今日も起きたのは俺の方が早かった。
多分、緊張で深く眠れないせいだろう。
四天は隣で行儀よく静かに眠っている。
性格は極悪なのに、寝顔だけは本当に天使だ。
こんな奴なのに。
こんな、最悪な奴。
でも、仕事に対する姿勢や責任感は、見ていて怖くなるほどある。
俺と違って。

やめやめ、朝から暗い気分になってどうする。

あくびを一つ、さすがに寝不足で頭が痛い。
しかし、二度寝するほどの時間もない。
仕方なくそのまま起きて、トイレに行くために部屋着のまま部屋の外に出る。
朝の少し湿った空気は、さすがにもうそろそろ寒い。

「あ、雫さん!」

部屋の外には、少し離れて雫さんが佇んでいた。
今日は土曜日だから、ジーンズ姿っていうラフな格好だ。
俺を見て、きゅっと唇をきつく噛む。
綺麗な人なのに、いつも仏頂面ばっかりで勿体ない。

「………」
「えっと、おはよう」

逃げられる前に、駆け寄る。
雫さんは、心配とは裏腹にじっと待っていてくれた。
俺の顔を見て挨拶の返しもなく聞いてくる。

「あんた、あの化け物退治したって本当?」
「あ、俺じゃなくて四天だけど………」
「そんなことはどうでもいい!」

急に声を荒げられて、心臓が跳ね上がる。
女性の強い声は、頭にきんって響く感じがする。
雫さんが顔を近づけてきて、一歩足をひいてしまう。

「あいつ、いなくなったの?」
「えっと、とりあえず、噂の元になっていたような奴は祓ったよ」
「………」

まだ終わったかどうかは分からないけど、言わない方がいいよな。
他にもいるかも、なんて言ったら雫さんはまた飛び出して行ってしまいそうだ。
化け物云々じゃなくて、女の子が夜に一人で出歩くなんて、危ない。

「だから、雫さんも、もう一人で頑張ること、ないよ」
「うるさい!」

激しい感情に、どうしても体が竦んでしまう。
人に怒りとかを向けられるのは、やっぱり慣れない。
俺が黙ったのに気付いて、雫さんがしまったって顔をする。
きゅっと、赤く色づいた唇を噛む。

「………ごめん」

そして、ため息交じりに肩を落とす。
そのしょぼんとした様子が、きつい印象からいきなり幼い子供のように頼りない感じになって、なんだかかわいかった。

「………あ、大丈夫」

だから、肩と、強張った顔から力が抜ける。
祐樹さんが言うとおり、本当はきっといい子なんだろうな。
友達が犠牲になったから、ここまで思いつめて、余裕がないんだろう。

「雫さんは、大丈夫?………その、お友達が、亡くなったんだよね」

俺の言葉に、雫さんの顔色から血の気が引いた。
青ざめて、雪のように真っ白になる。
しまった、っと思っても遅かった。
雫さんは崩れ落ちるように、その場にしゃがみこんでしまう。

「し、雫さん!?」
「………祥子」

体育座りようような格好でしゃがみこんで膝に顔を埋めているから、声がよく聞こえない。
自分も腰をおろして、その声を聞き取ろうと耳をすませる。

「………雫さん?」
「祥子を殺したのは、私なの………」
「え」
「祥子が、あんな目にあったのは、私のせいなんだ」

雫さんの言っていることが唐突過ぎて、頭が真っ白になる。
殺したって、どういうことだろう。
殺され方から見ても、間違いなく祥子さんは、あいつに殺された。
雫さんが殺したはずはないと思う。

「………えっと、どういうこと?」
「………」

雫さんがゆっくりと顔をあげる。
縋るように、今にも泣きそうな顔をしていた。
きつく凛とした美貌が、迷子の子供のように頼りなかった。

「……雫、さん?」
「わたし、ね」

雫さんがしゃがみこんだまま、酸素を求め、あえぐように口を開く。
俺もそのかすかな声を聞くために、腰をかがめ、雫さんに近づく。

「雫?」

しかし、聞こえてきた声に、雫さんはすぐに立ち上がる。
後ろを振り向くと、そこには穏やかな気配を纏う優しげな人の姿。
怪訝そうに、俺たちを見ていた。

「おにい、ちゃん」

雫さんはその姿を認めると、祐樹さんが来た方向とは反対に駆けだす。

「あ、雫さん!」
「待ちなさい、雫」

咄嗟にその腕を掴んでしまうと、雫さんは小さく舌打ちしてそれを振り払う。
けれどその間にも祐樹さんは近づいてきていて、雫さんの腕を再度掴む。

「あっ」
「雫、昨日も学校いかなかっただろう」
「………だって」
「だってじゃない。家のことは宮守家の方々やってくださる。お前は何も心配しなくてもいい」

いつも優しげな祐樹さんが、怖い顔をして妹を責めている。
兄はやっぱり怖い存在なのか、雫さんは俯いて目を逸らしている。

「………」
「それに怪異の元は昨日祓っていただいた。お前がむやみやたらに動き回る必要はない。むしろ邪魔になる」
「っ」
「お前の行動で、迷惑がかかったらどうするんだ」

