新幹線から途中で特急列車に乗り換えて、更に2時間。 窓から見える景色はすっかり緑一色だ。 階段のようになっている畑や、時折現れる川、小さな民家などが見えて、続く景色にいつまでも見飽きなかった。 こういうのは、初めてだ。 ぶっちゃけ、列車に乗るだけでわくわくしている。 家族旅行なんて行く家庭じゃなかったし、修学旅行関係も行けなかった。 仕事をすることもなかった俺は、県外に出るのが初めてで子供のように小さくはしゃいでいた。 「気がすすまないなあ」 しかしそれに水を差す退屈そうな声が隣から聞こえてくる。 俺より1センチほど背の高い弟が、通路側の座席で立てた腕に頬をおき、つまらなそうに溜息をつく。 「全く、こんな田舎にお仕事なんてね、それも兄さんと一緒」 「………悪かったな」 内心ムカムカしていたが、ギリギリで噛みつくのはやめておいた。 これから二人でしばらくやっていかなきゃいけない。 最初からギスギスはしたくない。 仕方ないから俺が大人になって、天のいけすかない態度も気にしないでやる。 「当主様のご命令なら、仕方ないけどね」 「四天」 「はいはい、もう文句は言いません。それに兄さんの、初仕事だしね」 そうなのだ。 今回は俺の初仕事。 今まで管理地の簡単な祓いぐらいならやったことがあるが、ちゃんとした仕事として当主の命令をもらったのは初めてだ。 俺の浮き立つ心は、初仕事ということの気負いもある。 今まで兄弟が皆、仕事をこなしているのをただ見ていた。 そのたびに何もできない自分が、歯がゆかった。 ようやく俺も、宮守の人間として仕事をすることができるのだ。 「張り切るのはいいけど、余計な行動はしないでね。俺の目の届く場所にいてね」 「………分かってるよ」 「本当かなあ」 「うるせーな!そこまで馬鹿じゃねーよ!」 いちいち水を差す天に、とうとう怒鳴りつけてしまう。 確かに天にとっては、ただのお荷物を押しつけられた形だ。 天は俺のお目付け役。 指導しろと、父さんから命令もされている。 もう何もかも面倒なのだろう。 大分前から一人で仕事をこなしている天にとっては、俺なんていない方が楽だ。 それは分かってはいるものの、やっぱり腹が立つ。 「信じるからね、その言葉」 完全に信じきってない態度で、生意気な弟はそのまま座席に体を沈みこませた。 長い睫に縁取られた眼を閉じて、そのまま黙ってしまう。 寝るのか。 やっていけるのかな、こいつと、しばらくの間二人で。 ………無理かも。 何気なく天の顔を見る。 目を閉じている天は、いつもより幼く見えた。 「一矢兄さんが、父さんに言ったらしいよ。兄さんに仕事に与えろって」 その時、もう眠るのかと思っていた天が目を開けないままぽつりと漏らす。 内容にも、急に話しだしたことにも驚いて、声が上ずる。 「え、一兄が?」 「全く、何考えてるんだか」 忌々しげに吐き捨て、また天は口を閉ざした。 しばらくまた何かを話すのかと待ったが、今度は本当に眠るようだ。 「………どうせ、俺は何もできない役立たずだよ」 俺はなんとなくもやもやとしたまま、また外に視線を移した。 先ほどまでの晴れやかな気分は、真っ黒に塗りつぶされていた。 『三薙、お前にも仕事を頼みたい』 『え、お、俺に、仕事、ですか』 『ああ、難しい仕事じゃない。お前の修行にいいだろう。お前もそろそろ宮守の一員として、外を見てもいい頃だ』 一瞬信じられなかったが、当主たる父は、じっとこちらを見ている。 冗談や、何かの間違いではなさそうだ。 まあ、もともと冗談を言う人ではないが。 どうやら、本当らしい。 