「駄目だったの?」

皆で中心地のショッピングストリートを冷やかしていると、藤吉がそっと聞いてきた。
さすが人気のリゾート地は、人で溢れ返っている。
俺は、流れる人達を見ながら、正直に頷く。

「………だった」
「そっか。まあ、次があるよ」

労わるように微笑まれて肩を叩かれる。
心細くなってたので、その優しさについ縋るように弱々しい声が出てしまう。

「藤吉………」
「え、なんでそんな泣きそうなの?なんかひどいこと言われたの?」
「………俺は、最低だ。煩悩にまみれてる」
「いや、なんでそんないきなりなんか犯罪でも起こしてしまったかのように罪悪感に満ちてるの」

二人のあんなシーンを見てしまって、下世話な想像までしてしまって、その上、被害者からフォローを入れてもらっている。
どこまでも気が効かない上に覗きまでして変な妄想までして。

「犯罪か………。そうなのかも」
「ええ!?」

藤吉が俺の言葉に驚いて、腕をひかれる。
そして向き合って肩を揺さぶられた。

「ど、どうしたんだ、宮守。何があった!」
「藤吉、俺、最低な奴で、ごめんなさい」
「俺はずっとお前の友達だぞ!例えお前が犯罪者だろうと!」
「………藤吉」

藤吉の温かい言葉に、じんわりと胸が温かくなった。
友達って言葉も嬉しいし、ずっと友達って言葉が更に嬉しい。
思わず目が熱くなってしまう。

「みつー、ほらほら、サイクリングもっこりだぞー。お兄ちゃんが買ってやったぞ!」

が、幸い泣いてしまう前に、次兄の馬鹿な発言で感動が台無しになった。
全国展開している18禁対象なんじゃないかと思うご当地キーホルダーを手に満面の笑みを浮かべている。

「………」

せっかくの藤吉の感動的な言葉が、すっかり霧散してしまった。
いい年して馬鹿なことばっかり言ってる双兄に、思わずため息をついてしまった。

「何だ、その薄い反応は!俺が一人で馬鹿みたいじゃないか!もっと慌てるなりつっこむなりしないとお兄ちゃん寂しいだろ!」

双兄がさらに馬鹿なことを言いながら、近づいてくる。
いつだってこのテンションなのだから、ある意味尊敬してしまう。

「………双兄は、いつも楽しそうでいいね」
「うお、その蔑んだ目はやめろ。なんか心が痛い」

オーバーリアクションで胸を抑えて、傷ついたと表現する。
それから近づいてきたと思うと肩をぐいっと引き寄せられて、耳に口を寄せて声を顰める。

「どうした、なんか悩んでるのか。モテないことか、彼女が出来ないことか、皮が剥けないってことか」
「そんなことで悩んでねーよ!」
「お前、それは大事なことだろ。悩めよ」
「ちげーよ!ていうかこういうところでそんな話するんじゃねーよ」
「よしよし、それでこそ三薙だ」
「どうしてそういうアホなこと言うんだよ!」
「大切なことだろう!」

思わず叫んでつっこむと、双兄が満足そうに頷く。
それでもシモネタをやめない双兄をどうしようかと思っていると、頭がはたかれた。

「お前らやめろ」

後ろを振り向くと、一兄が呆れてため息をついていた。

「い、一兄」
「俺の方が強くねえ!?」
「当たり前だ」

どうやら双兄も殴られたようで頭を抑えている。
贔屓だ贔屓だとわめく双兄を、一兄が拳骨でもう一度黙らせる。

「兄貴は俺にだけ厳しいと思う!俺にも優しくしてください!」
「優しく出来るような態度をしてみろ」

そのまましばらく喧嘩してから、一兄は岡野に呼ばれて去っていく。
さっきまで騒いでいた双兄が、真面目な顔でもう一度俺の肩を引き寄せる。

「そんで、どうした、なんかあったのか?四天に何か言われたのか?」
「………そういう訳じゃないけど。やっぱバレバレ?」
「まあ、お前分かりやすいしな」

困ったように笑って、俺の頭をぐしゃぐしゃと掻きまわす。

「何があったかってのは聞かないけどな。あいつも思春期ってことで難しいお年頃なんだよ」
「………」

思春期だからって、あんなことしたのだろうか。
そういうことに、興味があった、とか。
それでも男同士で、しかも馬鹿にしてる俺で試すことはないだろう。
馬鹿にしてるからこそ、試しやすかったとか。
そう考えるとへこむ。

「ねえねえ、宮守宮守!」

落ち込んでいると、明るい声が俺を呼んだ。
前方の店で騒いでいた佐藤が、大きく手をふっている。

「あ、何、佐藤?」
「ソフトクリーム食べようよー。何味食べる?」

皆が騒いでいたのは、ソフトクリーム屋さんだったようだ。
ログハウス風のかわいらしい店で、女の子たちが四人で集まってきゃきゃあと騒いでいる。
一兄と、いつのまにか女子の群に入っていた藤吉が困ったように顔を見合わせて笑っている。

