岡野がいなくなってしまったので、雫さんと二人家まで帰ってきた。
気になるから、後で岡野にメールはしておこう。
それにしてもあんなに怒らなくてもいいとは思うんだけど。

「三薙。どうかした?」

黙りこんでしまったせいか、不思議そうに雫さんが俺を見る。
視線がすぐ傍にあるが、やっぱり少しだけ俺の方が背が高いと思う。
多分。

「あ、ううん。そういえば、雫さんって誰に術習ってるの?」
「んと、四志子さんとか」
「ああ、そういえば四志子叔母さんもたまに来てるんだっけ」
「うん、いい人だね」
「優しい人だよ」

父さんの妹である四志子叔母さんは繊細な力の使い方をする人だ。
結界や力を道具に移し替えたりする術に優れていて、俺達兄弟全員それらの術を教わる時にお世話になっている。
今でも家の人間の面倒をよく見ている優しい人だ。
昼間に来ることが多いから、最近あまり顔を合わせることはないんだけど。

「後は小野さんとか」
「小野さん、厳しいだろ」
「超怖い」

二人で顔を見合わせて、笑う。
小野さんは四志子叔母さんとは違って攻撃的な術を教えてくれる人だ。
放出系の術や、呪詛なんかも教えてくれる。
俺はこっちは苦手なので、自然と小野さんも苦手になってしまった。

使用人の中でも宮城さんの次ぐらいに力のある人で、近づきがたい男性。
父さんよりも少し年下、ぐらいなのだろうか。

「他の人は」
「後は、あ」

雫さんが声をあげたので、俺もつられて雫さんの視線の先を追う。
そこにはスーツを身にまとった男性がこちらを見て微笑んでいた。
一見真面目に見える外見なのだが、いつも浮かべているどこか胡散臭い笑顔が飄々とした雰囲気にさせている。

「三薙さん、お帰りなさいませ。雫さん、いらっしゃい」
「熊沢さん」

二人で熊沢さんに駆け寄る。
熊沢さんはいつものように朗らかに笑って俺達を出迎えてくれた。

「お待ちしておりました、雫さん」
「今日は熊沢さん?」
「ええ、ご不満ですか?」
「そうだなあ。うーん、微妙」
「これは手厳しい」

ふざけ合って笑う二人は随分と打ち解けているように見える。
今の話の流れからして、つまり雫さんの指導役として熊沢さんも当たっているのだろう。
なんだか本当に忙しい人だ。

「熊沢さんも、雫さんに術教えてるんだ」
「ええ、管理者としての心得や仕事については俺なんかには口が出せるところじゃありませんが、術の基礎なんかは問題ありませんから」

熊沢さんもまた、宮守の家の中でも実力者だ。
小器用でなんでも出来てしまうから、こき使われてる、なんて双兄が笑っていた。

「では、小野さんもお待ちですので、雫さんは道場の方へどうぞ」
「分かった。今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ。俺は後から向かいます」

雫さんは俺を振り向いて、小さくひらりと手を振る。

「じゃね、三薙」
「うん、頑張って」

そして綺麗に背筋を伸ばして、家の奥へと向かう。
姿勢がいいから、高い背がより高く見えて、なんだか凛々しい。

「では俺はこれで」
「あ、熊沢さん」

熊沢さんも行ってしまいそうになったので、慌てて呼びとめる。
聞きたいことがあったのだ。

「熊沢さん、そちらにいらっしゃるんですか」

けれどその前に、廊下の奥から熊沢さんを呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えのあるそれは、硬質でどこか神経質そうな男性の声。

「志藤さん」

廊下の奥から熊沢さんを探して現れたのは、この前の仕事で一緒になった使用人の一人だった。
フレームの細い眼鏡が似合う、線の細いやや神経質で冷たそうな外見。
しかし裏腹に、実は結構ネガティブだったりすぐに慌てたりするかわいい人だ。
年上で俺よりも背が高い人にかわいいなんて失礼かもしれないけれど、親近感を覚えてとても好ましい。
この前の仕事で、随分と親しくなれた。
この人と一緒でよかったって何度も思った。

