曇ってはいるが、日の光の下は、明るくて、眩しい。
暗い所にいたせいで沈んでいた気持ちが、少しだけ軽くなる。
あの家は、暗くて、重くて、苦しい。
戻りたくない。
でも、どこにもいけない。

どうしたら、いい。
これから、どうしたらいいんだ。
俺には、何が出来るんだ。
とりあえず、誰かと話したい。

落ち着いて、考えろ。
誰が、信用できる。
誰なら、話せる。

一兄や天は、父さんたちも駄目だ。
いつもだったら、この人たちに真っ先になんでも、話していたのに。
それが、出来ないなんて、どうしてこんなことになってしまったんだ。
いや、まだ決まってない。
まだ、あの人たちが俺を騙そうとしていたなんて、決まってないんだから。

「誰、なら、話せるかな」

学校に皆は、家の事情に、少しでも関わらせたくない。
俺の家の事情を知っていて、それでも話せる人。

雫さん。
でも、雫さんは、うちにはしばらく来ないようだ。
そういえば、なんで雫さんの出入りが急に止められたんだ。
近くに、大きな儀式なんて、聞いてない。

「………駄目だ」

全てが怪しく、全てが疑わしく感じる。
疑心暗鬼というのは、こういうことか。
周りのすべてが、まやかしのように感じる。
今まで、俺が見ていた世界はなんだったんだろう。

俺の世界はとても狭い。
家と学校と、わずかな知り合いだけ。
なんて、小さな世界。

「あ………、志藤、さん」

少し神経質そうな、眼鏡の男性の顔が脳裏に浮かぶ。
志藤さんなら、家の事情を知っている。
でも、奥宮に関しては、おそらく知らない。
共番の儀式も知らなかった。
あれはきっと、宮守家の秘匿中の秘匿だろう。
中心からは遠く、けれど、家に近い。
そして、たぶん、これは、たぶんだけど、俺を騙してたりはしない。
たぶん、だけど。

それに、俺たちが仲がいいって、双兄と天と熊沢さん以外知らない。
一兄や父さんは、知らないはずだ。

「話、出来ないかな」

話したい。
そう思ったら止められなかった。
志藤さんと、話したい。
急いで携帯を取り出し、メールを打つ。

『今、お忙しいでしょうか。今日、お会い出来たりしませんか』

メールはしばらくして返ってきた。

『今でも大丈夫ですよ。どちらにいらっしゃいますか』

ほっとして辺りを見渡して、近くの公園が目についた。
天と何度か来たことがある公園だ。
家からはほどほど遠く、あまり目につかない場所で、今も誰もいない。
メールで、場所を告げると、すぐに来ると言ってくれた。
公園のベンチに座ると、体が軋んで痛みを訴える。

昨夜酷使した体が、まだだるく、痛い。
俺を助けてくれるための儀式だと、思っていたのに。
どうして、こんなことになってしまったんだ。

「………っ」

辺りを見わたす。
静かで、明るく、世界は何も変わらない。
変わっていないように見えるのに。

「三薙さん!」

うつむいていた顔を上げると、そこには私服姿でいつもより年相応に見える志藤さんが息を弾ませていた。
随分と早いし、走ってきてくれたようだ。
その様子に安心して、体中から力が抜けていく。
涙が出そうになる。

「ごめんなさい、急に、呼び出したりして」
「いえ、いいんです。どうかされたんですか?何かあったんですか?」

志藤さんが歩み寄ってきて心配そうに、俺の顔を覗き込む。
信用して、いいだろうか。
この人を信用していいだろうか。
疑ったりしたくない。
この人を、信じたい。

「あ、あの………、あ、座ってください」
「はい、ありがとうございます」

志藤さんがベンチの隣に座り込む。
何を聞いたらいいか分からない。
核心をついて、事態が悪化したら、どうしよう。

「あ、あの、熊沢さん、知りませんか?」

少しだけ迷って、まずはそれを聞いた。
志藤さんは俺の質問に首を傾げる。

「熊沢さんですか?確か、仕事でしばらく離れてらっしゃるようです」

宮城さんが言っていたことと、同じだ。

「いつごろ、からですか」
「えっと、先週、でしたね。急な仕事が入ったとかで」

心臓がずくりと痛む。
先週から、すでに、熊沢さんはいなかったのか。

「先週の、水曜日、ごろですか」
「ああ、いえ、木曜日からでした」

志藤さんが思い返す様にこめかみを抑える。
木曜日。
俺が、奥宮を見たのは、水曜日だった。
そして木曜日には寝込んだ。

「………」

嫌だ。
どろどろとしたものが、また胸にたまっていく。
疑念を晴らしたいのに、余計に疑念が募っていく。
どの情報も俺を安心させてくれない。
もう、これ以上知りたくない。
でも、知らなきゃ、何も始まらない。

