子供達は帰って静まり返った幼稚園はどこか別世界のように見える。
陽は後少しで姿を隠すといったところで、目の前を見るのも苦労するほどに暗い。
風が一際強く吹いて、目を強く瞑る。
11月の風は、体温を奪い去っていきそなほどに、冷たい。

「………」

目を開くと、三つ並んでいるブランコのちょうど真ん中、そこにはぽつりと小さな影が立っていた。
夜の帳が下りようとしている薄暗い世界の中、顔もよく見ることができない。

「………ギイギイ?」

誰そ彼時、か。
昔の人は、うまいことを言う。
逢う魔が時とも言うっけ。
本当に、うまいこと言うな。

「………」

小さな影は、黙っている。
もう一歩近づいて、もう一度問う。

「お前が、ギイギイ?」

更に一歩近づくと、うっすらとその姿が確認できる。
細い手足、俺の腰ほどしかない小さな背丈、丸い頬を持つ幼い子供。
その顔は、写真で見た卓也君に酷似していた。
ただ、その表情は笑顔だった卓也君と違い、酷く大人びて老いすら感じる。

「僕を消すのか?」

声はやはり子供のように高く、あどけない。
その大きな目で、稚い仕草で、じっと俺を見あげ、静かに聞いてくる。

「………」

咄嗟に返事をすることが、出来なかった。
黙りこんだ俺に、人の形をした、けれど人ではないものが問い詰めるように聞いてくる。

「僕は、悪いことしてない」
「でも、怪我したりする子、増えてるし、それにお前、悪戯しただろ。先生達が怖がってる」
「皆がしてることを、しただけ。それと、悪い子にお仕置きをしただけ」

そうなのも、しれない。
怪異の数々は、子供の悪戯を模倣しただけなのかもしれない。
だって、最初は恐ろしくも感じたが、不思議と悪意は感じなかった。
それに藤波先生のこと。
教えてくれたのは、ギイギイだ。

「藤波先生のこと、教えてくれたのはどうして?」
「僕のせいにしようとした。泣かされていた女は、いい子だった。健吾もこの形を持っていた子供も、懐いていた。あの女が泣くと、健吾が哀しむ。嘘つきな女は、悪い子だった。僕がお仕置きしようとしたが、まだ力が足りなかった」

胸がぎゅっと引き絞られるように、痛む。
ギイギイなりに、子供達を気遣っているのだ。
邪や妖に、人と同じ正義感なんてものはないけれど、それでもそれは健吾君のためである。

「………でも、お前がやったら、駄目なんだ」
「なぜ」
「お前は、人ではないから」
「だが、僕はこうしてきた」
「でも、駄目なんだ。お前がここにいるだけで、困るんだ」

ただ、そこにいるだけで場を乱す存在。
まだそこまで力が強い訳ではないからいいが、すでに影響は出ている。
このまま力をつけていけば、更に問題は起るだろう。
強い力はなんかしらの異常事態を引き起こす。
人が多い場所なら、尚更だ。
土地のバランスを崩すことは、管理者として見過ごすわけにはいかない。

「………一兄、どこか、別の場所なら、駄目なのかな」

ここではなく、人気のない山奥とかなら、こいつも存在出来るのではないか。
ひっそりと静かに、存在することが出来るのではないだろうか。
そんなことを思って後ろを振り返ると、兄は静かな目で見返してきた。

「まあ、出来ないことはないだろうが、そいつはどちらにせよ消滅する」
「え」

言っている意味が分からなくて聞き返す。
一兄は俺ではなく、俺の前にいるギイギイに視線を向ける。

「お前はどこから来たんだ?」
「山の社から」
「追われた神か」

居場所を追われた、神。
ギイギイは、ここで生じた訳じゃないのか。
幼い子供の姿をした神は、やはり静かな表情をしたままだ。
けれど気のせいか、少しだけ悲しく見えた。

「………お前、昔は別のところいたのか?」
「昔は、皆、僕を大事にしてくれた。だから僕もお返しした。でも、誰も来なくなった。社は壊された。その上に人が家を建てた。力を失い、姿を失った」

最近よくある話だ。
宅地開発やら何やらで、古い住人が去り、新しい住人が入ってくる。
そして古きものは壊され失われ、新しいものが建ち現れる。
古きものの最たるものが、こんな風に居場所を失った神や妖。
いいこととも悪いこととも言わない。
それが、人間の営みだから。
けれどさすがに追われた方は、はいそうですかと言って去る訳にも行かず、色々な問題を起こす。
その歪みは酷くなり、管理者の仕事は減ることはない。

