割り当てられた部屋は、外見からの予想通りクラシックで綺麗な洋室だった。 出窓にはレースのカーテンにドレープが沢山ついたブルーのカーテン。 壁紙もベージュに薄いブルーの花柄がちりばめられていて、青系でシンプルだけれど、かわいいくて、ちょっと落ち着かないぐらい。 「宮守、弟君とまだ仲直りしてないの?」 「え」 荷物を整理していると、不意に藤吉が聞いてきた。 少し寒かったので持ってきていた厚手のセーターを出しながら藤吉を見ると、藤吉はベッドに座ってこちらを見ていた。 「なんか避けてるみたいだから」 「う」 周りの人達にはばれないようにしていたつもりだが、気付かれていたらしい。 「ば、バレバレ?」 「バレバレ」 藤吉は小さく頷いて、あっさりと言った。 特に俺を責めるではなく、困ったように苦笑する。 「まあ、兄弟喧嘩なんて仕方ないけどね。俺も妹とよく喧嘩するし。でも、あんまり時間置くと仲直りしづらくなるよ」 「………うん」 「宮守はすごい過敏なのに、弟君は普通だよね」 その言葉に、まるで俺の方が過剰反応だと言われてるようで、カッとなる。 今回のことだけは、絶対俺は悪くない。 「あいつがおかしいんだよ!あんな、あんなことしておいて、なんであんな普通な態度なんだよ!」 まるで何もなかったかのように飄々としている弟に、苛立って仕方ない。 あんな変態なことされたのに、まるで過剰反応する方が悪いというような態度。 思わず興奮して大きな声を出してしまうと、藤吉が不思議そうに首を傾げる。 「どんなことされたの?」 「いや、な、なんでもない!なんでもない!」 我に返り慌てて首を横に振って誤魔化す。 言えるはずがない。 藤吉はじっと俺の顔を見ていたけれど、岡野や佐藤と違ってもう一度苦笑して許してくれた。 「まあ、深くは聞かないけど」 藤吉が悪ふざけするのは基本的に皆が一緒の時だけだ。 こんな風に肝心な時は気を使ってくれる。 藤吉みたいに気遣いができるといいな、といつも思う。 「弟君って、意味のない意地悪するような奴じゃないんだろ?」 「………」 天はいつだって人のことを馬鹿にして、嘲り笑って、皮肉を言う。 殴りたくなるほど憎くなることもある。 「宮守の話聞く限り、頭が良くて合理的って感じのイメージだし」 「………うん」 けれど確かに、天は意味のない皮肉や意地悪をしたりはしない。 だいたい俺自身に原因がある時が多い。 多分そんなことするのも時間の無駄だと、あいつなら言うだろう。 藤吉は優しげに表情を緩める。 「何か理由あるんじゃないの。聞いてみれば」 「………聞いただけど、ただの気まぐれだって、言ってた」 「気まぐれ、ねえ」 俺だって、理由なく、あいつがあんなことするとは思えない。 だから、聞いたんだ。 俺が悪かったなら、謝るって。 けれど、天は別に怒ってる訳じゃないと言う。 俺だって無意味に怒ってる訳じゃない、許すにしてもそんなことした理由が分からないから、どうしようもできないのだ。 「気になるならもう一度聞いてみれば?そんな鬱々としたまま旅行するの、やだろ?」 せっかくの、大切な友達と兄弟での旅行。 ずっとずっと、話が出た時から楽しみにしていたのだ。 こんな機会、もうあるか分からない。 だから、大事にしたい。 でも確かに心のどこかで天のとことが心にひっかかっていて、気になってしまう。 「………うん」 俺が頷くと、藤吉が満面の笑みを浮かべた。 ベッドから勢いよく立ちあがって俺の背中を叩く。 「よし、じゃあ行ってこい!」 「え、今!?」 「思い立ったら即行動!ほら、行ってこい!」 確かに女の子は用意があるだろうってことで、待ち合わせの時間までまだ少しある。 でも、今言われても中々踏ん切りがつかない。 藤吉の顔を見てまごついていると、労わるように軽く背中を叩かれる。 「ついてってもいいよ?」 それは特にからかったりする色はなかったが、さすがに兄弟ゲンカの仲裁に友達を巻き込む訳にはいかない。 