儀式から三日経って、天が仕事に出かけることになった。 丁度学校へ行く時間だったから、ついでに見送りすることにする。 今回も志藤さんがお伴で運転手をするらしいから、志藤さんも見送りたかった。 「いってらっしゃい、天、志藤さん」 「行ってきます」 「行ってまいります」 天はひらひら手を振って、剣を背負い直す。 相変わらず気負いも緊張も感じられない。 もうちょっと緊張してもいいのに、可愛くない奴。 「ああ、何かあったら携帯に連絡して」 「ん、分かった」 まだ儀式からそう日は経っていない。 何が起こるか分からないから経過を見ているところだ。 今のところものすごく体調がいいけど。 「頑張れよ」 「そうだね、せいぜい家のために働くよ」 皮肉気に笑って肩を竦める。 まあ、思うところは色々とあるよな。 高校に入ってすぐなのにこれだし、落ち着く暇もない。 今までよりも少しだけ穏やかな気分で仕事に出かける天を見ることが出来る。 天の苦労を、少しは理解できる。 「うん、気をつけて」 だから素直に労いの言葉が出てくる。 俺の言葉に天が小さく笑う。 何だろう、不思議だ。 コンプレックスも感じるし、いまだに気まずさも感じるし、いたたまれなさもある。 でも、それ以上に親しみみたいなものを感じている。 儀式をして、力が繋がったから、近しく感じているのだろうか。 やっぱりちょっと、気まずいんだけど。 「志藤さん、四天をよろしくお願いいたします」 志藤さんは玄関を開けて天を外に促しながら綺麗に微笑む。 それから頭を下げた。 「はい。微力ですが四天さんのお仕事の一助となれるよう尽力いたします」 「天もそうだけど、志藤さんも、怪我とかしないでくださいね」 「ありがとうございます」 天が出て行った後、志藤さんがそっと素早く近づく。 悪戯っぽく笑って、ひっそりと囁いた。 「三薙さんも、新学期頑張ってくださいね」 友人としての言葉に、俺も嬉しくなって大きく頷いた。 「はい!」 「なんか最近明るい顔だね」 「槇」 次の授業の用意をしていると、槇が近づいてきて顔を覗き込む。 確かに体調がよくて嬉しくて、最近ついにやけてしまう。 倦怠感がないって、こんなにも清々しいことだったのだと改めて思い知る。 「気分よさそう。どうしたの?」 槇は本人が言うとおり中々鋭い。 にこにこと、なんだか槇自身が嬉しそうに笑っている。 「ちょっと、えーと、体調悪かったのが治ったんだ」 「あ、二日酔いだったの?」 「もうしないよ!」 前のことをあてこすられて慌てて否定すると、槇が楽しそうにくすくすと笑っている。 鋭くて優しくて、ちょっと意地悪だ。 「槇は人が悪い」 「今知ったの?」 驚いたように目を丸くする。 本当に人が悪くて実は中々毒がある。 でも、優しくて穏やかないい子だ。 「三薙三薙ー!」 そんな話をしていると後ろからいきなり抱きつかれた。 もう慣れてしまうぐらいやられてるんだが、柔らかくていい匂いがして、ついいまだにドキドキとしてしまう。 「うわ、だから抱きつかないで佐藤!」 「だから千津だってば!」 「う、ご、ごめん」 でもどうしても藤吉と違って名前で呼べない。 同級生の女の子を名前で呼ぶってかなりハードルが高い。 栞ちゃんは親戚だし、雫さんとか露子さんは仕事関係だし、平気なんだけど。 「ねね、今日暇?だったら皆でカラオケ行こうよー」 「カラオケ?あ、皆で?」 「うん!」 それなら是非行きたい。 皆でって、誰が来るんだろう。 いや誰が来てもこの中のメンバーだったら嬉しいし、クラスメイトでも楽しのだろうけど。 「えっと、槇も行くの?」 「行くよ。いけない受験生だね」 「そ、そっか」 「勿論彩もね」 槇が悪戯っぽく笑って付け加える。 