「気づいてるぞ?」 そこで後ろから、凛とした声が響いた。 慌てて後ろを振り返ると、巫女装束の露子さんが困ったように頭を掻いていた。 湊さんは驚愕を表わしていたが、天は気づいていたのか表情を崩さない。 「そんなこと気にしていたのか。というかそんな思いつめていたのか」 「露子、姉さん」 「それにせっかく黙っていたのに、自分からばらしてたのか」 顔色をなくし唇を震わせる湊さんとは裏腹に、露子さんはいつも通り悪戯っぽく笑う。 「家なんてどうでもいいんだぞ?お前を縛る気はない」 「………っ」 湊さんが唇をきゅっと噛みしめる。 ああ、その言葉は決して湊さんに対して救いではない。 なら何が救いになるのかと言われれば難しい。 露子さんが露子さんである限り、湊さんが望むものは得られないのではないだろうか。 湊さんは、露子さんと一緒に同じように苦しんで、もがいて、心を分かち合いたいのではないだろうか。 対等との存在と思われない悔しさと寂しさは、よく分かる。 「と、言うのもまずいのか」 湊さんの態度に気付いたのか、露子さんがふっと息をつく。 腕を組んで悩ましげに首をひねる。 「でも本当に家なんてどうでもいいしな。どうしたものか。どうやったらお前の悩みを取り除いてやれるのかな」 「………姉さんにとって、僕はどうでもいい人間でしょう」 吐き捨てるようにいった湊さんに、露子さんは困惑した表情を見せる。 「人の心は難しいな。どうして私なんて気にするんだ。お前も智和も。私なんてそう大した人間でもないだろうに」 でも、天がこんなにつっかかる人は初めて見た。 自分でもよく嫌われると言っていたし、一部の人にはとても感情を波立たせる存在なのかもしれない。 俺としては、さばさばとしてかっこよくて、羨ましくて、ちょっと怖いといった印象なのだが。 「そういえばお前、よく智和に勝てたな。あいつ結構腕がたっただろう。いや、それ以上に龍神だな。よくたつみを刺せたな」 「………あれは、智和を、姉さんが殴り倒した後」 露子さんが殴り倒したのか。 「僕が様子を見に行ったら、智和が気づいて、襲いかかってきたから」 「何、あいつ、お前も押し倒そうとしたのか」 「違うよ!」 とんでもない発言に湊さんが慌てて首を横に振る。 だからなんでそうなるんだ。 ていうか智和さんに襲われそうになったというのは本当なんだな。 「それで、龍神が助けてくれて………」 「ちょっと待て、たつみの奴、私が襲われた時は水飛沫すら立てなかったぞ」 「………姉さんなら、一人でなんとか出来ると思ったんじゃないかな」 「か弱い婦女子になんて言い草だ」 露子さんが憮然とした表情で言い捨てる。 ていうかなんか怒るポイントとかが違う気がする。 露子さんと話していると、何がメインで話していたのかよく分からなくなってくる。 同じように困惑している湊さんに、話をずらした本人が先を促す。 「それで、龍神が助けてくれて?」 「えっと、それで、智和に気をとられてるところ、僕は、あの時、龍神をなんとかできないかって、止水、持ってたから」 助けてくれた龍神を、刺したということか。 龍神がちょっと気の毒な気がしてくる。 そしてそれで怒ってない龍神、心が本当に広いな。 荒神だったっていうのは真実なのか。 「なるほどな、では智和は?」 「龍神が、湖に帰った後、あいつ、怪我してて、混乱しててナイフで、切りつけてきたから」 「そういえばそんなもん持ってたな。取りあげておけばよかった」 「………それで」 「なるほど」 揉み合っているうちに、ナイフで刺したということなのだろうか。 そのまま、龍神の湖に落とし、邪気を産み出す原因となった。 止水で刺された龍神は自分で浄化することもできなく、村全体に邪気が溢れてしまった。 そういうことだろうか。 「まあ、お前が無事でよかった」 露子さんが近づいてきて、湊さんの頭をぽんぽんと撫でる。 