「三薙?どうしたの?」 言葉を失った俺を、心配そうに雫さんが見ている。 落ち着け、落ち着け。 何かの、間違いかもしれない。 何か、食い違っているのかもしれない。 「フシイシって、あの、捨邪地にある、石だよね」 「は?そうに決まってるじゃん」 「えっと、つまり、石は、八つあるって、こと?」 「え、うん。何、今更」 「………フシイシって、死なずの石、だから、不死石、じゃないの?」 そうだ、死なずの石と書いて、不死石、そう俺たちは教わった。 そして、石は、四つだった。 けれど雫さんは不審そうな顔で俺を見ながらも、当然のように答える。 「そう言われてもいるけど、四×二、で二四石、の方が私たちの間ではよく使われてる」 どういうことだ。 石が八つある。 そんなことは、聞いていない。 「………三薙?」 「あ、ごめん、俺、ちょっと四天のところに行くね」 「え、三薙!?」 失礼だけど、それだけ言って、俺はすぐに蔵に舞い戻る。 雫さんの呼ぶ声が後ろから聞こえたが、立ち止ることはできなかった。 廊下を駆けて、中庭を抜け、焦ってもつれる足で、開け放たれた扉に滑り込む。 「四天!」 「どうしたの?」 四天は薄暗い部屋の中で、本棚の前に立っていた。 焦る俺をちらりと一瞥して、開いていた本をパタンと閉じる。 「石、石がさ、四つじゃないんだ、八つあるんだ」 「とりあえず落ち着いて」 四天のシャツを掴んで説明しようとするが、興奮のせいで言葉が出てこない。 弟は呆れたようにため息をついて、俺の額を抑えた。 そのひやりとした感触に、頭の中のぐるぐるしていたものがすっと抜け落ち、冷静さが戻ってくる。 大きく息を吸って、吐く。 落ち着け、焦るな。 「ごめん、えっと、さっき雫さんに聞いたんだけど」 そして、うまくとは言えないが、なんとか先ほどの雫さんから聞いた話を伝える。 聞き終わって、天は大きく頷いた。 「ああ、なるほど。だから文書のつじつまが合わないんだ」 「え?」 「拾い集めて読んでも、どうにも言ってることが変だったんだ。石の下は一つにつき一人。それに更新されてないって話なのに、どうもそれ以上の人間が埋まってることになっててさ。なるほどね、八つあったのか」 驚いたり、焦ったりする様子はなく、感心したようにうんうんと頷く。 もっと違う反応を想像していた俺は、拍子抜けして、ほんの少しだけ俺より背の高い弟を見つめる。 「祭りの時の作法も二回に分けて行われてる。それと、死人の数、場所。あー、すっきりした。俺も鈍いな。気付かなかった。騙された。悔しいな」 悔しいって言いながらも、確かに口を尖らせいてはいるが、四天は全然動じることがない。 こいつは、なんでこんな時も冷静なんだ。 「………四天?」 「まだ分からないことがあるんだけど、まあすっきりしたからいいかな」 何をすっきりしたんだ。 やっぱりこいつが言っていることは、意味が分からない。 いつもそうだが、いつだって俺には分からないことを話す。 「今何時?」 「あ、え、っと、12時13分」 急に聞かれて、反射的に一兄にもらった腕時計に目をやる。 もうこんな時間だったのか。 「そう。じゃあそろそろ帰る用意しようか」 「え」 何を言われたのか分からなくて、腕時計に落とした目をもう一度四天に向ける。 向けられた方は、俺の視線に首を傾げる。 「何?」 「だって、石が、もっとあるって分かって、それで、調べたりしなくて、いいのか?」 ようやく得た情報なのに、何もしないのか。 確かに今日が期限だ。 でも、まだ、今日がある。 何か、分かるかもしれないのに。 なんで帰る、なんて言っているんだ。 「調べてどうするの?」 「原因が分かるかもしれないだろ!」 「それがどういうことか、分かってる?」 「え」 どういうことって、怪異が収まるって、ことだろう。 こいつは本当に、何を言っているんだ。 四天はそこで俺の嫌いな、馬鹿にするような薄い微笑みを浮かべた。 「原因を特定しちゃっていいの?」 「いいのって、それは、しないと、駄目、だろ?」 そのために、俺たちは来たんだ。 それが、仕事だ。 何を当然のことを言っているんだ。 四天は小さく喉で笑うと、手に持っていた本に油脂を巻く。 「ここの文献ね」 「………天?」 「調べても肝心なことが出てこないんだ。まあ、ある程度周辺のものを拾い集めて読んで、不自然な点はボロボロ出てきたんだけど」 だって、それは、この家の直系以外には分からないようにするために隠してあるんじゃないのか。 