「み、三薙さん」

志藤さんは俺の顔を見て、動揺したように声を上擦らせた。
そこまで驚かなくてもいいのに。
それもちょっとショックだ。

「なんか、久しぶりな感じですね。二週間ほど空いただけなんですけど」
「えっと、は、はい」

焦った様子で視線を逸らして頷く。
そんなに嫌そうに対応をしなくてもいいのに。
多分、緊張してるだけなんだろうけど。

「志藤さん、もうお体は大丈夫ですか?」
「は、はい、ありがとうございます!」
「あはは。そんなにかしこまらなくても」

そのわたわたした様子が微笑ましくてつい笑ってしまうと、志藤さんは白い顔を真っ赤に染めた。
少しだけこっちを向いてくれて、やっぱり視線は泳いだまま、ぎこちなく笑う。

「そ、その、み、三薙さんはお元気でしたか」
「はい、おかげさまで。ありがとうございます」
「い、いえ」
「志藤さんもお元気そうでよかったです」
「あ、そ、その、ありがとうございますっ」

いくら宗家の人間だと言っても、俺相手にこんなに緊張しなくてもいいのになあ。
もうちょっとリラックスして対応してほしい。
仕事中はもっと自然に話せていたのに。

「なんだか見てるこっちがむず痒くなりますねえ」

熊沢さんが隣で、目を細めて俺達を見ている。

「へ?」
「初々しいというかなんというか」

口元を手で押さえて、さも面白いというように笑う。
俺もちょっと笑って、志藤さんのスーツの袖を小さく引っ張る。

「そうですよ、志藤さん、そんなに堅くならなくても」
「あ、あのっ」
「そういう三薙さんも、あ、お二人とも静かに」

熊沢さんに首根っこを掴まれ、ぐいっと志藤さんから引き剥がされる。
なんですかと問う前に、廊下の向こうから静かに人が現れた。
気配なんて全然気付かなかった。

「三薙様、お帰りになられましたか」
「み、宮城さん」

作務衣を来て足音一つ立てず現れたのは、小柄な老人。
宮城さんは宮守の管理者としての仕事の奥向きを全て取り仕切っている人だ。
祖父の代から使用人たちを全て取り仕切るこの人は、俺も含めて多くの人に恐れられている。

「桐生さんがお待ちでございます。熊沢、志藤、何をしている。三薙様のお邪魔をするんじゃない」
「あ、そんな」

俺が呼びとめたんですと言う前に、熊沢さんがさっと前に出て頭を下げる。

「申し訳ございません。石塚の次期当主の出迎えに上がっておりました」
「それなら早く道場に迎え。お前は無駄が多すぎる」
「は」

熊沢さんは特に反論することもなく短く返事をした。
宮城さんはそれを無表情に見てから俺に視線を移す。
皺に埋もれた目は、けれど眼光鋭く、見られる度にドキッとしてしまう。

「三薙様も、あまり家人に関わりになりませぬよう」
「は、はい」
「それでは失礼いたします」

そして現れた時と同じように、音もなく静かに消える。
しばらく残された三人でそれを見送る。
完全に気配がなくなったと思われる頃につい大きくため息をついてしまった。
俺のため息を聞いて、熊沢さんが笑う。

「はは、相変わらずですねえ、宮城さんは」
「時代錯誤ですよね。この時代」
「そんなこと言ったら管理者の家自体、時代錯誤になっちゃいます」
「………確かに」

熊沢さんの言うとおりで、苦笑いしてしまう。
幽霊なんていったら鼻で笑い飛ばされてしまうこの時代、いまだに古い因習に縛られ人ならぬものと対峙する管理者は、時代錯誤の極みだろう。

「まあ、家の中ではあまり我々に関わらない方がいいですよ。三薙さんが怒られちゃいます」
「………」

すぐに頷くことは出来なかった。
俺が熊沢さんや志藤さんと親しくしたら、父さんや一兄や宮城さんはいい顔をしないだろう。
厳しく叱られるのも目に見えている。
けれど、こんなことでせっかく親しくなった人と隔たりを持つのは、嫌だった。
でも俺の我儘で、熊沢さんや志藤さんに迷惑をかける訳にもいかない。

