夕食は、俺と双兄と、度会さんと里さん、そして度会さんの息子さんの和臣さんの五人だった。
和臣さんは普段はこの近くに家族と住んでいて、何かある時にはこちらにやってくるらしい。
三十代半ばぐらいのお父さんに似て優しい顔立ちの人だった。
いずれこの家を継ぐことになるらしい。

「私にも息子がいましてね。三薙さんより少し年下なんですよ。三薙さんのように立派に育ってくれるといいのですが」

にこにこと笑いながら、そんな褒め言葉をくれる。
どうやら初顔の俺に気を使ってくれているらしい。
お世辞だと分かっていても、恥ずかしくて、こそばゆい気持ちになってしまう。

「い、いえ、俺なんてまだまだです。兄や弟から学ばなければいけないことばかりで」
「そういう謙虚な姿勢がいいんでしょうね」

これは褒め殺しか、なんて思ってしまう。
照れて口ごもる俺を、度会さんも里さんも穏やかに見ている。
東条の家の圧迫感も、石塚の家の違和感もない、温かい雰囲気の家。
宮守の家も客が来た時とかはもっと厳めしい雰囲気になるので、なんだかほっとする。

「双馬さんもこういう弟さんがいたら誇らしいでしょう」
「ええ、そうですね。素直で真面目な、いい弟です」

どの口で言ってるんだとちらりと見上げると、双兄は営業スマイルでにこにこしていた。
天といい双兄といい、どうしてこうツラの皮が厚いんだろう。
一兄はいつも自然体だからあまりなんとも思わないが、二人はギャップがありすぎだ。

「三薙さんも頼もしいお兄さんがいていいですね。うちの子も妹がいるので、しっかりした子になってほしいです」
「え、えーと、はい」
「おい、なんだその煮えきらない言葉は」
「え、だって」
「だってじゃない。おい、こら」
「いたいた、痛いっ!」

そのまま双兄が拳骨を俺の頭をぐりぐりと押し付ける。
痛いと抗議すると、度会家の皆さんは俺達の失礼な行動を咎めることなく微笑ましそうに笑っている。
常連だと言っていただけあって、どうやら気安い仲のようだ。

「それでは今日から三日間、お手数をおかけいたしますがよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、滞在中お世話になりますがお願いいたします」

そんな言葉で締めくくって、和やかな夕食会は終わった。
終始穏やかな雰囲気で進んだ夕食は、これまでの管理者の家と比べると随分美味しく感じた。
夕食をとった広間を後にして、隣にいた長身の兄を見上げる。

「いい雰囲気の家だね。管理者の家でも、こんな感じの家があるんだ」
「そうだな。この家は大分フラットだからな。付き合いやすい。管理者の家ってのはどこもかしこも辛気臭えのが多いからな」
「えーと、………うん」

僅かに知る管理者の家は、確かにどこか陰鬱な雰囲気があった。
それは宮守家も例外ではない。
闇と隣り合わせで生きる家の人達は、やっぱり闇に囚われてしまうのかもしれない。

「まあ、でもここも管理者の家だ。あんまり気を抜くなよ」
「うん、仕事だしな。気を緩めないでおく」
「そうなさいそうなさい」

双兄は俺の言葉に、ぽんぽんと俺の頭を掻きまわした。



***




離れの家は、母屋とは違ってこじんまりとしていた。
それでも普通の住宅街の家と同じかそれ以上はあるかもしれない。
8畳ほどの部屋が三部屋ほどと小さな台所がついているらしい。
三つの和室は襖によって仕切られ、三つ並んでいる。
俺らは三つ並んだ部屋の真ん中の一室に通された。
ここも結界が張ってあるらしく、神社のような清浄な空気が漂っている。
一番奥に、順子ちゃんは眠っているらしい。

「では、俺と志藤は結界の様子を見てきますので、お二人共、楽しんできてくださいね」
「はーい」
「はい」

熊沢さんが軽い感じで手をひらひらと振って離れから出ていく。
まず度会の家の敷地にそって結界が張ってあり、更にこの離れに二重に張ってあるらしい。
志藤さんが敷地周りの結界の様子を見て、離れの周りを熊沢さんが担当するらしい。
気軽な様子の熊沢さんを見てるとあまり危機感がないのだが、結構大変なのだろうか。

