「………はあ」

教室の机と机の間に座り込むと、ようやく肩の力が抜ける。
力をゆっくりと解放して、緊張を解く。
残量を探ると、まだ半分以上は残っている。
大丈夫、まだいける。
くれぐれも、自分の力の見極めを、誤るな。

「宮守、大丈夫か?」

声をかけられ振り向くと、藤吉が心配そうに上から覗き込んでいた。
眼鏡が反射して目が見えなくて、なんだか面白い顔になっている。
思わず、少し噴き出してしまう。
緊迫した空気から脱したせいで、テンションがおかしくなってるみたいだ。

「うん、大丈夫。ありがと」
「そっか。よかった」

藤吉もぎこちなく強張った顔に笑顔を浮かべる。
教室内の張りつめた空気が、少しだけ緩んだ。

「………ねえ」

そこで、教室の真ん中で槇と一緒に寄り添って座っていた岡野が声をかけてきた。
血の気を失った顔が、暗い教室内でも白かった。
槇も、かわいらしい丸い目でじっと俺を見つめている。

「あ、あのさ……」

躊躇いがちに、何かを俺に聞こうとしている。
何を、聞こうとしているのだろうか。
疲れた頭で、なんだろうと考えて、嫌な想像に思い当たった。

よく考えれば、俺の行動、すごい変だよな。
前のことも、あるし、薄気味悪い、よな。
かなり、気持ち悪いやつ、だよな。

「今の………」
「あ、ちょっと待って、話は後」

その先を聞きたくなくて、少しでも引き延ばす。
いや、違う。
これは、やらなきゃいけないことだからだ。
逃げている、訳じゃない。

岡野の返事を聞かないまま、ケータイを取り出す。
そう、先に家に連絡しなきゃ。
話は、それからだ。

えっと、誰にかけよう。
真っ先に浮かんだのは、一兄。
いや、だめだ。
今日は、仕事で出かけていた。
双兄は、金曜日の夜なんて確実にいるはずがない。
父さんや母さんに電話をしても、結局誰か違う人間が派遣されるだけだ。
一番、早いのは。

「………躊躇ってる場合か」

電話帳から弟の名前を探し出し、発信ボタンを押す。
電子音が一回、二回。
ぷつっと、電子音が途切れる。
出た!

「………天!」
『何があったの?』

思わず縋るように名を呼ぶと、返って来たのは相変わらず冷静な、まだ少年の色を残す声。
何も言わないのに、断定的に問われて、俺は思わず何を言えばいいのか分からなくなってしまう。

「あ、えっと………」
『兄さんが俺にかけてくるなんて、なんかあったんでしょ?それに、力使ったよね。何が起きてるの?』

そうだ、血結晶でつながっている四天には俺の様子はすぐに分かる。
それなら、話は早い。

「なんか、学校が変なんだ。今までこんなことなかったのに…、なんか変なのが、人を捕まえて」

焦り過ぎて、舌がもつれる。
混乱する思考のまま、まとまりのない言葉しか出てこない。
自分でもうまくないと分かっていて、もどかしい。
だめだ、もっと分かりやすく、説明しなきゃ。
電話の向こうから軽く息を吐く音が聞こえた。

『落ち着いて。分からないから。今学校?』
「う、うん。学校」

冷静な四天の声に、少しだけ平静を取り戻す。
もう一度唾を飲み込んで、深く深呼吸をする。
診察する医者のように、四天は更に俺から言葉を引き出す。

『なんか変なのって、何かが出たの?どんなもの?形状は?霊?神?邪?』
「姿は、見てない。霊じゃない、と思う。気持ち悪い、気配。神でもないと思う。なんかあいつの意志を感じない。鬼ごっこみたいに、追いかけて、人を捕まえる。どこにでも現れる。すぐ捕まえられるはずなのに、わざと恐怖を煽るような、そんな感じがして………」
『姿が見えないの?』
「うん、声だけしか聞いてない、十数えたら動きだして、人を捕まえに来る」
『………行動は妖っぽいけど、意志を感じない、人を集める、恐怖を煽るか』

四天の声が途切れる。
俺はただじっと、固唾を飲んでその先の言葉を待つ。

『なんか、人為的な感じ。呪詛の匂いがするね』
「じゅ、そ」

呪詛。
人を貶め恨み不幸を乞う、呪法。
治まっていた悪寒が、また背筋を走りぬける。

『呪法、かな。厭魅、うーん、やっぱ見ないと分からないな』
「今、教室に結界を張って、隠れてる。一応結界は効くみたいだ」
『下手に手をださなかったんだね。懸命だね。学習してる』

