勢い余って、そのまま後ろに倒れ込む。
刀から溢れ出た蛇は、その隙に俺を取り囲もうと覆いかぶさってくる。

「く、そ!」

剣はさっき投げ捨ててしまった。
手にした刀で振り払おうとするが、俺を拒絶する刀はそんなこと許してはくれない。
いまだに抵抗を続け、逆に俺を飲み込もうとする。
どうすることもできないまま、蛇は俺の足に巻き付き、喰らいつくそうとくいこんでくる。

「ぐっ、くぅ!」

その手から逃げるように、身を捻って転げる。
不安定な龍の背の上。
龍の体が大きいとはいえ、それでもそこは広い道場という訳にはいかない。

「う、わ!」

背中にあった感触が消え、浮遊感に囚われる。
落ちる。

「くっ」

刀が手から零れ落ちる。
俺の中を焼きつくそうとしていた力が弱まる。
それでもいまだに残った力は暴れ回り苦しい。
駄目だ、このまま落ちるしかない。
何も出来ない。
目をぎゅっと瞑る。

「つっ」

その瞬間、手首が掴まれ、落下が止まる。
全体重が腕にかかり、肩に強い痛みが走る。
阿部に傷つけられた腕の傷が開いたような感触がした。
がくがくと勢いよく体が宙で揺れる。
痛みに顔を顰めながらも、なんとか目を開く。

「黒輝っ」

人型になった黒輝が俺の手首を掴み、俺の体が転げ落ちるのを引きとめていた。
その体には黒い蛇がいまだに巻き付いたままだ。

「く、黒輝、だ、じょうぶっ」
「動くな」

秀麗な顔に表情を浮かべないまま、黒輝は静かに言った。
そのまま手に力をこめ、俺を引っ張り上げようとするが、蛇が黒輝の手に絡みつき邪魔をする。

「………」

黒輝はわずかに眉を寄せながら、それらを手刀で振り払う。
けれど、片手には俺がぶら下がっているせいで、中々振り払い切れない。
数で勝る蛇が、黒輝と、そして俺に絡みついて離そうとしない。

「く、ろきっ」

このままでは黒輝ごと、落ちてしまう。
そんなのは嫌だ。
なら、どうすればいい。
この手を、離すのか。
下をちらりと見て、改めて背筋にぞっと寒気が走る。

いつのまにか、地面らしきものははるか遠くにある。
遠近感がうまく掴めないが、三階か四階ぐらいはありそうだ。
ここから落ちたら、どうなるか分からない。
一面の青の世界を地面と言っていいのか分からないし、地面と同じように身が打ちつけられるか分からない。
もしかしたら、落ちても痛みを感じないかもしれない。
だからといって、簡単に実験する気にはなれない。

でも、このままじゃ黒輝まで巻き添えにしてしまう。
この高さなら落ちても、死ぬことは、ないだろうか。
大丈夫だろうか。

「くろ、き………」

怖い。
落ちたくない。
でも、このままではどうにもならない。
なら、やるしかないだろうか。

るぉおおおおおお。

その時、辺りに、聞いたこともない音が響いた。
それは、なんとも表現できない音だった。
頭の中に直接響くような、低く高く長く短い、思考が痺れるような不思議な音。
ずっと聞いていたくなるような、心地よい音。
顔を巡らせて音の元を辿ると、龍が首を伸ばして鳴いていた。
音ではなく、声か。

るぉおおおおおお。

もう一度龍が鳴くと、俺たちの体に絡みついていた蛇が一瞬にしてじゅっと蒸発した。
体を拘束していたものが失われ、痛みが薄れ、呼吸が楽になる。
辺りの空気から、よどみがなくなる。