「三薙さん?」

黙り込んだ俺を、志藤さんが心配そうに覗き込んでいる。
一見癇性にも見えるが、眼鏡の奥の目は、優しい。

「………」

志藤さんが、もし俺を誤魔化そうとしているなら、今みたいな答えをするだろうか。
熊沢さんが出かけたのだって、日にちを誤魔化そうとするんじゃないだろうか。

「あの、志藤さん」
「はい、なんでしょう?」

志藤さんが優しく、目を細める。
胸がきゅうっと、痛くなる。
優しくてかわいくて、純粋な人。
この人が、俺を誤魔化そうとしてるなんて、考えたくない。

「………奥宮って、ご存じですか?」

志藤さんが目を何度か瞬いて、首を傾げる。

「奥宮、ですか?宮守家の神域ですよね?私は拝見したことがありませんが」

きょとんとした表情は、何も知らない気がする。
それが本当かどうか分からない。
でも、きっと、この人は、何も知らない。
そうだ、何も知らないはずだ。

「志藤さん、志藤さんは、信じても、いいですよね?」
「え?」
「俺を誤魔化そうとしたり、嘘ついたり、してないですよね………?」

志藤さんの腕を、縋るようにつかむ。
驚いたように目を見開く様子に、自分が何を言ったのか気づく。
何を言ってるんだ。
唐突にもほどがある。
志藤さんだって、困るだろう。

「………ごめんなさい、変なこと言って」
「いえ」

離そうとするが、その前に大きな手が俺の手を包み込んだ。
手を優しくつないで、志藤さんが優しく笑う。

「信じてはいただけませんか?私はあなたを裏切りません。あなたのためなら、なんだってできます。なんだってしたい」

躊躇うように、指が、そっと絡められる。

「あなたを、大切に思っている」
「志藤さん………っ」

涙が、溢れてきて、視界が滲む。
大丈夫だ。
きっと、この人は、大丈夫だ。
きっと、この人は俺を、裏切らない。

「何か、あったんですか?」
「………」

空いてる方の手で、志藤さんが頬を拭ってくれる。
でもだらだらとみっともなく流れる涙は、そんなことでは追いつかない。

「俺………」

言ってもいいのだろうか。
相談してもいいのだろうか。
でも、まだはっきりしていない。
宮守の家で暮らすこの人に、宮守に対する疑念なんて伝えたら、迷惑をかかるかもしれない。
この人も、熊沢さんや双兄と同じように、会えなくなってしまうかもしれない。
それは、嫌だ。

「………今度、もしかしたら、相談させていただくかもしれません」

志藤さんは、きゅっと眉を顰める。
一瞬空いてから、頷いてくれる。

「………無理にお話を聞くことはいたしません。けれど、お役に立てることはないかもしれませんが、いつでもお話ください。私はあなたのためなら、なんだってできます」
「………ありがとうございます」

こんなに優しい人を、巻き込んでいいのだろうか。
俺を大事に思ってくれるからこそ、変なことに、巻き込みたくない。
でも、それでも、志藤さんが何も知らないと分かっただけでも、それだけでも、心強かった。
家の中にも味方がいる。
それが、嬉しかった。

