「兄さん、食事だよ」 「あ………」 小さく揺すられて急速に意識が現実に引き戻される。 なんだか悪い夢でも見ていたように、心臓がバクバクしている。 一瞬どこにいるか分からず、布団に横になったまま辺りを見渡す。 煤けた竿縁天井が自室のものではなくて混乱する。 そして天井を背景に、弟が俺を見下ろしていた。 「天………」 「夕食だって」 「あ………、うん」 その言葉で、ようやく記憶が戻ってくる。 そうだここは、依頼人の石塚の家。 ここは、俺たち用に与えてもらった部屋。 少し痛む頭を抑えて、のろのろと体を起こす。 なんか、寝ない方がよかったかな。 中途半端に寝ると、体がだるくて頭が痛い。 でも、邪気酔いはすっかり抜けたみたいだ。 まあ、だるさもすぐに抜けるだろう。 障子の外を見ると、どうやら辺りはすっかりもう暗くなっている。 一兄にもらった腕時計を見ると、2時間は寝ていたようだ。 天をもう一度見ると、座った天の足元には書類のようなものが散らばっていた。 「お前、起きてたの?」 「ちょっと休んだけどね。頼んでたものが来たから」 「あ、被害者のデータ」 「そう」 「………起こしてくれればよかったのに」 「別にそこまでして見るデータでもないし」 まあ、俺が見たってどうしようもないけど、俺だって仕事に来ているんだから、少しくらい関わらせてくれればいいのに。 そこまで役立たず扱いされると、さすがにへこんでくる。 本当に俺って、邪魔ものなんだろうな。 違う。 駄目だ。 休むことも仕事だ。 卑屈になるな、いじけるな、感情的になるな。 天の言うことに一々腹を立てていたら、何も出来なくなってしまう。 そうだこいつはコールドブラッドなんだから。 そうだ、落ち着いて、天の言うことをよく聞いて、出来ることを、やれ。 「なんか分かったことあった?」 「5人とも歳も性別も外見も共通点もないし、発見場所も捨邪地の近く、ということ以外バラバラ。住んでるのが近くであの周りを通行してたってのと、喉を切り裂かれて殺されて、腐敗が進んでるってだけ」 「そっか」 「見る?」 「うん」 そして天は足元のクリップで止められた書類を渡してくる。 それは被害者のプロフィール表のようなもののようだ。 最初のものは一番最初の被害者の女性。 高校三年生、か。 俺と同じぐらいの子。 ちょうど発見されたのは、今から半年、6か月ほど前。 「う」 そして何気なく書類をめくって、思わず口元を抑えた。 生理的な嫌悪感と恐怖で、すぐに目を逸らす。 思わず書類を裏返しにして畳に置いてしまう。 「食事前に写真は見ない方がいいかもね」 「先に言えよ!」 それは発見時の、被害者の姿だった。 一瞬しか目にしてないが目に焼き付いた彼女は、喉が大きく切り裂かれ、血こそ溢れてなかったが、蛆がたかり、腐って落ちた皮膚と肉を纏っていた。 目だけが大きく見開かれていて、一枚目にあった生前の写真とは似ても似つかないものだった。 「さて、食事行こうか」 天は何でもないように立ち上がる。 さっきまでは空腹を感じていたのに、すっかり食欲なんて失せている。 むしろ、少し気分が悪い。 「………お前も、これ見たんだよな」 「見たね」 「食欲とか、失せないのか?」 「ま、匂いもないし、そこまでグロい写真でもないし」 「これが!?」 「本物は臭いし色が鮮やかだよ」 こいつは、そういうのも、見たことあるのか。 ていうか管理者の仕事って、そういうにも関わることになるのか。 小さい頃から仕事している天が羨ましいと思っていた。 大変なんだろうけど、家の役にたっているのが、ずっと妬ましかった。 でも、思った以上に、仕事というのは過酷なものなのかもしれない。 「………」 「さ、行くよ」 促され、俺はよろよろと立ちあがった。 居間に用意された食事は、豪華だった。 あんまり統一性はないが、高そうなステーキとか刺身とかが並んでいる。 いつもだったら喜んで飛びつくのだが、今は血もしたたるような新鮮な肉がちょっときつい。 でも、せっかく用意されたものなのだからちゃんと食べなきゃ。 くそ、天の奴。 このコールドブラッド。 しかもまたインゲンを俺の皿に入れやがって。 「何か分かりましたかな」 当主と祐樹さんと俺と天で囲む食卓。 ご当主と一緒というのがやっぱり緊張して、そのことからも食欲が減退する。 熊沢さんはやることがあるということで席を外しているらしい。 ご当主様が当たり障りのない話の合間に、仕事の進捗を聞いてきた。 天が口の中のものを飲み込んでから、箸をそっと置き当たり障りなく答える。 「申し訳ございませんが、まだお話できるような進展はございません」 「そうですか。