「三薙さんももう少しお休みください」

双兄はすでに先ほどまで俺が横になっていた、真ん中の部屋の布団の上に転がっている。
熊沢さんが休むように勧めてくるが、俺は首を横に振る。
確かに眠気は少しあるが、俺以上に熊沢さんと志藤さんは寝ていない。

「その前にお二人が休んでください。お二人に倒れられたら困ります」

少し強い口調で言うと、熊沢さんは苦笑して肩をすくめた。

「まあ、そうですね。じゃあお言葉に甘えて」
「はい」

熊沢さんがスーツを脱いで、用意してもらっていた浴衣に着替える。
その間に双兄の横に布団を敷いて、玄関先の部屋で突っ立っている志藤さんを振り返る。

「ほら、志藤さんも」
「………はい」

促しても志藤さんは突っ立ったまま動かない。
落ち着かなそうにそわそわと辺りを見回している。
俺は小さくため息をつくと、もう一つの浴衣を志藤さんに渡す。

「はい、着替えてください」
「は、はい」
「歯を磨いてきて」
「はい」

志藤さんがわたわたと慌てて着替えて、歯を磨きに行く。
その間に玄関先の部屋にもう一つ布団を敷いてしまう。
なんか、弟がいるってこんな感じなんだろうか。
いや、年上なんだけど。
いや、俺、一応弟いるんだけど。

「はい、じゃあ休んでください。日暮れ前に起こしますから」

そうこうしている内に身支度を整えた志藤さんが帰ってくる。
布団の上にちょこんと座って、それでも横にならずに俺をちらちらと見てくる。

「どうしたんですか?」
「あの………その………」
「はい」
「その、三薙さんは、どう、するんですか………?」

これは、どういう意味を持つ問いかけなのだろう。
単に聞いただけなのか、それとも別の意味を持つのか。

「俺はここで勉強でもしてますね」
「あ、はい!」

ここ、といって部屋を指さすと、志藤さんの顔が明るくなる。
どうやら正解だったらしい。
うぬぼれでなければ、ここにいて欲しいってことだったようだ。
まあ、どうせここにいる予定だったから、コーヒーでも飲んでテスト勉強をしていよう。

「ちょっとお茶を淹れてきます」
「あ、私が淹れます!」
「あ、いや」
「何がいいですか?コーヒーですか?紅茶ですか?緑茶ですか?」
「あ、えっとじゃあ、コーヒーを」
「はい。あ、熊沢さんはいりますか?」
「いえ、俺はいいです」

志藤さんは勢いよく立ち上がると、廊下にある小さな台所へ向かう。
その後ろ姿を見ていると、なんとも言えない気持ちが浮かんでくる。

「………」
「いやあ、懐きましたね」
「なんです、かね」

熊沢さんがくっくと、喉を振わせて笑っている。
俺は隣の部屋にいる熊沢さんを振り返り、肩をすくめる。
どうやら好意を持ってくれたようなのは分かるのだが、なぜなのか分からないし、どういう対応したらいいかもよく分からない。

「あんまり志藤君を甘やかさないでくださいよ、三薙さん」
「え」
「彼はちょっと依存が強いんですよ。ほどほどに突き放してください。宮城さんに俺が怒られてしまいます」
「はあ、突き放すと言っても」

そこまで優しくしているつもりもない。
なんで慕ってくれているのかも、よく分からない。
年上の人だし、使用人だし、言いつけられているように一線を引いてごく普通の対応をしていたつもりだ。
そんなことを言っているうちに、志藤さんはお盆を抱えて戻ってくる。

「どうぞ、三薙さん」
「はい、ありがとうございます」
「ミルクと砂糖です」
「はい」

受け取ってミルクと砂糖を大量に投入する。
苦いからコーヒーはそんなに好きじゃないけど、この香ばしい匂いは好きだ。
匂いを嗅いでから、熱いそれを啜る。

「………」
「………」
「………あの、見られてると飲みづらいんですけど」
「あ、す、すいません」

志藤さんは横に座って、俺の一挙手一投足をじっと見つめている。
指摘すると慌てて視線を逸らす。

「えーと」

俺は決して人付き合いがうまい方じゃない。
というか下手だ。
友達とか本当に少ない。
家の人間以外と付き合うこととか、これまでほとんどなかった。
だから、こういう時どうしたらいいか、本当に分からない。

