「さあ、どうする兄さん?」

情けなく座りこんだ俺を、四天が楽しそうに見下ろしている。
どうしてこいつは、こういう時、酷く嬉しそうな顔をするのだろう。
こういう顔をする弟は、なんだかとても非人間的で、とても恐ろしく感じる。

「どうする、って………」
「気付かなかったふりをして、このまま帰る?」
「………」
「それとも、当初の予定通り、原因を特定して解決する?」
「あ………」

原因が、祐樹さんだとしたら、つまり、犠牲者を出していたのは、祐樹さんということに、なる。
俺たちの仕事は、怪異を祓うこと。
つまり、祐樹さんをどうにかしなきゃ、いけないということに、なるのか。
いや、でも、祐樹さんはそんな人じゃない。
あんなに優しくて、妹を心底大事にしていた、穏やかな人。
こんなの、何かの間違いだ。
四天が、でっちあげてるだけだ。

いや、違う、祐樹さんが邪に乗っ取られて操られてるんじゃないのかな。
闇に、負けてしまったのかもしれない。
それなら、助けなきゃいけない。
でも、もしもそれが、祐樹さんの意志だったら。

このまま気付かなかったことにして、この場を去れば、どうなるだろう。
祐樹さんと、対峙しなくて、済む。
このまま何もなかったかのように、元の生活に戻れる。
いや、でも、それだと、また犠牲者が出るのだろうか。
四天は自滅すると言った。
祐樹さんが、自滅する、のか。
この家はどうなる。
そして、雫さんは、どうなる。
祐樹さんがやっているのなら、止めなきゃ、いけないのか。

「さあ、兄さん、どうするの?」

四天の声が、更に追い詰める。
分からない。
何が正しいのか、分からない。
どちらが正しくて、どちらが間違っているんだ。
何が得られて、何が失われるんだ。

「まあ、でもよかったね、兄さん。迷う必要はなさそうだよ」

意味が分からなくて顔をあげると、四天はつまらなそうに肩をすくめた。
そして、蔵の外。
俺の後ろの扉に、声をかけた。

「ねえ、あなたはどうしますか?」

カタ、ン。
開け放たれたままの扉が、小さく音を立てる。
驚いて振り向くと、そこには長身の、すらりとしたジーンズ姿の、少女の姿。

「し、ずく、さん」

雫さんの顔は、真っ青だった。
声が、出ない。

「………あ」

俺は何も言えず、ただその白い顔を見ていた。
雫さんはきゅっと唇を噛むと踵を返して、長い脚を踏み出して駆けて行ってしまう。
ようやく状況が理解できた俺は、慌てて立ち上がる。

「雫さん!」

反射的に後を追おうとすると、腕を掴まれ、つんのめる。
振り向くと、黒い黒い目が、じっと俺を見ていた。

「天!?」
「追うの?」
「………あ」
「俺としては放っておいてもいいんだけど。石塚の家の問題だしね」

放っておく。
きっと、雫さんが向かった先は、祐樹さんのところ。
今の状態で、あの二人が向き合ったら、どうなるんだ。
あの二人は向き合って、何を話すんだ。

「どうしたい?」
「………雫さんを、追いかける!」
「どうなるか分からないよ?」
「それで、も」

俺の意志を確かめるように、黒い目がじっとみている。
唾を飲み込み、大きく呼吸をする。

「それでも、雫さんを、追わないと」

祐樹さんが何を考えているか、分からない。
あの二人が向き合って、何が起こるか分からない。
祐樹さんが雫さんに危害を加えることは、ないと思う。
けれど、二人が、万が一にも、傷ついてほしくない。

「また、感情的に行動するの?自分の行動に責任は取れる?」
「………あ」

そうだ、こうやって飛び出して、俺はいつでも失敗する。
いつだって、事態を悪化させる。
でも、あの二人を、放っておけない。
でも、俺一人では、何もできやしない。
そうだ、一人じゃ、何も、出来ないんだ。

