「しっ」 剣袋が地面に落ちるか落ちないかのタイミングで、志藤さんが呼気を吐いて突きを繰り出した。 天が鞘に入ったままの剣を両手で持ち、それを体の前で受け止める。 「さすが、重いな」 天がちらりと苦笑すると、志藤さんが剣を掴み天ごと引っ張ろうとする。 しかしその前に天が志藤さんの腹を狙い蹴りつけると、志藤さんが手を離し一歩後ろに下がった。 「はっ」 今度は天が一歩踏み込み剣を振りぬき、志藤さんのこめかみを狙う。 志藤さんが身をかがめそれを避けると同時に走り、天の懐に入ろうとする。 天は右に体を避け、剣を手元に戻す。 それを見越していたのか、志藤さんが天が避けた方向に滑り込むようにしゃがみ足を払おうとする。 しかし、天が跳ねそれを避け、その勢いのまま剣を振り下ろす。 跳ねたせいで体勢を崩しているが、振り下ろされる剣を受けたら志藤さんの腕は折れる。 すぐに判断したのか志藤さんはそのまま転がるようにして逃れ、すぐに起き上がり体勢を整える。 「天、志藤さん、やめて、くれっ」 俺の言葉なんて、聞こえないように、二人は止まらない。 それに、止めてはみたものの、中途半端に動きを止めたら、どちらかが怪我をするかもしれない。 下手に、割って入れない。 「天、志藤さん………」 なんとか車から這い出てくるが、ただその光景を見ることしかできない。 二人とも、本気で、戦っている。 稽古の手合せなんかではない。 目を喉をこめかみを顎を鳩尾を、二人とも、的確に急所を狙っている。 すんでのところで二人ともかわしているから怪我はしていないが、遠く離れたところにいる俺が殺気で気圧されそうだ。 怖い。 なんで、こんなことになっているんだ。 なんで、こんなことになっちゃんたんだろう。 二人とも、俺が嫉妬するほど、仲が良かったのに。 天は珍しく志藤さんを気に入っていたし、志藤さんも天を尊敬して慕っているようだった。 二人とも信頼しているようで、羨ましかった。 なのに、今はまるで、本気で殺しあっているようだ。 鞘から剣を抜かないところを見ると、殺そうとしているわけじゃないのだろう。 でも、怖い。 なんで、こんなことに、なってしまったんだ。 志藤さんは、なんであんなことをしたんだ。 怖かった。 別人のようだった。 俺の意思を無視されて、好き勝手にされた。 そんなことは、絶対しないと思っていたのに。 友達じゃなかったのか。 友達だと思っていたのに。 大事だったのに。 とても、大事な人だった。 なんでなんでなんでなんで。 「三薙さん、大丈夫ですか?」 「ひっ」 呆然と二人を見ていると、後ろから肩に手を置かれた。 驚いて、情けない声をあげて振り返り、距離を取る。 「と、驚かせましたね。すいません」 後ろには、こんな時でも飄々としたスーツ姿の男性がいた。 「熊沢さん!」 「遅れて申し訳ありませんでした」 次兄の側付きである使用人は、いつになく真面目な顔で頭を下げた。 もう一人現れたことによって、ようやく世界に現実感が戻ってくる。 慌てて、熊沢さんにすがりつくようにその腕を掴んだ。 「あ、あの、二人が、どうしたら」 熊沢さんはやりあう二人を見て、きゅっと眉を寄せる。 そして、肩を竦めてため息をついた。 「あー………、やっぱり遅かったですね」 「あの、あの、二人が、怪我したり、したら」 このままだと、少なくともどちらか一人は怪我をしそうだ。 どちらも、怪我なんてしてほしくない。 こんなの終わらせなければいけない。 止めないといけない。 二人で止めたら、どうにかならないだろうか。 けれど熊沢さんは苦笑して、俺の肩をぽんと叩く。 「まあ、この調子だと後少しで四天さんが勝つでしょうから、もうしばらく待ちましょうか」 「で、でも」 「下手に入ったら、こっちが怪我をします」 それは、確かにそうだ。 あの間に入ったら俺たちも無事じゃないし、二人も危険かもしれない。 もう一度視線を戻すと、熊沢さんの言葉通り、志藤さんが圧されはじめていた。 天の繰り出す剣を避けるだけで、攻撃に転じることは出来ない。 剣を素手で受ければただじゃな済まないから、受けることはできない。 それにリーチが違うから、懐に入らないといけない。 けれど天がそれを許すはずがなく、志藤さんの蹴りや打撃をいなしながら、追い詰めていく。 「………つっ」 天が片手で剣を振り払うと同時に、左手で小さな何かを投げつけた。 きらりと光るあれは、水晶だろうか。 志藤さんは小さく呻きながらもそれを避ける。 「眼鏡は、伊達か」 天が小さく笑って、避けたせいで少しよろけた志藤さんに、また両手で持った剣を振り下ろす。 志藤さんはわずかに身を引いて、それを避ける。 