「遅かったね。またどこかで、なんかに巻き込まれてるのかと思った。兄さんはただでさえトラブルに遭遇するんだから、あんまりふらふらしないで」
「…………」

帰った途端迎えた嫌みに、黙りこむ。
確かにトラブルに巻き込まれたし、気分のリフレッシュなんて全然できなかった。
天の言うとおりだから黙り込むしかないが、こいつももっと、なんか言い方とかないのか。
だから、嫌いなんだ。

「………明日、仕事だから、もう寝る」
「その方が、俺も助かるよ」

むかつくむかつくむかつく。
苛立ちを押さえながら、俺は寝支度をはじめる。

「それにしても、仕事なんて覚えてどうするの?」

ふと、四天は不思議そうに聞いてきた。
その心からの疑問、と言った様子に、一気に怒りに感情が染まる。

「どうするって、馬鹿にしてんのか!?」
「なんでそうなるの?本当に卑屈だなあ。だって、兄さんは別に仕事しなくてもいいのに、どうしてわざわざ面倒なことするの?」

天の圧倒的な力に、嫉妬する。
その上で、奢らず努力することができる才能が嫌いだ。
ぶれない冷静な判断ができる、理知的な性格が苦手だ。

そして、なによりこの傲慢さが、憎い。

「俺は、仕事をしたいんだよ!強く、なりたいんだよ!」
「兄さんは力の質がそもそも根本的に俺達とは違うから、俺達と一緒にはなれないよ」

淡々と事実を告げる四天の言葉に、体温が上がる。

「うるさい!そんなの分かってる!!」

思わず弟の就寝用の浴衣の襟に掴みかかる。
そんなの分かってる。
どう頑張っても、一兄や双兄、四天のようになることはできない。
俺には、無理なんだ。
俺の力の質では、どう足掻いても無理だ。
俺には、力を作り出すことはできない。
ただ消費することしかできない、役立たずだ。

「兄さんは強くなる必要も仕事をする必要もないんだから、素直に学生生活を楽しめばいいのに」

襟を掴み上げても、天は動揺することなくただ事実を告げる。
嘲笑うでもない、憐れむのでもない、ただ、当然の事実のこととして。
悔しさに感情が昂ぶり過ぎて、目尻に涙が滲む。

「………お前になんて、分からない!」

振り払うように乱暴に手を離し、俺は自分の布団に潜り込んだ。
天と一緒の部屋にもいたくないぐらいだったが、どこにも居場所はない。
ここでまた出ていくなんて、馬鹿な真似はもうしたくない。

悔しい悔しい悔しい。
なんで、こんな奴ばっかり。
こいつが嫌いだ。
大嫌いだ。

それでもこんな奴に頼らなきゃ生活もろくにできない自分が嫌いだ。
自分の脆弱な力が疎ましい。

「兄さんは、強くなる必要はないんだよ」

後ろから天の冷たく大きな手が、額にあてられる。
振り払おうとしたが、その前に呪が唱えられる。
急速に、意識が黒く染まっていく。

意識が完全に消える前に、何かを言われた気がした。



***




次の日は、早く寝たせいか朝の6時には目が覚めてしまった。
天に呪をかけられたせいか、深く眠り疲れはとれている。
くそ。
起きた瞬間、昨日の怒りが蘇ってくる。

あいつは、どうしてこんなにも人の心が分からないんだろう。
時折、恐怖すら感じるほどに感情に鈍感だ。
正直、自分の弟と、思えない時がある。

隣を見ると、天はまだ寝ていた。
真っ直ぐ上を向いて、死んだように寝息一つ立てていない。
浴衣に乱れもなく、お行儀よく寝ている。
長いまつげに、通った鼻筋、意志の強そうな眉。
そういえば、天の寝顔をこんな間近で見るのは初めてかもしれない。
やっぱり整った顔をしている。
それすらも、空恐ろしい。

なんで同じ兄弟でこうも違うものか。
外身も、中身も。
こいつさえいなければ。
こいつさえいなければ俺だってこんなにもコンプレックスに捕らわれなかった。

駄目だ。
負の感情に支配されるな。
落ち着け。
こいつが空気読めないのなんていつものことだ。
そうだ、読む気がないからしょうがない。
同じ感情を持つ人間だと思ったら駄目だ。
こいつは冷血人間。
英語で言うとコールドブラッドだ。
ザ、コールドブラッド。
うん、そう言うとちょっとロボットぽくて、なんかしょうがないって気になる。
よし、前向きになった。

