掻きまわす。 「ああ。皆で行こう。お前達さえよければ」 「うん!あ、藤吉達がなんて言うか分からないけど、でも、行きたい!」 「ああ、お前の体調が落ち着いたら行こう」 儀式を終えて、力が枯渇する心配がなくなったら、もっと色々なことが出来るだろうか。 別に今でも常に供給をしてさえいれば、なんだって出来るのだけど。 でも、もっと、強くなれるだろうか。 誰かと一緒にいることを望むことも、出来るだろうか。 「………一兄は、本当に嫌じゃない?」 一兄は俺の顎を持ち上げて、視線を合わせる。 そして柔らかな表情で頷く。 「本当に嫌じゃない」 「ほんとのほんとに?」 「本当の本当に」 躊躇のない返事に、余計になんだか申し訳なくなってくる。 一兄はいつだってこうやって俺の我儘を聞いてくれる。 「………なんで」 「ん?」 「なんで、平気なの?」 常に力を奪われるというのは、一兄にとって辛くないのだろうか。 一生切り離せない重荷を背負うことを、受け入れられるのだろうか。 あんなことするなんて、嫌悪感はないのだろうか。 なんで、こんな穏やかでいられるのだろう。 「あ、あんなことして、一生の荷物を背負うのに」 「それも何度も言っただろう。俺は荷物だなんて思わない」 一兄はやっぱり優しく笑う。 そして、そっと屈んで額を合わせる。 「儀式は、俺の意志でもある」 「………」 すぐ傍にある、一兄の目はとても優しい。 じっと見ていると胸が痛くなって、目尻に涙が浮かんでくる。 胸が一杯で苦しい。 「あまり考えすぎるな。とりあえず今日はもう眠るといい」 「………うん」 一兄が額を離すと、呪を唱えながら俺を抱き上げてしまう。 数歩歩いてから、丁寧に布団の上に下ろしてくれる。 横たわった俺に屈みこみ、目尻の涙をそっと温かい舌で拭ってくれる。 「………ん」 濡れた感触にぞくりと背筋に寒気が走る。 粘膜が触れ合って、力が俺の中に入り込んでくる。 「ん………っ」 いつもよりも簡易な術なせいで、中々うまく回路が繋がらない。 わずかに注がれる力がもどかしくて、ぎゅっと一兄にしがみつく。 体から溢れる力を少しでも漏らさないように、ぴったりと体を合わせる。 「は、あ」 一兄が俺の額にそっと唇を落とす。 そこからも力が溢れて来て、じんわりと体が温かくなっていく。 「いちに、い………」 一兄の深い深い青い色に包まれていると安心出来る。 纏うお香の匂いは、無条件に眠くなってくる。 ずっとこうしていたくなる。 でも本当に一兄に甘えていいのか。 このまま、ずっと頼りきりでいいのだろうか。 ずっと自分を犠牲にして、俺を守ってくれている。 死にたくはない。 だから、二人のどちらかを選ぶ。 でも、なるべく二人の負担にはなりたくない。 「大丈夫だ、三薙」 一兄の体温は気持ちがいい。 眠気に襲われて、これ以上考えることが出来ない。 どうしたら、いいのだろう。 |