「あの、志藤さん、本当にありがとうございます。あなたが、いてくれて、よかった」

まだつないでいてくれた手に力を込める。
志藤さんは、嫌がったりしないでくれる。
まだ視界が滲んでいるけれど、志藤さんをまっすぐ見上げる。

「ありがとうございます」
「………」
「何も、俺はあなたに何もできなくてすいません。何も、返せなくて」

この人はこんなに俺に好意を向けてくれてるのに、俺は何も返せない。
変なことに巻き込む所だった。
けれど、志藤さんは微笑んでくれる。

「そう言っていただけることが、私にとっては、何より嬉しいです」

志藤さんは俺の手をそっと引いて、唇で触れる。
その場所が、小さく熱を持った気がした。

「あなたがいて、私を見てくれてるから、私は道を誤らずにいられる」

祈るように目をつぶる。
手のすぐ近くで話しているから、吐息が触れる。

「あなたが、私の指針なんです」
「………志藤さん」

胸が熱くなって、温かいものでいっぱいになってくる。
この人は、俺を騙してなんて、いない。

「何かあったら、なんなりとおっしゃってください」
「………はい、ありがとうございます」

この人は、まだ俺の友人だ。
この人は、何も知らない。
でもそれだけに、この人を巻き込んだりしたくない。
家の中にも、俺の味方がいる。
そう思うだけで、安心できる。

「あの、今俺が、話したこと、家の誰にも言わないでくれませんか?」
「え」
「すいません、今だけでもいいんです。四天にも、父さんにも、宮城さんにも、誰にも言わないでください」

言ったら、また引き離されてしまうかもしれない。
そんなの嫌だ。
助けを求めるわけじゃなくても、傍にいてほしい。
俺の味方だと思える人が、いてほしい。

「………かしこまりました」

志藤さんは、何か言いたげにしていてたが、ただ頷いてくれた。
けれどその後に、まっすぐに真摯に俺を見つめる。

「覚えておいてください、三薙さん」
「はい」
「私はあなたを守るためならなんだって出来る。あなたを傷つけるものは、なんであっても、許せそうにありません」

どうして、この人は俺をこんなに思ってくれるのだろう。
大したことをしていないのに。
こんな友情や信頼に、相応しいものを俺は持っていない。
でもこの人が、俺の友情を信じてくれるなら、俺もこの人に返したい。

「俺もです。俺も、志藤さんを守りたいです」
「………はい」

そういうと、志藤さんは少しだけ困ったように、笑った。



***




少しだけ落ち着いた頭と心で、一旦家に帰る。
どちらにせよ、俺が帰る場所はここしかない。
俺は、どこにも行けない。
逃げることすらできない。
そもそも、逃げる必要があるのかが、分からない。
まだ、何も分からない。

一旦落ち着こう。
時間はじりじりと過ぎていく。
目に見えないタイムリミットが、近づいている気がする。
何かしなければいけない。
でも、今は、体調も完璧ではない。

落ち着いて、食事をとって、休養をとって、体調を整えよう。
そして、もう一度ゆっくりと考えよう。
焦っても、何もいいことはない。
まだ、時間は、たぶんある。

トントン。

ドアが軽くノックされる。
心臓が跳ね上がり、体温が一気に下がった気がする。
落ち着け。
落ち着け。

「は、い」
「三薙、入るぞ」
「一兄」

背中に汗をじわりと掻く。
眩暈がする。
深く息を吸って、吐く。
駄目だ。
変な態度を取るな。
普段通りにしろ。

「………どうぞ」

一兄がドアを開いて、入ってくる。
その姿を見ると、やっぱりほっとしてしまうのに。
誰よりも、尊敬し、慕っていた人なのに。

「三薙、体調は平気か?」

一兄がベッドに座っていた俺の傍まで寄ってきて、顔を持ち上げる。
震えそうになるのを、なんとかこらえる。
強張る顔を、笑顔にして見せる。
その手はやっぱり泣きたくなるほど、頼もしいのに。