偉そうな上からの言葉に、むっとする。
馬鹿にしたような褒め言葉に、ふざけるなと噛みつきたくなる。
だが、その次の言葉でそんな苛立ちは吹っ飛んでしまった。

『兄さんだけなら、逃げられるんじゃない?後は分家のどっかに任せればいいし』
「…………天!」

確かに、俺だけなら逃げられるだろう。
結界は有効だ。
力はまだ半分以上ある。
力を纏って逃げれば、あいつからも多分逃げられる。

『兄さんの結界で防げる程度ってことは、俺が出向くほどとは思えないし。本家の人間が動くと周りがうるさいし。兄さんさえ帰ってきてくれれば後は分家に任せるんだけど』
「………天、ここは管理地だろ!」
『だから、分家を向かわせるって。とりあえず兄さんが巻き込まれると厄介だから逃げてよ』

でもそうしたら、岡野や槇や藤吉は、どうなるんだ。
俺が逃げたら、結界の維持もできない。
そうしたら、こいつらは捕まってしまう。
その後、どうなるかはわからない。
分家が来たら、助けてくれるだろう。
でもそれで、手遅れにならないという保証はない。

「天…、四天、まだクラスメイトが、いるんだ。他にももう、何人か捕まってる。手遅れに、ならないうちに、助けたい」

声が、震える。
怒りとともに怒鳴りつけそうになる自分をなんとか抑える。
それはただの、俺の我儘だ。

四天はいつでも冷静だ。
冷静に状況を見極め、対応を講じる。
天が出すのは、何も寄せ付けない硬質の最善策。
そこに情はなくても、間違えはない。

「助けたい…ん、だ」

でも、もう、目の前で何かを失うのは、嫌だ。
天は呆れたように、また溜息をつく。

『出来ないことは、望むなって何回も言ってるよね?』
「俺には、出来ないけど、でも、天とか、一兄が来てくれれば………」
『管理人ってのは、別に正義の味方でもなんでもないよ。土地が安定してればいいんだ』

それは、そうだ。
別に管理人っていうのは、人助けのためにいるわけじゃない。
聖と邪のバランスを保ち、その土地を安定させるのが仕事だ。
そりゃ人助けのような仕事もするが、でも本来の目的はその名の通り、土地の管理。
本家の人間は、基本的には仕事以外で動かない。
軽率な行動は咎められる。

でも、それでも。
それは俺の我儘なんだろうけど。
我儘でしか、ないんだろうけど。

「でも、守りたい。今度こそ、助けたいんだ。俺だけじゃ、無理なんだ」
『人頼み?こんな時だけ頼るんだ?』
「天、お願い、助けて……」

自分でも情けないと思う。
嫉妬してやまない、いつも忌み嫌っている弟にこんな時だけ縋る。
四天が怒るのも当然だ。

「お願い、四天、お願いします………」

でも、四天なら、できるのだ。
簡単にこんな状況、打破できるのだ。
俺とは違う、誰よりも強い、四天なら。

『はあ』

四天の深いため息がすぐ耳元で聞こえる。
情けない哀れっぽい声に、呆れるのはよく分かる。

『まったくもう』

呆れかえった、うんざりしたような声。

「ごめ、ん」

感情が高ぶって、涙が出そうになる。
最低だ。
どこまで、情けないんだ、俺は。

『まあ、あんまり後始末が大変になっても面倒だから行くよ。ちょっと待ってて。逃げないんだったら余計なことはしないで』

けれど四天はもう一度ため息をつくと、承諾してくれた。
それは、いかにも嫌々だったけれど。
でも、それでも希望が胸に溢れてくる。
携帯を両手で握りしめて、天には見えてないというのに勢いよく頷く。

「う、うん!」
『絶対余計なことはしないでね』
「うん、ここで待ってる」
『そうして』

がさがさと、電話の向こうで音がする。
用意を始めてくれたようだ。
安堵で、体中から力が抜けて行く。

『何があっても、その声とやらには惑わされないで。声の誘いには乗らないで。誘導されないで』
「うん。わかった」
『呪法の元が分かればいいんだけど、素人さんがそんな手の込んだ呪法作るかなあ』
「今まで学校でこんなこと、なかった。噂もなかった」
『ふーん、まあいいや。とりあえず行くよ』
「うん」

俺はただ素直に、弟の言うことを聞く。
天が来てくれるなら、大丈夫だ。
もう、大丈夫だ。

『じゃあね』
「あ、天!」
『何?』
「あ………」
『切るよ?』

言いよどむと、天はどうでもよさそうに短く告げる
だから切られる前に、俺は急いでその先を続けた。

「あ、ありがとう!」

返事は、小さく喉で笑う音。
少しだけ険のとれた声で、四天は応えた。

『じゃ、後で』
「うん、待ってる」

俺は、ただ小さく頷いた。





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