「つーかまえた。二人」 ぐずぐずとみっともなく泣いていると、またあどけない声が響き渡った。 遠くにも近くにも聞こえる、子供の澄んだ声。 緩んだ空気が、一気に緊迫する。 「………誰か、まだ残ってたのか」 藤吉が苦しげに、顔を歪める。 俺も、槇が貸してくれたハンカチで顔を拭いて深呼吸を繰り返す。 泣いている場合か。 まだしゃっくりが止まらないけど、気分を引き締めないと。 まだ、何も終わってないんだ。 あんなにみっともなく泣いて照れくさいが、恥じている暇もない。 「ここから、出なきゃ平気だから。他の皆も多分まだ、平気。そこまで嫌な気配はない」 力がチャージされているせいで、いつもよりは意識が研ぎ澄まされている。 血が流されたような気配は、ない。 多分、まだ平気だ。 中から喰われるってことはあるかもしれない。 でも、まだ間に合うはずだ。 あんな大勢、一気に喰えるはずがない。 そのはずだ。 大丈夫、大丈夫だ。 「天が、あ、弟が、来てくれたら、きっと、大丈夫」 「弟さんが来るの?」 槇が首をかしげて、訪ねてくる。 いつのまにか皆、俺の周りに座り込んでいた。 もう、服は埃まみれだな。 「うん、弟は、強いから。俺なんかより、全然、強いから。だから、大丈夫」 そうだ、天が来てくれたら、平気なんだ。 四天なら、なんとかしてくれる。 だから、大丈夫。 大丈夫だ。 皆を、守れる。 「そっか。じゃあ、それまで頑張ろう」 「うん」 槇の言葉に頷いて、自分に言い聞かせるように、何度も大丈夫だと心の中で繰り返す。 脳裏に浮かぶ天の姿は、白い光を纏って、どこまでも清廉だ。 何も寄せ付けない汚れることのない、強い強い白さ。 思い浮かべると、また少しだけ恐怖に竦んだ心に力が戻ってくる。 あいつに、もう情けない姿を見せたくない。 「それにしても、あれなんなんだろうな」 藤吉が、眼鏡を直しながらぼそりと言う。 岡野も槇も、その言葉に同じように不安げに顔を曇らせる。 三人の目が、自然と俺に向かう。 「……ごめん、俺にも分からない。あんな気配、この学校で今までなかったのに。なんだろう。妖、みたいだけど、なんか違うような気もする」 「すんごい、気味悪いよね、オバケ。そういうの、よく分からないけど」 「うん………、四天は、えっと弟は、なんか人為的、人が関わっているような気がするって、言ってたな」 急に現れた、不可思議なもの。 神や邪や妖と言った存在のような、意志を感じない。 なにか、機械的な印象を受ける、存在。 「あ」 そこで槇が手で口を覆って、小さく声を上げた。 皆が槇に注目すると、耳慣れない言葉を口にした。 「キガミ様」 「キガミ様?」 思わず、残り三人の声がはもる。 槇は自分の発言にみんなが注目してることに恐縮したように、ちょっと身を竦めて小さくなる。 「関係ないかもしれないけど………」 そして恐る恐る俺たちを見回す。 恥ずかしそうなその様子がかわいくて、強張っていた頬から力が抜ける。 「いいよ。ここでじっとしていても怖いだけだから、話して」 促すと、槇はゆっくりと頷いた。 それから、一回唾を飲み込むで落ち着くように一息つく。 そしてその小さな口から、予想外の言葉が出てきた。 「あ、うん。あのね、この学校の七不思議、知ってる?」 七不思議、なんてなんだか懐かしい言葉だ。 どちらにせよ、俺は聞いたことがない。 「………いや、そういうのは」 ゆっくりとかぶりをふる。 噂話とかは、友達がいないから疎い。 いや、待った。 どこかで聞いた気がする。 最近聞いたような、えっと、どこだったけ。 けれど、思い出す前に、藤吉と岡野も話に加わってくる。 「高校になっても、そんなもんあるの?」 「そういえば、チエそんな話してたね」 二人ともあまり知らないようで、興味に身を乗り出す。 槇の神妙な顔で頷いた。 「うん、流行ってるよ。そうだ、浜田さんとかのグループが話してたかな。そういえば、最近だな。最近、流行りはじめたよ。夏休み明けから、かな」 「夏休み明け、か。どんな内容なの?」 「んっとね、まあ、オーソドックスなものばっかりなんだけど、裏庭の銅像が夜中に笑う、とか、階段が増える、とか音楽室で音楽が鳴る、とか」 頑張って思い出すようにこめかみに指をあてながら、槇が一つ一つ説明していく。 あまりのもパターンな七不思議に、藤吉が思わず吹き出す。 「本当にベタだな」 「うん、でも、なんか変なのが一つあったの。それだけ浮いてたから、なんか印象的だったんだよね」 そこで、俺は思い出す。 そうだ、七不思議。 どこかで聞いたと思ったら、教室で聞いたのだ。 確か文化祭の準備の時だった。 作業をしながらぼんやりと周りの話を聞いていた時に、誰かが話していた。 