「なんてこと、三薙さんが出来たら苦労しませんね」

黙りこんで俯いた俺に、熊沢さんが困ったように言う。
顔を上げると、熊沢さんが悪戯っぽく笑って指を一本口の前に立てた。

「まあ、先宮や一矢さん、宮城さんは見つからないようにしましょうね」
「………はい」

それは親しくすることを拒絶する訳ではないという意志表示。
熊沢さんのこういうフランクなところが、嬉しい。
俺は宗家なんて名ばかりのみそっかすだ。
恭しく傅かれるなんて、向いてない。

「志藤君もね」
「は、はい」

熊沢さんが志藤さんに水を向けると、志藤さんは慌てて頷いた。
そのしゃちほこばった様子がおかしくて、俺と熊沢さんは同時に笑う。

「そうだ、三薙さん、なんかさっき俺に言いかけてませんでした?」
「あ、そうなんです。双兄って今日帰ってきますかね」

熊沢さんは色々な仕事はしているが、どうやら双兄の専属のような形にもなっているらしく双兄のことをよく把握している。
それを知ったのはつい最近のことなのだけれど。
糸の切れた凧のように飛び回る双兄の居場所を一番知っているのはこの人だろう。
まあ、双兄最近ちょくちょく帰ってきているんだけど。

「双馬さんですか。本日は確かお帰りの予定だったかと思います」
「そっか、よかった」
「どうかされましたか」
「あ、供給してもらおうと思って、一兄は忙しいみたいだし」
「ああ、なるほど。じゃあ俺からも連絡しておきますね」
「そうしてもらえると助かります。双兄、俺の言うことなんて聞いてくれないから」

俺からのメールなんて見ているかどうかも謎だ。
女の子以外のメールなんて着信拒否だとか言っていたのを前に聞いた。
まあ、見ているとは思うんだけど。

四天に供給してもらう許可はまだ出ていない。
それに俺も仲直りしたとはいえ、天に対して無防備になるのは抵抗がある。

「それじゃ、双馬さんには絶対に帰るように言っておきます」
「あの」
「はい?」

一瞬、聞こうかどうしようか迷う。
けれど別に聞くのを躊躇うようなことではないだろうと判断する。

「なんか、双兄、最近元気なくないですか?」

熊沢さんは目を何度か瞬かせて、首を傾げる。
そして不思議そうに問い返してきた。

「そうなんですか?」

一番双兄を知る人に聞き返されると、急に自信がなくなる。
確かにいつも通りに振る舞ってはいる。
明るくてふざけて俺をからかって、そんなのばっかり。

「勘違いかもしれないけど、そんな気がして。ここ最近、なんですけど、いつもより元気がないし、ぼうっとしてるし、家にいること、多いし」

双兄は煩いぐらいに元気だから、少し大人しいと余計に気になってしまう。
もしかしたらなんでもない理由なのかもしれないけど。
調子が悪いのかと聞いても、別になんともないと否定していた。

「最近ですか?」
「はい、最近。そう………」

そうだ、本当に最近だ。
一緒に仕事している時は、双兄はいつも通りだった気がする。
今みたいに元気がなくなったのは、仕事が終わってから。

「家に、何かが入りこんだ時以来、なのかな」

そうだ、侵入者が、入り込んだあの日だ。
あの不気味で不快な叫び声が聞こえた時、双兄は真っ青な顔をしてした。
あれから、元気がない気がする。
あの声は結局侵入者が先宮によって祓われた際の断末魔ってことだったらしいけど。

「うーん」

熊沢さんが、口元に手を当てて真面目な顔で悩みこむ。
そしてしばらくしてから、真剣な顔で言った。

「飲みすぎですかね」
「は!?」
「誰かにふられたとか」
「え!?」

予想外の答えに思わず驚きの声をあげてしまうと、熊沢さんが朗らかに笑う。

「いやあ、俺としても四六時中双馬さんと一緒にいる訳じゃないので、さっぱりです。」
「そ、そうですか」
「すいません、今日お帰りになったら聞いてみますね」
「お願いできますか?」
「はい、承知いたしました」

