一面に広がる青い景色に、思わず目を奪われて突っ立ってしまう。 ぼうっとしていると、おっとりとした声が横から聞こえてきた。 「ようこそ、おいでくださいました」 驚いて声の方を見ると、そこには綺麗な和服姿の中年女性が立っていた。 白髪交じりの髪を結いあげた、清楚な印象の、露子さんによく似た面差しの女性だ。 お母さんか、だろうか。 「こちらは立見家前代当主、立見水魚子(みおこ)。私の父の姉。伯母にあたります」 露子さんが水魚子さんと呼ばれた人と俺たちの間に立ち、紹介してくれる。 前代当主か。 引退するにしてはまだまだ若い年じゃないだろうか。 父さんよりも若く見える。 「水魚子伯母さん、こちらが宮守の三薙さんと四天さん、そして志藤さんです」 「いらっしゃいませ。宮守の皆さま」 水魚子さんが礼儀正しく深々と頭を下げるので、俺たちも応えて頭を下げる。 「この度はお世話になります」 「よろしくお願いいたします」 「こちらこそ、宮守の方にはご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞよろしくお願いいたします」 水魚子さんは穏やかに笑って、もう一度頭を下げた。 それを見届けて、露子さんが着席を促してくれる。 だだっぴろい空間の中、湖に対峙するようにして用意された座布団に座りこむ。 しばらくすると、お手伝いさんらしき人がお茶を持ってきてくれた。 それを啜って一息ついたところで、俺たちの斜め前に位置して座った露子さんが切りだす。 水魚子さんも、露子さんの隣に座っているから、不思議な座り方だ。 正面に向かい合って話すのではなく、対峙しているのは湖だ。 「では、今回皆様をお呼びした道切り行事についてお話したいと思いますが、よろしいでしょうか」 「はい。お願いいたします」 四天が静かに返すと、露子さんは一つ頷いた。 やっぱり切れ長の目が涼やかな、和風美人だ。 「来る時に注連縄をご覧になりましたでしょうか」 「はい、境を遮る注連縄。あれは蛇を模したものでしょうか」 「たつみの道切りは蛇ではなく龍となります」 露子さんが少しだけ楽しそうに笑う。 道切りによくある、集落の出入り口に張り巡らされた注連縄。 たつみの入り口にも太い藁と、それにぶら下がる人型が目についた。 蛇を模した注連縄かとかと思っていたのだが、あれは龍だったのか。 「古来から道切りによって外からの邪気を防ぎ、年始には張り直し、邪気祓いを行い、溜まった邪気も外に吐き出します。そうしてたつみの清浄性は保たれていた」 しかし清浄と言うには、やや邪気が強くなっていた気がした。 露子さんがちらりと湖に視線をおくる。 「飲み込めなくなった邪気は湖が受け取ってくれて、奥底に沈めてあります」 「湖に、ですか?」 「ええ、捨邪地が湖となっているようなものです。湖の奥底に邪気を封印してもらっている。深く深く沈み込み、上がってくることはありません。そして年に一度それを吐きだす」 そこで露子さんが恥ずかしそうに、ぽりぽりと頬を掻く。 清楚で大人しそうなイメージの人だが、口調はぶっきらぼうだしどこかコミカルな動きをする。 「恥ずかしながら私の姉、霧子が出奔した際に、この湖を汚す事態が発生しました。その上、出ていく際に、境を破ったことで外からの瘴気も舞い込みました」 「湖が汚れる事態とは?」 天の質問に、ますます露子さんが困ったように苦笑いをする。 「姉を巡って二人の男が争い、刃傷沙汰を起こし、湖に血が流れました」 お姉さん、何をやっているんだ。 今の流れから聞いていると、相当とんでもないお姉さんのように聞こえる。 「それだけでも湖の怒りを買っても仕方ないところなのに、更には境破り」 男が二人お姉さんを巡って争って、血が流れて湖を汚して、そのどちらかと逃げて、その上その際に結界を破って行ったと。 露子さんの困ったような諦めたような笑い方に、同情してしまう。 「そして何より、姉の出奔」 確かに、お姉さんが逃げ出したことで、色々まずい事態になっているようだ。 そんなことを思っていると、露子さんが表情を改めて、誇らしげに笑った。 「たつみは、いまでは仮名で表現しますが、昔は龍の湖と書きました。それでたつみ。この湖もたつみ湖ではなく、ただのたつみ、でした」 龍の湖、龍湖と書いて、たつみ、か。 そんな風に読むんだな。 頭の中で実際に書いてみると、なんだかこの神々しい湖にぴったりの名前だ。 「勿論私達の立見、もそこから来ています」 たつみ、立見、龍湖。 管理者の家は、その姓が家のあり方を象徴しているところも少なくない。 「前代の当主は伯母である水魚子。そして次は姉。その代わりが私」 「女系の当主、なんですか」 水魚子さんの弟が、露子さんのお父さんってことは、男性も生まれていたはずだ。 それなのに水魚子さんが当主ということは、女系か長子相続なのだろう。 「ええ、立見の当主は代々女で未婚となります」 俺の質問に、露子さんがにっこりと笑う。 「私達は龍の花嫁となるべく定められた家系」 露子さんが胸に手をあて、やや誇らしげに胸を張る。 龍の花嫁、というのはどういうことなのだろう。 龍の湖とかいて、たつみ。 「てことで」 考えていると、露子さんが悪戯っぽく笑った。 「現在うちの守り神の龍神が嫁に逃げられて怒り狂ってまして。新しく嫁を捧げるので、その手伝いをしてほしいんです」 龍の湖と書いて、たつみ。 龍の花嫁となるべき家系。 前面に広がる、澄み渡った湖。 ここは、龍を祀っている、たつみ。 |