「それじゃ三薙、しっかり俺を守れよ!傷一つつけるんじゃねーぞ!」
「分かってるよ」
「おお、頼もしいな!」

軽口を叩く双兄が俺の頭をくしゃくしゃと掻きまわす。
心配されるのではなくこんな風に守れって言われるのは、プレッシャーを感じるものの、なんだか嬉しい。

「双兄は、俺が守るからしっかり仕事してこいよ」
「いやん、三薙君、惚れちゃいそう!」
「惚れてもいいぜ」

こんな大口なんてほんとは叩けないけど、空元気でも元気な方がいい。
はったりでもなんでも自信に満ちた人は、力が集まる。
双兄は目を細めて優しく笑って、もう一度頭を叩いてから仕事をする真ん中の部屋に行く。

「………」

しばらくして、静まり返った部屋には双兄の穏やかな呼吸音が響くだけとなった。
残されたのは俺と志藤さんの二人。
志藤さんが背筋をぴんと伸ばして座りながら、不安そうにぼつりと漏らす。

「今日も、来るんでしょうか」
「………来るかと、思います」

あいつらは、また今日も来るのだろう。
返して、もらいに。

「でも、明日で終わりだって、双兄も言ったし」
「そうですね」
「頑張りましょう!」
「はい。三薙さんのことは、何があっても私が守ります」

志藤さんが強張った真剣な顔でそんなことを言うから、俺はつい笑ってしまった。

「あはは、それじゃ志藤さんのことは俺が守りますね」
「え、いや、そ、そんな、宗家の人にそんなことさせる訳には!」

まあ、父さんとか一兄とか宮城さんだったら、そう言うだろうな。
今時時代錯誤とは思うが、宮守の家はかなり弁えとか身分とかにうるさい。
熊沢さんがあんなにフランクなのが珍しいのだ。

「宮城さんも志藤さんも、堅いですよね。ていうか熊沢さんが一人で柔らかいんですけど」
「堅い、というか、当然のことですから」
「でも熊沢さんはあんな風じゃないですか」
「熊沢さんは実力もありますし、それにその………」
「はい?」

そこで一旦言葉を切って言い淀む志藤さん。
目をわずかに泳がせてから、俯いて口ごもる。

「志藤さん?」
「………熊沢さん、要領がいいんです」

俺が促すと、志藤さんはようやく先を続けた。
重々しいけれど、どこか拗ねたような口調だった。

「要領?」
「あの人は何をやっても怒られないんです。宮城さんから逃げるの、うまくて、誤魔化すのもうまいから、私がいつも怒られて………」

口を尖らせてぶつぶつという志藤さん。
俺はつい拭きだしてしまった。

「くっ、」
「え、あ、み、三薙さん?」
「あははは」
「………っ」

俺が笑ったことに気付いた志藤さんが慌てて顔を上げるが、その焦った様子がおかしくてとうとう堪え切れなくなってしまった。
声を上げて笑ってしまう。
志藤さんは笑いだした俺に、顔を真っ赤にする。

「………・」
「あ、す、すいません。なんか志藤さん、かわいくて、あはは」
「み、三薙さん!」

そのクールで神経質そうな見た目と違って、本当に年よりも幼く感じる人だ。
弱いところも強がろうとしているとこも、親近感を覚える。

「すいません、確かに熊沢さんは要領よさそうですよね」
「………はい。それでいつも色々押しつけられたりします」
「あはは。でも好きなんでしょう?」

熊沢さんの志藤さんへの態度はちょっと冷たいけれど、志藤さんはそれでも怒ったり嫌ったりする様子は見られない。
ただ冷たくされるとしょんぼりとするだけだ。
怖がっているようではあるが。

「それは………私が宮守に身を寄せるようになってから一番面倒見てくれた人ですので、尊敬してますし、感謝してます」
「そうなんですね。いいな。俺も、もっと早くに志藤さんと話したかったです。こんなに話しやすい人だと思わなかった」

宮守の家は結構人の出入りが激しいから、全員と関わりがある訳ではない。
志藤さんに関しても、使用人と関わるなという父さんや宮城さんにも言われてるし、顔を知っていて、何度か挨拶を交わしたことがあるぐらいだった。
通りすがる時に見て、怖そうな人だなとだけ思っていた。

