そのまま、女性とは思えない力で、部屋から引っ張り出される。 俺は廊下に転がり出て、まだ痛みの残る背をもう一度打つ。 「っつ」 「なかなか出てきてくださらないからどうしようかと思いました」 「な、に。何が、一体………」 腕を掴まれたまま、廊下を引きずられる。 痛い。 腕が抜けそうだ。 昨日打った肩が、ズキズキ痛む。 浴衣が擦れて、切り傷の痛みが甦る。 白い手を振り払おうとして、力を込める。 すると、こめかみに衝撃を受けて目の前が真っ赤に染まった。 「………っ」 「大人しくしておいてください。まだ殺す訳にはいかないんです」 目の前が生理的な涙で滲む。 クラクラと揺れる脳で上を見上げると由紀子さんは懐剣を持っていた。 あれの柄で殴られたようだ。 頭が痛み、熱でだるさの残る体は、体が言うことを聞かない。 「あなたと二人きりになりたくても、中々機会がなくて。いつもは四天さんと一緒にいらっしゃるし、一人になったと思っても、四天さんの使鬼がいらっしゃるし」 由紀子さんが俺を無造作に引きずりながら、ぶつぶつと忌々しそうに呟いている。 俺は確かに身長もないが、それでも男だ、重くない訳ない。 さすがに汗をかき、髪を振り乱して、それでも由紀子さんは俺を引きずる。 「部屋には結界が張ってるし、本当にあなたと違って四天さんは抜かりないこと」 結界。 そうだあの部屋には、四天が張った結界があった。 だから、由紀子さんは俺を執拗に部屋から出そうとしたのか。 『この部屋から絶対に出ないでね』 そう、言い置いていった四天の言葉が脳裏に蘇る。 俺はまた、ドジを踏んだのか。 結界は基本的に邪をはじくために使われる。 そして、害意に結界は反応する。 結界内の人物に、害意を抱く人間を中に入れない。 まして四天が張った結界だ、その効果は抜群だったはずだ。 「早くしなくちゃ。お母様に見つかったら邪魔されちゃうわ。今しかないの。今しかないのよ」 由紀子さんは何かに追われているように、焦った様子で足を速める。 その眼は俺を見ていない。 その言葉は俺に向けられていない。 「俺を、何を………」 「望じゃ、駄目だったの。望じゃ、やっぱり駄目だったんです」 「望君!?」 痛みも何もかも忘れて、身じろぎする。 すでに腕は痺れてきていて、何も感じなくなっている。 「せっかくワラシモリに捧げたのに、駄目だったんです。あの子にはやっぱり才能がなかった」 「捧げ、る、って、望君は………もしかして……あなたが………」 小さな体が血まみれになって、ぐしゃぐしゃになっている。 あんな子を、あんな風にしたのは、この人なのか。 そんなバカな。 けれど由紀子さんは否定しない。 ただ、あの子は駄目だったと繰り返すばかり。 「望君は、あなたの、甥でしょうっ」 食卓で、張りつめた空気を和らげてくれた無邪気な男の子。 あんな子をあんな姿にする理由が、どこにあるって言うんだ。 そんな権利、誰にもない。 「本当、可哀そうなことをしたわ。最初からあなたにすればよかった。あなたにはなかなか手を出せなかったから、あの子にしたんだけど、無駄だったわ」 「無駄って………っ!」 どうでもよさそうに由紀子さんは、望君のことをそう切り捨てる。 やるせない怒りでいっぱいになって、唇を噛みしめる。 「宮守家の人をどうこうするのは、気が進まないんですけど、しょうがないわ。時間がないの。時間がないわ」 なんの、時間がないんだ。 聞いている余裕はない。 でも、このままじゃだめだ。 この人を、止めなきゃ。 この人を、このままにしておきたくない。 望君に死にもたらした人を、このままにしておけない。 なにより、俺は死にたくない。 この人からは死の匂いがする。 「っく」 体は言うことを聞かない。 でも力は、フルで残っている。 四天が残していてくれた。 