あ、そんなこと言ったら駄目だ、と思った時には遅かった。
雫さんは腕を振り払い、きつい目を吊り上げて、祐樹さんを睨みつけた。

「お兄ちゃんの馬鹿!」

そして、その表情からすると随分かわいい文句を残して、今度こそ駆け去って行った。
パタパタと廊下を蹴る音がなくなると、急に場は静まりかえる。
残されたのは、俺と祐樹さん。
妹と口論を終えた兄は、深い深いため息をつく。
そして少し疲れた顔で笑って、俺に頭を下げた。

「………失礼しました。変なところをお見せして」
「あ、いえ。その、ごめんなさい」
「なんで、三薙さんが謝るんですか」

くすっと小さく笑う。
いや、だってなんか、こんな家族のやりとりの中に突っ立っててごめんなさいって言うか。
聞く気はなかったんだけど。
祐樹さんは困ったように眉を寄せて、もう一度ため息をつく。

「駄目ですね。あんなこと言うつもりなかったのに」
「………祐樹さんは、心配なんですよね」
「つい、言いすぎてしまいます」

なんだか、祐樹さんの言葉は俺に言われているようで、ズキズキと突き刺さった。
雫さんのしていることは、余計なことだと、思う。
危ないことだし、大人しくしていたほしい。
それは分かる。

でも、彼女だって、必死なんだ。
彼女なりに、自分の手で、どうにかしたい。
無力な自分がもどかしくて、苛立たしくて。
それでも走らずにはいられない。
それをあんな風に頭ごなしに否定されたら、反発してしまう。
雫さんの気持ちが、痛いほど分かる気がした。

「でも、祐樹さんは、心配、だからですよね」
「………ええ」

それは、俺とは違う。
俺の場合はただ俺が無能で役立たずだから、苛立たせているだけだ。
でも、祐樹さんは、雫さんを心から心配している。

「あの子には立派な当主になって欲しいからしっかりしてほしいのですが、まだまだ子供で感情が先走ってしまう」
「あ」
「どうしました?」

聞いていいのか迷う。
けれど祐樹さんが優しげな顔で待っているから、思い切って聞いてみた。

「家は、雫さんが?」

俺の問いに祐樹さんは、ああと得心したようだった。

「難しいところです。本当は、当主なんて重荷をあの子に押しつけたくない。煩わしいことばかりですから」

ああ、それもまた、雫さんへの気遣い。
祐樹さんのその切なそうな顔は、どんな言葉よりも雫さんへの想いが溢れていた。

「でも、才能から言えば、あの子の方がふさわしいでしょう。勿論あの子が当主になったら、全力で補佐はしますが」
「雫さんは、祐樹さんいてくれたら、安心でしょうね」
「だったらいいのですが。私にもう少し力があればよかった。あの子には自由に生きて欲しいです」

いいな、と思う。
その純粋な思いやりに、とても心が温かくなる。

「本当に、雫さんには祐樹さんがいて、よかったと、俺は思います」

俺の言葉に、祐樹さんはやっぱり困ったように笑った。

「そう言っていただけると、安心します」
「あ、すいません。なんか変なこと聞いちゃって」
「いえ、俺もあなたの前だと話しすぎてしまう」

その言葉は嬉しいけど、それって緊張しないってことだよな。
あんまり俺が仕事で来てるって感じじゃないからだろうな。
でも、祐樹さんに遠慮なく話してもらえるのは、悪い気はしない。

「俺が頼りないからかもしれませんね。俺にも兄がいるんです。祐樹さんみたいに、優しくて頼りがいあって、大きい人 です。俺も一応兄なんだけど、どうして祐樹さんみたいになれないのかな………」
「光栄ですね。でも三薙さんはそのままでいいと思いますよ」

お世辞でも、嬉しい言葉だ。
特にものすごい自分のふがいなさにへこんでいる今みたいな時は。
これに甘えちゃ、いけないんだけどさ。
駄目だ、この人に愚痴ってどうする。

