フシイシに連れて行ったって、えっと。

「どうして?」
「………」

雫さんは、応えずに黙りこむ。
更に重ねて聞いた方がいいのか分からなくて、俺もただ黙って雫さんの後ろを歩く。
身長が同じぐらいの雫さんとは、歩幅が同じぐらい。
付かず離れず、二人で歩く。
しばらくそのまま歩いていたら、住宅地の切れ間にぽっかりと空間が現れて、視界が開けた。

「小さい、公園だな」

空き地に無理矢理作ったような、ブランコと滑り台だけがある古い公園。
今時の子供がこんなところで遊ぶのだろうか。
雫さんはするりと、公園に入りこむ。
俺も慌てて後を追う。

「ここ、昔、よくお兄ちゃんと、遊んだ」

二台しかない埃まみれのブランコに、懐かしそうに目を細めて座りこむ。
別に汚れて困るような服でもないから、俺も隣のブランコに座った。
昔はかなり高く感じただろうブランコは、座るのも辛いくらい低くて小さい。

「小さいなあ。お兄ちゃんと二人乗りも出来たんだけど、今は無理そう」
「一人でも結構辛いな」
「お尻大きくなってるんだなあ」

しみじみと言う雫さんに、なんて答えたらいいか分からない。
細いじゃんって言うのも、そうだねっていうのも、どっちも怒られそうな気がする。
黙っておこう。

「………あの場所もね、昔よく、お兄ちゃんと行ったんだ」

特に答えを期待していなかったようで、雫さんはブランコに座ったまま、足元に視線を落とす。
一瞬なんのことか分からなかったが、最初に話していたことを思い出す。

「………あの場所って、フシイシ?」
「そう」

雫さんはちょっと疲れたように笑って、地面を一蹴りする。
キィと音を立ててブランコは揺れたが、勢いが足らずにすぐに止まってしまった。

「あんな場所だけど、だからこそ、他に誰もいないから、よく内緒の話とかする時に二人で行ったんだ。それに、石塚の家にとっては、大事な場所だったから。お兄ちゃんと約束したんだ。石塚を一緒に守っていこうね、って、あの場所で」

もう一度、地面を蹴ってブランコが揺れる。
今度は長い脚が地面に引っかかって、すぐに止まってしまった。

「おじさんは、あの頃は、厄介者の私とお兄ちゃんが仲良くするのは嫌がっていたから、あそこで内緒でこっそり遊んだりした。今考えたらとんでもないけどね。あの頃は、怖さもよく理解出来てなかったから。お兄ちゃん、よく言ってくれた。一緒に強くなって、家を守ろうって。お父さんとお母さんの大事にしていたものを守ろうって。私を、お兄ちゃんがずっと守ってくれるって、そう約束してくれた。だから、私は、お兄ちゃんとずっと一緒だと思ってた」

あんな空気の悪いところで、よく遊べていたな。
二人とも強いな。
場所はともかくとして、心温まる、懐かしい、二人の子供の昔話。
けれど、話す少女の顔は、ただ苦しそうだった。

「………祥子が、お兄ちゃんのこと好きになって、私、嫌でしょうがなくて、怖くて、悔しくて。お兄ちゃんが、祥子に取られちゃうんじゃないかって、考えたら、怖くて、どうしようもなく怖くて」
「雫さんは………」

祐樹さんが、好きなのって聞こうとして、言葉を飲んだ。
聞いていいのか、分からなかった。
でも、雫さんはこちらを見て、困ったように笑った。

「分かんない。これが恋なのか、とか分からない。でも、私の家族は、お兄ちゃんしかいない。私にはお兄ちゃんしかいない。それなのに、お兄ちゃんが祥子のこと好きになったら、私一人になっちゃう。お兄ちゃんは私だけ、見ててほしい。お兄ちゃんが、他の人のものになるの、嫌だ。これが恋なのか、それとも家族に対する執着なのか、分からない」

子供っぽいよね、と言って雫さんは小さくため息をつく。
それは俺からしたら、恋なんじゃないかな、って思った。
でも、俺自身、恋なんて憧れ程度のものしかしたことないし、よく分からない。
そういう、単純な気持ちじゃないんだろうな。
小さい頃から兄妹のようにして育った、けれど兄妹ではない二人。
だから何も言えずに、そっか、としか言えなかった。

