メモをまとめていて、気付いたことがあった。

最初に子供達の態度が変わった時も。
石の一つ多いけんけんぱをしていた時も。
ギイギイが俺に『罰』を与えたあの時も。

共通点が、一つ。
必ずそこにいたのは、健吾君だった。

「ねえ、健吾君」
「………」

健吾君は普段のあどけない子供の表情を消し去り、感情のない顔で俺を見ている。
その大きな目がまるでガラス玉のようで、少しだけぞくりとする。
以前ほどの恐怖は、感じることはないが。

「ギイギイって、何?君が、ギイギイ?」
「はなせ」
「駄目」

手を振り払おうとする健吾君の手を傷つけない程度に強く握る。
その手はひどく冷たくて、まるで血が通っていないようだった。
すぐそこでは子供達が大声ではしゃいでいて賑やかなのに、少し離れただけのこの場所は酷く静かに感じる。

「健吾君」
「………」
「………健吾君」

健吾君は相変わらずじっと見るばかりで、口を開いてくれない。
だから俺は、きっと健吾君がずっと気になっていたことを教えることにする。

「あのね、健吾君。卓也君は、元気だよ」
「え」

健吾君の目に、今度は確かに光が宿る。
大きな目を零れそうなほどに見開いて、驚愕を表わしている。
その表情だけで、伝わってきた。
きっとずっと、小さな胸を痛めてきたのだろう。

「卓也君は怪我をしたけど、元気だよ。今はお父さんとお母さんのところで、楽しく過ごしてるよ」

ギイギイがいつからいたのか、という質問をした時、夏休みからいたと言ったのは健吾君だった。
はっきりと、確信を持って答えていたのは、彼だけだった。
他の子達は分からない、多分夏休みの後、とだけ言っていた。
それがずっと引っかかっていたのだ。
だから推測した。

ギイギイは夏休みに産まれて、健吾君がなんらかの形で関わっている。
そして出てきたのが、卓也君という一時だけここにいた子供の存在だった。
どうやらそれは、間違っていなかったらしい。
健吾君はどこか怯えた様子で、首を横に振る。

「う、そ」
「本当」
「嘘だ!」
「本当。ほら」

ポケットから携帯を取り出し、中に入っていた写真を見せる。
そこには大人しそうな少年が、両親に囲まれはにかんで手を振っていた。
園長先生に頼んで、卓也君の両親に連絡をとってもらったのだ。
卓也君を心配して仕方ない子がいるから、写真を送ってほしいと。
ご両親は快く送ってくれたらしい。

「あ」

健吾君がくしゃりと、顔を歪める。
俺は小さな手を、ぎゅっと握りしめる。
その潤んだ大きな目を見つめて、ゆっくりと伝える。

「だからね、健吾君。卓也君の幽霊とかは、いないんだよ。卓也君は、元気なんだ」

みるみるうちに、大きな水の粒が瞳に浮かぶ。
そしてそれは溢れかえり、ぼろぼろと滑らかな丸い頬を伝っていく。

「あ、あ、あ」

ひくりとしゃくりあげて、ぎゅっと一回目を瞑る。
そして、とうとう我慢できなくなったように声を上げて泣きだした。

「う、わああああ、あああ」

子供の泣き声は、まるでこの世が終わってしまうかのように必死で痛々しくて、こちらまで胸がぎゅっと痛くなる。
ずっと怯えていただろう小さな体を、驚かせないように引き寄せて抱きしめる。
小さな子の体は熱くて、エネルギーの塊のようだ。

「大丈夫、大丈夫だよ」
「ううあ、あああ、ああ」
「もう、大丈夫」

怪我をした卓也君の手当てに必死で、先生達は健吾君にまでかまっていられなかったのだろう。
そして怪我が大したことなかったため、特にその後話題に上がることもなかった。
そのまま夏休みは終わり、卓也君は元の家へと帰った。
一時だけいた子供。
大人達の中でそれは終わったことになった。

しかし、怪我をして血を流したまま、いなくなった友達をずっと気にしていた子供が、いた。
誰もそれに、気付くことは出来なかった。
ずっとずっと気に病んでいる子供がいることに、気付かなかった。

「ひ、ひっく」

しゃくりあげる健吾君の背中を宥めるように撫でる。
大昔に、兄達がやってくれたように、泣きやむまで慰める。
ただ背を撫でてもらえるだけで、俺は落ち着いて悲しいことも悔しいことも忘れることが出来た。
健吾君も、少しでも慰めになっていれば、いいのだが。
そしてひとしきり泣いて、ようやくおさまってきた健吾君の体を少し離し、その目を覗き込む。

「ギイギイは、卓也君?」

こくりと、一つ頷く。
涙と鼻水でびちゃびちゃになった顔を、ハンカチで拭うと、健吾君も大きく鼻を啜った。

「卓也、あんな、血が出て、次の日から来なくなっちゃって、僕、ずっと、卓也、探してたんだ。そしたら、声、した。卓也の、声、した」
「声?」
「うん、声だけ、した」

そこでもう一度大きく鼻を啜って、鼻がつまって苦しいのか口で大きく息をする。
焦らせてもいけないので、その背を撫でながら落ち着くまで待つ。

「ずっと、声だけ?」
「誰も、声、聞こえなくて。でも、僕、ずっと声と話してた。そしたら、声聞こえる子、増えた。いっぱい声聞こえる子いた」
「うん」

健吾君にしか聞こえなかった声が、段々と他の子にも聞こえるようになったってことかな。
健吾君にしか関知できなかった、存在が他の人間にも認知されていく。

「それで、声を聞いてたの?」
「ギイギイ、遊びにきたよ」
「ギイギイが見えたの?」
「うん」
「声だけじゃなくなったんだ」
「うん」

そこで健吾君が真っ赤に泣き腫らした顔でちらりと笑う。
いなくなったと思っていた友達が遊びに来たのだから、それはとても嬉しいことだったのだろう。

「ギイギイ、見える子と、見えない子、いた。大人は見えない。でも、見える子、いっぱい増えた。だから遊んだ」
「見えない子もいるんだ」
「でも、今はいっぱい友達だよ」