「祐樹さん、ひどいクマですね」

話を変えようと見上げた祐樹さんの目には、くっきりと黒い縁取りがされていた。
疲れが色濃く滲んでいる。

「ああ、昨日はさすがに寝ていないので」

頭痛を抑えるように、こめかみを抑える。
そうだ、あの後の後始末は、全て石塚の家の人にやってもらってるし、祐樹さんも付き合っていたのだろう。

「昨日、あの後どうなったんですか?」
「後で、四天さんと一緒に詳しくお話しますが、事故ということになりそうです。誰にも発見されないまま腐乱してしまった状態で、発見された、ということに」
「………そうですか」

その不自然な死は、きっと家族の心に深く傷を残すだろう。
少しでも、傷が早く癒えると、いい。
自分達に責任を感じなければ、いい。

「あんな姿になって、ご家族が、ショックを受けないと、いいですね………」
「私はあの後すぐに家のものに遺体については任せてしまったのであまり見てないのですが、やはりこれまでどおり?」
「はい、かなり痛んで………」
「………そうですか。遠目から見ても、虫がかなりいましたしね」

祐樹さんが沈痛な顔で、眉をひそめる。
俺も俯いて、使いこまれた廊下の節目に目を落とす。
すると祐樹さんは励ますように、少し声を明るくした。

「難しいところですが、少しでもご家族がショックを受けない形で遺体を引き渡したいと思います」
「……ありがとうございます」

本当に、優しい人だ。
すごい疲れてるだろうに、俺のことも気遣ってくれて。

「では、朝食にいたしましょうか」
「はい、四天と熊沢さんを呼んできます」

あ、トイレ行き忘れた。
ま、いいか。
とりあえず二人を呼んでこよう。

勢いよく振り返ると、少し頭がくらくらした。
ああ、どうして俺はいつまでもこうなんだろう。



***




「いやいや、来ていただいて二日で鎮めてくださるとはさすが、宮守家のお方ですな!」

石塚の当主は、朝から激しく上機嫌でそんなことを言い始めた。
ていうかこの人、何してたんだろう。
夜も見かけなかったし。
仕事してるのかな、このおっさん。
天はシャケをつついていた箸を静かに置いて、冷静に返す。

「とりあえず噂の一因と思われるものは祓いましたが、まだこれで終わったかは判明しておりませんので、引き続き警戒

をお願いいたします」
「でも、怪異の元となった化け物については祓っていただけたのでしょう」
「はい。噂の元となったと思われる笛の音と、足音などについては特定いたしました。しかしその怪異がなぜ起こったかについては、まだとなります」

上機嫌だったところに水を差されて、当主は鼻白む。
天の冷たいぐらいの冷静さは、どこか楽観的な当主を馬鹿にしているようにも感じる。

「原因を特定しないと、また同じことが起こる可能性もあります」
「だが、原因の不明な異変など捨邪地ではよくあることでしょう」
「そうですが、今回のことが本当に収まったかどうかは、もう少し様子を見なければわかりません」
「………」

当主はつまらなそうに、ふん、と鼻を鳴らした。
うわ、感じ悪い。
さっさと自分の管理地に問題を片付けてしまいたいのと、子供ほどの年の天に諭されるのも、楽しくないのだろう。

「申し訳ございませんが、今しばらくお時間をいただきます」
「高い金を支払っているのですから、早く特定していただきたいものですな。仮にも宮守の総家の方ですから、問題ないとは思いますが」
「はい、宮守の名に恥じぬよう、勤めさせていただきます」
「ええ、本当ならご当主やお兄様に来てほしかったどころだが、仕方ないです。早く本当に鎮まったかのご確認をお願いします」
「………っ」

思わず言い返しそうになった俺を、天がちらりと視線で抑える。
その落ち着いた態度に、怒りがしゅるしゅると萎んでいく。
言われてる天が何も言わないんだから、俺がいうべきじゃない。
でもすっげームカつく、この親父。
なんなんだよ。
お前は何もできなかったくせに。
俺たちが来た時はあんなおだててたのに、あっさり手の平返しやがって。

そのまま険悪な雰囲気を残し、胃が痛くなるような朝食は終わった。
当主が不機嫌そうに席を外し、俺たちも居間を後にする。

「何あのおっさん!」

怒りが冷めやらぬまま、俺が小さく吐き捨てると、天は軽く肩をすくめた。
熊沢さんと天は、別に気にしてもない様子だ。

「ま、ずっと俺達がいるのも外聞が悪いだろうし、長引けば長引くほど金もかかるしね」
「だからって、約束は後二日間あるんだろ」
「まあね。ま、嫌みを言ってもあの人にはどうにもできないんだから、放っておけばいいよ。単に文句を言いたいだけな んだから」

なんでそんな風に流せるんだろう。
まあ、仕事だから、これくらいの嫌な想いをするのは、仕方ないことなのかな。

「よくあることだよ、慣れないとね」

俺が何を考えているのか分かったのか、天は薄く笑った。





BACK   TOP   NEXT