石塚の家の人達が探してなかったことが、俺たちに見つけられるはずがない。 そう、こいつも言っていたじゃないか。 「そもそも二四石って呼ばれているなんてこと、少し調べれば出てくるはずなんだ。そんなの、秘する必要はない」 四天がボロボロになった本を桐の箱に戻して、蓋をする。 埃の匂いの立ち込める蔵は、薄暗くて、息苦しい。 「でも、分からなかった。というか、分からないようにされていた」 確かに、呼び名なんて、調べればすぐに分かるだろう。 雫さんは、むしろ二四石の方が使っていると言っていた。 「それに、何度も言うけど不自然すぎるでしょ。俺たちが来た日に、半年付きとめられなかった噂の元を見つけて、次の日には祓うことに成功」 桐の箱を棚に戻して、埃を祓うために手を軽く叩く。 そしてつまらなそうに肩をすくめる。 「あんなに簡単に祓えるなら、石塚の家で簡単に解決出来てた。そんなに難しい奴じゃなかったんだし」 ああ、失敗しそうになってた人はいたけど、と天はくすくすと笑う。 馬鹿にされたことを、憤る余裕はない。 目の前の弟が、何を言いたいのかを理解するために、その言葉を必死で頭に叩き込む。 四天が、俺を見て、問いかける。 「まあ、ここまで言えば兄さんもさすがに分かるよね?ていうか本当に全然疑ってなかったの?」 俺たちから情報を遠ざけて、俺たちにすぐに祓いが出来るように状況を整える。 そんなことが、できるのは。 「………いし、づかの、家が」 「ま、そうだろうね」 天が、よくできましたと言って、パチパチと手を叩く。 その心底を人を馬鹿にした態度に、頭に血が上る。 「お前、分かってたならなんで!」 怒鳴りつけても、分かってはいたが、四天には俺の怒りなんて届かない。 薄い微笑みを浮かべながら、感情を揺らすことなんてない。 「だって、俺たちの役目はあいつを祓うことだったみたいだから。もう用済みのようだしね。これ以上は特に望まれてないなら、いいんじゃない?」 「じゃあ、今まで、なんで、こんな調べたり」 「暇つぶし、と知りたいこともあったから」 「何、が?」 人が死んでいる。 皆が苦しんでいる。 原因がすぐそこに届きそう。 それなのに、目の前の弟は、分かっていながら、何もしない。 これが、正しいのか。 なんのために、俺たちはここに来たんだ。 「石塚が俺たちを利用して何やらやりたいのは分かったんだけど、何をやらせたかったのか分からなくて。だってそうでしょ?俺たち呼ぶなんてリスクが高すぎる。怪異を起こして何かをやっているって気付かれる可能性が高い。現に気づいちゃったし」 何を、させたいか。 わざわざ俺たちに隠し事をして、騙すようにして、させたかったこと。 「………何か失敗して、邪を解放しちゃって、俺たちに原因が、石塚の家の仕業って分からないようにして、祓ってほしかった、とか」 そうだ、それなら、分かる。 家の名を傷つけないように、怪異を収めて欲しかった、とかなら。 けれどその考えは四天に一蹴される。 「だったら契約を四日なんて短期間に設定しないでしょ。解決する目途もついてないのに。そもそも俺たちが来てからすぐにあのゾンビが現れるなんて、ある程度コントロールは出来てるんでしょ」 ああ、そうか、確かにそうだ。 あの状況を設定出来たってことは、あの犠牲者を操ることを出来たってことなのか。 でも、なら、別に俺たちを呼ぶ必要はない。 自分達で、なんとかすればいい。 なんで、俺たちを呼んだんだ。 そして、あの犠牲者を、祓わせたんだ。 「………一回祓って、全てを解決した、ということに、したい、のか」 「それもあるだろうね。でも、それなら自分達がやればいい。やったってことにすればいい。多分、死人が出たとしても、後二人で終わりだし」 「あと、二人?」 「多分ね。まあ、それで終わらないにしても、俺たちを呼ぶことに、メリットはそうない」 「………じゃあ、なんで」 「ね、分からないでしょ?」 なぜ、俺たちを呼んだんだ。 そして、なぜ、こんなことをしているんだ。 「………石塚は、何をやりたいんだ」 思わず漏らしてしまうと、四天は小さく肩をすくめる。 「何をやりたいか、は大体分かる気がするけどね。想像だけど、捨邪地の闇を、制御したいんでしょ。一応あれも、力になるからね。東条を覚えてるでしょ?あんなど田舎のくせにそこそこ栄えてた。うまく制御して散らばして人の欲を煽れば、富を舞い込ませることも出来る。