「俺からも四天に注意しておくから。今は旅行を楽しめ」
「………うん」

最後にそう言い置いて離れた双兄と入れ替わりに、佐藤がポニーテールを揺らしながら小走りで駆けてくる。
そして、満面の笑みで首を傾げる。
ああ、やっぱり佐藤って、元気でかわいいなってそう思った。

「宮守、ね、何食べる」
「何味があるの?」
「えっとね、一番おいしそうなのが、プレミアムスウィートって奴でね」
「うん」

指折り数えて、ソフトクリームの種類を教えてくれる。
しかし、種類が多すぎて覚え切れそうにない。
わさびってなんだ。

「宮守は………。んー、ねえねえ」

途中で佐藤が言葉を切って、難しい顔で首を傾げる。

「何?」
「三薙って呼んでいい?」
「え」

その言葉は想像もしていなかったので、何を言われたのか分からなかった。
俺の戸惑いに気付かず、佐藤はあっけらかんとして理由を説明する。

「みやもりってさ、私が言うとみゃーもりって感じになっちゃうんだもん。三薙の方が言いやすい。駄目?」
「い、いいけど」
「あ、本当?ありがと。じゃあ、私も千津でいいよ。じゃあ、三薙ね。よろしく、三薙」
「う、うん、よろしく、佐藤………」

思わず、頷いてしまいながらも、呼ばれると心臓がぎゅっと引き攣れるように痛くなる。
なんだ。
ただ名前を呼ばれているだけだ。
親戚は皆、名前で呼んでいる。
それなのに、佐藤に呼ばれるとどうしてこんなドキドキするんだろう。

「千津」

俺が苗字で呼ぶと、佐藤は怒ったように指を突きつけて名前を呼ぶように命ずる。
それに気押されて、俺は落ち着かない心臓を抑えながら、佐藤のことを呼ぶ。

「………ち、千津」

震える声で呼ぶと、佐藤は満面の笑みで頷いた。
その笑顔に、更に心臓が跳ね上がる。

「おっけー、じゃあ、三薙は、プレミアムスウィートね!」

そしてソフトクリーム屋さんに、また小走りで駆けていく。
揺れるポニーテールが本当に尻尾のようで、微笑ましい。
それにしても、名前を呼ばれることがこんなに恥ずかしいなんて思わなかった。
恥ずかしい。
でも、なんかこそばゆくて、嬉しい。