「………俺は、雫さんを、追いたい。何もないと、思うけど、何かあったらいやだから、追いたい。でも、俺一人では、何もできない。出来れば、天にも、来てほしい」
「ふーん、俺が行かないって言ったら?」

色々な感情を抑え込んで、頼んでも、四天は頷いてはくれない。
なんでこいつは邪魔ばっかりするんだ。
早く雫さんを追いたいのに。
駄目だ、苛立つな、怒るな、感情的になるな。

「俺が、一人で行くのは、駄目か?」
「悪化させるだけだから駄目」
「………」

確かに、そうだ。
俺が雫さんを追って、何が出来るんだろう。
ていうか、この状況で俺に、何が出来るんだろう。
でも、何かせずには、いられない。
優しい人達に、傷ついてほしくない。
でも、ここで感情的に飛び出したら、これまでと、一緒だ。

「仕方ないなあ」

どうしたらいいか分からなくて黙りこんでいると、天が小さくため息をついた。
そして、俺の腕から手を離した。

「契約は今日までだしね。これもお仕事」

屈みこみ、足元にあった剣袋に入った剣をとる。
それを背負って、顎で俺を促す。

「じゃ、行こうか」
「………うん!」

頷き、天の後を追い蔵の外に飛び出した。



***




家の中に、祐樹さんはいなかった。
使用人の人に聞いても、どこに行ったかは分からないとのことだった。
雫さんも、どこにいるかは分からない。

「ここ、かな」
「さあ?」

となると、他に考えられるところは、今のところここしかなかった。
捨邪地の森は、相変わらず嫌な空気に満ちている。

「こんなことなら熊沢さん、残しておけばよかった。はあ」

四天がうんざりしたようにため息をつく。
石塚の家から捨邪地までは車だったら15分程度だが、歩くとものすごい時間がかかる。
途中運よくタクシーを見つけて拾ったものの、ちょっと離れた位置でおろしてもらったからいつもよりもずっと歩いた。

「兄さん、札は?」
「あ、持ってる」
「そう、じゃあ、結界張っておいて。邪気酔いで使い物にならないとか、笑えないから」
「………分かった」

どうしてこいつはこう、嫌みな言い方しかできないんだろう。
一語一語が、人の触れられたくないところを抉り取る。
でも今は文句を言っている場合じゃないし、言ってることはもっともだ。

母さんの札を使って、自分の周りに結界を張る。
濃厚な森の気配が、少しだけ和らいで、呼吸が楽になる。
それを確かめて、四天は注連縄を潜り抜ける。
俺も、その後を追う。

しばらく早足で歩いて、中心の社まで辿りつく。
もし雫さんがここに来ていたとしたら多分徒歩で向かっているはずだから、そう距離は離れていないはずだ。

「雫さん、どこにいるんだろう」

軽くあがってしまった息を整えながら、社を見下ろす。
辺りに、人の気配はない。

「いるとしたら、多分こっちかな」
「………分かるのか?」
「邪気が濃厚すぎて気配は辿れないけど、多分ね」

天は何気なくいって、今来た道のやや左側の茂みに入っていく。
どうしてか分からないけど、四天が言うのなら、何か確証があるのだろう。
黙って、その後を付いていく。

「死体が、どういう形で散らばってたか覚えてる?」

歩き始めて、天が前を見ながら聞いてくる。
言われて、熊沢さんと一緒に地図にマーキングしたことを思い出す。
なんの意味があるんだろうと思いながらもやった、作業。

「えっと、確か、捨邪地を中心として、右上に、菱形みたいに、四人。それで捨邪地を挟んで、左下に、一人」
「この前の女性は?」
「あ、左下の、位置に………あ!」

言いたいことを思い至って声を上げると、四天がちらりと後ろを振り返って頷く。

「多分、向いている方を正面として、あの社が捨邪地で、今まで俺たちが見ていた四つの石が、あの女性とかが死んでた方角」
「じゃあ、そうか、四人が亡くなっていた右上の方角が」
「多分、後四つの石がある」