単純に力をつけることも出来る。この家落ちぶれる寸前だし、力も欲しかっただろうね」 「………そんな」 捨邪地の闇を、好きにコントロールするなんて。 そんな馬鹿馬鹿しいこと、仮にも管理者がやろうとするのか。 俺たちに出来ることは、被害を最小限にするよう、なんとか場を整えることだけだ。 好きにコントロールなんて、出来るはずがない。 そんな馬鹿なことを、しているとは、思いたくない。 「知りたかったのは、なんで俺たちを呼んだのか。後は、誰が仕組んでるのかを知りたかった」 「………誰が………?」 「言ったでしょ。ある程度のコントロールは出来ている。邪を制御しようとしている人がいる」 ある程度コントロールを、している。 それは、つまり、祥子さんや、あのおばさんを、あんな姿にしたってことだ。 犠牲者を、生み出した、張本人。 それは、全ての、元凶。 「………分かっていて、止めないのか」 「どうせ自滅するよ。邪を制御しようなんて、そう簡単にできるはずがない。人の身で、人の形のままで、あいつらを好きになんて出来るはずないんだ。何を思い上がってるか知らないけど、そのうちこの家は滅ぶと思うよ」 「なら、尚更、止めなきゃ!」 もしかしたら、これからも犠牲者が出る。 その上、この家が滅ぶ。 そんなの、誰も、何も救われない。 「ねえ、兄さん?」 俺の言葉に、四天は楽しそうに唇を持ち上げて笑った。 その表情に、背筋にぞくりと寒気が走る。 肌寒い蔵の中が、余計に気温が下がったように感じた。 思わず体をひいてしまい、蔵の壁に背を預けた。 寒いのに、ジワリと嫌な汗が背中を伝う。 こんな顔をしている弟は、いつも、ひどく残酷な言葉で、俺を嬲る。 「兄さん、この家に来てずっと具合が悪いって言ってたよね」 「え、うん。何を、突然」 「それ、どういう時になっていたか分かる?」 「どういうって、捨邪地に、行った後に」 そうだ。 今回はずっと捨邪地に入り浸りで、ずっと体調がすぐれなかった。 今は、昨日祓ってもらったせいか気分はいい。 「行った後に、俺が邪気を祓ってもまた具合が悪くなってたよね?いつもなら捨邪地に行っても、しばらく清浄なところにいたら治ってた。それなのに、ここにいる間はずっと邪気酔いしたまま」 「それは、ずっと、入り浸り、だったから」 「まあ、それもあるけど。兄さんあんまり慣れてないしね。でも、一応この家は結界が張ってある。それなのに家の中でも具合は悪い」 「………それは」 確かに、家で休んでいても中々邪気が抜けなかった。 でもそれは、いつもより捨邪地に入り浸っているせいで。 そうだ、俺は邪気に弱いから。 「家の中に変な気配がするから原因を突き止めたかったんだ。だから兄さんに協力してもらった。ありがとう。そのせいで体調崩しちゃったね。ごめん」 「………俺は、何も、してない」 四天がくすくすと楽しそうに笑って、俺に向き合う。 綺麗に整った目鼻立ちは、年よりも大人びて見える。 「前に、この蔵を一人で調べたかったって、言ったよね。兄さんに外に出てて欲しかったって」 ああ、そうだ。 その言葉に酷く腹が立ったのを覚えている。 人が張りきって色々調べたり、聞いたりしたのに、こいつは期待してないって言って。 「石塚の人間のいないところで、蔵を調べたかったのも本当。それと、兄さんに外をに出て欲しかったんだ、二人でね」 「…………」 そう、あの後、体調をひどく壊した。 その前から邪気酔いしていたが、家の周りを一周する間に、更に気分が悪くなった。 「兄さん、邪気をため込みやすいからね、分かりやすかった。一応念のため、あのお姉さんとも一緒にいてもらったけど」 雫さんと一緒にいる時は、走ったりしてることが多かった。 ああ、でも、そういえば、雫さんといて、邪気酔いしたことはない。 「兄さんが体調を崩すのは、いつも決まった状況だね」 「………四天、やめ、ろ」 「だから聞いたのに、いいの?って」 聞きたくない。 これ以上は聞きたくない。 耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。 けれど、四天はそれを許してくれない。 「ねえ、兄さん。あの石を死なずの石だと俺たちに教えたのは誰?俺たちに、石は四つしかないと思わせたのは誰?」 綺麗な顔で笑う弟の言葉に、足の力が、抜ける。 そのまま壁に背を預けるように、ずるずると、座りこんだ。 |