あの後しばらく探したが、土地勘もないせいで雫さんは見当たらなかった。 天からの電話もあり帰宅を促されたので、仕方なく諦めた。 結局何もできずすごすごと帰ると、天は軽く肩をすくめただった。 ごめんと一応謝ると、別に期待してないと昼と全く同じことを言われた。 ああ、むかつく。 本当にむかつく。 どうせ俺は何もできないよ。 女の子一人捕まえられずに、話を聞くこともできない。 役立たずだ。 「さ、落ち込んでる暇はないよ。捨邪地に行く」 「………分かった」 そうだ。 落ち込んでも仕方ない。 俺は半人前、それは紛れもない事実だ。 ならば、反省は反省として、出来ることを、しよう。 熊沢さんの運転で訪れた捨邪地は、更に嫌な気配が立ち込めていた。 目の前が真っ暗になるほどの、濃い邪の気配。 ああ、あの洋館に似ているかもしれない。 にごったお湯の中のような、ゼリーの中を歩いているような、重く息苦しい気配。 「嫌な気配ですねえ」 熊沢さんも顔をしかめて肩をすくめる。 天も嫌そうに眉をひそめて、ため息をつく。 「より濃厚だな。ああ、やだやだ。兄さん、大丈夫?」 「………まだ、平気、だと思う」 でも結構やばいかもしれない。 普通に歩いて話すことぐらいはできるかもしれないが、何かあった時に役に立てるかと言われると絶対に立てない自信がある。 ここは俺はもしかしたらいない方がいいのかもしれない。 もしかしたらっていうか絶対帰った方がむしろ役に立てるだろう。 でも、仕事、したいな。 でも、ここにいたら、足手まといで、迷惑かけるかな。 「力はまだ十分だよね?」 ぐるぐるとふらつく頭を抱えて考えていると、天にそう問われた。 雫さんと会った時とか、部屋に張った結界に使ったが、まだまだ余力は十分にある。 その点では問題ない。 「うん」 「さっき作った結界、自分の周りに少しだけ張って」 「あ、うん」 「要領は同じ。自分の中を中心に据えて、球体で包む感じ」 天に指示されながら、力を練る。 大丈夫、さっきやった手順だ。 前にもやったことがある。 今なら、もっとうまくやれるはずだ。 呪を唱えながら、自分の青い力を練りあげていく。 丸い、水の玉、自分をすっぽりと包むような、水の塊。 丸い丸い、青い力。 力の加減が難しかったが、どうにかそれを作りあげる。 「………どう、だ?」 「うん、いい感じ。ちょっと力強すぎだけど。気分は?」 「………あ、平気だ」 「兄さんがやると消費が激しいから本当はあまりお薦め出来ないんだけど、今だけね。家の鞄の中に母さんの札あるから、今後はそれで補助して」 「あ、うん」 確かに札の補助もなく、固定された場所でなく常に動き回る自分に力を保ち続けるというのはちょっと力の消耗が激しい。 固定された場所には強い力で置いてくる感じだが、これは微弱な力を常に出し続ける感じ。 「熊沢さんは兄さんのフォローをお願いいたします」 「承知いたしました」 熊沢さんが天に仕事モードで頭を下げる。 そして俺の傍らに来て、そっと背中を撫でてくれる。 「辛くなったら言ってくださいね」 「はい。ありがとうございます」 今は大丈夫だが、後で力不足で足手まといになるかもしれない。 極力二人に迷惑をかけないように、自分の限界は見極めておかなきゃ。 そのまま森の中に入り、祠の裏に周る。 夜は更に闇を増す森の中は、空気まで濁っている。 そこには昼と変わらず、いや、昼よりも邪を湛えた石が四つ並んでいた。 天がぐるりと顔を巡らせ、石を見渡す。 「石は、変化なし、と」 「………やっぱり変な感じだな」 「うん、なーんか違和感あるんだよね。これ」 「違和感?」 「うん。なんかしっくりいかない」 「どういうこと?」 「まだまとまってなくてよく分からない」 なんだそれ。 でも天が言うからにはなんかあるのかな。 俺ももう一度じっと石を観察する。 見ているだけで気持ち悪くなるから、あまり見たくないんだけど。 仕事だから、そんなこと言ってられないよな。 愚痴だって言いたくなるよな。 愚痴が言えるっていうのも、羨ましくてムカつくんだけどさ。 「………あれ」 「どうしたの?」 「この石、少しヒビが入ってる」 「………どれ?」 俺の言葉に、天が反応して傍らにやってくる。 指さして、四つの石のうちの一つを指さす。 それは、かすかなヒビが真ん中あたりまで入っていた。 「あ、本当だ」 「………別にこれの封印が解けかかってる、とかないよな」 「うん、それほど大きな気配はないし」 じゃあ、別になんの関係もないのかな。 自然に入っちゃったヒビかな。 他の三つが綺麗だから、なんとなく気になっちゃったけど。 四天も興味をなくしたように視線をまた辺りに戻す。 「やっぱり時間がかかりそうだな。面倒」 「そういうこと言うな」 ため息交じりに不満をもらす弟を小さく窘める。 仕事が出来るだけ、贅沢だっていうのに。 まあ、天は天で仕事ばかりで大変なんだろうけどさ。 面倒だって言いながら、いつだって仕事は完璧にこなすらしいし。 でも、やっぱり愚痴がこぼせるだけ、羨ましい。 そしてムカつく。 「はいはい。じゃ、とりあえずこの森の周りを見回るとしましょうか。怪異が起きてるのはこの周りらしいし」 「うん」 そして三人で森を抜け出す。 