「どうしても、祥子にお兄ちゃんがとられるの嫌だった。祥子は私の家のこと、少し知ってたから、私たちはここを守っていかないといけないから、祥子の出る幕はないんだって言っちゃったんだ。部外者は、絶対にお兄ちゃんと一緒にいられない、祥子なんて、なんの力もない一般人のくせにって」

唇を歪めて、自嘲する。
その顔は、苦しさとか、痛みとか、そんなものに満ちていた。
そして、ドキリとするほど、大人っぽかった。

「偉そうに、馬鹿みたい。自分のいいところとかじゃなくて、家の力でお兄ちゃん一人占めしようとして」

ブランコの上で、身じろいでうつむく。
キィと錆ついた手すりが、嫌な音を立てる。

「そしたら、祥子が、そんな迷信信じてるなんて、頭おかしいって、そんな馬鹿馬鹿しいことに縛り付けられているお兄ちゃんが可哀そうだって」

雫さんが、きゅっと、形のいい赤い唇を噛む。

「祥子とはずっと友達だったから、ショックだった。私がそういうの見えるとか、そういう力があるとか、信じてくれてると思ってた。祥子だけは、信じてくれてると思ってた。ショックで、悔しくて」
「………祥子さんはきっと、頭に血がのぼって………」
「うん、あの子、怒りっぽいから多分興奮しすぎて言っちゃったんだと思う。でも、頭おかしいって、多分普段から思ってないと、出てこないよね。私、ずっと祥子に信じてもらえてなかったんだ」

その声は諦めに満ちて、淡々としていた。
静かな声だったけど、ただ、とても哀しそうだった。
俺の、勘違いかもしれないけれど。

雫さんも、力では、苦労したんだろうな。
見えない人には、変人にしか見られない、俺たちの力。
この前ようやく家族以外に受け入れてくれる人達が出来たけど、それでもやはり自分は異質なんだと、いつでも感じている。
藤吉や岡野や槇に頭がおかしいなんて言われたら、俺はどうするだろうか。
一度受け入れられた分だけ、よりダメージが大きいだろう。
想像するだけ、怖い。

「それで、フシイシに連れて行ったんだ。あそこなら鈍感な祥子でも、分かるかと思って。でも、あの子、何も感じなくて。悔しくて、少し力を使った。使鬼を使って、祥子を脅かした。でもあの子もそれも手品だって言って、馬鹿馬鹿しいって、フシイシを蹴ったりしてすごい勢いで罵ったりして、取っ組み合いの喧嘩して、結局そのままその日別れた。その時、フシイシは何も変わった様子なかった………」

感じない人は、何も感じない。
それでいて、影響だけは受けたりする。
まったく邪っていうのは、理不尽の塊だ。

「それで………」

雫さんが大きな手で、顔を覆う。
そしてため息と共に、かすれた声で吐きだした。

「次の日、祥子がいなくなった」

雫さんの声は、震えてはいない。
けれど、ただ重い。

「探して、すごい探して。家出だって言われて、でも不安で、そのうち、あんなことになって、それで、更に人が死ぬのが、続いて」

きっと、ずっと怖かったんだろう。
ずっと、一人で抱えてきたんだろう。
雫さんは、苦しさを全て吐き出すように、言葉を止めない。

「私が、フシイシなんて連れて行かなかったら、こんなことにならなかった。私が、祥子を、殺したんだ」

朝の明るい日差しの下、懐かしい匂いのする素朴な公園の中。
雫さんの顔はただ、青白い。

「だから、せめて原因、知りたくて、私は石塚の人間だから、それは私の勤めだから」

また、赤い唇を、強く噛む。

「でも、何が起こってるのか、全然分からないの。フシイシは、全然何も変わらない。どうして、死人が続くのか分からない!私には、何も分からないの!!」

最後の方は、堪え切れずに、叫んでいた。
勤めて冷静でいようとしていた感情が、溢れて決壊してしまったように。

「もう、どうしたらいいか、分からない!」
「それ、祐樹さんには………」

一人で苦しんで、一人で戦っている雫さんが、可哀そうだった。
とても痛々しく見えた。
すぐ傍に助けてくれる人が、彼女にはいるのに。

「言える訳ないでしょ!こんなっ」
「でも、祐樹さんは心配してる」
「分かってる!でも、石塚の家の人間としてやっちゃいけないことして、更にその理由が、お兄ちゃんを一人占めしたいから、なんて、そんなこと!」

