家に二人で辿りついた時には、辺りはもう夜と言っていいほど暗くなっていた。

「すっかり遅くなったな」
「兄さんが焼きたてが食べたいとか言うからでしょ」
「だって、すぐに焼けるって言うしさ、焼きたてのがうまそうじゃん」

なんだかみっともないぐらいにはしゃいでいる。
こんな風に普通の会話をするのは、どれくらいぶりだろう。
していたかもしれないけれど、何も気にすることなく話すのはすごく久々な気がする。
天と少しだけ近づけたような気がして、帰り道からずっとテンションがあがってしまっている。

「ま、美味しかったけどね」
「だろ?」

天の表情もいつもより柔らかい気がする。
もしかしたら気のせいかもしれないけど。

「兄さんストップ」

門から玄関までの長い道のりの途中。
天がぴたりと足を止めた。
俺もつられて足を止めて、つんのめる。

「天?」

どうしたんだと聞こうと隣を見ると、天がポケットからストラップを取りだした。
そのうちの一つを地面に放り出し、素早く呪を唱える。

「宮守の血の盟約に従い、我が僕、我が声に応えよ」

すぐに顕現されたのは二つの尾を持つ白い狐。
力溢れる美しい使鬼。

「白峰、追って」

ざざ!
何があるのだと問おうとした時に、道沿いの茂みを揺らして何かが飛び出してきた。

「な!?」

目の前を横切ったそれは、素早すぎて黒い影にしか見えなかった。
白峰もまた地を蹴って風のように走り、その黒い影を追う。

「え、な、何、今の」
「なんだろうね。侵入者じゃない?」
「し、侵入者って!?」

焦る俺とは裏腹に、天は平然と自分の使鬼の後ろを見送っている。
テンパっている俺に、軽く肩をすくめる。

「祭りが近くて人の出入りが激しいからね。そのうちの誰かの置き土産でしょ」
「え、な、な、なんで」
「はいはい、落ち着いて」

動揺してうまく話せない俺に、天が馬鹿にしたようにため息をつく。
少し近づけた気はしたが、こういうところは相変わらずでやっぱりムカつく。

「落ち着いてって!お前がなんで落ち着いてるんだよ!」
「だって珍しいことじゃないし、それに、あ」

最後まで言いきる前に声をあげて、視線を空に巡らせる。
そしてちっと小さく舌打ちした。

「て、天?」
「逃げられちゃった。白峰がとり逃がすなんて結構いいの送ってきたなあ」

逃げられたと言いながら焦る様子はなく、やっぱり落ち着いている。
代わりに俺がその言葉に飛び上がる。

「逃げられたって!?え!?」
「だから落ち着いてってば。うるさい」

うんざりと面倒くさそうに俺をちらりと睨む。
落ち着けって、この状況で落ち着いていられるこいつのがおかしいだろう。
なんだか変なものが家の中に入り込んでいるんだぞ。

「で、でも、どうするんだよ!お前でも逃がすって!」
「別に構わないよ。だってどうせ」

また最後まで言わずに言葉を切って、視線を宙に向ける。
しばらくして一つ頷く。

「うん、捕まった。はい、終わり。もう大丈夫だよ、兄さん」
「え!?し、白峰が捕まえたのか!?」
「ううん」

玄関に向かってすたすたと歩き始めた天の後を慌てて追う。
俺の言葉に、弟は軽く首を横に振る。

「偉大なる先宮だよ。可哀そうに、白峰に捕まっておけばまだ楽だったのに」
「え、と、父さんが!?」
「うん。兄さんさっきから言葉になってないよ」

舌がもつれてうまく話すことが出来ない。
なんだってこいつは本当にこんなに平然としているんだ。

「安心して、父さんがいいようにするでしょ」
「お前でも、捕まえられなかったのに!?」

俺の言葉に、天が驚いたように目を丸くする。
それから困ったように苦笑した。

「もしかして、兄さん、俺が父さんよりも強いと思ってたの?」
「え、と」

父さんが強いということは、知っている。
以前何かの儀式で術を使ったところを見たこともある。
でも、それを見てなお、俺は、力が一番あるのは天だと思っていた。
経験とか知識とかそういったものを別にしておけば、純粋な能力は天が一番だと思っていたのだ。
それに今更ながらに気付いて、複雑な気分になる。
父さんも一兄も尊敬して強いと思っているが、それ以上に天の力を信じていた自分に。