そういえば、この前亡くなった女性の位置を地図に置いてみるとしたら、菱形を半分まで書いたような形に、なるかもしれない。
正確には分からないけれど。
これから行く場所に本当にもう一組の四つの石があるのだとしたら、その位置と形に添って、犠牲者は置かれていたのだろうか。

「意味がないと思っていても、なんかしらの意味はあるんだ、こういうのはね」
「………」

そう、遠くない場所にそこはあった。
もうひとつのフシイシと同じように、ぽっかりと空いた、森の切れ間。

「………あった」
「うわ、すごいね。これは俺たちを近づけたくない訳だ」

空間に一歩踏み入れると、そこは結界を貼っていてなお分かる、むせかえるような邪気の空気。
呼吸するごとに粘ついたものが肺に入ってくる感触がする。
重力が増したように、体が重くなる。
気配の濃い森の中で、殊更深い闇の気配。
四つの石が、そこには、佇んでいた。

「あ、雫さん!」

そして石の中心に、長身の少女が佇んでいた。
俺たちが声をかけても、振り向くことはなく、ただじっと石を見つめている。
でもよかった。
祐樹さんとまだ会っては、いないようだ。

「………罅が、増えてる」
「え」
「私が最後に見た時は、二つの石に罅が入っていた。でも、今は、全部入っている」

こちらを振り向かず、睨みつけるように石を見つめた雫さんの言葉に、俺も石を見る。
確かに、四つとも罅が入っていた。

「………あっちも、二つ、罅が入っていた」

最初は、一つだった。
そして、次は、二つになっていた。

「全部で六つだね。なんの数かな、兄さん?」

四天がこの立ち込める闇の中でも飄々とした態度は崩さず、聞いてくる。
最初は、一つだった。
そして、昨日は、二つ入っていた。
全部で六つ。
それは。

「………亡くなった人の、数」
「分かりやすいね。お約束通り、八人の犠牲で儀式が完成。ここで鎮められている闇が、解き放たれる、かな」

ぞくり、と、背筋に寒気が走る。
解き放たれて、そして、どうなるんだ。
この管理地一帯は、どうなるんだ。
そして、これを、行っている人は、今、どういう状態、なんだ。

「………お兄ちゃんは………」
「天、この、儀式を、行っている人は………」

まだ、祐樹さんがやっていると信じたくなくて、言葉を濁す。
俺と雫さんの言葉に、天は軽く肩をすくめる。

「兄さんが近くにいて具合が悪いってことは、常に邪気を纏わせてる。まあ、きっと、中に飼ってるんだろうね」
「………な、か」

闇を飲み込んだことが、何度かある。
内臓を掻きまわされて、自分と言う存在が食われていく恐怖。
その度に苦しさにのたうちまわり、逆に飲まれそうになった。
あの苦しみを、味わっていると、いうのか。

「お兄ちゃんは、どうなるの!?」

雫さんが、四天の腕に縋りつく。
そんな必死な様子の少女を一瞥して、四天は平坦な声で答える。

「さあ、俺には分かりません。どれくらい食われてるのか知りませんし。それほど侵蝕されてないのなら、元に戻ることは可能かもしれません。俺たちと話している時は正気のように見えましたが」

そうだ、祐樹さんは全然変な様子はなかった。
とても穏やかで、優しい人だ。
あの人が、飲まれているなんて、そんな訳ない。
雫さんの顔にも、少しだけ希望が浮かぶ。
しかし、四天は、でも、と続ける。

「封印は六つ、解かれてる。ここの気配もひどい。今でもかなり同化している状態じゃないでしょうか」

雫さんの顔が、恐怖と焦りに染まる。
四天のあまりに冷たい言葉に怒りが沸いてくる。
どうしてそういうことを言うんだと怒鳴りつけようとする。

「どうですかね、祐樹さん」

けれど、四天はそう言って後ろを振り返った。
俺と雫さんが反射的にその方向に顔を向ける。

「………」

ガサリ、と下草を踏む音をして、穏やかに笑う人が現れた。





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