「大丈夫、だよ」
「だが、具合が悪そうだな」
「………だって、その」

不審な行動を、変に思われないようにしろ。
どうすればいい。
顔を俯いて、一兄の視線から逃れる。

「だって、は、恥ずかしい」

そうだ、今日、四天との儀式をしたばっかりだ。
いつもの、俺だったら、羞恥心から、一兄と顔を合わせられないはずだ。
今日で、よかった。

「そうだな」
「………」

一兄は期待通り疑問に思わないでいてくれたようだ。
小さく笑う気配がする。
顔をそむけられる理由が出来て、よかった。

「明日も休みだろう。ゆっくり休め」
「うん」

一兄が頭を優しく撫でてくれる。
その大きな手は、優しくて、頼もしくて、暖かくて。

信じたい。
一兄を、信じたい。
嘘をついているなんて、思いたくない。

「ねえ、双兄、大丈夫?最近顔見てない」

恐る恐る顔を上げると、一兄はいつも通り優しく笑っていた。
何も、変わっていない。

「ああ。またふらふらしてるみたいだな。会ったらお前が気にしていたって言っておく」
「………うん、言っておいて」

どうして、一兄は、双兄の場所を知っている。
あの後何回連絡をいれても、携帯は繋がらなかった。
家にずっといない一兄よりも、俺の方が双兄に会う確率は高いのに。
どうしてどうしてどうして。
駄目だ、今は、そんなの、聞いたら駄目だ。

「じゃあ、俺、そろそろ寝るね」
「ああ。今日は一緒に寝なくていいのか?」

一兄が悪戯っぽく笑う。
いつもの俺だったら、どうやって答えているか、一瞬で考える。

「もう!大丈夫だよ!すぐそうやってからかう!」

拗ねたようなふりをして、怒鳴りつけてみせる。
これであってる?
これは、いつもの俺になってる?

「はは」

一兄が朗らかに笑う。
大丈夫だろうか。
誤魔化せたろうか。

「………三薙」

一兄が俺の頬に手を添える。
心臓が、バクバクと、早く打つ。

「………なに?」
「何かあったか?」

強い、まっすぐな視線。
一兄は、俺の嘘なんてすぐに見破ってしまう。
今まで、隠し事をできたことなんてない。
何もかもを言ってしまいたい。
問い詰めたい。
泣きわめいてすがりたい。

「………」

でも、駄目だ。
今はまだ、駄目だ。
まだ、いつまで、どうしたら。
分からない。
でも、今は、駄目だ。

「………次は、一兄の儀式、でしょ」

また俯いて、一兄の視線から逃れる。
早く行ってくれ。
早くこの部屋からいなくなってくれ。
そうじゃないと、何もかも喚き散らしてしまいそうだ。

「そうだな」

ほっと息をつきたくなるのを、我慢する。
俯いて、じっと目を瞑る。

「その話はまた今度にしよう。悪かったな」
「ううん」

大丈夫だっただろうか。
誤魔化せただろうか。
大丈夫だ。
きっと、大丈夫。

「じゃあ、おやすみ、一兄」

顔をあげて、笑ってみせる。
一兄は最後に俺の頭を優しく撫でてくれた。

「おやすみ、三薙。何かあったら言えよ」
「うん」

こんな風に嘘なんて、つきたくないのに。
信じたいのに。



***




今日も祝日で、学校は休みだ。
助かった。
今は、学校に行っている気分じゃない。

この家からは逃げられない。
どこにも行けない。
どちらにせよ、俺は何もすることが出来ないのかもしれない。

でも知りたい。
何も知らないまま、誤魔化されたままでなんて、いたくない。
とりあえず、確かめるしかない。
一晩考えて、そうするしかないと、結論をつけた。
結局、それしかすることが出来ないんだ。

家の中を歩き回って、宮城さんを見つける。
この家の人間の所在は、この人が一番知っている。

「あの、宮城さん、一兄はいますか?」
「お仕事にいかれています」
「そうですか」

一兄は、今家にいない。

「それじゃあ、天は?」
「奥様のご実家に行かれているようです」

天も、いない。
なら、ひとまず、大丈夫だ。
俺の部屋に訪れる人間は、いない。
父さんも母さんも、俺の部屋には来ない。

「ご用事でしょうか?」
「いえ、後で大丈夫です。ありがとうございます」

頭を下げると、宮城さんも何も言わずに頭を下げた。
この人のまるで作り物のような表情は、苦手だ。
この家のことをなんでも知っている、老人。
きっと、全てを、知っているのだろう。

そっと視線から逃れるように早足で立ち去る。
居間の中に入り、棚を探る。
ここに、近しい親戚の連絡先があったはずだ。
母さんがそれを見て、電話をかけていたのを覚えている。

人の気配を気にしながら、電話帳をめくる。
そしてすぐに目当ての名前を見つけた。
携帯電話にその電話番号を打ち込み、急いで電話帳を棚に戻す。
よかった、誰にも、見られなかった。

