「さ、三薙さん、こちらに」
「………熊沢さん」

熊沢さんに引っ張られ、更に祐樹さんと四天から遠ざかる。
十分に離れ、けれど二人が見えるところで、身を潜める。
四天は鎖を避けながら祐樹さんに詰め寄ろうとしてはそれが出来ずに、また一定の距離を取る、ということを繰り返している。
気のせいか、徐々に鎖の動きは、鈍ってきている。
何本も切り払われて、さすがにダメージはあるのだろうか。

「………熊沢さん」
「はい?」
「祐樹さんは、死ぬ、んだよね」
「残念ですが、あそこまでいっていたら、仕方ありません」

熊沢さんは淡々とした口調で、そっと目を伏せる。
ああ、やっぱり、そうなのか。
彼を邪から解放するには、それしか、ないのか。

「………そう、ですか」
「少しでも引きはがせたらどうにかなるかもしれませんけど、でももう意識の融合もかなり進んでるみたいですからね。下手に引きはがしてもただの廃人です」
「………」

中身がだいぶ食われているなら、もう、戻れないだろう。
穏やかに優しく笑う、祐樹さん。

『俺は三薙さんのそういうところに好感が持てます』

そう言って、優しくしてくれた。
頭を、撫でてくれた。
熊沢さんは顔を引き締めて、俺の迷いを断ち切るように少しだけ強い口調で窘めるように言う。

「彼が選んだことですよ。引き返す時間は多分十分にあったはずです」
「………」
「まあ、引き返せない理由もあったみたいですが」

そこで、一旦言葉を切る。
そして、俺の眼をまっすぐに見る。

「でも、それを気にしていたら、お仕事なんてできませんから」

そうだ、これは仕事だ。
情を挟むな、思い入れるな。
四天は何度も、そう言っていた。

「………四天は、大丈夫ですか?」
「四天さんなら平気だと思いますよ。まあ、後で加勢にいきますけど」

やはり四天は、祐樹さんに近づけずに、何度も後ろに回り込もうとする。
肩で息をしていて、さすがに疲労が見える。
何か、できないだろうか。
さっきみたいに、力を飲み込むことが出来れば、祐樹さんの足を止めることぐらい、できないだろうか。

「………でも」
「大丈夫ですよ、これくらい。四天さんはベテランですから」

ぽん、と肩を叩かれる。
そうだ、あいつは、小さい頃からいくつもの仕事を片付けてきた有能な人間だ。
宮守の家に、なくてはいけない、存在。
力のない、俺とは違う。

「三薙さんが出て行っても、何も出来ないでしょう」

そうだ。
その通りだ。
ああ、でも。

「………闇を、引きはがせば、祐樹さんが助かる可能性は、ありますか?」
「そうですねえ、もしかしたら」

俺の体は、邪に魅入られやすく、格好の餌になるらしい。
飲み込む容量だけは、嫌っていうほど、ある。

「………」
「三薙さん?」
「もし、俺が、あれを中に取り込んでも、四天や熊沢さんがいれば、平気ですよね」
「え?」
「………」

この前は、あの影を飲み込んでも、その後に四天に処理してもらえた。
今度はどうだろう。
あの時は比べものにならないほど、深く濃い闇。
飲み込めるだろうか。
それに、あの痛みと苦しみを思い出すと、身が竦む。
自分の中をメチャクチャにされる、痛みと恐怖。

「………」

いや、でも駄目だ。
俺が出て行っても、足手まといになるだけだろう。
駄目だ。
でも、少しでも、可能性があるなら。

「っつ!!」
「天!」

繰り返される攻撃に、さすがに四天が鎖を一つ避けそこね、頬を軽く切り裂かれる。
すぐに体勢を整え、その鎖も切り払う。

「ち!」
「四天!」

けれど、今度はすぐにその隙を狙って、新たな鎖が四天を襲う。
四天が舌打ちして切り払おうとして、けれど鎖の絡まる剣を取り落とす。
その瞬間、何も考えられなかった。

「あ、三薙さん!」

熊沢さんの呼ぶ声が、後ろから聞こえた。
けれど、足を止めることは出来なかった。
くそ、距離が遠い。
こんな遠くては、俺には何もできない。
鎖が天を貫こうとする。

「天!」

しかしその時、白い鳥が現れて、四天に向かった鎖を一つはじいて、力に押し負けて砕け散る。
あれは、多分熊沢さんの使鬼だ。
ああ、俺にも使鬼が使えればよかったのに。
それでもその隙に四天は鎖を巧みに避けながら、剣を拾い上げる。
その隙に、また鎖が三本がまっすぐに向かってくる。
まだ、四天の体勢は整っていない。