「………私達は、宗家の人達と親しくすることは控えるように言われているので」
「そんなの、本当に時代錯誤ですよね。現に双兄と熊沢さんは仲がいい訳だし」

そこでふっといきなり部屋の中が暗くなった。
ざわりと全身に鳥肌が立つ。

「っ」

志藤さんと俺は同時に玄関の隣の大きな窓の方に顔を向ける。
障子の向こうの二枚の窓のうち一枚が、なぜか真っ暗になっていた。
よく見ると月明かりを遮ってる影は、もぞもぞと動いている。
幸い障子ではっきりと見えないが、小さな虫がびっしりと窓に張り付いているように感じる。
いつのまに、現れたのだろう。

「………今度はこういう精神攻撃かよ」

カサカサカサカサ。
羽が擦れるような音も聞こえてくる。
それは徐々に徐々に広がって、もう一枚の窓も埋め尽くして行く。

「………」

確かにすごく背筋がぞわぞわして不快感を覚える。
でも三日目ともなると慣れてきていた。
これはこけおどし。
恐怖で飛び出すか、取り乱して結界を弱めるかさせるために俺を揺さぶろうとしてる。
こいつらに結界を破るまでの力はない。
分かっていれば落ち着いていられる。

コツ、コツ、コツ。

「………来た」

今度は部屋の横の小さな窓の方がノックされる。
そこには随分と横幅の大きな人影。
丸みを帯びたそのシルエットは、どこかコミカルにも思えた。
入ってこれないのは分かっているが、囲まれていると追い詰められているような焦燥感を感じる。

「返してください」

今日は澄んだ女性の声だ。
初日から変わらない、こいつらの訴え。

「返してください」

淡々と繰り返れる言葉。
感情はこもっていないけれど、どこか切実にも感じる。

「返してください。返してください。返してください」

返してください、か。

「探している、のかな」
「三薙さん?」
「………おやまのうえのみつめがみが、ひとめをさがして、さまよいあるく」

ぼそりとつぶやいた途端、声が止まる。

「目を、返してほしいのか?」
「………」

しん、と再度静まり返る部屋。

バンッ!!!

急に人影があった方の窓が強く叩かれた。
何度も何度も窓が割れるのではないかというほどに叩かれる。

「っ」
「返せ!返せ!返せ!」

ふたつめになってしまったみつめがみ。
託宣を受ける巫女。
何かを返してもらいたがる異形のもの。

「………消えろ!」

結界に力を注ぎこみ、家に纏わりついていたもの達を追い払う。
パンっと何かがはじける音がして、障子の向こうにいた虫や人影が消える。
そして辺りは急激に静まり返る。
虫の声一つしない、ただ俺達の呼吸の音しかしない静寂。

「………」
「三薙さん、大丈夫ですか?」

志藤さんが傾いだ俺の肩を支える。
力はそんなに使ってない。
けれど、ずっしりと疲れが全身を覆う。

「他家の事情には、関わらない方が、いい」
「三薙さん?」
「いえ………」
「え」

各家には、それぞれの事情がある。
それは他家が口出しすることではない。
そうだ、それは、最初の仕事で思い知った。
俺が何を思おうと、どうすることも出来ないのだから。
だから、俺は課せられた仕事をこなすことだけを考えれば、いい。
でも。

「順子ちゃん、は」

振り向いて小さな少女が眠っているはずの部屋を見る。
双兄が眠っている部屋のそのまた向こう。
厳重に結界を張られた、開かずの部屋。

「………」

気にしたら、いけないのだ。
双兄は事情を後で教えてくれると言った。
けれど、今はそれすらも、知るのが怖い。

ガタガタガタガタ!

「………っ、玄関!?」

静まり返った部屋に、突然また音が蘇る。
玄関をガタガタと揺らされる。
いくつもの黒い人影が玄関の曇りガラスの向こうに見える。

「開けろ!」

ガチャガチャと揺らされた扉が煩く鳴く。
強張った顔をした志藤さんが俺の前に立ち、玄関に向き合う。

「大丈夫、開けられるはずは、ない」

唾を飲み込みながら、自分に言い聞かせるように言う。
けれどその次の瞬間、二枚に重なった扉の真ん中についた昔ながらの鍵に、何かが差しこまれる音がする。

カチャカチャカチャ。
ガチャ。

鍵穴がひねられて、回る。

「え」

キイ。
ガラガラガラガラ。

そして扉は、開いた。





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