そのまま足音を殺して自室に帰り、先ほどの電話番号に発信する。
しばらくして、向こうの受話器がとりあげられ、応答がある。
家の電話だから、本人ではないだろう。

「宮守三薙と申します。五十鈴さんはご在宅でしょうか」
『少々お待ちくださいませ』

おそらくお手伝いさんだと思われる人が、保留にして、オルゴールの音が流れる。
叔父さんや叔母さんが出なくてよかった。
なんでかけてきたのかと言われた時の誤魔化しも考えていたが、出来れば今は話したくない。

『三薙ちゃん?久しぶりね!元気にしてた?』

保留音が途切れ、目的の人の声が響いてきた。
朗らかで優しげな明るい声。

「あ、うん。元気。五十鈴姉さんは?」
『元気よ。最近会ってなくて寂しいわ。また行ってもいいかしら。あまり行くなって言われてるのよね』
「そう、なんだ」

あまり行くな、か。
五十鈴姉さんも言われているのか。
なぜだろう。
なぜ、家に近寄らせようとしない。

「………あのさ」
『なあに?』

聞いても、大丈夫だろうか。
五十鈴姉さんは、何も知らないだろうか。
でも、他の人に聞くよりも、たぶん、一番いい。
俺と同じように、知らない可能性が、高いと思う。

「あの、謳宮祭のときのことなんだけど」
『え、うん』

五十鈴姉さんが唐突な話題転換に不思議そうな声を上げる。

「あの時、俺が倒れた、でしょ?」
『そうね。何もないって聞いてるけど、大丈夫?』
「うん、大丈夫。えっと、あの時さ、あの時」
『うん』

息を吸って、そっと吐く。
緊張して、声が震えそうになる。

「………あの時、何かの声を聞いたりした?」
『声?』
「そう、声」
『えっと、お父さんや、伯父様とか一矢さんの声かしら?』

五十鈴姉さんは困ったように、そう聞いてきた。

「………」
『三薙ちゃん?』

きっと、五十鈴姉さんは知らない。
何も知らない。
そして、あの声も聞いていない。
奥宮の声を、聞いていない。
この人は、本当に、何も知らないのだ。

「あ、えっと、ごめん、話が変わるんだけどさ、今度、一兄に内緒で、誕生日パーティーしたいなって。五十鈴姉さん、予定あいてる?」
『え!呼んでくれるの!?』

五十鈴姉さんが満面の笑みを浮かべているのが、携帯のこちら側でも分かる。
その反応が微笑まして、少し笑ってしまった。
変わらない五十鈴姉さんに、ほっとする。

「うん、いつなら暇かな」
『いつだって大丈夫よ!』
「そういう訳にもいかないでしょ。あ、後で携帯に電話するから、携帯の番号教えてくれる?」

五十鈴姉さんは、喜んで教えてくれた。
とりあえず、連絡先ももらうことが出来た。

「あ、このこと、一兄はもちろんなんだけど、双兄とか天とか、叔父さんと叔母さんにも内緒にしておいてくれないかな。俺が企画したいからさ。形が決まってから、またいうね」
『うん、分かったわ。内緒ね』
「そう、内緒」

なんだか、嘘がうまくなってきてる気がする。
こんなに喜んでいる五十鈴姉さんを騙すことなんてしたくないのに。
ごめんなさい、五十鈴姉さん。
ごめんなさい。
でも、本当に何もないってことになったら、誕生日をしよう。
一兄を祝うために五十鈴姉さんも呼んで、皆でパーティーをしよう。

「………」

通話を切って、ため息をつく。
だから、確かめなきゃ。
もう一人、確かめよう。
休んでる場合じゃない。
目当ての人の電話番号を呼び出し、発信する。
今度も、すぐに出てくれた。