「ここまで厳重な結界を張るってことは、順子ちゃんってかなり危ないの?」

すでに布団に寝そべっている双兄は、俺の質問に片眉をあげる。

「そうだな。彼女を狙ってこの周辺の鬼やら闇やらなにやらが盛り沢山やってくる。俺がこの仕事を請け負うようになってから破られたことはないが、何度か危なかったこともあったらしい。何があっても、順子ちゃんに、邪を近づけちゃいけない」
「順子ちゃんって、この家の子なの?」
「縁戚だな」

聞こうかどうか、一瞬迷う。
この話を聞いてからずっと気になっていたことだ。
ずっとずっと眠っている小さな女の子。

「………順子ちゃんは、なんで、眠ってるの?」

結局、聞いてしまう。
病気か何かかと思っていたが、この話の流れだと別の意味があるのだろうか。
双兄はそっと目を伏せて、密やかな声で言った。

「危険だからだな。起きていると、彼女は奴らに狙われ続ける」
「………」

でも、それじゃ彼女は、この後どうするんだろう。
ずっとずっと、眠ったままなのだろうか。
そして時折こうして訪れる双兄達と遊んで、慰められる。
それは、酷く寂しく、哀しい。

「とりあえず、今はそのことは気にするな。精一杯遊んでやってくれ」

黙りこんだ俺に、双兄が少し厳しい顔で言う。
確かに、俺が暗い顔をしていたらせっかく遊びに行くのに、つまらなくなってしまう。
今はそのことは忘れて、精一杯遊ぼう。

「………うん」
「最後に全部話す。それじゃ、そろそろ行くか」
「分かった」

俺は双兄の隣に横たわり、目を閉じる。
双兄の使っている柑橘系の香水の匂いがする。
岡野の甘い花の匂いとも、一兄の落ち着くお香の匂いとも違う、双兄の匂いだ。

「宮守の血の盟約に従いて、血の絆を辿り此の者の心の流れに力纏いしもの………」

双兄の一定のリズムの呪を聞きながら、意識が闇に落ちていく。
そういえば、天は匂いがしないな、なんて最後に考えた。



***




白い、世界。
白い白い世界。

どこが床でどこか天井か分からない、不思議な世界。
温かみのある乳白色の、ミルクのような色の世界。
ここは双姉の世界。

「こんにちは、三薙。あ、こんばんは?」
「うん。こんばんは、双姉!」

双姉はいつものシンプルな白いワンピースを着て、手をひらひらと振っていた。
相変わらず手足が長く背が高くほっそりとしている。
我が姉ながら、繊細な顔立ちの美人。
双兄と、引いては母さんによく似ている。

「この前はケーキありがとうね」

双姉と何かを食べるためには、双兄にご馳走しなければいけない。
双兄に何かをあげるって言うのは少々業腹だが、双姉と一緒にお茶をするためには仕方ない。
この前槇が選んでくれたケーキがとてもおいしかったので、双兄にもご馳走したのだ。

「うまかった?」
「ええ。とっても美味しかったわ。今度一緒にあのケーキでお茶しましょ」
「うん!」

双姉はにこにこと笑って俺の頭を撫でた。
嫌だって言うのに聞いてくれないから仕方ない。
俺の周りの人達って、こんなんばっかりだな、そういえば。

「さて、一杯話したいことあるけど、今日はお仕事よ」
「うん。頑張るね」
「そうして。あの子も色々な人に会えた方が楽しいだろうから」

双姉が手をひらりと閃かせると、古い木のガラスがはまった格子戸が現れる。
どこかで見たことがあるな、と思ったら、それは恐らく度会家の母屋の玄関だ。
双姉がそっと開くとその見かけどおり、カラカラと音がした。

「わ」

扉の向こうは、目を刺す陽射しと緑が広がっていた。
大きな日本家屋がまず目に入り、その前には手入れのされた大きな庭がある。
俺達が訪れたのは冬だから、庭は枯れ木ばかりで寂しい風情だったが、緑が芽吹く季節になったらこんなにも美しくなるのだろう。

「いちかけ、にかけて、さんかけて、しかけて、ごかけて、はしをかけ」

たんたんと、何かを付く音と、幼い歌声が聞こえてくる。
哀愁漂うメロディは、聞いたことないけれどどこか懐かしい。
歌声に導かれるように歩くと、庭には一人の女の子がいた。

「順子ちゃん」

双姉が呼ぶと、その子は鞠を打つ手を止めてパッと顔を上げる。
そして双姉の姿を認めて、満面の笑顔を浮かべる。
肩で切りそろえた黒髪が古風で愛らしい、目の大きな可愛い子だ。

