「熊沢さん、昼食の用意ができたってことなんですが………」

相変わらず双兄は熊沢さんの足の上で気持ちよさそうに寝ていた。
俺の言葉に、スーツの男性はにっこりと笑う。

「そうですか。それならそろそろ一旦起きた方がよさそうですね」

そして自分の足を占領しているデカイ男を小さく揺する。

「双馬さん、双馬さん、起きてください」
「んー」
「ほら、双馬さん」

双兄はゴロゴロとしばらく寝がえりを打ちながら、それでも手が自分を揺するのをやめないので仕方なく目を開ける。
不機嫌そうに眉を潜めて、自分を見下す人間を睨みつける。

「りょうへい?」
「ええ、おはようございます」
「やだ。もうちょっと寝る」
「お仕事ですよ」
「お前、行っておいて」
「我儘言わないでください。双馬さんのお仕事ですよ」

まるで駄々っ子のような会話に、驚く。
確かに双兄は駄々っ子のような振る舞いをすることはあるけれど、こんな甘えるようなことをすることはない。
あくまでも兄として、俺をからかうスタンスだ。

「変な話し方すんな。いつも通り話せ」

双兄が険の籠った声で、口を尖らせている。
まるで俺が一兄に甘えている時のような距離のない態度。
熊沢さんが困ったように苦笑する。

「それはかまいませんけど、三薙さん、見てますよ」

その言葉に双兄は飛び上がった。
そして俺の方を見て、目を見開いて驚愕を表わす。

「お、おはよ」
「………」
「えっと、度会さん、メシ出来たって………」

別に俺は何も悪くないけれど、いけないものを見てしまったような気になって視線を逸らす。
しどろもどろに話していると、双兄がすっくと立ち上がる。

「トイレ」
「あ、うん」

そしてそのまま廊下側に面した襖を開けて、トイレに消えてしまう。
残されたのは俺と熊沢さんと、後ろにいる志藤さん。

「えーと」
「もうちょっと待っておいてあげてください」
「は、はい」

動揺する俺とは違い、熊沢さんはやっぱり落ち着きはらっている。
まあ、別に確かに俺が慌てるようなことは何もない。
この状況で一番恥ずかしかったのは双兄だろう。
よし、さっさと忘れよう

「えーと、熊沢さんと志藤さん、休んでないですよね?お二人とも、お昼が終わったら休んでくださいね」
「ええ、そうさせていただきます。志藤君も休んでおくようにね」
「は、はい」

やっぱり落ち着かない俺と志藤さんはそわそわとしてしまう。
そこに廊下からどたどたと乱暴な足音が聞こえてきた。

「メシだー、メシいくぞー。腹減った」
「あ、双兄、えっと」

膝枕のことをからかってやろうと思ってたのだが、いざこうして前にすると何も言葉が出てこない。
慌てる俺の肩を抱くと、双兄はすっかりいつも通りに言った。

「ほら、さっさと行くぞ!俺を飢え死にさせる気か!」

そして何も言うことが出来ないままずるずると外に引きずられていった。



***




昼食は消化にいいようにと温かいうどんだった。
割と疲れていた胃には優しくて体がじんわりと温まり、眠気を訴え始める。

「では、やはり………」

けれど昼食の後には、度会さんとの真面目な会話が待っていた。
双兄が緊張を浮かべた顔で、深く頷く。
当主の度会さんと、そのお母さんの里さんも緊張した面持ちだ。

「結界が破られた原因は分かりません。けれど今夜も来るでしょう」
「そう、ですか」

昨日の出来事は熊沢さんがすでに説明していたので事情は通っている。
結界を守り切れなかったことを謝罪したが、宮守の人間に守れなかったのなら誰にも守れなかっただろうとあっさりと流してくれた。
そして離れを守り切ったことを逆に感謝すらされた。
やっぱりとても善良な人達だ。

「はい。昨晩と同じように母屋と離れの二つの結界を守りたいと思います。広範囲になると力も弱まりますので」
「双馬さんは」
「私は今日も仕事を続けます。通常二晩はかかりますので」
「………はい、お願いいたします」