『三薙さんですか?』

可愛らしい、耳に心地よい高い声。
小さい頃から、妹のように思っていた、遠縁の子。

「うん、今、大丈夫?」
『はい、大丈夫ですよ。どうされましたか?珍しいですね』
「うん、天じゃなくてごめんね」
『あはは、三薙さんでも嬉しいですよ』

栞ちゃんは、いつも通り明るく楽しそうな、優しい声だ。
何も、変わらない。

「あの、変なこと聞くんだけど」
『はい?』
「あの、謳宮祭のとき、変な声って、聞こえた?」
『声、ですか?』

怪訝そうな声の後、栞ちゃんが一瞬黙り込む。
そして、静かな声で聞き返してくる。

『三薙さんは、聞いたんですか?』
「………うん」
『三薙さんはどんな声を聞いたんですか?』

その時、なんでそう答えたのか分からない。
何を思って、そう言ったのかは、分からない。

「………不思議な声。高い、女の人の、声」

でも気が付けば、俺は嘘をついていた。
あの声は、女性の声なんかじゃなかった。
声といっていいのかも分からない、不快な頭に響く音。

『そうですか。………それは私も聞きました』
「………」

心臓が、まだ鼓動を早く打つ。
電話越しでよかった。
じゃなかったら、顔が強張ったのが分かったはずだ。

「そっか。栞ちゃんも、聞こえたんだ」

声は震えていないだろうか。
いや、今は震えていても、おかしくないか。

『ええ、とても、不思議な声でした』
「そう、とても不思議な、声。あの声が何かって、分かる?」
『………すいません、私には、分かりません』
「そっか………。そう、か」

頭がガンガンと痛い。
あの声が、聞こえてくるような気がする。
吐き気がする。

『どうされたんですか?』
「あ、ごめん、変なこと聞いて」
『いいえ。でも、どうしたんですか?』

苦しい。
俺は、ちゃんと話せているか。

「今度、ちゃんと話すね」
『………はい、分かりました』
「あ、のさ、この話、あの、天とか、一兄とかに言わないでくれる?」
『え?』
「その、心配、させたくないから」

栞ちゃんは、どんな顔をしているのだろう。
俺は、支離滅裂なことを言っている。
でも、聞き返してこない。

『………分かりました。内緒ですね』
「うん、お願い」
『はい。でも何か心配ごとがあるなら、しいちゃんとかに相談した方がいいですよ』
「うん、そうだね」
『はい。しいちゃんなら頼りになりますし』

そうだ、四天は頼りになった。
だからなんだかんだで、いつだって頼っていた。
一兄に天に、なんでもすがりつき、助けを乞うた。

「うん、そうだね。それじゃあ、切るね」
『はい、また今度です』

可愛らしい声が、通話の終わりを告げる。
終わったと同時に、その場にへたり込む。

頭が痛い。
眩暈がする。
苦しい。

「………奥宮の候補の一人は、了承している」

あの言葉が嘘か本当かは分からない。
けれど確かに、そう言っていた。
それで、奥宮の候補は、複数いるのだと、知ったのだ。
あの言葉が本当ならば、一人は、全てを知っている。
その一人は誰だ。

「………」

なんで、不思議な声を聞いたなんて、言ったんだ。
そもそも、態度が、五十鈴姉さんと全然違った。
まず、俺に聞き返したのは、なぜだ。
俺に話を合わせたのは、なぜだ。

もしかしたら、本当に高い女性の声を聞いた?
俺のものとは違うものを聞いていた?
そう思い込もうとしても、そんなわけはないと、理性が訴えかける。

「栞ちゃんは、たぶん、嘘をついている。そして、声を聞いていない」

なぜ嘘をつく。
なぜ聞いたなんて言う。

「………声は、俺だけ、聞いている」

それを、俺を隠したいから、か。
栞ちゃんも聞いたと、思い込ませたかった。
なぜ声を聞いたのは隠したかったのか。
俺一人、声を聞いた。
一つの答えが、浮かび上がってくる。

「………奥宮は、あの時、俺に決まっていたんだ」

あの時、俺は、きっと選ばれたんだ。
だから、共番の儀が決まった。
だから、双兄が、暴走した。
共番の儀が、何を意味するのか、分からない。
分からないけど。

「俺を、助けたいって、言った」

だから、感謝していた。
俺より、二人の方が大変だと思って、申し訳ない気分になった。
未来が見えて、嬉しかった。

「奥宮にならなくていいって、言った」

そう言って、いたのに。
だからこそ、他の誰かが犠牲になるぐらいならって、思ったのに。

「………全部、嘘だったんだ」

俺が見ていた小さな世界は、全部全部、嘘だった。





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