「兄さん!?」

俺もその間に四天の元まで駆け付けられる。
まだ倒れ込む弟の前に、立つ。

「何、を!?」

珍しく焦ったような声。
結界を一旦消して、向かってくる鎖に身を投げ出す。
大丈夫、飲み込める。
そうじゃなくても、四天はこの間に体勢を整えられる。

「ぐ、う、くっ」

鎖が俺に纏わりつき、体を締め上げて行く。
そのまま引き倒され、草の上を引きずられる。
皮膚が土や石に擦れて、熱い。
ギリギリと音を立てて、体中の骨を折るように三本の鎖が絡みつく。
腕が、足が変な方向に曲げられて、痛みに、声が絞り出る。

「あ、ああああ!うあ!」

落ち着け、集中しろ、青い水、体の中を流れる青い水。
痛みなんて、忘れてしまえ。
この体は、痛みなんて、感じない。

「く、う」

鎖の一本に、なんとか手を伸ばして、掴む。
そして、その黒い力をなんとか自分の中に取り込んでいく。
黒い力を、透明に、近づける。

「………三薙さん」

鎖に引きずられて、気付けば祐樹さんの足元までいつの間にか来ていた。
哀しい目をした人を、見上げる。

「ゆう、き、さん、駄目………雫さん、が」
「だから、あなたは甘いと言うんです」

その瞬間、更にもう一本鎖が巻き付いて、首が締め付けられる。
体の中に半端に取り込んだ闇が、暴れまわっている。

「う、ぐ、く、ぅ」

喉が締め付けられ、脳に酸素がいけない。
集中できなくて、力の変換が、うまくいかない。

「次の生贄に、なってください」

涙がにじんでぼやけた視界の向こうで、祐樹さんが優しく笑う。
喉に巻き付いた鎖が、喉を食い破ろうと、皮膚に食い込む。

「あっ」

なんとか振り払おうと、力を込めようとした瞬間。
キィ、ンと高い金属音がして、体が唐突に楽になった。

「は、かはっ、は、は、あ」

自由になった呼吸に、酸素を求めて息を吸う。
喉に手をやり、少しだけ傷ついた皮膚を撫でる。
腕も、自由になっている。

「………何やってるの?」
「て、ん」
「だから兄さんを連れてくるのは嫌なんだよ」

うんざりとした様子の四天が、剣を下げて俺の隣に立っていた。
そして、水晶のストラップから一つ玉を取り出して祐樹さんの足元に投げる。

「たまには大人しくしててくれない?」
「………天っ!」

その腕からは、ぽたぽたと、赤いものが伝っては、地面に落ちる。
赤い赤い、鉄の匂いのする、液体が、落ちる。

「天、天、四天!」

慌てて体を起こして、弟を見上げる。
鎖は綺麗に、俺の体から取り払われている。
そしてそのうちの一本が、天の腕に、突き刺さっている。

「うるさい。ちょっと下がってて、これで最後」

もうひとつ、足元に水晶の玉を投げると、その瞬間祐樹さんを取り囲むように円を描いて天の白い力が溢れる。
見渡すと、天の水晶が、いつのまにか祐樹さんの周りに撒かれている。
もしかしてさっきのは祐樹さんに近づけなかったのではなく、水晶を、配置するためだったのか。

「宮守の血を捧げて命ずる、この地の闇よ、その身を侵すものを捕え、その身を縛れ」

天が左手で持った剣を地面に突き刺すと、強い風が起こった気がした。
衝撃に目が開けられなくて、ぎゅっと瞑る。

「あ」

風が収まってから目を開くと、辺りを一面に占めていた鎖はなかった。
まだ残っていた鎖は、祐樹さんに巻き付いているものだけ。
そして、その上から地面に縫い付けるように、天の白い力が覆っていた。

「は、あ、捕獲完了。疲れた。まあ、兄さんのおかげで注意がそれてよかったよ」
「………四天、だいじょう、ぶ、か」
「大丈夫に見える?右腕いってるんだけど」
「………て、ん」

もう突き刺さっていた鎖はないけれど、だらりと垂れた右腕からは変わらずにポタポタと血は落ちている。
さっき切り裂かれた頬からも、血が滲んでいる。
けれど痛みに顔を顰めることもなく、天は俺の前に佇んでいる。

「はい」
「え」

左手に持った剣を、座りこんだ俺に無造作に差し出す。
そしてにっこりと笑った。

「お仕事だよ。管理者としての、お仕事」

管理者の仕事は、捨邪地の闇を一定に保つこと。
荒れることなく、清浄になりすぎることなく、管理すること。
清浄になりすぎた土地は、穢れを求めて人の死を望む。
そして、膨れ上がりすぎた闇は、更に膨れあがろうと、混乱を起こす。

「あまり長い間は持たないから、さっさとね」
「………あ」
「お仕事、しにきたんでしょ?」

簡素だが、行きとどいた見事な装飾の施された真剣から、目を逸らせなかった。





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