「ここにいたら、力が得られる」

ギイギイは、やはり感情を見せない声、感情を見せない表情をしている。
ああ、何か違和感を感じると思ったら、瞬きをしないのか。
人の身を纏っていても、やはり人とは異質な存在。

「………どうして、ここに来たの?」
「社を壊され動けるようになって、ここまで辿りついて、動けなくなった。健吾と、この姿を持った子供が、ここでよく遊んでいた。死んだスズメを埋め、お供えをした。あの二人の祈る力を喰った。それからも、毎日、あの二人はお供えをした。そのうち、僕の存在を信じる子供が増えて、力を取り戻してきた」

ブランコの後ろの花壇を指して、そこにスズメを埋めたと言った。
子供の純粋な憐憫の心から生まれた、お葬式ごっこ。
力を失っていた神にとっては、恵みの雨にも近かったのだろう。

「また、姿を取ることができるようになった。そして子供達は更に僕の存在を信じる。このままいけば、元の力を取り戻すことが出来る」

年長組だけとはいえ、すっかり浸透したギイギイの存在。
このままいけば恐らく他の子供達も信じるようになり、更にギイギイは強くなるだろう。
そして力を得たギイギイは、また更に力を得るようになる。

「じゃあ、ここから離れることは」
「嫌だ」
「………でも、そうすると、俺達はお前を祓わなきゃいけない」
「ここから離れたら、僕はどうせ消滅する」
「………」

ここにいたら、俺達がこいつを祓わなければいけない。
ここを去ったら、ギイギイはどちらにせよ力を失う。
けれど、人と人ならざるものが共に生きるには、もうこの世界は難しい。

「で、でも、離れたら、もしかしたら、いつか」
「僕は人の信心を食らう妖だ。この人の世では、もうこれ以上力を得ることは難しいだろう」
「………」

人から目に見えないものを信じる心が失われ、闇に属するものは更に闇に消えていく。
その歪みに力を得るものもいれば、こんな風に力を失うものもいる。
俺は今まで、古い因習に縛られたものばかり見ていたから実感は沸かなかった。
けれど、きっとギイギイのような存在は沢山いるのだろう。

「お前は、僕に同情するのか」

つい眉をひそめてしまったのに気付かれたのか、ギイギイが聞いてくる。
管理者としては、人ならざるものになんらかの感情を持つことは間違っているのだろう。
けれど、追われて失われていく存在が酷く悲しく思えた。
追う側の人間としても、傲慢極まりないのかもしれないが。

「………だって、ギイギイは、悪い奴じゃ、ないんだろう」
「僕はただ、人と共にありたいだけだ」

やっぱり表情は変わらない。
声のトーンも変わらない。
けれどどこかその言葉は優しく響いた。
俺の思いこみかも、しれないけれど。

「子供は心地いい。温かい」
「………」

いい子には優しくて、悪い子にはお仕置きをするギイギイ。
それは、在りし日、人に敬われていた頃の神の姿なのかもしれない。

「三薙」

唇を噛みしめると、後ろから名前を呼ばれる。
分かってる。
分かってるんだ。
こんな感傷何にもならないって、分かってる。
一兄や天なら、こんな感情もきっと抱かないのだろう。

「………ごめんな、ギイギイ」
「僕を消すのか?」

それが悪いことか、いいことか、なんてことは分からない。
だってこれは、しなくちゃいけないことなのだ。
俺は、管理者として、しなければいけないことを、なすだけ。
目を瞑って一つ息を吐き出す。

「………うん」

そしてちゃんと目を見つめて、頷いた。

「管理者として、この地の均衡を保つのが俺の役目です。失礼いたします、心優しき神よ」

ポケットに入れてあった鈷を取り出して、力を纏わりつかせる。
これ以上ギイギイの話を聞いていたら、余計に決心が鈍りそうだ。
さっさと終わらせてしまいたい。

「嫌だ」

けれど、その瞬間、ギイギイの体の輪郭がぼやけて、闇に溶ける。
そして、黒い力の塊になったと思うと、そのままこちらに向かってくる。

「ギイギイ!」

力の塊になったギイギイは、そのまま俺を飲みこもうとその手を大きく広げた。





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