夜はやっぱり、気分が落ちる。
朝は少し、前向きになる。

いいんだ、たとえ虚勢でも、負の感情に覆われるより、マシだ。

もう一度天の顔を見る。
先ほどの黒い感情は、湧いてこなかった。

整った顔は、いつもよりはあどけなく感じる。
一兄も双兄もかっこいいんだよな。
一兄は男らしい!って言いきってしまえるかっこよさがある。
双兄は、男の色気って感じで、なんかエロイ。
二人とも背が高いし。
四天はなんだか性別を感じさせない綺麗さがある。
本当に天使のように。

どちらかというと一兄と四天が父さん似で、双兄と俺が母さん似。
でも、みんなかっこいいのに、俺だけ超地味。
別に悪かないと思うけど、とりあえず地味。
なんだろう、何がいけないんだ。
やっぱり髪染めようかな。
体もっと鍛えたり。
ムキムキになって、髪を茶髪にして、ピアスとか開けたらどうだろう。
筋肉付きづらいんだけどさ。

溜息をつく。
なんかまた落ち込みそうになってきたので、気分を変えることにした。
まだ、時間はある。
どうしよう、散歩にでもいこうかな。

と。

くらりと、眩暈がする。
ぞわりと一瞬鳥肌がたった。
なんだ、今の気持ち悪いの。
何か、違和感。

「………何か、今」
「あ、起きたのか?」

隣から声がして、俺はそちらを振り向く。
天が頭を押さえながら半身を起していた。

「うん」
「なんか今変だったよな。でもなんともないな。気のせいかな」
「…………かな」

天は寝起きのだるさを払うように頭を軽くふる。
二人で意識を研ぎ澄ませる。
天の張った結界の外、東条の結界が家を取り囲んでいる。
その中の気配に、一瞬乱れがあった気がした。
だが、今はもう静まり返っている。

「何も、感じないな」
「………そうだね」

天がもう一度大きく頭をふって、布団をのけた。
時計を見て、一度大きく伸びをする。

「着替えて、準備しようか。7時には朝食用意してくれてるって言ってたから」
「うん」
「頑張ってね。初仕事」
「………プレッシャーかけるな」

二人で簡単に着替えて、食堂へ向かう。
夜の間はとても涼しかったが、今日も蒸し暑くなりそうだ。
空気がむっとしている。

廊下を歩いていると、和服を少し乱した由紀子さんがパタパタと足音を立てて駆け寄ってきた。
その表情は、今日も険しい。
昨日のこと思い出して、なんとなく気まずくて目を逸らす。

「………あの、雛子を見ませんでしたか?」
「え、昨日の花畑から見てないですけど」
「………そうですか」

驚いて視線を戻すと、由紀子さんは更に表情を暗くしていた。
俺と天は顔を見合わせた。
恐る恐る聞いてみる。

「………いないんですか?」

今はまだ7時前だ。
この時間からあの年頃の子どもがいないというのは、かなり問題じゃないだろうか。
だが由紀子さんはかすかに笑顔を作ってかぶりを振った。

「ああ、すいません。あの子がいなくなるのはよくあることなので大丈夫です。もうすぐ祓いもあります。どうぞご用意してください。失礼しました」
「あ、はい」

何かを聞く隙を与えず、由紀子さんはまたパタパタと廊下の向こうへ行ってしまった。
大丈夫、と言われても、なんだか不安になってしまう。
由紀子さんが消えていった方向を見ながら、天に問う。

「大丈夫かな、雛子ちゃん」
「さあ」
「相変わらず冷たい奴だな、お前」

帰ってきた冷たい答えに鼻白む。
人間として、もっと温かい答え方もあるだろ。
本当にこいつはコールドブラッドだ。

「よくあることって言ってたでしょ。それより、そっちに気を取られて失敗とかしないでね」
「………分かってるよ」

天のもっともな言葉に、俺はムカムカしながら頷いた。



***




予定通り、本殿の北に位置する一の社から、祓いを行うことになった。
力に満ちているから今ではよく分かる。
村中が邪に満ちてざわついている。
神域のはずの社に、嫌な気配が溢れかえっている。
ていうかこれに気付かないとか、俺やばい。
そりゃ、あんな化け物も出てきちゃうよ。
これは確かに早急に祓わなければいけない。