湊さんはすっと一歩体を引く。 「そういえば最近暗かったな。さっさと言えばよかったのに」 「………龍神を刺したことを気づかれたら、露子姉さんは僕を憎むかもしれない。それが待ち遠しくて、でも怖くて、動けなかった」 「うーん」 露子さんは困ったようにやっぱり首を傾げる。 それから湊さんに微笑みかける。 「一応これでも、お前のことを私なりに愛してるんだ」 「………知っている。でも、姉さんは、犬や猫と同じように、好きなだけでしょう」 「そんなこと言われても、どうしろというんだ。やっぱり人に執着されるというのは難しいな」 「………」 湊さんが唇をもう一度きゅっと噛む。 目立つ訳ではないが綺麗に整った、よく似た面差しの姉と弟。 でもその表情は、まったく違う。 あり方も全く違う。 兄弟だからといって、在り方まで一緒になる訳ではない。 「そうだ。それなら湊、お前が教えてくれ」 黙り込んだ湊さんに、露子さんが名案を思いついたと言うように声を弾ませる。 湊さんがその言葉に俯いていた顔を上げる。 「え?」 「私が欠けているところをお前が補って教えてくれると助かる」 「なにを」 「そうすれば、私もより魅力的になってたつみの奴も私に改めて惚れるかもしれないしな」 驚いた表情の湊さんとは対照的に、露子さんは晴れ晴れと笑っている。 手を叩いて、うんうんと一人頷く。 「うん、いい考えだな。それでいい。一石二鳥じゃないか」 「勝手なことを………」 「ではどうしろというんだ。お前は代案もないのに我儘ばかりだな」 湊さんの当然の抗議に、露子さんは唇を尖らせる。 そんな様子は少しだけ子供ぽくて可愛らしい。 「………本当に露子姉さんは、楽天的だ」 「私に言わせれば、どうして皆がそんな悲観的に生きているのかが分からない」 「………」 「世の中は楽しいことばかりだ。人生は短い。楽しいことだけを考えて生きたいじゃないか」 露子さんが明るく眩しい笑顔を見せる。 そういえばこの前も、そんなこと言っていたっけ。 楽天的か。 そうなのかもしれない。 どこか大事なものが抜けおちている気もするんだけど。 「進んで暗くなる必要なんてないだろう。どうせ人一人が勝手に生きたって、そう世の中に影響することはない。まあ、人に余り迷惑かけない範囲で安心して好き勝手に生きればいい。湊ももっと広い世界を知れば、私へのコンプレックスなんかもすぐになくなるだろう」 「………」 湊さんと話していた時は重かった内容も、露子さんが話していると軽い内容に感じてくる。 何もかもが些細なことと感じてきてしまう。 人一人死んでるし、霧子さんと努さんは出奔してるし、龍神は弱っていたし、割と大変な事態だったはずなのに。 「こんな感じでどうかな」 「馬鹿馬鹿しくなってきた。どうせ、僕はあなたにはなれない」 「はは、そうそう。私も湊にはなれない。どうせ真面目に考えても不真面目に考えても、世の中馬鹿馬鹿しいで済むことばかりだ。その調子で肩の力を抜いて生きればいい。お前は少し真面目すぎる」 「………そうだね」 湊さんが諦めたように目を伏せて笑う。 苦しみは、軽減されたのだろうか、それとも増したのだろうか。 その表情からは窺い知れない。 露子さんの存在は、良くも悪くも刺激が強すぎる。 彼女のようには生きるのは、難しい。 「………露子さんは、強いですね」 「強い訳じゃない。どうにも、シリアスに考えるというのは苦手だ。皆、よく真剣に考える。偉いな」 俺のつぶやきに、露子さんは真面目な顔で眉を寄せる。 本当にそう思っているようだ。 そこで、ずっと黙っていた天が小さく笑う。 「あなたのこと嫌いですけど」 「おや残念だ」 露子さんは全く残念ではなさそうに肩をすくめた。 天は露子さんをまっすぐに見て言う。 「あなたの言うことは、少しだけ心地いい」 露子さんは天の言葉に、優しく笑う。 「四天さんが楽になれたら嬉しい。