心臓が大きく跳ね上がる。 もしかしてばれてるのかな。 槇にはばれてる気はするんだけど、やっぱりばれてるのかなあ。 「俺を誘ってくれないのか!」 そこで藤吉もいつものようにやってくる。 憤慨しながら佐藤に詰め寄るが、佐藤は冷たくあしらう。 「だって言われなくてもあんた来るじゃん」 「佐藤ひどい!」 「じゃあ来ないの?」 「行くけどさ」 「ほらね」 そんなやりとりをしていると、つい笑ってしまう。 その時、奥で何かボールの投げ合いをしていた男子が小さく悲鳴を上げる。 何事かと思ってみると、ボールがすっぽ抜けてこっちに飛んでくる。 ボールの行く先には、明るく笑っているお団子の少女。 「わ、佐藤、危ない!」 慌てて席から立ち上がって佐藤を引き寄せる。 「ふわ!」 佐藤は引き寄せられながらも、やみくもに手を振り回す。 するとうまいこと手の平に当たってボールは打ち返された。 今度はボールが投げた奴らの方に飛んでいく。 「だ、大丈夫?」 「大丈夫大丈夫、打ち返しちゃった。私すごい!」 確かにすごかった。 藤吉が気をつけろよと苦言を呈すると、ボールを投げていた奴らも佐藤に口々に謝っている。 「次は怒るからねー」 「悪い!」 佐藤は被害がなかったこともあり朗らかに笑って、でも釘を刺す。 でも、本当に何もなくてよかった。 まだ心臓がバクバクしてる。 「怪我なくてよかった。佐藤、本当に運動神経いいよな」 「足も速いんだよー」 それは知ってる。 スポーツテストの時とか、かなり好成績を収めていた。 元気で明るい佐藤らしい、活発さだ。 「………」 「あ、彩」 職員室に行っていた岡野が帰ってきて、槇が声をかける。 相変わらず綺麗な岡野を見て心臓がトクトクと急に早く動き始めるが、岡野はなぜか不機嫌そうに俺を睨んでいる。 「何してんの」 「へ?あ」 そこでまだ佐藤の体を支えていたのを思い出した。 慌てて手を放す。 「ご、ごめん、佐藤!」 「いいよー、ありがとね」 佐藤は朗らかに笑って許してくれる。 咄嗟のことで気付いてなかったが、やっぱり柔らかかった。 じゃなくて、怪我がなくてよかった。 「アヤ、三薙も行くって。皆でカラオケ行こうね」 「うん」 岡野はやっぱり不機嫌そうに小さく頷く。 俺はついビクビクとしてしまうが、対照的に槇はにこにこと笑っている。 「そんな怖い顔しないで」 「してない」 「そう?」 つっけんどんな岡野の態度。 槇がそれでも笑顔で首を傾げると、ぷいっとそっぽを向いた。 「………な、なんか岡野怒ってる?」 「うーん、怒ってるといえば怒ってるかなあ」 答えたのは岡野じゃなくて槇だった。 なんかしただろうか。 さっき睨んでいたのは間違いなく俺だった気がする。 なんかしちゃったんだろうか。 「………岡野、怒ってる?ご、ごめん」 「怒ってねーよ。謝るな」 そういえば理由なく謝るなって言われたっけ。 でも、やっぱり俺に怒ってる気がする。 「………怒ってるじゃん」 「うっせーな。怒ってねーよ」 「じゃあ、そんな風に言わなくても………」 つい愚痴愚痴言ってしまうと、岡野が目を吊り上げて睨みつける。 「あ!?」 こ、怖い。 でもやっぱり怒っている。 怒ってる岡野も綺麗だけど、やっぱりあまり嬉しくない。 「俺、岡野が、笑ってるほうがいい」 そうだ、怒ってるより、笑ってる方が嬉しい。 綺麗で、可愛い。 「………っ」 そう言うと、岡野は息を飲んだ。 そして顔を真っ赤にして怒鳴りつける。 「この馬鹿!」 「ご、ごめんなさい」 余計に怒っただろうか。 やってしまっただろうか。 「あーあ」 「うーん」 佐藤と槇がなんだか呆れたような感じでため息をつく。 なんだろう、やっぱり怒らせただろうか。 