それくらいなら、一人で行く。 「いや、そ、それはいい!」 慌てて辞退すると、藤吉はもう一回背中を叩いてくれた。 「それじゃ、頑張れ」 「………」 天に割り当てられたのは、ちょうど俺の隣の部屋で、一兄達の部屋の向かい。 一歩でついてしまった部屋に、けれど俺はやっぱり扉の前で逡巡してしまう。 天の部屋に訪れる時は、いつもこうだ。 「兄さん?」 そしていつものように、部屋の中から声がかけられる。 気配に敏感な弟は、俺がいくら息をひそめていたって気づいてしまう。 気付かれてしまったのなら仕方ない。 覚悟を決めて、ドアノブを握る。 「………天、入るぞ!」 「あ、ちょっと待った」 制止の声がかかったときにはもう遅かった。 あ、と思う間もなく勢いついたドアは開いてしまう。 「………」 そして部屋の中の光景に言葉を失った。 部屋の中にいたのは天だけではなかった。 そこにいたのは呆れたように眉をひそめる弟、そしてその彼女。 そう、栞ちゃんがいた。 ベッドの上で、なぜか上半身を肌蹴た半裸の姿で。 綺麗な白い肌の背中を露わにして、天と向かい合っている。 黒い髪とのコントラストで、なんだか酷く眩しく感じた。 「待てって言ってるのに。許可ぐらいとってから入ってよ」 こちらを見ている天は、ため息交じりで呆れ切っていた。 そりゃそうだ。 彼女とイチャイチャしてる姿なんて見られたくないだろう。 たまに見せつけてる人達もいるけど。 いや、そうじゃなくて。 えっと、俺はどうしたらいいんだ。 「え、あ、う」 一気に顔が熱くなって、頭の中が真っ白になる。 ああ、早くドアを閉めないと、誰かに栞ちゃんのこんな姿が見られてしまう。 違う。 えっと、今しなきゃいけないのは。 「いつまでそうして見てるの?早く出て」 「ご、ごめんなさい!!」 天の冷静な声に、ようやくしなきゃいけないことを思い出す。 そうだ、見ている場合じゃない。 慌ててドアを閉めて今まで見ていた光景をシャットアウトする。 それでも、頭の中に焼きついた、今のシーンが消えることはない。 知っている人間のそんな場面を見るのは、初めてだ。 しかも実の弟と、小さい頃からよく知っている幼馴染の女の子。 二人が付き合っているってことは知っていたが、そんな生々しいイメージは全然なかった。 だから余計に思いもよらなくて、心臓がバクバクいっている。 顔が熱い。 カタッと部屋の中から音がして、慌ててドアの前から跳ねのいた。 そしてそのまま駆け出して、階下に急ぐ。 自分の部屋に戻ればいいと気付いたのは、リビングに行って談笑している杉村さん夫妻を見てからだ。 「あら、三薙さん、どうしました?」 「顔が真っ赤ですが、体の調子でも悪いんですか」 「あ、い、いえ!そういう、訳じゃ、ないんですが!」 「そうですか?冷たいものでも持ってきますか?」 「す、すいません、お願いします」 「すぐ用意しますね」 伸介さんが笑いながら台所へ引っ込んでいく。 俺はソファに座りながらいまだに鼓動が速い心臓を宥めようと深呼吸する。 えっと、さっきの光景は、そのそういうことだよな。 まあ、二人は恋人同士だからいいとして。 いや、いいのか。 栞ちゃんはまだ高校一年生だぞ。 いやその前に、天はまだ中学生だぞ。 「三薙さん」 「ひっ」 そんなことを考えていると、澄んだかわいらしい声が後ろから俺を呼んだ。 今まで想像していた女の子の声だったので、俺は思わず飛び上がってしまう。 「あ、驚かせちゃいましたか?すいません」 「し、し、し、おりちゃん」 「はい」 恐る恐る後ろを振り向くと、衣服を整えた栞ちゃんが困ったように笑っていた。 動揺する俺とは裏腹に、酷く落ち着いている。 あんなところを見たばかりなのに、平然としていて余計にこちらが困ってしまう。 「あ、ご、ごめん、さ、さっきは、本当に、ごめん」 何に謝っているのかよく分からないけれど、とりあえず謝る。 謝るべきところがいっぱいありすぎて、何に謝ったらいいのか分からない。 