「どうぞ、少しお休みください」 「すいません、ご迷惑おかけいたしました………」 「いえ、お気になさらず。ゆっくりお休みください。四天さんにはお伝えしておきますね」 「………ありがとうございます」 祐樹さんは優しげに微笑むと、ゆっくりと障子を閉めた。 いいっていうのに敷いてくれた布団にばったりと倒れ込む。 布団の清潔な匂いにようやく緊張が少し解かれていく。 「はあ………」 風邪の時のような悪寒に、体が大きく震える。 頭がくらくらして、世界が回る。 気持ちが悪い。 体の中の力が乱れている。 正常に保て。 体の中の水の流れを美しくて保て。 目をつぶり、体の中の力の流れに意識を向ける。 呼吸を整えて、それと同時に力も整えていく。 本当は正しい姿勢でやった方がいいのだが、体を起こすのもだるい。 それでもなんとか徐々に吐き気と眩暈が収まってきたところで、人の気配を感じた。 顔を上げると、障子の前に人影が見える。 その空気は、よく知った人間のものだったから、一瞬体に入った力を抜く。 「俺だけど、入るよ」 「うん」 からりを障子を開けて入ってきたのは、予想通りにいつでも偉そうな弟だった。 天は布団の上に行き倒れてる俺を一瞥して、軽く首をかしげた。 「大丈夫?」 「平気。………ごめん、迷惑かけて」 「いや、別に。俺は迷惑かけられてないからいいよ」 どうしてこいつはこう、何を言うにも棘があるんだろう。 まあ、こういう性格な奴なんだし、俺が役立たずなのもいけないんだろうけど、もうちょっと普通に話せないものなのか。 近寄ってきた天が、俺の額に手を置く。 白い手はひやりと冷たい感触がした。 「宮守の血、侵すものなし。流れは流れるままに」 強い電流のように、額から天の白い力が一瞬で駆け抜ける。 衝撃に一瞬目を閉じるが、すぐ後に、体に巣くっていたものが消えているのに気付く。 「あ………」 「大丈夫?」 「………うん」 体の力の流れが白い力に導かれるままに、あるべきところに戻っている。 わずかに体に残っていた邪が、綺麗に祓われている。 まだだるさはわずかに残っているものの、だいぶ楽になった。 弟は特に表情を変えずに、軽く頷いた。 体を起こして、座り込んだ天に視線を合わせる。 「ごめん………」 「何が?」 「あまり、何も見れなかった。家の中結局見れてないし。外も、結界が綺麗に張ってあって空気は清浄だったってことぐらいしか………」 せっかく頼まれた仕事だったのに。 やっぱり俺は何も出来なかった。 色々な感情を抑えて謝ると、天はああ、と今思い出したというように声を上げた。 「いいよ。特に期待してないから」 「なんだよそれ!」 人が頼まれたからと気を張っていたのに、あっさり本当にどうでも良さそうに言われる。 思わず頭に血が上る。 「一人で調べたかっただけだったから。外に出てて欲しかったんだよね」 「………………」 なんだよ、それ。 なんだよ、俺は役立たずだから、邪魔だったから、追い払っただけだったのかよ。 せっかく頼まれたから、俺にも出来ることなんじゃないかと、そう思ってたのに。 文献探しも、力が足りない俺だから、それくらいなら手伝えるって、そう思ってたのに。 腹が立つのも、悔しいのもそうだが、何も期待されていないという事実に、悲しくなった。 俺は確かに役立たずだし、力もないし、天が一人でやったほうが、効率いいんだろうけどさ。 「………」 でも、悔しい、悲しい、ムカつく。 唇を噛んで、天に怒鳴りつけそうになったのを堪える。 確かに力が足りないのは確かだし、経験も不足している。 それは事実だ。 感情のままに天を責めても仕方ない。 それを認めて、天に信頼されるように、より一層、頑張らなきゃいけないんだ。 「祐樹さんは何か言っていた?」 天は俺の様子なんて気にせず、荷物をほどいている。 どうしてこいつはこう、人の一番つかれたくないところを抉ってくるんだろう。 「別に…、特に新しいことは」 「どんなこと話したの?」 「だから、別に………」 「どんなことでもいいよ。分かり切ったことでも」 本当に特に大事な話なんてしていない。 記憶にも残らないただの世間話レベルだ。 