「………願いをかなえる、方法」 「そう、それ!」 槇は顔を輝かせて、頷く。 ちょっと声が大きくなってしまったので、キョロキョロと辺りを見回した。 俺は先を促すように、問う。 「それが?」 「うん、キガミ様」 「どんなのなの?」 槇はまた表情を改めて、声をひそめる。 内緒話を、そっと告げるように。 「キガミ様は、願い事を叶えてくれるの。えっと、犠牲にすることと、願い事を書いてキガミ様に捧げると、その願い事を叶えてくれるって。その代わり何かを犠牲にするの」 「………やだ、キモイ」 岡野が、綺麗な顔を嫌悪に歪める。 「うん、嫌な感じだよね。それにね、犠牲にするものって、なんでもいいの。自分の大事なものとかじゃなくても、嫌いな人とか、くだらないものとかでも、お願いごとに見合っていて、キガミ様が納得すればいいって」 「イケニエと、祈願………」 神に何かを祈るために、供物を捧げて願う。 それは遥か昔からあった、原始的な祈りの方法。 「さっきの、変なのと、関係あるか分からないけど、ただ、なんか思い出したから」 「うん………なんか、気になるな」 なんとも言えない違和感。 他のベタベタな他愛のない七不思議と違って、それだけ明らかに浮いている。 銅像も階段も音楽も、それは受動的なものだ。 たまたま出会ってしまう怪異、だ。 けれどキガミ様だけ、嫌に能動的な行動をさせている。 自分から怪異を起こそうと、している。 「………詳しいやり方って、わかる?そのキガミ様って」 「うーんと、一週間だったかな。学校の壁の北東の方に、お願いごと書いた紙を貼って、一週間毎日、『キガミ様キガミ様、おいでくださいませ。我が願いをお聞きください』って十回お祈りするの。その紙も祈ってるところも、誰にも見つかっちゃいけないの」 「微妙にアバウトな割には、なんかきっちり決まってるね。その回りくどさが効果ありそうななさそうな」 藤吉が気持ち悪そうに眉を潜めながら、感想を述べる。 そう、いやにきっちりとした決まり事が定められている。 鬼門に呪符に呪言。 「………ちゃんとした、呪法になってる」 認識した瞬間ぞわりと、全身に鳥肌が立つ。 七不思議っていうのは他愛のない噂や想像から生まれるものだと思う。 そうなったら嫌だなという想像や、カーテンが幽霊に見えた、なんかの勘違い。 いくつかは本物が混じっているのかもしれないが、大多数はそう言ったものから来るんだろう。 幽霊の、正体見たり枯れ尾花。 でも、キガミ様は、明らかに、何かの意志を感じる。 ずっと昔からある噂だったとしたらまだ分かる。 けれど、根拠もきっかけもなく、急に流行るって、一体、どういうことなんだ。 「今の状態って、そのキガミ様とやら?」 「いや………分からない、でも、気になる……」 藤吉の問いに、やっぱり答えはかえせない。 唐突に現われた、奇妙な噂。 奇妙な存在。 奇妙な符号。 つながりは、否定できない。 「まあ、でも、どうしようもないな」 黙り込んだ俺を元気づけるように藤吉は明るい声を出した。 顔を見ると、人懐こい顔で笑っている。 「あれが、キガミ様とやらだとしても、学校の壁って、かなり広範囲すぎるだろ」 「うん、見つけんの、ふっつーに無理だよね」 岡野がそれに同調する。 確かに、それは、そうだ。 呪符を見つけて、呪法破りを行うにも、時間も機会もない。 「そう、だな」 大きく、頷く。 大丈夫、余計なことはしない。 俺は、俺の出来ることをする。 俺が今出来ることは、この結界を維持して、四天を待つこと。 そう、履き違えるな。 「とりあえず、四天が来るまでまとう」 皆はそれぞれに頷いてくれた。 一瞬沈黙が落ちる。 耳が痛いくらいにシンと、教室が静かになる。 暗い教室の中、机の影すら不気味に見える。 沈黙は、恐怖をあおる。 槇が、場を和ませるように俺に微笑みかけてきた。 「弟さん、どんな子なの?」 「………天?すんげー、生意気で、コールドブラッドな野郎で」 「コールドブラッド?」 「冷血人間!」 思わず力が入ってしまうと、みんなが吹き出す。 その声に、恥ずかしくなって顔が熱くなった。 「あ、いや、えっと、とにかく中三のくせに、落ち着きすぎてじじくさくて……」 こつん。 俺が天の説明をしようとした時、何か音がした。 びくりと、みんなで飛び上がる。 それぞれにきょろきょろとあたりを見渡す。 「何?なんかした?」 「私じゃないよ」 「俺も動いてない」 こつん。 「………何?」 岡野の声が、震える。 悪寒が、背筋を走りぬける。 途端、何かの気配が、膨れ上がる。 俺は気配の方向に、咄嗟に顔を向ける。 こつん。 こつん、こつん。 ガ、タン。 「みーつけた」 それは、窓の外から、聞こえてきた。 |