隣にいる藤吉に恐る恐る聞く。 「お、俺、なんか変なこと言った?」 「時々俺、ものすごく三薙を尊敬するよ」 藤吉がぽんぽんと俺の肩を叩く。 そんなことをしていると、岡野が今帰って来たばかりなのに教室から出て行ってしまった。 「え」 「はい、宮守君行く。早く」 「え、はい!」 槇に背中を叩かれて、俺も慌ててその後を追う。 ずかずかと歩く岡野を追って、その怒りに満ちた背中に恐る恐る話しかける。 「え、あ、岡野」 「………うるさい」 「ご、ごめん」 どうしたらいいんだろう。 何が岡野を怒らせたんだろう。 訳が分からな過ぎて泣きたくなってきた。 だがそこで岡野がぴたりと足を止める。 それからこちらを振り向かないまま言った。 「………ごめん。チヅにも嫌な態度取った。謝る」 「え!?」 岡野の謝罪に驚いて、つい声をあげてしまう。 すると振り返って睨みつけてきた。 「なんだよ」 「ご、ごめんなさい!」 「なんで謝ってるんだよ」 「だって岡野怒ってる!」 「怒ってない」 「で、でも」 ごもごもと言い訳をすると、岡野が大きくため息をついた。 そして俯いて、少し目を逸らす。 岡野の頬も、そして耳も赤くなっていく。 「………て、照れた」 「………」 「な、なんだよ」 駄目だ。 なんだこれ。 そうだ、岡野が怒ってる時は、照れてる時が多いんだ。 なんだこれ。 心臓がきゅーって引き攣れる。 「………かわいい」 「はあ!?」 かわいいかわいいかわいい。 岡野かわいい。 抱きしめたい。 ぎゅってしたい。 頭をくしゃくしゃしたい。 頬ずりしたい。 抱きしめてそれから、それから。 それから。 「うわあああああ」 「な、何!?」 生々しい考えが浮かんできて、慌てて振り払うために頭を大きく振る。 今までは知らなかった。 でも、今は知っている。 その先に、どんなことがあるのかを、俺は知っている。 そんなにリアルに考えたことないのに、今は鮮明に想像出来てしまう。 肌が触れ合う熱さ、息の湿った感触、触れ合ったところから立てる水音、中を抉られる違和感。 「駄目だ!」 「え!?」 「ご、ごめん!」 「え、あ、宮守」 慌てて岡野の前から逃げ出す。 これ以上考えたら駄目だ。 あの事を思い出すことも、それを岡野に重ね合わせるのも両方駄目だ。 もう顔が見れなくなってしまう。 儀式の弊害は、こんなところにもあった。 いっそ記憶をなくしてしまいたい。 こんなこと、考えたくない。 結局カラオケは体調不良ということで欠席して、家で悶々と過ごしていた。 男だし、そりゃエロいこと好きだし、そういう本とかビデオだって持ってるし、おかしなことではない。 男として当然のことだ。 当然のことだと分かってるが、それでも身近な存在にそういうことを考えてしまうことは罪悪感を感じる。 それと同時に、天との儀式のことがリアルに浮かび上がってきて、落ち着かない。 熱に浮かされた記憶が、また熱を呼び起こそうとする。 なんでこんな複雑な妄想に苦しまなきゃいけないんだ。 素直に男としてだけ悩むならこれほど悩まない気がする。 なんで両方の立場を想像してしまうんだ。 駄目だ。 集中しろ、集中。 勉強をするんだ。 受験だ。 勉強をする年だ。 駄目だ、集中できない。 少し道場で汗でも流して来ようか。 「三薙、いるか」 参考書から目を離した時に、ちょうどドアがノックされる。 大好きな長兄の声に、俺はベッドから飛び降りる。 「一兄?いるよ、どうぞ」 「夜にすまないな。勉強してたのか、悪い」 ドアを開けた一兄がベッドの上の参考書を見て僅かに眉を顰める。 もう集中できそうにないので、むしろありがたかった。 大歓迎だ。 「全然平気。一兄は今帰り?お疲れ様。