声しか認識されていなかったギイギイが、恐らく多くの人に認識されたことで力を得た。
そして、形を作り、更に多くの子供に見えるようになり、また力を増した。
徐々に徐々に、卓也君を中心としてギイギイは力をつけ、この幼稚園の子供達に浸透していった。

「大人に言っちゃいけないって言ったのは、ギイギイ?」

こくりと頷く。
大人に内緒の、秘密の友達。
秘密という存在自体、きっと子供達にとっては楽しいものだったのだろう。
そして悪い子はお仕置きされるというリスクも伴って、子供達は大人へギイギイの存在を隠しとおした。

「ギイギイがいたのは、ブランコ?」

健吾君が、もう一度こくりと頷く。

「うん、卓也、一緒に遊びたくて、ずっと、話してた。そしたら、声が、した」
「よく、卓也君とブランコで遊んでたんだ」
「うん」

島田先生に聞いたところによると、卓也君が怪我をしたのもブランコ。
きっとだから健吾君は、ブランコで卓也君を探したのだろう。

「ブランコにいたから、ギイギイ?」

大人気の大きな滑り台。
鉄棒にタイヤ、三輪車。

「卓也が、ブランコ、ギイギイって、呼んでた。ブランコ行くと、卓也の声、するんだ。でも、卓也、いないんだ」
「うん」
「でも、そのうち、ずっと声、するようになった」

小さい頃、俺は公園が大好きだった。
勿論ブランコも大好きで、順番待ちしては飽きるまで漕いだ。
たまに双兄が一緒の時は二人乗りして怖くなるまで高く漕がれて、泣いたことを覚えてる。
それでも地面から高く離れるのが楽しくて、公園にいけば必ずブランコに乗っていた。
ブランコはいつだって子供に囲まれて、順番待ちするほどの人気。

「ずっと、一緒に、いてくれて、色々、教えてくれて、だから、卓也、おばけになっちゃったんだって」

それなのに、この幼稚園で、ブランコに近づく子供は、誰もいなかった。
誰ひとり、ブランコで遊ぶ子供はいなかった。
そして俺も含めて先生も誰もそれを、不思議に思わなかった。
それこそが、おかしな話。

「卓也君は、大丈夫だよ。元気だって。そして、健吾君に会いたいって言ってるって」

ギイギイはブランコで産まれた。
健吾君の罪悪感と恐怖と寂しさから、産まれた。
そして今もずっと、成長している。

「だからもう、いいんだよ。そんなに怖がらなくても、悲しい思いしなくても、平気なんだよ」

健吾くんが、べちゃべちゃになった顔を拭う。
そこにはもうすっかり元通りの、やんちゃな少年の顔がある。

「大変だったね。偉かったね。もう大丈夫」

そう言うと、健吾君はもう一度こっくりと小さく頷いた。
その体を引き寄せて、腕の中に抱きしめる。

「ちょっとごめんね」

目を閉じて、青い青い海をイメージする。
青い青い、俺の中を流れる水。
優しく優しく、穏やかに凪いでいる水面。
少しでも痛みを与えないように、最新の注意を払わなくてはいけない。

「宮守の血の力、幼きものに巣食う闇、その浄化の力を持って………」

呪を唱えながら、健吾君の背中を通して少しづつ力を流し込む。
小さな体にわずかに根付く、闇を消し去っていく。
たとえ悪意のない存在でも、それは力の塊。
それは人とは相いれない力。
どう転ぶか分からないものを、纏わりつかせていていいはずがない。

「よって、あるべきところに闇は返る………」

呪を唱え終ると、健吾君の体からかくんと糸が切れたように力が抜けて、凭れかかってくる。
その体を抱き上げると、穏やかな呼吸が耳元で聞こえた。
さすがに年長の子供の体は重くてふらつく。
けれど安心しきったように体重を預ける存在が、少しだけ嬉しかった。

「よくやったな。お疲れ様」
「一兄」

恐らく近くで見守っていてくれた兄が姿を現し、俺の手から健吾君を受け取る。
俺よりもずっと鍛え上げられた体を持つ一兄は、危なげなく小さな体を抱えあげた。
その力の差に少しだけ悔しくなるが、それに愚痴を言っている場合ではない。

「とりあえず、健吾君は、これで平気だよな?」
「ああ、大丈夫だ」

健吾君を見て、一兄はしっかりと頷いてくれる。
それでようやく心の底から安心する。
一兄が大丈夫だというなら、大丈夫なのだろう。

「救護室に運んでおこう」
「うん」

歩きだす一兄の横に並び、眠りこける健吾君の顔を見る。
泣きすぎたせいで顔は腫れていたが、穏やかな寝顔はあどけなくて可愛かった。
その邪気のない寝顔に、心がふんわりと温かくなる。

「卓也君が、大好きだったんだな。友達を、作りだしちゃうぐらい」
「イマジナリーフレンズ、だな」
「何、それ」
「子供にしか見えない友達」

想像上の友達、か。
想像だけなら、よかったんだけどな。

「後は、その友達だけか」
「………うん」

想像上の友達は、力を持ち、顕現してしまった。
いい子にはいい奴で、悪い子にはお仕置きする。
ギイギイという名の、健吾君の友達。

「………ギイギイは、悪い奴じゃないんだよな」
「そうだな。だが、存在するだけで場を荒らす」
「う、ん」

存在していてはいけない、友達。





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