人に使うのは基本的に禁じられているけれど、そんなこと言っている場合じゃない。 朦朧とする頭で、力を煉る。 集中はなかなかできないし、呪も唱えられないけど、力がフルだから使いやすい。 怪我はさせたくない。 いつものように加減するのが難しいけれど、ある程度弱めて力を放つ。 けれど。 パシリ。 乾いた音がして、力がはじかれた。 何が起こったか分からなくて、集中が途切れる。 由紀子さんが振り向いて、くすくすと笑う。 馬鹿にしたように。 「宮守家の人ほどの力はないけど、私だってこれくらいはできるんですよ。あなたは力が弱いみたいだし」 くそ。 どうやら、何か術をかけているようだ。 そりゃ、そうか。 それくらいの備えはしてあるか。 仮にもこの地の管理者の一族だ。 どうしよう。 どうしたらいいんだ。 東条家の人は祭で、皆出払っている。 使用人はいるはずなのに、これだけ騒いでも誰も出てこない。 由紀子さんが人払いをしたのか。 どうしたらいい。 どうしたらいいんだ。 なぜ、こんなことを。 由紀子さんはなぜ俺を。 なぜ、望君を。 由紀子さんは縁側まで来ると疲れたように、一度動きを止める。 上がった呼吸を整えるように、何度も深呼吸をする。 額にびっしりと浮かぶ汗を拭って、溜息をつく。 辛そうだ。 俺も体中が痛い。 特に腕はしびれきって、動かすことができない。 「もう少しです。家の外に出れば、ワラシモリはどこにでも現れる。あなたなら、きっと気に入ってもらえる」 ワラシモリに捧げる。 さっきも、そんなこと言っていた。 「ワラシ、モリ………?」 「大丈夫、あなたならきっとワラシになれるわ。大丈夫」 自分に言い聞かせるように何度も何度も大丈夫と口にする由紀子さん。 なんのことだ。 ワラシモリ、あいつは何を考えているんだ。 やっぱりあいつが何か企んでいるのか。 あれ、ちょっと待った。 そうだ、何か引っかかった。 えっと。 考えがまとまるまえに、由紀子さんが俺を転がすようにして縁側から外に放り出す。 受け身をとることもできず体全身が打ちつけらる。 頭だけは浮かして、なんとか守った。 「つぅっ!!」 声もでない。 涙が滲んでくる。 痛い。 「さあ、後少しです」 由紀子さんも裸足のまま庭に降り立つ。 小石とかが転がってて痛いだろうに、気付かないように再度俺の腕を掴む。 肩で息をしながら、それでも諦める様子はない。 体中が擦れる。 浴衣はもうボロボロだ。 泥と血にまみれている。 包帯もほどけて傷がむき出しになっている。 痛い。 痛い。 もう嫌だ痛い。 なんでこんな目に。 いやだ、痛い。 助けて。 誰か助けて。 なんだっけ。 何を考えていたんだっけ。 もうなんでもいい。 いや、だめだ。 なんだっけ。 何を考えていたんだ。 「あなたなら、ワラシになれるわ。そうよ。ワラシモリもあなたならいいわ」 由紀子さんが、まだ一人でぶつぶつと呟いている。 ああ、そうだ。 さっきの言葉。 『家の外に出たら、ワラシモリがどこにでも現れる』 この家だ。 この地を隅々まで知る土地神のワラシモリが知らない場所。 力の及ばない場所。 それは結界で守られた、この家だ。 この家しかない。 つまり。 「ひ、なこちゃんは………」 ぴくりと、由紀子さんが体の動きを止める。 何も見ていない眼で、俺を振り返る。 あまり美人とは思わなかった人だけど、なぜか今が一番綺麗に感じた。 無表情に俺を冷たく見下ろしている。 「ひなこちゃんは、この、家に、いる、の?」 一瞬だけ赤い唇が震えた気がした。 でも、何も答えずに由紀子さんがまた俺を引きずり始める。 雛子ちゃんは、ここにいるのか。 無事なのか。 でももう由紀子さんは振り返らない。 何も話さない。 俺はこのまま、どうなるんだろう。 痛い。 いやだ。 助けて。 誰か助けて。 一兄。 双兄。 助けて。 助けて。 |