森の外もまだ空気が濃いけれど、やっぱりあの薄暗い森よりはいい。 新鮮な空気を吸うって言う訳にはいかないけど、少しだけ呼吸が楽になる。 「この周り、やっぱり、変なこと多いんだろうな」 「まあ、これだけ邪が強くちゃね」 「………うん」 捨邪地の周りは、変なことがあることはおかしくない。 人死なんて、珍しくもない話。 それが摂理だと分かっているけれど、やっぱりいい気分がするものではない。 周りの住宅地も、きっと色々影響、受けてるんだろうな。 「あれ、なんか」 周りを見渡した時に、かすかに何かが聞こえた気がした。 車とか、生活音とか、そう言ったものじゃない、何か、別のもの。 ふと耳を奪われる、かすかな、高い音。 「………」 天も気づいたように、耳をすませる。 熊沢さんも、辺りを探るように俺たちに背を向ける。 「なんか、笛の音、みたいの、が」 かすかに、響く、甲高い、風の音のような。 『笛の音が聞こえるそうです。姿は見えないけれど、ピーという音と、何者かが歩きまわる足音だけが聞こえる』 石塚の当主の言葉が、脳裏に浮かぶ。 その瞬間ぞくりと背筋に寒気が走った。 「兄さん、結界を解いて」 「え」 「早く」 「わ、分かった」 急に飛んだ指示に、俺は維持していた結界を解こうとする。 しかしいきなりのことで混乱して、うまく力が解けない。 えっと、なにやってんだ俺。 その瞬間、何かが背に触れて、結び目を解くように俺の力の中心をほどく。 中心がほどかれた途端、すっと楽に結界を解くことが出来た。 途端に流れ込んでくる異質な気配に、一瞬眩暈がした。 ふらついた体を、受け止められる。 「あ、ありがとうございます」 「いえいえ」 後ろには、にこにこと笑う熊沢さん。 熊沢さんが力使うところとか、あんまり見たことないけど、すごいんだな。 わずかな力で、簡単に俺の力を解いてしまった。 まあ、俺の力が不足してるってのもあるんだけど。 でも、この人の力の使い方って、参考になりそうだ。 「こっち。熊沢さんも」 「はい」 天が俺の手をひっぱって、森を形作る茂みの中に連れていく。 そして身をひそめるように、天はしゃがみこむ。 自然と腕を掴まれている俺も、そのまましゃがみこんだ。 熊沢さんも後ろからついてくる。 笛の音が、近づいてきている。 「て、天」 「気配を消して」 「え」 消せと言われても、どうしたらいいんだ。 そんなこと言われても、どういう状態が気配を消している状態なのか分からない。 天が苛立ったように小さく舌打ちする。 「………悪かったな。経験不足なんだよ」 「こっち来て」 「あ」 毒づく暇もなくもう一度引っ張られ、子供のように後ろから抱えられる。 天の足の間に座りこむと、耳元に息が当たって、くすぐったい。 思わず身をよじると、大きな冷たい手が、俺の目を覆う。 そのひやりとした感触に、熱していたところに水をかけられたように、心が静まる。 「俺の呼吸に合わせて。供給する時みたいに、力を同調させて」 「う、うん」 慌てて自分の中の力をイメージする。 青い青い海。 澄み渡ったよく晴れた日の、凪いだ海。 天の、規則正しい呼吸。 これに、合わせる。 「ゆっくり、深呼吸して。目を瞑って。俺の心音を聞いて。力の流れを感じて」 目を瞑る。 天の呼吸を感じる。 心臓の音を聞く。 供給する時のように、力を合わせる。 えっと、俺の青い力を、天の白い力に乗せる感じ。 天の力に、全てを委ねて。 「そう。そのまま。もっと呼吸を深くして」 力を内に閉じ込めるように、収めて行く。 天の力に導かれるまま、周りの空気に溶け込むように、気配を拡散させていく。 呼吸と共に、自分の存在を、小さくしていく。 「うん、それでいい。そのまま、何があっても呼吸を乱さないで」 「………うん」 言われるままに、深い呼吸を繰り返す。 天に背中を預けて、より深く天の心音を感じようとする。 目を閉じていると、聴覚が研ぎ澄まされていく。 ピーピー、とかすかな風が漏れるような音が聞こえてくる。 それと同時に、金属音のようなものが聞こえる。 気配が、より濃厚になる。 結界を解いた体にはダイレクトに伝わってきて、胃がむかむかとしてくる。 眩暈がして、頭がくらくらする。 「………天」 呼吸が乱れてしまいそうだ。 空気が悪すぎて、気持ちが悪い。 天の手が、俺の額を覆う。 白い力がかすかに注ぎ込まれて、僅かに体の中が綺麗になる気がする。 「動揺しないで。大丈夫」 「う、ん」 なんとか天の呼吸から外れないように、努力する。 チャリ、チャリ、チャリ。 やはり音は聞こえてくる。 力の強い犬を繋いでおくような、鎖の紐のような音。 そして合わせて響く、笛の音。 チャリ、チャリ、チャリ。 一定の感覚で、金属音が、響いている。 それは段々と近づいてくる。 もしかして、犬の散歩だったりしないかな。 そんなあり得ないことを考える。 この濃厚な気配が、そんなことはあり得ないと告げている。 気分はどんどん悪くなる。 チャリ、チャリ、チャリ。 金属音は、大きくなる。 もう少ししたら、姿が見えるだろう。 怖くて、目を開けたくない。 このまま、目を瞑っていたい。 けれど、目を逸らしてはいけない。 チャリ、チャリ、チャリ。 怪異の正体を、見極めなければ、いけない。 |