双兄は今日も順子ちゃんの夢の中に入るらしい。
俺と志藤さんがその間、あの離れを守る。
力は充実しているし、志藤さんも今夜は大丈夫そうだし、それなら問題ないとは思うが、やっぱりちょっと気が重い。
じりじりと力を削られる消耗戦は、精神力まで削られていく。
けれど一人母屋を守る熊沢さんはもっと大変だろうから、文句を言えるはずはない。

「母屋は昨夜と同じように熊沢が。離れは三薙と志藤の二人で担当いたします」
「そちらの采配は全てお任せいたします。申し訳ございません」
「いえ。結界の修復にはまた改めて人を寄こしましょう」
「何から何まで………。どうぞよろしくお願いいたします」

そして度会さんは深々と頭を下げた。



***




「ねえ、双兄。熊沢さん」

母屋を出て、離れに向かう。
まだ日暮れまでには時間があるので、準備と休息をすることになった。

「ん?」
「離れに皆集まって、皆で守った方がいいんじゃないの?」

みんなで集まって離れに守りを集中させた方が、効率が良さそうだ。
ふと浮かんだ疑問を口にすると、応えてくれたのは熊沢さんだった。

「ああ、母屋の中にもあいつらに触れられたら困るものも多いんですよ。必然的にあっちも守らなくちゃいけなくて」
「あ、そうなんですか」

そうか、それなら仕方ないだろう。
人も分散してリスクを軽減した方がいいかもしれない。
度会さんと里さんにどれぐらい力ががるか分からないが、俺があの二人を守りきる自信もない。

「はい。結界の寄り代も母屋にあったんですけど。まあ、そっちは破壊されてましたけど」
「ええ!?」
「結界を破られた時に壊れちゃったんでしょうね。とりあえずは修復も出来ませんので明日まではこの体制で頑張りましょう。本当に三薙さんまで駆り出してしまって申し訳ないのですが」
「いえ、それは仕事ですから」

俺だって仕事をするために、ここに来ているのだ。
当初の予定とは違うが、それでもやるべきことがあるなら、力を尽くしたい。
何もできないよりは、何かすることがある方が、ずっとマシだ。

「でも、明日までって、明日からはどうするんですか?」
「今晩。または明日の夜まで守るだけで大丈夫なんです」

でも結界の修復には時間がかかると言っていた。
その間、ここの守りはどうするのかと思って首をひねる。
すると、今度は双兄がこちらをちらりと振り返って答えてくれた。

「順子ちゃんが半分起きてる状態なのが問題なんだよ。あの子がまた深い眠りにつけばあいつらは順子ちゃんの姿を見失う。そうしたらもうここには来れない」
「そうなの?」
「ああ」

つまり、順子ちゃんの夢に双兄が入るのが問題なのか。

「一旦、夢に入るのやめて改めてっていう訳にはいかないの?」
「夢問いを初めてしまったら、目的を果たすまでは終えられない」
「目的って?それに明日か明後日で目的は果たせるの?」

俺の質問攻めに、ちょっと面倒くさそうに双兄が髪を掻きまわす。
全部終わったら教えてくれるって話だったが、こんな事態になったのなら、何が原因なのかぐらい、知りたい。

「あー、順子ちゃんから聞かなきゃいけないことがあるんだよ」
「聞かなきゃいけないこと?」
「ああ」

双兄が一旦言葉を切って、真面目な顔を作る。
そして俺の目をじっと見て教えてくれた。

「彼女は託宣の巫女なの。家の繁栄を予知する」
「へ?」
「まあ、ただそれを家の人間が受け取る方法がない。度会の家は夢見の能力を持つ人間はいない。それで、俺みたいのがその予知を受け取りにくる訳だ」

予知、か。
そういう力を持つ人間は、確か宮守の中にもいたはずだ。
順子ちゃんは予知ができるのか。

「それで、明日か、明後日?」
「ああ、彼女が遊びに満足してくれると、予知を教えてくれる」
「繁栄の予知って………」
「まあ、今の時代は、投資とかその辺ね」
「それで、その短い時間だけ、起きるんだ」
「半分だけな」
「………」

ずっとずっと眠っている女の子。
ずっと眠っていて、予知を聞くときだけ起こされる。
半分起きているだけでもあいつらにつけ狙われて危険だから仕方ないのもあるのかもしれないが。
けれど、一年に何日も起きていられない存在。
幼い声、あどけない笑顔、走り回る細い手足。
あんなに、かわいい子なのに。