「わ」

大きく体が揺れたと思ったら、黒輝もろとも龍の背から放り出された。
龍が体を振り払い、落としたらしい。
と、気づいて怒りが沸くと同時に、ふわりと体が浮いた。

「な、何、泡?」
「そのようだな」

俺たちは気が付いたら、天が包まれていたものと同じような白い球体の中にいた。
白いとはいえ透過性はあるので、外は見える。
大きなシャボン玉の中に入っているような感覚だ。

俺の手首から手を離した黒輝が、バランスを整え球体の中で真っ直ぐに立つ。
俺はバランスが取れず、転がるように倒れ込んだままだ。
まだ体の中を苛む痛みもあり、立ち上がることは出来ない。

「何これ、龍が、やった?」
「ああ」

ふわりふわりとゆっくり球体は地面に向かって落下する。
どうやら龍が俺たちを無事に下ろすために入れてくれたようだ。
辺りにはもう、黒い蛇はいない。
刀を抜くことで、龍の力が復活することができたのだろうか。

しばらくしてそっと地面に下ろされ、泡ははじけて消えた。
本当にシャボン玉のようだ。

「は、あ」

両手を投げ出して、肺の中の空気を吐きだす。
痛みは消えていない。
随分抵抗が減っているが、じくじくじくじくと、体の中を焼かれようとしている。

「黒輝、終わった?」
「ああ。終わりだ」
「………そっか」

痛みは消えない。
でも、心が温かく満ち足りていく。
出来たんだ。
俺は、出来た。
俺が、やり遂げることが出来たんだ。

「天、は」
「今来る」

顔を上げると、天の泡もふわりふわりと下りてきていた。
相変わらず天は目を瞑ったまま、意識を取り戻していないようだ。
黒輝がその下に立ち、両手を広げる。
泡がはじけ、黒輝の腕の中に、とさっと音を立てて天の体が収まる。

「天、平気?」
「ああ、なんともない。意識を失っているだけだ」
「そ、っか」

それならよかった。
それならいい。
俺が天を助けることが出来たんだ。
守ることが出来たんだ。
胸に熱いものがこみあげてくる。
嬉しくて、叫び出してしまいそうだ。

天を守ることが出来た。

「儂はそろそろ消える」
「え」

身を浸す喜びにふけっていると、黒輝が静かに言う。
黒輝はそっと優しく天の体を俺の隣に下ろした。

「力が無くなる。そうすればお前を食らいつくす」
「あ、そっか」

黒輝は、天に貰った水晶で顕現していたのだ。
大分力を使っていたはずだ。
ここまでもったのが奇跡なぐらいだ。
俺の力ではただ存在させるだけでも難しい。

「黒輝、平気?」

かなり攻撃されていたはずだ。
人型の時は狼の時よりも、傷の様子などが分からない。
どれくらいダメージを負っているのが見えないので、余計に心配になる。
俺よりもずっと、大変だったはずだ。
俺の質問に黒輝は答えず、片方の眉を吊り上げただけだった。
返ってきたのは別の言葉。

「四天はじきに目を覚ます。それから龍が道を開くだろう」
「う、ん。黒輝は、あ」

もう一度大丈夫かと聞こうと思った瞬間、ふっと黒輝の姿は消えていた。
今まで長身の男性がいた場所には、水晶玉が一つ落ちている。
心配だが、どちらにせよ平気じゃないと言われても俺に出来ることはないかもしれない。
天の目が覚めたら、聞いてみよう。
黒輝は強い。
きっと、大丈夫。

「………天」

隣で眠る弟の人形めいた顔は、白さと硬質さを増しなんだか本当に人形のようだった。
天の白さに、少しだけもう目を覚まさないんじゃないかと怖くなる。
でも気持ちよく眠っているかのように、呼吸は規則正しく、表情も穏やかだ。
だから、大丈夫だ。

「天」

天は静かに目を瞑っている。
それなら、後は天が目が覚めるその時まで、この身の中で暴れる力を抑えつけていよう。

大丈夫。
もう、大丈夫だ。

俺でも、守ることが出来た。





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