俺達は行水をおこない、塩を含み、簡易に体を清め、白い舞用の狩衣に身を包んでいた。
家から送っておいた鈷を持ち、天は真剣を持つ。

ちぐはぐな格好を見て、相変わらず宮守の術式はかなりフリーダムだと思う。
一応型はあるし、呪言も呪具も型にはまったものがある。
だが自分が使いやすいものを使っていいし、呪言もいくらでもアレンジ可能。
要は集中が出来ればいいのだ。
型には意味があるし、基本だから覚えなければアレンジはできないが。
基礎を覚えずに応用は不可能。
後はいちいちアレンジするのも面倒なものはそのまま使ったりする。

呪具も、俺は鈷が使いやすくて、天は真剣や懐剣などの刃物を好む。
危ないやつ。
まあ、父さんも一兄も真剣だから、ああいう力の持ち主にはあっちが楽なのかも。

俺の、力を色でイメージするやり方も、別に宮守のやり方って訳ではない。
一度天にどう使っているかと聞いたら、何も考えてないと言われた。
使いたいと思ったら使える、と。
くそ。
だから、あいつは嫌いだ。
才能のいう奴は、すべての努力を無為にする。
更に天才ってやつは、その上に努力を重ねるからタチが悪い。

だめだ、頭を切り替えろ。
今は、仕事だ。

婆ちゃんと啓司さんと俺が立ち会う中、四天は社の前に跪き、剣を前に置き一礼する。
それだけで、みるみるうちに空気が張り詰める。
呼吸すら気を使うような、緊迫した空気。

「これより、追儺の儀を執り行います。かしこみかしこみ奉り申す」

パン!

音を立てて柏手を一つ。
その瞬間に白い力が、四天を中心として四方に放たれる。
強風に吹かれたような衝撃に、思わず目をつぶる。

目を開けると、ざわついていた邪が、あっという間に静かになっていた。
たった一回の祓いで、周辺の邪は軒並み吹っ飛ばされている。
インチキすぎる力に、羨望を通り越して呆れの感情すら湧いてくる。
本当に、化け物が。

四天は優雅に立つと、剣を持ち剣舞を舞い始める。
長くて重い真剣を軽々と振り回し、指先まで優美に、四天は舞う。
くるくると回る度に、邪で荒らされていた地が静まっていく。
足で踏みしめるたびに、地に力が甦る。
白い力が、周囲に満ちる。
馴染んだ心地よい空気に、心が穏やかになる。
まるで俺が供給を受けている時のように、地が歓喜に酔っているのが、わかる気がする。
気持ちよさに、頭の中まで四天の力で埋め尽くされる感覚。
婆ちゃんと啓司さんも同じだったようで、惚けた顔をして四天を見ている。
いや、見とれている。

邪を祓い、地を静め、空気を清め、妖しいものが入ってこれないように白い力で満たす。
剣が空気を切る音も、衣擦れの音も、まるで美しい音楽のようで。
ただ俺達はそれに見とれる。

どれくらいそうしていただろう。
舞を終え、天が再び膝をつき社に頭を下げる。
そして最後にもう一度柏手を一つ。

パン!

そこで、夢から覚めたように俺達は意識を現実に引き戻される。
天はさっと立ち上がって振り返り、俺達に礼を一つ。

「一の社の祓い、これにて完了いたしました」

一瞬の後、婆ちゃんが思わずと言ったように手を叩く。
少し興奮したように顔を上気させ、天をほめたたえる。

「素晴らしい舞でございました。先の祭りの際には現ご当主に来ていただきましたが、それにも勝るとも劣らぬ美しい舞でした」
「恐れ多いお言葉です」

………俺、この後にやるのか。
先にやればよかった。
初仕事な上にかなりハードルを上げられ、どんよりと心が重くなった。





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