「その、おいしいです」
「ありがとうございます!」

とりあえず褒め言葉を口にすると、志藤さんはにこにこと笑った。
あ、こんな風に笑ったの初めて見たかも。
それは嬉しいけれど、いつまでもこうしていても仕方ない。
俺はもう一度ため息をついてから、コーヒーカップを横に置く。

「志藤さん、休んでください」
「は、はい」

それでもどうしたらいいのか分からないようにそわそわとする志藤さんに、布団を叩く。

「はい、横になって」
「は、はい」
「それで、目を瞑って」
「はい」

言われるがままに、目をぎゅっと瞑る志藤さん。
まるで怖いものから逃げるかのように、目を瞑っている。
体もカチカチに緊張して堅くしている。
眼鏡も取ってないし、これじゃ眠れるはずもない。

「………」
「わっ」

眼鏡をとると、驚いたように目を開けようとする。
けれどその目を覆うように、額に手を置く。

「はい、そのまま目を瞑っててください。………宮守の血の力を持ちて」
「み、なぎさん?」
「宮守の血の力をもちて、この者を安らぎに導き、深き眠りに……」

呪を唱え終る頃には、志藤さんの体から力が抜けて弛緩していた。
手をどけると、穏やかに目を瞑って枕に顔を預けている。
一定の呼吸音から、ようやく眠ってくれたのだと分かる。

「すいませんね、本当にご迷惑かけて」

熊沢さんがまだこちらを見て、笑いをこらえていた。
見ていたならどうにかしてくれたらよかったのに。

「………力使っちゃいました」

これから仕事だというのに、思わず力を使ってしまった。
些細な力だから大丈夫だと思うが、もっと省エネしなければ。
熊沢さんは変わらず面白そうに笑ったままだ。

「だからあまり甘やかさないでくださいって言ってるんですよ」
「甘やかしてるつもりはないんですけど………」
「そうですか?」
「………でも、俺がこんな立場になるのって珍しいんで、ちょっと楽しいです」

俺はいつも守られ迷惑をかけて導かれる立場だ。
こんな風に諭したり守ったりすることなんて、全然ない。
だからこそ、ちょっと調子に乗って楽しんでいたりもする。

本当に、弟が出来たようだ。
手のかかる、弟。
普通の兄弟だったら、こんな感じだったのだろうか。
年上の人に弟って言っちゃうのは悪い気もするけれど。

「いいお兄ちゃんでしたね」
「熊沢さんほどじゃないですけどね」

からかってくるから言い返すと、熊沢さんは黙って肩をすくめた。

「さあ、熊沢さんも休んでください。落ち着かないならそこの襖閉めますよ」
「それは大丈夫です。そうですね、俺も少し眠るとしますか」
「熊沢さんも眠りの呪がいりますか?」
「それはまたの機会に」

二人で顔を見合わせて笑う。
それから熊沢さんは布団にごろりと横になった。



***




「んー………」

強張った体を伸ばすために腕を伸ばす。
同じ姿勢をしていた体はバキバキと音を鳴らして心地よかった。
腕時計に視線を送ると三人が休んでから三時間ほど経ったことを示していた。
後一時間ほどしたら皆を起こして、俺ももう少し休ませてもらおう。

すぐ傍にいる志藤さんはぐっすりと眠っているようだ。
隣の部屋の双兄と熊沢さんも寝息が穏やかだ。
年表を覚えるのも飽きてきたので、外に出ることにする。
三人を起こさないようにそっと立ち上がり、どうしても音を立ててしまう玄関の扉を出来る限りゆっくりと開閉する。