ちょっとは休んでよ」 一兄はもう遅いのにやっぱりスーツ姿だ。 仕事を覚えているところだから今だけは余計に忙しいってことだけど、でもこんなに残業ばっかりだと心配になってしまう。 仕事も大切だが、適度に休んでほしい。 社会人には難しいのだろうか。 「ああ、ありがとう。体調管理も仕事のうちだ。気をつけてる」 「でも、ちょっと働き過ぎじゃない?」 「そうだな、気をつける」 一兄が苦笑しながら、俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。 まあ、俺と違ってしっかりしてるし、風邪とかもほとんどひかないし、本当に体調管理出来てるんだろうけど。 でも心配だ。 「本当に、気をつけてね」 「ああ」 頷きながら一兄が面白そうに小さく笑う。 何に笑ったのか分からなくて首を傾げる。 「何?」 「なんか変な感じだな。お前にそんな風に心配されるなんて」 「何が」 「昔は俺が心配してばかりだったのにな」 そんな昔のことを言われても困る。 まあ、今も心配かけてばかりか。 昔は一兄はスーパーマンで、本気で何でも出来て、疲れとか感じないって思ってたしな。 心配出来るようになったってだけ、確かに成長かもしれない。 そんな風に言われても、なんか素直に頷くことは出来ないけど。 「………そりゃ俺だって少しは成長するんだから」 「そうだな。すっかり強く大きくなった」 「………」 双兄とかに言われても反発してしまうかもしれないけど、一兄に言われると素直に嬉しくなってしまう。 これが一兄依存なのだろうか。 そうかもしれない。 でも、やっぱり一兄に褒められると嬉しいのだ。 最近はさすがに恥ずかしくて、昔みたいに全開で甘えることはしないけど。 「あんなに小さかったのにな」 「………昔話は年寄りくさい」 「そりゃお前よりは年寄りだ」 こんな風にちょっと憎まれ口を叩いても、一兄は笑って流してしまう。 本当に大人だなと思う。 いつまで経っても辿りつける気がしない、大きくて広くて強い、俺の憧れ。 でも、いつかこんな風になりたい。 「………」 一兄が俺の頭に手を置いたまま、ふと黙りこむ。 そしてちょっと目を伏せて、暗い表情を見せた。 そんな顔をした一兄はあまり見ないから、不思議に思う。 「どうかしたの?」 「あ、ああ、うん」 本当に珍しく、煮え切らない返事。 視線を彷徨わせる一兄なんて、本当に見ない。 何かがあったのだろうか。 「一兄?何かあったの?」 「あー、そのだな」 「うん?」 そこで、一つため息をついた。 こんな一兄、滅多にない。 なんだか身構えてしまう。 「すごく言いづらいんだが」 「………うん?」 「嫌ったりしないでほしいが」 「そんなことしないよ」 思わず即答してしまう。 だって俺が一兄を、嫌うなんてことはあり得ない。 喧嘩はすることがあるかもしれないが、嫌うなんて絶対にない。 「そうか」 俺の返事に一兄が目を細めて優しく笑う。 ちょっと自分の答えに恥ずかしくなってしまう。 やっぱりこの年の兄弟としては、俺は一兄に甘え過ぎかもしれない。 「あのな、儀式の件なんだが」 「え」 急に出てきた単語に、心臓が跳ね上がる。 儀式のことは、今はもうこれ以上考えたくない。 でも、この一兄の態度から、嫌な予感がする。 何か失敗したりしたのだろうか。 「な、何かあったの?」 「ああ。先ほど先宮と相談して決定したんだが」 「う、うん」 ゴクリと唾を飲み込んで、身構える。 先を聞くのが、怖い。 一兄が少しだけ間を置いてから告げる。 「………結局俺もすることになった」 「………」 一兄が申し訳なさそうに、顔をゆがませる。 「その、すまない」 「………え?」 頭が、真っ白になった。 |