管理者として捨邪地を荒らし、悪戯に力を使うことは、許されないことだ。
それを、嫉妬から、彼女はした。
それを原因である祐樹さんに知られるのは、確かに恥ずかしく苦しいことだろう。
だからこそ、ずっと一人で苦しんできた。

でも、もう耐えきれなかったんだろう。
だから、俺みたいな出会って間もない、頼りない人間にこんな風に話している。
祐樹さんにも、友達にも、誰にも話せなくて、すごい、苦しかっただろうな。
彼女を、少しでも、楽にさせてあげたかった。

「雫さん………、えっと、ずっと、一人で、苦しかったよね」
「………私は、苦しくない。私のは、自業自得」
「でも、辛いよね。何もできないって、辛い。何も分からないって、辛い。自分のせいで、誰かが傷つくのは、何より、辛くて、怖くて、それで………、自分が役立たずだって分かるのは、哀しい」

何かしたい。
自分のせいだから、自分の手で片付けたい。
人を傷つけたくない。
それなのに自分のせいで、傷つく人が出る。
自分の力が足りないせいで。
自分が役立たずなせいで。

「………私が、悪いの………、私が、全部、悪い…だから、私が、解決しなきゃ……」
「俺、ね。いつも言われるんだ。一人でなんでもやろうと、するなって。自分の力不足を認めて、人に教えと助けを請えって。失敗を隠そうとして、一人で全てを行おうとすると余計に事態を悪化させるって」

俺が一人で何かしたら、いつだって失敗ばっかり。
ああ、何を俺、偉そうに雫さんに言ってるんだろ。
こんなこと言える権利、俺にはないのに。
雫さんは責められたと感じたのか、顔をあげて睨みつけてくる。

「私が悪いって言うの!」
「助けを借りるのって、悪いこと、じゃないんだよ。助けてって言った方が、いいんだよ。雫さんには、助けてくれる人、いるんだから」

俺は助けてって言ったら、いつだって助けてもらえた。
一兄や双兄、それに、四天が助けてくれた。
そうしたら、いつだって事態が好転してきた。
雫さんも、もっと早く、助けてって言ったら、こんなに苦しまないで済んだんじゃないかな。
あんなに優しいお兄さんが、傍にいるんだから。

「………」
「祐樹さんは、何より雫さんのこと、心配してるよ。雫さんが幸せになる方法を、いつだって探してるよ。雫さんが苦しんでることを、何より苦しんでるよ」

何が雫さんの幸せなのか、と悩んでいた祐樹さん。
雫さんの話をする祐樹さんはいつだって優しい顔をしていた。

「………」
「それに、友達が、亡くなったなら、泣いていいんだと、思うよ。雫さん、祥子さんのこと、好きだったんでしょう?」
「っ」

喧嘩しても、信じられてなかったと思っても、それでもその死を悔やんで、ずっと原因を探し続けている。
それは、管理者としての責任だけじゃないと思う。

「………ぁ」

雫さんが小さく呻いて、顔をくしゃりと歪める。
そして、ぽろりと一筋だけ、涙がこぼれる。

「あ、えっと、ご、ごめんね!」

女性がこんな風に泣く姿なんて見たことないから、焦って謝ってしまう。
雫さんはかぶりをふって、歯を食いしばる。
泣くのをこらえているようだけど、けれど、一粒零れてしまった涙はもう止まらなかった。

「あ、ああ……う、く」

しゃくりあげて、顔をくしゃくしゃにして、ボロボロと涙をこぼす。
とても苦しそうに、声を抑えて、泣く。
そんな泣き方が哀しくて、俺は恐る恐るブランコから立ち上がった。

「その、ごめん。嫌だったら、言ってね」

雫さんの前にたって、そっとその頭を胸に押しつける。
熱い吐息を薄いシャツ越しに感じて、なんとなく居心地が悪い。
シャンプーの匂いなのか、甘い匂いがして、くらくらした。
筋肉質に見える雫さんだけど、女の子の体ってなんでこんなに柔らかいんだろう。
緊張して心臓が口から飛び出そうだった。