山の風は冷たく、何も羽織ってない体の体温を奪おうとする。
外は、三時間前の青空とは違って、冬の早い夜の訪れを告げていた。

「夕暮れ、か」

山裾に沈もうとする太陽が、最後の一頑張りとうるさいぐらいにオレンジ色に光り輝いている。
夕暮れはその日の太陽の死を感じさせもするし、こんな風に生を感じさせもする。
なんだか、不思議だ。

「三薙!」

目を細めて夕日を見ていると、幼く高い声が俺の名前を呼ぶ。
その声には聞き覚えがあった。

「あれ、和彦君」

少年らしい細い手足と、ヤンチャな太い眉毛を持った見るからに元気な少年が大きく手を振っている。
さっき祖父と父に叱られたばかりなのに、懲りずにまたやってきたらしい。
軽く息を乱して、俺の傍まで駆け寄ってくる。

「いいのか、こっち来て」
「爺ちゃんと父さんなんて怖くねーし!」
「じゃあ、二人を呼んで来よう」
「あ、やめろよ!」
「はは」

俺が母屋に行こうとすると、慌てて腕を引っ張って引き留める。
その分かりやすい態度に、思わず笑ってしまった。
こまっしゃくれているが、ひねくれてはいない。
小学校の高学年ぐらいに見えるけれど、どれくらいなんだろう。

「和彦君は何歳?」
「俺は11歳。小学5年」
「なるほど」
「三薙は?」
「俺は17歳。高校2年」
「中学生ぐらいかと思った」
「う、うるさい!」
「あははっ」

人が気にしていることを。
ていうか平均的な身長なのに、なぜいつも中学生に見られるんだ。
確かに少し標準体重よりは軽いけれど、普通だと思うのだが。

「なあ、三薙、遊ぼ」
「あー、もう少しで日が暮れるから、家に戻った方がいいよ」

もう少ししたら、ここはがらりと様相を変える。
この穏やかな空気は失われ、闇に覆われるだろう。

「危ないから」
「まあ、そっかあ」

ごねられるかと思ったが、意外にもあっさりと和彦君は頷いた。

「ここ、結界がなくなってるし」
「………分かるんだ」
「分かるよ。俺、力あるもん」

どこか誇らしげに、胸を張る。
その自信が少しだけ羨ましい。
力があると言いきって、胸を張ってみたい。
それはどんなに満たされる気持ちなのだろう。
自分よりも5つも年下の子供に、嫉妬を抱く自分が情けなくて笑ってしまう。

「和彦君は、すごいな」
「まあ、俺、この家を継がなきゃいけないし」
「………そう、なんだ」
「曾婆ちゃんが言ってるんだけどね。爺ちゃんは嫌みたい」
「………」

あっけらかんとして本人は言っているが、それは重い話だ。
管理者の家を継ぐというのは、大きな責務と重圧があるだろう。
一兄を見ていれば、それは分かるつもりだ。
それを和彦君は、分かっているのだろうか。

「そんな、困った顔するなよ」

思わず黙り込んだ俺を見て、和彦君は笑った。
酷く大人びた顔で。

「別に俺は嫌じゃないぜ?」
「………ごめん、なんて言ったらいいか、分からなくて」
「三薙も、同じような家なんだろ」
「うん、そうだね。俺の兄さんも、和彦君と同じように家を継ぐって、一杯勉強してる」

生まれた時から、家を継ぐことを決められていた一兄。
何かになりたい、とか思ったことはなかったのだろうか。
文句ひとつ言わずに家のことを行い、副業もこなし、俺みたいな出来そこないの面倒も見てくれる。
それを全て放り投げたくなったりすることはないのだろうか。
こんなことを考えるのも失礼だとは思うのだが、時折考えてしまう。
一兄にとって、家は重荷ではないのだろうか、と。