「はい、三薙!」

そしてしばらくして、両手にソフトクリームを持ってきてくれた。
バニラと何が違うのかよくわからないソフトクリームを渡される。

「あ、ありがと、ち、千津」

親戚の女の子は、名前で呼んでいる。
それなのに、同級生の女の子ってだけで、ただ呼ぶのすら緊張する。
顔が、自然と熱くなる。

「何、名前で呼ぶことにしたの?」

その声に、なぜか心臓が別の意味で震えた。
佐藤の後ろにいた岡野が綺麗な栗色の髪を掻きあげながら、どこかむっとしている。
佐藤はにこにこと笑いながら答える。

「うん、三薙の方が呼びやすいでしょ」
「そう」

やっぱり、岡野がどこか不機嫌そうに見える。
俺の気のせいかもしれないのだけれど。

「あ、えっと、うん、俺の名前呼びやすいってことで」
「ふーん」
「あ、えっと、その、岡野のそれ、何味?」

別にやましいことなんてないのだが、誤魔化すように岡野の手に持っていたソフトクリームに話を移す。
岡野は不機嫌そうな顔をしたまま、それでも答えてくれた。

「スィートポテト」
「へえ、そんなのあるんだ」

さっき佐藤が言った中にはあっただろうか。
思い出せない。
名前の事で精いっぱいで、何があったのかなんてさっぱりだ。

「食う?」
「え」

岡野が手に持ったソフトクリームを差し出してくる。
先っぽがなくなっていて、舐めた跡が分かるソフトクリーム。

「早く」
「う、うん」

言われるがまま、そのソフトクリームを一口齧る。
芋の僅かな甘みが、口の中に広がった。
しかし味を感じる余裕がないまま、心臓がさっきよりも血液を激しく送り続ける。

「あんたのもちょっと頂戴」
「え、うん」

慌てて俺の手に持ったソフトクリームを差し出すと、岡野が先を齧る。
ソフトクリームを舐める赤い舌に、背筋がゾクゾクずる感じがした。

「うん、おいしい」
「うん、俺のも………おいしい」

やばい、顔が熱い。
なんだ、やばい、俺死ぬのかも。
顔が熱くて、心臓が痛くて、手が震える。
何かの病気かもしれない。

「彩ー」
「何、チエ」

後ろから槇が呼んでいて、岡野が振り返る。
視線が逸らされて、ほっと一息つく。
しかし安堵したその瞬間に、岡野が俺の口の端に触れる。

「口、ついてる」
「え」

長い爪とごつい指輪で彩られた細い指が、触れる。
ふわりと、岡野からいつもするいい匂いがした。

「………」

佐藤に、名前を呼ばれた時は、ドキドキした。
でも、多分、今の方が、心臓が痛い。



***




「冬のバーベキューもいいね」
「うん、いいね。おいしいー」

冬の時期、高原の夜は、早い。
ちょっと街を見て回っただけですっかり日は暮れてしまったので、俺達は早々に別荘に帰ってきてバーベキューを始めた。
女の子たちはさっきソフトクリームを食べたばかりなのに、旺盛な食欲を見せている。
あんなに細いのにどこに入るんだろう。

「三薙も食べてる?」
「う、うん」
「おいしいね」
「うん、おいしい」

佐藤が機嫌良さそうににこにことしている。
その佐藤の顔を見ているだけで、なんだか満腹になれそうだ。
名前呼びにいまだドキドキする心臓を誤魔化すように、三つ用意されたコンロに肉を載せようとすると、柔らかい声がそれを止めた。

「ああ、タレがついちゃうから駄目だよ。宮守君」
「え?」
「塩物が先ね。後、野菜は火が通るのが遅いから早めに焼こう」
「あ、うん」
「タレ物はあっちのコンロでね」
「は、はい」

てきぱきと指示をされて、焼こうとしていたタレ付きの肉を引っ込める。
槇の隣にいた岡野が、小さく笑う。

「チエは焼き肉奉行、鍋奉行だから、逆らわない方がいいよ」
「そ、そうなのか?」
「チエはおいしいもの食べるのに命かけてるから」

それは知らなかった。
そういえば槇は料理もうまそうだしな。
岡野の言葉に、槇が困ったように笑う。

「せっかくいい食材だから、無駄にしたくないだけだよ。ね、宮守君」
「うん。おいしい」
「タレと塩を一緒に焼くなんて、考えられないよね。味が分からなくなる」
「え、は、はい」

にっこり笑っているが、目が笑っていない。
こ、怖い。
槇の新たな一面を見た気がした。

「おい、双馬、酒ばっか飲んでないで食事を取れ。四天、人参も食べろ」
「えー」
「………」

もう一個のコンロでは、一兄が弟達にため息交じりに注意している。
双兄はあからさまに不満を表し、天は聞いていないように肉をかっこんでいる。

「お前ら、そろそろその偏食直せ」

双兄は食が結構細くて、好き嫌いが多すぎる。
酒飲んでばっかりいることが多くて、家でもお菓子ばっかり食べたりして父さんや母さんによく怒られている。
四天は実は子供味覚で、苦みやえぐみなんかは嫌いで、そのまま焼いた野菜とかは苦手。

「少しは三薙を見習え」

ため息交じりの一兄。
俺は比較的好き嫌いが少ないので、なんでも食べれる。
比較された兄と弟は、長兄に向かって不満の声を漏らす。

「三薙君は、大きくならないと駄目だから食べなきゃ駄目だと思いますー」
「人参食べなくても大きくなれたし」

そして被害が俺に廻ってきた。
どうせ俺の背は低いよ。

「屁理屈言うな。ほら」

一兄が取り分け用のトングで双兄の皿には野菜と肉を、天の皿には野菜を入れる。
そして兄と弟は無言で近づいてきたと思うと、そのままそれを俺の皿に放り込む。

「あー!!!何すんだよ!」

どっさり山のように肉と野菜が盛られた皿に抗議するが、二人は意に介さない。

「三薙君が大きくなあれ」
「頑張って食べて、大きくなってね」
「双兄、天、子供かよ!」

二人を叱りつけるが、どこ吹く風でビールを飲んで、肉を食べている。
でも、怒鳴りながらも少しだけほっとした。
天といつも通りに話すことが出来たことに、少しだけ安心する。

「双馬、いい加減にしろ」
「………はーい」
「駄目だよ、しいちゃん、はい、食べてね」
「………だってさ」
「だっても何もないの。食べるの」
「分かった」

一兄の容赦ない視線と、栞ちゃんのかわいらしい注意に、二人はようやく観念した。
渋々嫌いなものを口にし始める。
ていうか俺の皿に乗ったこれはどうしたらいいんだ。

「ねえねえ、栞ちゃんって、四天君といつから付き合ってるの?」
「え、えーと、二年前、ですね。私が中二の時です」
「きゃー、どっちから告白したの」
「えっと、それは、その」