でも、少しでも、雫さんの辛さが、和らいで欲しかった。
思いっきり、泣いて欲しかった。

「う、ああああああ」

シャツが、強く掴まれた。
大きな手の、けれど細い指が、白くなるくらい力が入っている。
堰き切ったように、雫さんが声をあげて、泣く。

「………えっと、その、雫さんは、頑張ったよ」

俺が一兄にされて嬉しかったように、労って、頭を撫でる。
失敗は許されないし、間違った行動はこっぴどく叱られる。
けれど、失敗して叱られて、落ち込んでも、一兄はいつでも努力を認めてくれた。
こうして頭を撫でて、頑張ったな、って言ってくれた。
双兄や四天に比べて、甘やかされるな、とは思うけれど。
こういうところが、四天の癇に障るのだろうけど。

でも、こうされて、俺は少しは報われた気がしたから。
雫さんの、痛みも、少しでも和らげばいい。

「雫さんは、すごい、頑張ったよ」



***




「………ごめん」

しばらく泣き続けて、俺のシャツをぐちゃぐちゃにしてから、雫さんは謝った。
何に対して謝ったのか分からないけど、すっきりした顔をしていたから、俺は笑う。

「えっと、俺もごめんね。なんか偉そうなこと、言っちゃって」
「本当、生意気」
「ご、ごめん!」

確かに偉そうだったよな。
俺みたいな役立たずに、あんなこと言われたら。
ていうか偉そうに言ったこと、全部俺が言われてることだし。
ていうかそもそも俺、雫さんより年下だし。

「ねえ、名前なんて言うの?」
「え!?あれ、言ってなかったっけ。えっと、三薙。宮守三薙」

ぐるぐるしていると、雫さんがまだ赤い鼻と頬をしたまま聞いてきた。
涙でぐちゃぐちゃになった顔は可哀そうな感じだったけれど、なんだかすごく可愛かった。
小さな女の子みたいに、頼りなくて、守ってあげたくなる感じだ。

「三薙、ね」

雫さんが、噛みしめるように、口の中で俺の名前を繰り返す。
そして、にっこりと笑った。

「………ありがとう、三薙」
「あ、あ、あ」

雫さんの前回の笑顔を見るのが、初めてだった。
いつものクールなきつい印象とは違って、とても柔らかくて優しい笑顔。
そして身内以外の女の子に名前を呼ばれるのは初めてだ。
なんというか要するに、そういう場合じゃないの分かっているが、照れる。

「顔、真っ赤」

俺を見上げて、雫さんがクールに笑う。

「ご、ごめん、なんか慣れなくて!!」
「あんた、彼女いないでしょ」
「うるさい!」

俺が言い返すと、かすれた声を弾ませて笑った。
ああ、やっぱり、笑ってる顔の方がいいな。

「………あの、さ」

笑いが収まるのを待って、さっき考えていたことを切りだしてみる。
ぼやけていて、ちらばっていて、全然まとまっていないのだけれど。

「考えてみたんだけど、雫さんのせいじゃ、ないんじゃないかな」
「え?」
「祥子さんと不死石で、喧嘩した時、特にそこに変わった様子はなかったんでしょ?」
「うん。特に何もなかった、と思う」

雫さんが思い出すように眉を顰めて、考えながら答える。
確かに場を荒らしたから、祥子さんが邪に目をつけられたってことは、あったかもしれない。
それで死に至るってことは、確かにあるだろう。

「ああいう場所ってさ、結構人が入り込んだりするだろ?蹴ったりとかはよくされてたと思うんだよね」
「まあ、うん。でも、祥子は確かに次の日からいなくなった。あそこに死人が多いのは確かだったし」

ちょっとヤンチャしちゃってる学生とかが入り込んで場を荒らして、犠牲になる。
そういうことは、確かにある。

「うん、でも、死人は確かに多かったけど、一か月いなくなってから発見される、とか、死人がこんなに続くって、なかったんだよね」
「うん」
「だったら、もっとなんかちゃんとした理由があるんじゃないかな。そんなある意味他愛のない理由で、こんな大事に、なるかな」
「………でも」
「うん、まあ、俺にも分からないんだけどさ。でも、なんか変だなって思っただけで」

違和感が、やっぱりある。
何か、原因があるんだと、思う。
祥子さんと雫さんの喧嘩が原因って、だけじゃ、弱いような気がする。
でも、俺にも何も分からない。
それに、今日で帰る俺には、これ以上何もできない。

「祐樹さんと、相談してみたらいいんじゃないかな」
「………うん。そうする」

後は、石塚の家に、任せるしかない。
でもきっと、祐樹さんと雫さんだったら、なんとかできるんじゃないかと、思う。
二人だったら、きっと解決できる。

「ありがとう、三薙」

雫さんは、もう一度優しく笑った。





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