けれど栞ちゃんはにっこりと笑って首を横に振る。 「いえ、こちらこそ。しいちゃんにご用事があったんでしょう?」 「い、いや、そうだけど。でも」 あんなところを見てしまって、ごめんなさい、だろうか。 邪魔してしまってごめんなさい、だろうか。 栞ちゃんのあんな姿を見てしまってすいません、だろうか。 ああ、もう意味が分からない。 栞ちゃんは動揺する俺に一歩近づいて、くすくすと笑う。 「三薙さんが想像してるようなことは、してないですよ。まだしいちゃん中学生ですし」 「で、でも」 ベッドの上で、栞ちゃんが脱いでて、あの体勢でそのいい訳は辛くないだろうか。 なんてことを言える訳がなく視線を逸らすと、栞ちゃんが俺の隣に座る。 「ちょっと力の調子が悪くなっちゃったんで、見てもらってたんです」 「え」 予想外の言葉に、ちらりと隣を見ると、栞ちゃんはこっちを見てにこにこと笑っていた。 そこにはやましいところは何一つない。 「この前ちょっとお見せしましたが、金森の家は体内の力の変換とかするの得意なんですね。でも、たまにちょっと自分の中のメーターみたいのも狂っちゃう時があるんです。家にいたら家の人に見てもらうんですけど、たまにしいちゃんにお願いするんです」 「あ、そ、そういう、ことか」 俺の供給と、同じようなことなのか。 それなら分からないでもない。 でも、本当にそうなのか、誤魔化そうとしてるんじゃないか、なんて自分でも嫌になる疑いを持っていると栞ちゃんが悪戯っぽく言った。 「こんな短い時間で変なことできませんよ」 「う」 そういえば、そうだった。 もうすぐで皆ここに集まってくるだろう。 与えられた時間はとても短い。 どれくらいの時間がかかるのか俺には分からないが、さすがにちょっと短いだろう。 俺は素直に頭を下げて謝った。 「………なんかもう、色々と、ごめんなさい」 「いえいえ、こちらこそお見苦しいところを」 「………いえ、その」 とても綺麗でした。 なんてこと言っていいのか、悪いのか分からない。 白い背中に長い黒髪のコントラストが、とても綺麗だった。 「あ、栞ちゃん。なんか、怪我してた?」 「へ?」 「背中、怪我してたように見えたから」 目をパチパチと瞬かせる栞ちゃんに、もしかして言ってはいけないことを言ったのかと思った。 そんなにじっと背中を見ていたと思われても最低だし、もし本当に怪我をしていたら女の子として触れられたくないところかもしれない。 「あ、いや、な、なんでもない!」 「ああ」 慌てて誤魔化すと、栞ちゃんが納得言ったというように声を上げる。 そして俺に背中を向けて、背中を見せるように襟口を広げた。 「見えます?」 「い、いや」 「大丈夫ですよ」 見えますが、見ていいんでしょうか。 動揺しながら首を横にふるが、栞ちゃんが笑って許可をする。 「ちょっと打っただけ酷くないですよ」 「あ、ほんとだ」 仕方なくちらりと見た栞ちゃんの背中は、肩のあたりがわずかに赤くなっていた。 さっきは、髪に隠れてよく見えなかったが、大したことではなさそうだ。 「よかった」 「ご心配ありがとうございます」 栞ちゃんがにっこりと笑うと同時に、今度は男の声が後ろからかかった。 「兄さん、何してるの?」 「う、うわ!」 そしてまたソファの上で飛び上がる。 リアルに3センチぐらいとび跳ねた気がする。 「人の彼女の体、まじまじと見ないでくれる?」 「ご、ごめんなさい!」 「私が見せたんだよ、しいちゃん」 「分かってるけどね」 もう何をどうしたらいいのか分からなくて、とりあえず俺はその場に膝に頭が付きそうなほどに頭を下げた。 「本当二人とも、ごめんなさい!」 「大丈夫ですよ。気にしないでください。でも、ドアはちゃんと許可とってから開けないと駄目ですよ」 「はい」 優しく諭す栞ちゃんに、猛省して頷く。 これからは絶対勝手にドアを開けるなんてことはしないようにしよう。 扉の向こうの世界には、何があるのか分からない。 |