佐藤が栞ちゃんと一緒に恋バナを始める。
照れて顔を赤らめる栞ちゃんが、とてもかわいい。

「一矢さん、双馬さん、はい、焼けましたよ。四天君もどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「ありがとー!あ、そのロースは俺のね!」
「ありがとうございます」
「ふふ、はい」

槇が焼き肉奉行ぷりを発揮して、綺麗に焼き上がった肉を皆に取り分ける。
いつの間にか皆の好みを把握していたのか、バランス良く皆の皿に肉を入れている。

「やっぱ女の子に焼いてもらうといいなー」
「うちは男ばっかりだから、女の子がいると華やかになるな」
「私も弟がいますけど、四兄弟ってなると想像もつかないですね。賑やかなんですか」

そして穏やかに、当たり障りのない和やかな話をしている。
皆楽しそうに笑って、メシを食っている。

星空の下、森が風に揺らされてざわざわと騒ぐ。
開け放たれている居間のドアからは、温かい光が漏れている。
煙が辺りに立ち込めていて、食材の匂いが漂っている。
皆が、笑っている。

「………」

その光景が、酷く遠くて、酷く心が締め付けられる。
それでも、自然と頬が緩んでしまう。

「何一人で笑ってんの?」
「あ、岡野」

つい笑ってしまったのを、いつの間にか隣に来ていた岡野に見られてしまっていた。

「はい」
「ありがとう」

岡野はウーロン茶をテーブルの上に置いてくれる。
それから俺の顔をじっと覗き込んでくる。

「どうしたの?」
「え、何が?」
「なんで笑ってんの?」

一人で笑ってるなんて、変な奴だったかもしれない。
ちょっと恥ずかしくなりながら、理由を話す。

「嬉しいなって」
「嬉しい?」

佐藤が一際大きな笑い声を上げる。
栞ちゃんが慌てて佐藤を止めようとしている。
それに気づいた槇が、何か佐藤に注意する。
それを見て、一兄と双兄が笑う。
天の表情も、いつもよりずっと柔らかい。
和やかな光景。
大事な人達が、皆、笑っている。

「皆と一緒に、こんな風にご飯食べて、笑って、過ごせるのが、嬉しい」
「そっか。楽しいの?」
「うん!」

楽しい。
楽しすぎて、まるで幻のようだとさえ、思う。

「夢みたいだ。ずっとずっと、旅行、してみたかったんだ。こんな風に友達と、一緒に過ごしてみたかったんだ。兄弟で、出かけてみたかったんだ。楽しい。嬉しい。………嬉しい」

ずっと、修学旅行や体験実習なんかの学校の行事に出かけていく皆が羨ましかった。
楽しかったと帰ってきた皆が口々に言う度、行きたかったと思った。
一晩中話して、先生に怒られて、自由行動で買い食いをして。
同級生達と、寝食を共にするというのはどういうことなのかと、想像しては胸が痛くなった。

一兄と双兄と四天と、皆で一緒に出かけてみたかった。
単独にはそれぞれ出かけることはあったが、近場か仕事か。
皆で出かけることなんてほとんどなかった。
まして遠出なんて、したことなかった。
家族で旅行を、してみたかった。

「あ………」

不意に、涙がこぼれてしまった。
慌てて顔を拭こうとするが、右手には箸、左手には皿で塞がっている。

「あんた、海行きたいんだっけ」

岡野は見なかったことにしてくれるらしい。
前を向いたまま、そんなことを聞いてくる。
俺はなんとか瞬きを繰り返して、涙を止めながら、答える。

「………うん。海、見てみたい」
「来年の夏は、海に行こ」

岡野は、ぶっきらぼうに前を見たまま言った。

「一矢さん達は、忙しいかもしれないけど、誰か一人でも付いてきてもらって、また、皆で海に行こ。卒業旅行は、海外とかね。大学に入ったらバイトももっと出来るし、いろんなところ行こ」
「ら、来年は、受験生じゃん、俺ら」
「一日ぐらい、平気だろ」
「………でも」

そんなの、出来るはずがない。
現実味がない。
今回だって、かなり無理をして皆に調整をしてもらった。
そんなに皆に迷惑をかける訳にはいかない。
俺はあの家から離れることは、出来ない。

「ぐだぐだうるさい。行くよ。兄弟になんて、迷惑かけたらいいでしょ」

けれど、岡野が不機嫌そうにそんなことを言うから、止まりそうだった涙がまた出てきてしまう。
胸がぎゅうぎゅうと引きつって、息が出来ない。
けれどなんとか、返事を絞り出す。

「………うん」

海に行きたい。
山だって行きたい。
海外に行ってみたい。

色々なところに行きたいんだ、岡野。
皆で行ってみたい。





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