まあ、宮守の方と言えども一日からそこらでどうにかなるものではありませんね」 「ええ、一からの調査となりますので」 「そうですなあ」 ご当主が少し薄く鳴り始めた髪を撫でるように頭を掻く。 少し太り気味な体と相まって、なんとなく動きがタヌキのように見える。 えっと、これって、天の嫌みだよな。 いいのかな。 でも、まあ、ご当主、気付いてないみたいだしいっか。 俺の向かいで食事をしていた祐樹さんが、顔を上げる。 「お二人とも、お疲れではないですか?これから捨邪地に行かれるということですが、私にも何かお手伝いできないでそしょうか。何もできませんが見張るぐらいでしたら」 「お心遣い感謝いたします。けれど、いざ何かあった時に祐樹さんまでお守りできるか分かりません。今後、頼むこともあるかと思いますが、その際はお願いいたします」 「………分かりました」 祐樹さんは残念そうに目を伏せた。 なんか、言いたいけど、俺が言えること、ないしな。 なんか悪いな。 祐樹さんは手伝ってくれようとしているだけなのに。 俺なんかのほうがよっぽど役立たずだ。 でも、俺が口出せるところじゃ、ないしな。 その後は特に会話もなく、なんとなく気づまりな食事は終わった。 無理矢理かっこんだからちょっと胃もたれしている。 申し訳ないが少し残してしまった。 隣を見ると天は綺麗に食べ終わっていた。 まあ、人参とインゲンとかは俺によこしたけどな。 「ご馳走様。とてもおいしかったです」 「そうですか。お二人が来るので奮発しましたからなあ。はははは」 ちょっと得意げに笑うご当主に、祐樹さんが困ったように眉をひそめる。 なんかこう、分かりやすいおじさんだよな。 絵にかいたようなおじさんというか。 天はやはり愛想笑いを浮かべて卒なく頭を下げる。 「ありがとうございます。では、お二人はお食事の途中で申し訳ありませんが、お先に失礼して、夜の準備をさせていただきます」 「おお、そうですな。くれぐれも頼みましたぞ。長く続いた石塚の家の名を、汚す訳にはいかないのです」 「はい、心得ております。それでは」 もう一度頭を下げて天が席を立つ。 俺もご馳走様でした、と挨拶をして、その後を追った。 「なんだろうな、あのおっさん。なんか本当にこう、おっさんだよなあ」 「まあ、あんなものだよ」 「でもさ、自分達は何も出来てないのに………」 なんであんな上からの態度なんだろう、と言おうとして目の端に白い影を感じた。 そちらに視線を向けると、白いパーカーを羽織った雫さんが佇んでいる。 「あ」 雫さんは相変わらず不機嫌そうな顔で俺たちを睨みつけている。 「あんたたち、フシイシに行くの?」 「ええ、それが仕事ですから」 「あそこは、私が片付ける。あんた達はさっさと帰れ」 本当に、攻撃的だ。 気負っているにしても、もうちょっと協力的でいいのに。 なんでこんなに刺々しいんだろう。 ナワバリ意識、みたいなものなのかな。 「申し訳ありませんが、私どもはご当主の要請により招かれております。ご当主の許可なく帰ることはできません」 天が一歩前に出て、うっすらと愛想笑いを浮かべながら答える。 なんか、礼儀正しいところが、余計に嫌みに感じるのは気のせいか。 いや、嫌みだよな、これは確かに。 だからお前は口出しすんなってことだよな。 「必要ない。余所者は迷惑なの」 「半年も解決しないため、私どもが呼ばれました。少しでも力になり、事態が好転するよう石塚の家にお力添えできれば幸いです」 これも、お前らが解決できないから俺が呼ばれたんだよってことだよな。 刺々しい。 ていうか、怖い。 天のうすら笑いと冷静なテンションが、怖い。 雫さんは悔しそうに歯ぎしりせんばかりに顔を顔を歪める。 「………ガキのくせにっ」 「若輩者ですが、実力は宮守の人間として相応しいと自負しております。ご信頼いただけないのでしたら、お見せいたしますか?大丈夫、怪我されない程度に加減いたしますよ?」 「………っ」 「ちょ、天」 雫さんが天の言葉に顔を赤くする。 天は対照的にとても冷静だ。 そしてその白い力を軽く身に纏う。 それだけでも圧迫感を感じる。 雫さんもそれを感じたのが、唇を噛みしめる。 「フシイシに食われる前に、さっさと帰れ!」 「あ」 そしてその長身をくるりと翻し、廊下を駆けて行った。 古い家なのに床の軋みなんて感じさせないぐらい、軽やかに。 「兄さん、追って」 その姿を見ていたら、天がいきなりそんなことを言った。 「え?」 「追って。話聞いておいて。携帯持ってるよね?」 「え、うん」 「後で連絡するから。ほら、早く」 そして、軽く背を押され前に一歩よろめく。 「え、あ」 「早く」 「わ、分かった!」 再度促され、俺は急いで駆けだした。 |