あなたも湊と同じで、真面目すぎる」 「あなたに比べれば誰でも真面目ですよ」 「不真面目結構。皆好きなように生きればいいさ」 湊さんが二人の会話を見て、ぼそりと零した。 「四天さんは、年下に思えないですね」 「う、うん」 ちくりとコンプレックスが刺激される。 何があろうと敵わなくて、対等と見てもらえなくて、悔しくて寂しくて哀しい気持ちはよく分かる。 俺にも、露子さんとは違う形で、超然とした弟がいる。 「四天さんも、何か苦しい思いをしているのかな」 でも露子さんと違うのは、痛みと苦しみを抱えていると、ちゃんと感じられるところだ。 最近気付いた、だけなのだけれど。 立見の地を後にして、志藤さんの運転する車で帰路につく。 結局丸く収まったのか収まってないのか分からない でも、俺たちに与えられていた仕事は終わった。 それ以上のことは、俺たちが関わるところではない。 これからあの地と龍神と姉弟がどうなるか、それは俺たちには預かり知らないことだ。 「なあ、天」 「何?」 後部座席に並んで座っていた弟に話しかける。 天はじっと外を見ていた。 「………お前もさ、何かから逃げたかったり、戦いたかったりするのか?」 「そうだね」 四天はちらりとこちらを見て笑う。 「受験生だし、仕事は大変だし、遊ぶ暇もないし、投げ出したくなることばかりだよ」 それだけ、なのか。 本当にそれだけなのだろうか。 最近少しだけ見える、天の抱えてる痛みのようなものは、なんなのだろう。 俺の気のせいなのだろうか。 「小さい頃からスパルタ教育で自由は少ないし甘えも許されなかったしね。その分お金はいっぱいもらったけど」 「………」 確かに天の教育は、俺なんかよりずっと厳しかった。 一兄と一緒に、次期当主としての心得や仕事を割り振られ、従わされていた。 完全に戦力外通告の俺とは違う。 「………俺なんて、甘えてばっかりで、お前から見たら、苛々するよな」 「まあ、行動に苛々するのは確かだけど、甘やかしは、兄さんじゃなくて周りがするものだから兄さんに責任はないんじゃない?」 でも、それを受け入れたのは、俺だ。 一兄や天が厳しく教育を受けている間は、俺は兄弟達に甘やかされていた。 「でも、俺は湊さんみたいに不平不満を零しつつ、能動的に動かず待つだけにもなりたくないかな」 天は窓の外に視線を移して、そんなことを言う。 何か逃げたかったり、立ち向かったりしたいことが、あるのか。 「待つだけじゃない?」 「どうせなら、この手で道を切り開いていきたい」 そこで楽しそうにくすくすと笑う。 「どうせ俺一人が好き勝手しただけで、そこまで影響はない。その通りだね。だったら、楽しく生きていきたいな」 露子さんの言葉が耳に心地いいって言っていたっけ。 好き勝手にして戦って、得たい何かがあるのだろうか。 聞いても多分はぐらかされるだけだよな。 知りたい、けれど。 「………俺が、何か出来ることがあったら、言ってくれよ」 「それはどうも」 天がこちらを見て、ちらりと笑う。 運転席では志藤さんがバックミラー越しになんだかハラハラした様子でこっちを見ていた。 喧嘩がしたい訳じゃない。 なんだかんだで俺を助けてくれるお前の、俺も助けになりたい。 それは本当だ。 喧嘩なんて、したい訳じゃないんだ。 「俺は、お前に甘えるだけじゃないか?お前の寄りかかるだけになってないか?」 天は首を横に振った。 「大丈夫だよ。兄さんの存在に助けられることもあるから」 「………そっか」 天は嘘はつかない。 俺にお世辞なんて言わない。 だったら、これは本当のことだ。 でも、俺は天に甘えている。 これ以上甘えていいのだろうか。 年下の、まだ大人には程遠い少年にこれ以上寄りかかっていいのだろうか。 分からない。 どうして悲観的に考えるか分からない、か。 どうしたら、楽天的に考えることが出来るのだろう。 |