東側の端の階段を目指して、走る。
力が、足りなくなってきている。
くそ、こんな簡単になくなるなんて、本当に燃費が悪い。
忌々しい、体。

でも、まだ動けなくなるほどじゃない。
昨日フルにしてもらった、また少しは使える。
大丈夫、諦めるな。

「藤吉、上へ」
「分かった!」

バタバタと、転がる段ボールや装飾を避けながら走る。
月明かりでしか照らされない暗い廊下は走りづらくて神経を使う。
足も、肺も、そろそろ限界だ。

三階に、二人並んで辿りつく。
そのまま、廊下を二人で駆けだす。
しかしその時、もう聞き慣れてしまった、あの音が聞こえてくる。
前から、聞こえていくる。

ひた、ひた、ひた、ひた。

「宮守!」
「………っ、大丈夫、このまま行く!」

あいつの姿は、後ろにしか、見えてない。
声に惑わされるな。
前には、いないはず、だ。
本当にそうか、分からないけどな。
でも、行くしかない。
このまま逃げていても、俺の力が尽きるのが先だ。

「きゃははははははは!」

声も響いてくる。
またあいつと出会ったら、と思うと身が竦む。
迷うな。
行け。

ポケットから鈷を取り出す。
残った力を、全身に纏わせる。
青い、青い海。
透き通った海のイメージ。
どこまで広がる、青。

いざとなったら、四天が来るまで、藤吉だけは、守る。

廊下の先は闇が広がり、先まで見えない。
そこに何が蹲っているか、わからない。
でも、走れ。
迷うな、走れ。

声と足音に向って、走り出す。
一瞬後ろで躊躇したらしい藤吉も、同じように駆けだす。
本当にこいつの判断の早さは、助かる。

真っ直ぐの廊下を、ただ前を見て走り抜ける。
真ん中の柱の陰になって特に闇の濃い場所を抜ける。

「きゃは」

声が、ぴたりと止む。
足音も、消える。
辺りが、静まりかえる。
やっぱり、気配はない。
どんだけ鈍いんだよ、俺は。

「い、ないのか………?」
「いない!」
「よし、資料室だな!」
「うん!」

そのまま二人並んで、走りぬける。
マラソンの授業でも、こんなに疲れたことない。
精神の消耗も激しいせいか。
二年近くいて、これだけ学校を隅々まで見て回ったのは初めてだ。

「は、はは、どんだけ、走ってんだ、俺達」
「愛校精神、芽生えちゃいそう、だぜ」

思わず笑ってしまうと、同じことを思ったらしく、藤吉も笑う。
疲れてるのに、怖いのに、妙にハイになって、ケラケラと笑いながら走る。

「ついた!」

第一資料室に辿りついて、ドアノブをひねるのももどかしく壊すように引き開ける。
バシンと音を当てて安いプラスチックのドアが開いた。
入り込み、一応ドアを閉めて藤吉に聞く。

「北東って、どっち!?」
「あ、えーと、西からのぼったお日様が!?」
「それ違う!」

学校の窓からは、夕日が見える。
ていうことは、あっちは西。
となると北は右手だから。

「宮守、あった!」
「早!」
「どうする、これ!?」

俺が探し出そうとする前に、藤吉の声があがる。
振り向くと、入口の右手奥に座りこんでいた。
急いでそこに向かい、隣に座りこむ。
そこには目立たないようにひっそりと黄ばんだ小さな紙が、低い位置に貼られていた。

「本当にあった!?」
「確信なかったのかよ」
「なかった!」

一瞬ためらってから、その紙に触れる。
どろりとした、嫌な感情が伝わってくる。
ああ、そういえば、前からこの部屋に入った時に、同じ感じがした気がする。
じわりとした、纏わりつくような気持ち悪さ。

剥がして、大丈夫だろうか。
でも、剥がさなくてもどうにもならない。
呪法破りなんて高度なもの、今の俺にはできない。
やり方はなんとなく分かるが、やったこともない。
時間も力もない。

迷うな!

セロテープで張られた紙を剥がす。
気持ち悪い虫が、手に這いあがってくる感触。
紙を裏返して見てみる。
そこに書かれた言葉に、吐き気がした。

「く………」

『願い事、この学校の全員が死ぬこと。捧げるもの、この学校の人間』

その文字自体に、力がこもっているような気すらする。
悪意の塊のようなその紙を、破り捨てる。
粉々に破り捨てて、息をつく。

「………」

目を閉じる。
上がっていた息を整える。
意識を研ぎ澄ませる。

「………だ、めだ……」

気配は薄れない。
濃厚な悪意で淀んだ空気が、学校を覆っている。
これじゃ、駄目なのか。
どうしたらいい。

「………宮守、来た」

藤吉の、かすれた声が聞こえる。
それから、また、あの音が。

ひた、ひたひたひたひたひた。

ぴたりと、ドアの前でとまる。
ドアノブが、回る。

「藤吉、下がって……」

何があっても、藤吉は、守らなきゃ。
藤吉と、岡野と、槇だけは、守るんだ。
三人だけは、守る。
ここで踏ん張れば、後は四天がどうにかしてくれる。
俺がたとえ倒れても、時間を稼げば大丈夫。

力は足りない。
飢えが始まっている。
喉が渇く。
足元はおぼつかない。

それでも、もう絶対に、失わない。

「………鬼ごっこ、ゲームオーバー?」

藤吉がそれでも俺の隣に立って、笑う。
こいつの強さが、本当にありがたい。

「………そういや、鬼ごっこって、どうやって終わるんだっけな」

小さい頃、双兄と四天と、やったっけ。
鬼が双兄だと、ものすごい、追いかけ回された。
途中で双兄が飽きちゃって、終わりだったっけ、いつも。
飽きないで遊んでいると、母さんが呼ぶ声がして、終わり。

鬼ごっこって、そういえば終りがないな。
鬼は、止まらない。
鬼は、走り続ける。
鬼は、獲物を追い続ける。
鬼が止まるのは、その時は。

「………」

唾を飲み込む音が、狭い教室に響く。
出来る、か?

分からない。
だけど、俺なら、出来るかもしれない。
そうだ、俺なら、出来る。
きっと、出来る。

大丈夫、出来る。

カチャリ。
ドアが開く。

「みーつけた」

ゆらりと、黒い影が、入ってくる。
藤吉が息を呑む。

迷うな。
行け。

鬼に駆け寄る。

「宮守!?」

鬼が止まるのは、鬼が交代した時。
それなら、俺が鬼になればいい。

「藤吉、俺がどうにかなったら、さっさと一人で逃げて!弟が来るまで!」

こいつには、妖の匂いも、神や邪の気配もしない。
これは、悪意という力の塊。
呪詛の力。

なら、俺なら、飲み込める。
俺なら、出来る。

「鬼、交代だ!」

黒い影の細長い手が伸びる。
それを逆に、掴む。

黒い黒い、どす黒い気持ちの悪い思念が入り込む。
大丈夫、これは力の塊。
飲み込めばいい。

逆に飲まれても、後は四天が、どうにかしてくれる。
時間ぐらいは稼げるはずだ。
いけ。

「黒き闇、その姿を捨て、我が力となれ!」

鬼ごっこは、これで、終わりだ。





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