「それって双馬?」

俺を見上げると和彦君の声に、我に返る。

「あ、いや、その上にもう一人兄がいるんだ」
「へえ。三人兄弟?」
「いや、四人。下に弟がいる」
「すっげ、多いな」
「うん。確かに」

今時四人兄弟なんて、あまりいないだろう。
父さんの兄弟も五人だったから、多産の家系なのだろうか。

「俺も弟がいるぜ!すっげ生意気なの!泣き虫な癖にさ、すぐ歯向かうの!」
「俺の弟も超生意気。泣き虫ではないけどね」
「和己、あ、和己っていうんだけどさ、あいつ付いてくると秘密基地とかいけないんだけどさ、すぐ付いてくるの。文句ばっかり言って泣く癖についてくるの」
「和彦君が好きなんだろ」

小さい頃の俺と同じだ。
双兄に苛められて泣かされて、それでも付いていった。
強くて楽しいことを沢山知っている双兄が、好きだった。
天も、俺と同じで弱い存在だったら、俺は素直に愛せたのだろうか。

「まあな。仕方ないよな。弟だもんな」
「そうだな。お兄ちゃんなんだから面倒みないとな」
「仕方ねえなあ。三薙も大変だな」
「和彦君ほどじゃないけどね」

そう言うと、和彦君は得意気に笑った。
兄としての自負が、強いこの子が、とても眩しく見える。
純粋な兄と弟の絆が、羨ましい。

「和彦君は、家を、継ぐの?」

ふと、聞いてはいけない言葉が出てしまう。
こんなこと、こんな幼い子に聞いてはいけないだろうに。

「そうだなあ。サッカー選手にもなりたいし、パイロットにもなりたいけどな」
「………」

酷く純粋な綺麗な夢。
家を継ぐ義務を持つこの子が語るには、少し辛い夢。
それに痛々しさを感じながらも、やっぱり俺は和彦君に嫉妬してしまう。
俺は小さい頃から何かになりたいと思ったことはなかった。
ただ、誰にも迷惑をかけない体にはなりたかった。

強くて純粋で綺麗な存在。
それを羨む醜い自分。

「三薙?」
「あ、なんでもない。夢があるんだ」
「うん。でも、俺さ、ガキの頃からずっと一緒にいる女がいるんだけどさ、そいつのこと、面倒みてやんきゃいけないしなあ」
「女の子?」
「そう、すっげ泣き虫でさ、和己よりも泣き虫」
「へえ、その女の子って」

言いかけた時に、遠くから太く大きな声が響いた。

「和彦!」
「あ、父さんだ!やべ!」

母屋の方から歩いてくる父の姿を見かけて、和彦君はくるりと背中を向ける。
俺はその薄い背中を軽く叩いて、逃亡を促す。

「ほら、逃げな。そろそろここは危険だ。ちゃんと家にいろよ」
「分かった」

そのまま駆け出そうとしてから、一旦足と止める。
そしてそのキラキラと光る大きな目で俺を見上げる。

「三薙が、ここを守るの?」
「うん。俺と双馬兄さんと亮平さんと志藤さんとでね」
「そっか。ま、無理すんなよ!」
「ありがと」

俺の腕を拳でとんと叩いて激励してから、今度こそ和彦君は駆け出す。
強くて優しくて一本筋の通った少年を見送る。
俺なんかより、ずっと強い強い男の子。

「三薙さん、本当に度々、うちの馬鹿息子がすいません」

母屋からかけてきた和臣さんが、息を切らせながら頭を下げる。
俺は苦笑して、首を横に振る。

「いえ、楽しかったです。とても敏くて、優しい子ですね」
「はは、褒めすぎですよ。本当に生意気盛りで」
「いいえ、本当に強い子ですね」

謙遜しながらも、息子が褒められて和臣さんは嬉しそうだ。
それを見ていてこっちまで微笑ましくなってしまう。

「でも、ここは危険ですから、夜は絶対に外に出さないでくださいね」
「はい、勿論です」
「お願いします」

顔を引き締め大きく頷く和臣さんに、俺はもう一度お願いした。





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