「ほら、そんな顔しない。後でちょっと合わせてやるから」
「………うん」
「あの子の前では笑えよ」
「分かった」

そうだ、俺の仕事は本来はあの子と力いっぱい遊ぶために来たのだ。
それなら、あの子の前で暗い顔なんてしていられない。
少ししか起きていられないのなら、その間だけはせめて楽しんでもらいたい。

「俺はもうちょい寝るわ」
「あ、うん」

話しているうちに、離れに辿りつく。
双兄があくびをかみ殺し、離れの中に入って行く。
昨日から寝ているだけとはいえ、力を消耗して疲れるのだろう。

「熊沢さんと志藤さんもどうぞお休みください。俺が見ているので」
「ありがとうございます。後で三薙さんももうちょっと休んでくださいね」
「はい」

熊沢さんも双兄の後に続いて入って行く。
残ったのは俺の後ろにずっと付いてきていた志藤さん。

「志藤さんの体調はどうですか?」
「大丈夫です、大分力は戻りました」
「そうですか。ならもうちょっと休んでいてください」
「………はい」
「夜に眠くなったら、何もできませんよ」
「分かりました」

力は戻ってきているとはいえ、寝ていないはずだ。
今のうちにたっぷり寝てもらわないと。
今夜俺が一人でなんとか出来る保障はないのだから。

「頼りにしてます」
「………はいっ」

志藤さんは緊張した面持ちで顔で一つ大きく頷いた。
なんか本当に、年上で、俺よりも背が高い人なんだけど、年下みたいだ。
苦笑しながらポケットを探ると、そこにはいつもある感触がない。

「あ、やばい、携帯忘れた」
「はい?」
「母屋に携帯忘れました。取りにいってきます」
「私も行きます」

別に大丈夫ですと言いそうになったが、後ろをついてくる志藤さんを無碍にも扱えない。
危険もないし、まだ昼だし、なんで付いてくるのか分からない。
なんか、失礼な言い方かもしれないが、懐かれたのか。

「失礼しますー」

母屋の扉は開け放たれていたので、チャイムを鳴らす前に玄関先から声をかける。
誰も出てこないから、一歩入り込み、もう一度声をかけようとする。
すぐ傍の部屋から、度会さんと里さんの声が聞こえてくる。

「そろそろ代替わりのことも考えなければいけませんね」
「お母さん、その話は………」
「あなたの気持ちも分かります。でもこれは必要なことです」
「………」

おっとりとした里さんの、どこか厳しい声。
度会さんの、困ったような声。
緊迫したムード
なんか、聞いちゃいけない話なのだろうか。
志藤さんを顔を見合わせて、一旦戻ろうかどうか思案する。

「しかし、和彦はまだ若輩すぎる」
「けれど和臣よりもふさわしいでしょう。それに次代の」

やっぱり戻ろうと玄関から出たところで、志藤さんが玄関の扉に体をぶつけてガタっと音が鳴る。
厳しく鋭い声が、背中からかけられた。

「誰だ!」
「あ、す、すいません………、携帯を忘れてしまって」

部屋から襖を開けて、荒々しく出てきたのは度会さんだった。
立ち聞きしてしまったようなものだから、気まり悪くて俯く。
聞くつもりはなかったのだが、悪いのは確かに自分だ。

「ああ、三薙さん。失礼しました」
「は、はい。こちらこそすいません」

度会さんは俺の姿を認めて表情を柔らかくする。
それから、後ろを振り返り奥に向かって大きな声を出す。

「ちょっとお待ちください。佐々木さん!居間に携帯がないか!」

しばらくしてはーいと声が聞こえて、佐々木さんが奥から出てくる。
その手には俺の携帯が握られていた。
度会さんを経由して、俺の手に戻ってくる。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

どうやら立ち聞きの件は責められたりはしないらしい。
ほっと息をついて、もう一度だけ頭を下げてさっさと母屋から出る。
他家の事情には、関わらない。
それが、一番な、はずだ。

「さて、離れにもどりましょうか」
「はい」

志藤さんに声をかけると、大人しく後ろからついてきてくれる。
なんだか、かるがもの子供みたいだな、なんてちょっと思った。





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