請け負ってくれたことにほっとして、小さく息をつく。
すると熊沢さんが目を細めて優しく微笑んだ。

「三薙さんはお兄さん思いですね」
「そういう訳じゃ、ないですけど」

特別お兄さん思いという訳じゃないが、兄弟が元気がなかったら心配になるのは当然だろう。
特にあの双兄だ。

「双兄が元気ないと、なんか調子狂うっていうか」
「あはは、確かに」
「でしょ?」

熊沢さんが一つ頷いて、同意を示す。

「双馬さんは、繊細ですからねえ。何かに思い悩んでるのかもしれません。三薙さんが心配していたってことお伝えしておきます」
「あ、別に俺のことはいいんですけど、熊沢さんが、お手数ですが、気にかけてもらえますか」
「はい」
「双兄、熊沢さんには気を許してるみたいし、俺よりもきっといいから」

俺は弟だから、頼る相手ではないだろう。
一兄も双兄も俺に弱みを見せたことなんてない。
それを言ったら天が俺に弱みを見せたことなんてないけど。
俺は兄弟達に弱みを見せまくっているが。
あ、落ち込んできた。
いや、それはこの際置いておこう。
それを除いても俺よりもずっと、熊沢さんの方が適任だ。

「熊沢さんも、双兄のこと、大事に思ってくれてますよね」

この前の仕事の時、いつも余裕があって朗らかな熊沢さんが見せた残酷な一面。
あれは、度会さんの言葉が引き金になったのだろう。
夢喰いもろとも、喰らいつくせという、言葉。
双兄への害意に、熊沢さんは豹変した。
あの時は驚いて恐ろしくも感じて怯んでいたが、今考えるとあれは双兄を大切に思うがゆえにキレたのだろう。
そう思えば、あの残酷さも恐ろしいだけではない。
そこまで兄を思ってくれている人を、嬉しくも思う。

「ありがとうございます。なんか、俺が言うのも変ですけど」
「………」
「熊沢さん?」

お礼を言うと、熊沢さんは怪訝な顔で黙りこんでしまった。
そして一瞬後に、肩を落として深く深くため息をついた。

「なんだかそんな真っ直ぐなキラキラした目で見られるとさすがにいたたまれないので、少し手加減してください」
「え?」

熊沢さんは困ったように笑って、頬を掻いた。

「三薙さんは本当に優しい人ですね。もうちょっと汚くなってもいいんですよ?」
「え、別に優しいとかは、ないと思います。むしろ、俺の周りの人達の方が、優しいです」

熊沢さんも志藤さんも。
一兄も岡野も藤吉も佐藤も槇も。
周りには申し訳なくなるぐらいに心優しくて強い人達が揃っている。
俺は嫉妬深くて根暗で自分のことでいっぱいいっぱい。
人に優しくなんて出来ない。
熊沢さんはももう一度笑って、それも人徳ですよとだけ言った。

「さて、三薙さんも今日は桐生さんとお稽古ですよね。大丈夫ですか?」
「あ、そうだ!やば!」
「俺も今日はかわいい女の子と手取り足取り密着レッスンです。お互い頑張りましょう」
「………俺もそっちがいい」

思わず情けない声で言うと熊沢さんは声をあげて笑った。
桐生さんは美人だが、一緒にいられる嬉しさよりも恐怖の方が先立つ。
それでもこれも務めだ。
謳宮祭まで後少ししかないから、少しでも舞を完成させなければいけない。

「それじゃ、俺行きます。熊沢さん、双兄のことお願いします。志藤さん、また今度」

頭を軽く下げて急いで部屋に向かう。
さっさと用意しないと遅刻だ。
遅刻した時の桐生さんの怒りを思い出して、身震いする。
声を荒げたりせずにっこりと笑って責められるのは、大変精神力が削られる。

「あ、あの、三薙さん」
「はい?」

通りすがる時に、志藤さんに小さく呼びとめられる。
振り向くと志藤さんはやっぱり赤い顔をしていた。

「あの、また、今度」

しどろもどろと話す様子は、なんだか子供のようで微笑ましくなってしまう。
俺はそっと内緒話するように耳元で小さく答えた。

「はい。今度絶対内緒で出かけましょうね」
「………っ」

クールな印象の男性は、耳まで真っ赤にしていた。
そして大きく頷く。

「はいっ」

その様子はやっぱりなんかかわいくて、志藤さんとは、これからも仲良くしたいと改めて思った。





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