けれど天はしつこく聞いてくるので、なんとか思い出す。 「えっと、怪異が起こるのは捨邪地の周りで、家の周りは何もないってことと、トラブル続きで、管理能力を疑われてるってこと。後は、祐樹さんも力はあるけど、やっぱり分家筋だからそんなになくて、俺と同じで受け取る力の方が強いってのと、雫さんは力が強いらしい。教える人いなくても、力の使い方を弁えていて、天とかと同じ感じの力みたいだな」 「まあ、術自体はしょぼかったけど、素質はそこそこありそうだったね」 本当に、人がいないところでは性格極悪だよな、こいつ。 猫かぶり野郎。 雫さんは、独学で、あれだけ出来るなら、素質は確かにあるんじゃないかな。 俺なんかよりもよっぽど。 「うん。で、やっぱり本家の人間として気負っているみたいで、なんか自分一人で解決しようとしているのかもしれないって。最近、捨邪地の辺りを一人で行っているって」 「捨邪地の周りを、ね」 ふうん、と天が少しだけ興味を持ったように頷く。 荷物をほどき終わったのか、壁に背を預けて片足立てて座る。 「祐樹さん、すごい心配してた。実の兄妹じゃなくても、やっぱりお兄さんって感じだった。祐樹さん、優しいし、すごいいい人だよな」 「兄さんって、どうしてそう年上の男性に弱いの」 「え!?」 天が呆れたようにため息交じりに言う。 何を言われたか分からなくて声を上げると、天は目を眇める。 「年上の男性ってなると、無条件に懐くよね」 いや、でも俺、おっさんとかは好きじゃないぞ。 学校の先生とか好きじゃないし。 「そ、そんなことないぞ!当主のおっさんとか逆にあんまり好きじゃないし!」 「年上の、若い男性ね。一矢兄さんぐらいの」 一瞬言葉に詰まる。 そんなことはない、と思う。 ていうかなんで一兄を引き合いに出すんだよ。 「ひ、人をブラコンみたいに言うな!」 「違うの?」 「………ち、違う」 と、思う。 確かに一兄は好きだし、尊敬しているけど、それは昔から親代わりで一番面倒見てくれた人だから当然なことで。 一兄は優しいし厳しいしかっこいいしなんでもできるし、尊敬するのはしょうがない。 別にブラコンって訳じゃない。 祐樹さんもそうだ。 単にすごい優しくていい人に好意を持つのは普通の流れだろう。 後一兄ぐらいの年ってなると、熊沢さんも、あの人も俺なんかにも親しく話してくれる親しみやすい人だからであって。 別に年上の男性に無条件に弱いって訳じゃない。 「まあ、いいけど。幼児か年上の男性って、かなり極端だね。好み」 「人を変態みたいに言うな!幼児も年上の男性も好きじゃない!俺はかわいい女の子が好きなの!」 「そうだといいね」 「そうなんだよ!!!」 ブラコン扱いならともかく、人をまるで変態のように扱う弟に頭に血が上る。 ものすごく心外だ。 自分が少しモテるからって、偉そうに。 全力で否定しようとするが、四天はもうどうでもいいらしく、別のことを聞いてくる。 「気分は?」 勢い込んで怒鳴りつけようと思っていたのに、気勢をそがれる。 言われて自分の体の調子を探るが、さっきまでのだるさも抜けている。 「あ、だいぶよくなってる、かな」 「そう。とりあえず結界張るから少し休んでおけば。夜は徹夜かもしれないし」 「徹夜、か」 そうだよな、怪異が起こるのは夜。 ってことは、夜も見張らなきゃ駄目だよな。 でも、辛そうだなあ。 俺、夜はすぐ寝ちゃうし。 「そ、お仕事頑張らないとね。成長期の子供に何させてんだか、まったく」 「何か、手伝えること、あるか」 「今のところはないよ。あったらお願いするから、体休めておいて」 「………うん」 やっぱり、俺は役立たずだからかな。 沈み込んで視線を畳に移すと、珍しくフォロー的なものをいれられる。 「大丈夫。今回は兄さんにも手伝ってもらうだろうから」 「………うん」 本当に役に立てるのだろうか。 俺に出来ることは、あるのだろうか。 「今回長引きそうだし、もしかしたら再度出直しとかになるかもしれないしね。兄さんにも精一杯役に立ってもらうよ」 「う、うん。早く解決しないと、まずいよな」 「まあね。