「お姉ちゃん!」

赤いスカートを翻し、軽やかな足取りで駆けてくる。
俺達の前までやってくると、双姉も優しく笑ってその頭を撫でる。

「いい子にしてた?」
「うん!私はいい子だよ」
「そうね、順子ちゃんはいい子だわ」

褒められて順子ちゃんは嬉しそうに笑う。
それから後ろにいた俺を見て、ささっと双姉の後ろに隠れる。

「………誰?」

警戒心を浮かべたその様子が子猫のようでまた可愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。
双姉もくすくすと笑いながら、俺を紹介してくれる。

「私の弟よ。三薙って言うの」
「三薙?」
「そう」

弟と聞いて、少しだけ警戒心を解いたらしい。
じっと見つめてくるので、俺も務めて優しく笑ってみせる。
すると順子ちゃんもにっこりと笑ってくれた。
やばい、可愛い。

「今日は亮平君じゃないんだ」
「亮平君の方がよかった?」

亮平君って誰だっけと思って、すぐに思い当たる。
熊沢さんのことか。
熊沢さんも何回か遊びに来たことがあるのかな。

「んー」

俺をちらちらと見て、順子ちゃんは考え込む。
まあ、熊沢さんかっこいいしなあ。
でも、俺も順子ちゃんと仲良くなりたい。

「こんにちは、順子ちゃん。俺は三薙。よろしくね」

しゃがみこんで視線を合わせ、改めて自己紹介をする。
すると順子ちゃんもにっこりと笑ってくれた。

「うん!よろしくね、三薙君」
「うん、よろしく」

どうやら面接テストは合格したらしい。
子供が天使とは言わないけれど、やっぱり小さい子って可愛い。
その邪気のない笑顔も、小さな手足も、幼い仕草も、微笑ましくなる。

「いつもはくま、亮平君が来るんだ?」
「うん!亮平君ね、いっぱい遊んでくれるから好き」
「そっか。今日は俺だけど、いい?」
「いいよ!何して遊ぼうか!」

と、言われてもいつもは何をして遊んでいるんだろう。
双姉を見上げると、双姉も少しだけ考え込んで提案する。

「そうね。とりあえずかくれんぼはどう?」
「うん!」

順子ちゃんは快く承諾してくれた。
双姉は順子ちゃんと手を繋いで歩きだす。

「じゃあ、三薙、あなたが最初に鬼よ」
「あ、うん。分かった」

この夢の世界がどれくらい広いかは分からない。
けれど、まあ、仕方ない。
俺は目を瞑って、数を数え始めた。

「どこ隠れよかっか」
「こっちこっち!」

楽しげな女の人と女の子の声が聞こえる。
そういえば昔はこんな風に双兄と遊んだ。
今、同じように双姉と遊べるのが、嬉しかった。


***




かくれんぼ、影踏み、木のぼりなどをひとしきりしてから、俺達は休憩がてら家の中に移動した。
家の中はやっぱり度会家と同じで、でも全く人の気配はしなく、古い家独特の匂いもないのが、少し不気味で、少し哀しく感じた。
現実の度会家よりも少しだけ綺麗に感じるのも、どこか切ない。

「三薙君、あやとりうまいね!」
「家の中でよくやったからなあ」

昔はよく力不足で倒れていたり、邪に付け込まれて寝込んだりで、家にいることも多かった。
そんな俺に母が時折教えてくれたのが、あやとりだった。
多忙な母が俺につききりで遊んでくれたこともあって、あやとりはとても楽しかった。

「教えて教えて!」
「うん。じゃあ、代わりに手鞠唄教えて?」
「うん!」

一段はしご、二段はしごと五段まで増やすと順子ちゃんは声をあげて喜んでくれた。
その後も腕抜きやゴム紐なんかを見せてあげると、目を丸くして驚いた。
その純粋で素直な反応が愛らしくて、誇らしい気分になる。

「ねえねえ、三薙君」
「ん?何?」
「お姉ちゃんと、亮平君は、恋人同士なの?」
「え」

俺は言葉につまってしまう。
双姉が、熊沢さんを憎からず思っていることは、知っている。
けれど双姉は双姉の事情があるし、熊沢さんがどう思ってるかも知りようがない。
横で俺達のあやとりを見ていた双姉が慌てて手をパタパタとする。