ふつふつと、心が熱くなってくる。 興奮で、畳についた手が震える。 ああ、ようやく、やっと、やっと、仕事が、出来る。 ようやく、ただのみそっかすじゃ、なくなる。 だが、その喜びも、次の言葉で霧散する。 『四天と二人で、行ってくれ』 『え!?』 『四天、お前は三薙をサポートしてくれ』 隣で座っていた四天に視線を移すと、特に何も感じてないようにかすかに目を伏せていた。 俺は視線を父に戻すと、もう一度すがるように確認する。 『し、四天、と、ですか』 『お前を、一人で動かすわけにはいかない』 それは、確かだ。 初仕事の命ということで浮かれてしまったが、結局、一人立ちなんてのは無理だ。 どうあっても、少なくとも現時点では俺は誰かの手を借りないと、仕事なんてできるはずがない。 誰かから力の供給を受けなければ、日常生活さえ危うくなってしまうのだから。 分かっている。 それでもやっぱり諦めきれずに、悪あがきをする。 『いちに、一矢兄さんや、双馬兄さんは………』 『一矢と双馬は他の仕事を終えたばかりだ。それに』 そこで父は俺と四天にそれぞれ視線を送る。 厳しく強い目は、いつだって威圧されて何も言えなくなってしまう。 『三薙、お前はいい加減四天と共にいることを慣れろ』 咎めるような低い声に、顔を伏せる。 そうだ。 なんの力も持たないくせに、我儘ばかりは一人前。 四天のことも、一方的に倦厭しているだけ。 そして兄達にも両親にも、迷惑をかけている。 『それとも、今回は見送るか』 『い、いえ!』 ようやく回ってきた、仕事のチャンスだ。 これを逃したら、次はいつか分からない。 それまでまた、自分のふがいなさを噛みしめて無為な日々を過ごすだけ。 それは、いやだ。 『四天と共に。これは絶対の条件だ』 『………は、い……』 顔を伏せたまま頭を下げて、父の言葉を承諾する。 そう、これは仕事。 仕事に、私情を挟むな。 だからいつまでたっても役立たずのままなんだ。 『四天、お前もそれでいいな』 『………先宮の御命、謹んでお受けいたします』 隣に座った四天も感情のこもらない声で畳に手をつき頭を伏せた。 「起きて、兄さん」 「………へ?」 肩を揺すられ、うっすらと覚醒する。 かすかな振動が心地よく体を揺らしていて、まだ眠りの世界にいたいと脳が訴える。 「着くよ」 「え!?」 だが、その言葉に慌てて今の自分がいる場所を思い出す。 目を開けて声の方を向くと、思わぬ至近距離に四天の整った顔があった。 深い色をした黒い目に、少し長めの絹糸のような黒い髪。 まだ幼さを残す、天使のように綺麗な顔。 今は、少しだけ不機嫌そうに、眉をひそめられている。 自分の置かれた状況を把握して、急いで身を起こす。 どうやら俺は天に寄りかかって眠りこけていたようだ。 弟は呆れたような目で俺を見下している。 「あ、わ、悪い!」 「まあ、よだれ垂らさなかったからいいよ」 「………う」 「初仕事前に高いびき、だなんて頼もしいね」 いつもの嫌みに、口を閉ざす。 お前も寝てたくせに、なんて言えない。 天はたとえ眠っていたとしても、周囲への注意を怠らない。 寝過ごすぐらい眠りこけるなんて、ありえない。 「………ごめん」 「ほら、荷物まとめて。そろそろ到着する」 「わ、わかった」 促され、荷台に置いてあるバッグに手を伸ばす。 昨日は眠れなかった。 興奮と期待と、そして不安で。 はじめての仕事。 はじめての遠出。 そして、四天と二人きり。 窓の外は、駅が見え始めていた。 眠る前は真っ青だった空が、黒い雲でどんよりと覆われている。 不安の勝る先行きに、小さく唇をかみしめた。 |