「光栄だね。でもそれは俺を過大評価しすぎ」

けれど天はそれを否定して首を横に振る。

「そ、そうなのか?」
「俺は父さんの足元にも及ばないよ」

いつだって自信に満ち溢れて自分の力を疑ってない弟は謙虚な言葉を口にする。
悔しがる様子もなく、淡々と言った。

「この宮守の地で、先宮に敵うものなんていないんだから」

天がそう言うのなら、そうなのだろう。
父さんとは仕事することもないので、正直父さんの実力なんて分からない。
それなのに尊敬している偉大な父を侮っていた自分が、恥ずかしい。

「………侵入者って、よくいるのか?」
「まあ、たまに。よそ様はうちの事情が気になるらしくて」
「俺、知らなかった」

家の中で起っていることなのに、俺はまた知らなかった。
俺は知らないことばかりだ。
一兄や双兄や双姉や天だけ苦しい思いをさせて、一人のうのうと守られていた。
自分の無知にうんざりする。

「それは、兄さんが落ち込むところじゃないよ。家の中まで入ってくる奴もそうそういないし。ここの結界突破するってかなり大変だからね。いつも言ってるでしょ。落ち込まなくてもいいところで無理矢理落ち込まないで」
「………だって」
「知らされないようにしてるんだから、知らなくて当然でしょ」

その時、前方から名前を呼ばれた。

「三薙、四天」

それはよく知った声。
前を向くともうすぐそこは屋敷で、玄関の前には長身の男性の姿が二つあった。

「一兄、双兄!」

二人揃って立っている兄達に、小走りに駆け寄る。
天も後ろから変わらぬペースで付いてくる。

「珍しいね、一矢兄さんもいるなんて」
「二人はなんともないか」

天の言葉に答えることなく、一兄は怖い顔ですぐに聞いてきた。
駆け寄った俺の手を引いて、確かめるように頬に触れる。
俺が答える前に、後ろにいた天が答えた。

「さっきの?白峰が取り逃がしたけど、別に危害とかは加えられてない」
「そうか」

一兄がふっと息をつく。
一兄と双兄もさっきのに気付いて出てきていたのか。

「先宮がもう対処したし。どうせ神祇省か親戚のどっかでしょ?」
「四天」
「はいはい」

天の面倒くさそうな言葉を、一兄が咎めるように遮る。
俺は信頼する長兄を見上げて、その腕を引く。

「一兄、今の」

一兄は強張った顔をほどいて、俺を安心させるように穏やかに笑った。
頬に触れていた大きな手が、今度は慰撫するように優しく頭を撫でる。

「大丈夫だ。もう先宮が捕えたし、心配しなくていい」
「う、うん」

そして一兄が離れる。
聞きたいのはそういうことじゃなかったが、一兄の言葉につい頷いてしまう。
こういうことがいつもあるのか、聞きたいのに。
もう一度聞こうと口を開くと、今度は双兄が話しかけてきた。

「三薙、メシくったのか?」
「ううん、まだ。天とたい焼き食べたけど」
「四天と?」
「うん」

双兄が驚いたように眉を跳ねあがる。
確かに最近険悪だった俺達を知っているのだから、かなり不思議なことだろう。
一応仲直り出来たことを言おうかどうしようか迷ったその時。

「っ」

空気が、揺れた。
まるで何かの叫び声のような不快な音が辺りにこだまする。
音ではない。
けれど、聞こえた。
空気を直接引っ掻かれ汚されたような、胃の中が重くなるような不快な感触。
その不快さに眩暈がして、バランスを崩してその場に座りこむ。

「な、何、今の」

何が起ったか分からず、兄弟達を見上げる。
けれどすでに長兄と末弟の姿はそこにはなかった。
足音がして振り向くと、二人は走り出していた。

「一兄!?天!?」

茂みを越え、まるで先ほどの白峰のように風のように地を蹴る。
あっという間に二人の姿は庭の奥へと消えた。

「………な、何だよ。双兄?」

残されたのは、青い顔をした次兄。
俺と同じように眩暈がしたのか頭を抑えている。
問いに答える余裕はないらしく顔を顰めている。

「今の、何」

だから、俺の疑問はただ、闇の中に消えていった。





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