管理能力疑われてるなら土地取り上げもありえない話じゃないしね」 管理人にとって、管理地は何より優先されるもの。 管理地がなければ俺たちは存在意義を失う。 だからこそ何があっても、土地を治め、管理する。 「土地って、そんな簡単に取り上げられるものなのか?」 「管理できなきゃね。荒れたら一般の人たちにも影響出ちゃうし。代わりに管理人になりたいって思ってる力だけはある流れ者なんて腐るほどいるしね」 俺たちの力は、管理地があるからこそ生かされる。 知られてはいないといはいえ、制度的にも世の中にも認めてもらえている。 でも、それは管理人であるからだ。 管理地がなく、力だけある人達は、人の世に余る力を持て余すことがほとんどだ。 どこかに所属できればいいが、それでも生きづらい。 だからこそ、そんな人達は土地を欲しがっている、と聞いた。 また、管理人の家に生まれたからと言って、誰もが管理人になれる訳じゃない。 管理地をもらえなかった管理人の一族の人も欲しがるし、色々役得があるから管理地を広げたいと思う管理人もいるらしい。 管理地なんて、広くてもいいことないと思うけど。 「責任、重大だな」 そうか、ここで原因究明出来ずに管理地が荒れ続ければ、石塚の家の存亡に関わるのか。 家を追い出されるってことはないだろうけど、それでも今まで通りの生活って訳にはいかないだろう。 「今頃気付いたの?」 「………」 確かに、そういう危機感は今まで全然なかった。 俺はやっぱり、仕事意識が足りない。 どこまでも遊び気分だ。 気を、引き締めなければ。 「てことで、今は休んでおいて」 「分かった。休むことも、仕事の内、だもんな」 「そういうこと。お利口だね」 心底馬鹿にしきった言葉に、さすがにカチンとくる。 どうしてこいつは本当にもう。 「お前って、どうしてそう、人を馬鹿にするような態度しかとれないんだよ!」 「大丈夫、兄さんにだけだから」 あっさり言われて、もはや何も言い返せない。 ああ、本当にこいつムカつく。 いつか絶対に見返してやる。 お兄様ごめんなさい、って言わせてやる。 「さて、結界だけ張っちゃうね」 「あ………」 「何?」 「俺、やってみてもいい?」 とりあえずは、小さなことからコツコツと、だ。 結界は苦手ではないし、この前も結構綺麗に張れたし、俺の力でも出来ることだ。 今後役に立ちそうだし、修行じゃなくて、実践でも覚えておこう。 「いいよ。じゃ、こっち」 天は頷いてくれて、部屋の中心に連れて行かれる。 心を落ち着けて、姿勢を正して座り、目を瞑る。 「この前学校で張ってたよね?あんな感じで平気。まあ、あんな強力なものではなくてもいいから。空気を宮守の家に近付けること、害意を持つものを近づけないこと。後者のは誰も立ち入れない、なんてレベルじゃなくていい。アラート代わりになればいいから」 「………うん」 天の言葉を聞きながら、術の構成をイメージする。 絶対に誰もいれないって訳じゃなくて、感知能力と持続性の高い感じだな。 うん、出来そうだ。 「力の中心は、部屋の中心に据えて。丸い球体をイメージ。壁に張る訳じゃない。部屋を包み込む感じ」 「ん………」 そっか、球体にすればよかったのか。 壁を一面に張ろうとしたから、窓だけ残る、なんて馬鹿なことになってしまった。 いや、あの時は時間なかったし、知ってても出来なかったかもしれないけど。 「宮守の血に従いて、害為すもの、悪しき心持つもの寄せ付けぬ………」 呪を紡ぎあげて、体の中の力を使いやすいように形作る。 そしてイメージしたままに、力を放つ。 力は綺麗な球体を描いて、部屋を包み込んだ。 「………ど、どうだ」 「うん、いい感じ。何度かやれば綺麗に張れると思うよ」 後はちょっと補強しておくね、と言って天は部屋をぐるりと見渡した。 そしてじっと自分を見ている俺に気付いて、首を傾げる。 「何その顔?」 「いや、お前がそんなストレートに褒めるとは思わなくて」 「前にも言ったけど、俺は認めるべきところは、ちゃんと認めるよ」 天が厭味ったらしく鼻を鳴らす。 そうかな。 本当にそうか? 「認めるところが少ないだけでね」 ああ、本当にこいつは、どこまでいってもかわいくない。 |