「な、何を言ってるの、順子ちゃん!」
「うふふ、だってね、すっごい仲がいいんだよ!」

7歳でも女の子は女の子。
恋の話に嬉しそうにはにかんでいる。
それに慌てて顔を赤らめている双姉もかわいい。

「もう、馬鹿なこと言わないの!亮平君はお友達!」
「ふーん」

順子ちゃんはにやにやとしながら信じていない様子だ。
本当に女の子はませている。
俺がこのぐらいの年の頃には、もっと馬鹿ガキだった気がする。

「どうなの、三薙君?」
「俺は分からないなあ。でも仲いいよね。幼馴染だし」
「仲いいよね!」
「うん」

俺が肯定すると、順子ちゃんは嬉しそうにくすくすと笑う。
それから内緒話をするように、俺の耳元で囁く。

「あのね、私もね、幼馴染いるよ」
「そうなの?」
「そう。私はね、将来かっちゃんと結婚するの!」

微笑ましい報告に、心がほこほこしてしまう。
そのすぐ後に、彼女が将来、そのかっちゃんと結婚できるのかが分からないと思い出したのだが。

「かっちゃんってどんな子なの?」

つきつきと痛む心を抑えて聞くと、順子ちゃんは照れながらも教えてくれる。

「かっちゃんはね、大きくてね、かけっこ早くてね、なんでも出来るんだよ!」
「順子ちゃんは、かっちゃんが大好きだもんね」
「うん!」

双姉も目を細めて、順子ちゃんの頭を撫でる。
それを見てにやにやしてしまっていると、いきなり話がこっちにふってきた。

「三薙君は好きな子、いないの?」
「それは私も知りたいわ、三薙」
「ええ!?」

急にタッグを組んだ女性陣が、キラキラと目を輝かせて聞いてくる。
その純粋で、けれど強い光を放つ瞳に怯んで座りながらあとずさる。

「え、と、俺はその」
「好きな子、誰?」
「誰なの?」

一瞬誤魔化そうと思うけれど、その純粋な目に誤魔化したりしたらいけない気になってくる。
彼女は教えてくれたんだから、俺も嘘は付きたくない。

「三薙君は、どんな子好きなの?」

ちょっと質問を緩めてくれたので、覚悟を決めて口に出す。
俺のタイプは、明るくて元気で、周りまで楽しくさせてしまうような子。
佐藤みたいな子が、タイプだった。
でも、今はちょっと違う。

「………えっと、優しい子、かな。ちょっと乱暴で口も悪いけど、でもすごく優しい子」

乱暴で口が悪くて当たりがきつくて、でも優しくて常に周りに気を配っている子。
その一言で俺の心をすっと軽くしてくれるような、強くて頼れる、綺麗な、でも可愛い子。
一緒にいると自分の心まで強くなれるような、子。

「まあああ、随分具体的ねえ、三薙」
「う、うっさいな」

双姉がにやにやとしながら顔を近づけてくる。
こういうところ、双兄にそっくりだ。
順子ちゃんも目をキラキラさせながら俺を見上げてくる。

「三薙君は………」

その時、ぐらりと世界が揺れた。
まるで電波の悪いワンセグテレビのようにぐにゃりと歪んで、時間が止まる。

「え」

何がなんだか分からず辺りを見渡すと、双姉が厳しい顔で宙を眺めていた。
それから焦りを含んだ声で叫ぶように言う。

「駄目、三薙、一回出すわ!」
「え!?」
「ちょっと気持ち悪いかもしれないけど、ごめんなさい!」

その瞬間、ぐらりと後ろに倒れ込んだ。
畳に頭を打つと思ったが、それもなくそのまま俺はどこまでも沈み込んでいく。
逆さまになったまま、暗い世界に飲み込まれる。
それから洗濯機に放り込まれたように、振りまわされる。
振り回される。
目が回る。
気持ちが悪い。

「う、く」

思わず目を閉じたところで、ぐいっと引っ張り上げられる。
急激に戻る嗅覚で辺りの匂いにむせかえり、吐き気がこみ上げる。

「大丈夫ですか、三薙さん」

肩を軽く揺すられて、なんとか目を開く。
そこは陽射しに溢れた度会の母屋ではなく、ぼんやりとした電灯がついた薄暗い部屋で、煤けた天井が見えた。
心配そうに眉を顰める熊沢さんが覗き込んでいる。

「く、ま、さわさん?」
「はい、ちょっと困ったことになってしまって」
「え」

まだ働かない頭を抑えながら、熊沢さんを見上げる。
熊沢さんはいつになく真剣な顔で言った。

「結界が破られました」





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