そして更に足をもつれさせる。 眼鏡がなくいつもより幼い印象のその顔には、焦りが見える。 「三倍段とは言わないけど」 自身も息を弾ませた天が、けれど唇を歪めて笑う。 「素手と剣は、卑怯だったかな。ま、結果が全てだけど」 そして両手で持った剣を片手で持つと、更に足を踏み込んだ。 踏み込みと片手持ちのせいで剣の軌跡が、先ほどよりずっと伸びる。 「がぁっ、く」 避ける暇はなく、志藤さんの眉間の間に剣が突き入れられる さすがに目を瞑り後ろによろめく志藤さんに、天が一気に距離を詰める。 わずかに剣を引き寄せ、そのまま肩をむけて振り払う。 避けることが出来なかった志藤さんが、そのまま左に倒れこむ。 すぐに体勢を整えようと手をつくが、そこに天の蹴りが胸に入った。 「く………、かはっ、げほっ」 肺が圧迫されたのか、その場につっぷし、大きく咳き込む。 天がその前に立ち、その手を踏みつける。 「ぐっ」 そして、剣で顎を持ち上げ、志藤さんを見下ろす。 にっこりと、笑って首を傾げる。 「手間かけさせないでくれます?犬は犬らしく、主人に服従してください」 志藤さんが何度も咳き込みながら、天を見上げて、睨みつける。 「私の、主人は、あなたではない」 「じゃあ、あなたの主人は誰?」 そう言うと、志藤さんは、ゆらりと表情に迷いを見せた。 殺気が少しだけ消えていき、探す様に視線を彷徨わせる。 「すいません、三薙さん、失礼しますね」 俺の肩を支えていた熊沢さんが、一言断って二人のもとに駆けていく。 天は熊沢さんの存在には驚かず、志藤さんから目を離さない。 「遅かったですね」 「車飛び出して先に行っちゃったの四天さんじゃないですか。四天さんと違って、俺は三薙さんレーダー持ってないんですから」 困ったように頬を掻き、それからにっこりと笑って天の隣に立つ。 そして、志藤さんを見下ろす。 「俺もいいですか?」 「譲ります」 熊沢さんの言葉に軽く肩を竦め、天が志藤さんの手から足を引いた。 志藤さんがうつぶせに横たわったまま、熊沢さんを見上げる。 そして、はじめて不安そうに、顔を曇らせた。 「くま、さわさん……、ぐっ、は」 その顔を、熊沢さんが思いきり蹴りつけた。 突然で、そして痛そうで、怖くて、目を瞑ってしまう。 暴力は怖い。 痛いことは怖い。 血は嫌い。 「いい加減にしろよ、この馬鹿。いっつもいっつも人に手間かけさせやがって」 聞いたこともない低く苛立った声。 恐る恐る目を開けると、鼻血を出し顔を赤く染めた志藤さんと、それを冷たい目で見下ろす熊沢さんがいた。 「いい加減成長しろつってんだろ。学習機能ついてんのか。つーか、脳みそ入ってんのか、このうすらボケ」 「く、ぐ、はっ、かはっ」 「一人で暴走するなら勝手だが、巻き込むな」 淡々と言いながら、肩を腹を胸を顔を、何度も何度も志藤さんを蹴りつける。 志藤さんは為すがままに抵抗せずに身を丸くし、痛みにうめく。 「も、もう、やめ、て。やめてくださいっ」 怖い怖い怖い。 仲が良かったのに。 本当の兄弟のように、仲が良くて、羨ましかったのに。 どうしてみんな、こんな風に傷つけあうんだ。 もういやだ。 これ以上、俺に、嫌なものを見せないでくれ。 俺の世界を、壊さないで。 「三薙さんは、本当にお優しい」 熊沢さんが苦笑して足を止める。 そしてしゃがみこみ、志藤さんの髪をひっぱり、真っ赤に汚れた顔を持ちあげた。 俺の方を向け、一言一言ゆっくりと区切って耳元で囁く。 「よく見ろ。お前の三薙さんは、笑ってるか?」 「あ………」 志藤さんが血まみれで腫れあがった顔で、俺をじっと見る。 焦点があっていなかった目が、俺を見て、光を宿す。 「三薙、さん………」 「………っ」 怖くて怖くて怖くて。 何がなんだか分からなくて、どうしてこうなってしまったのか分からなくて、怖くて。 ずっと止めることが出来なかった涙が、また溢れてくる。 志藤さんの視線を受け止めきれずに、俯く。 「あ………」 志藤さんの絶望に満ちた声が、聞こえる。 それに、胸が抉られたかのように痛みが走る。 「本当に何も変わらないな。これ以上人に迷惑かけるなら一人で山奥行って勝手にのたれ死ね」 熊沢さんの声が、冷たく切り捨てる。 死ぬなんて言わないでほしい。 怖い。 その言葉だけでも、怖い。 「ごめん、なさい」 絞り出すような、うめき声が聞こえる。 その声があまりにも痛々しくて、切なくて、胸がぎゅうっと引き絞られた。 「ごめん、なさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 促されるように顔を上げると、志藤さんがじっとこちらを見ながら涙を流していた。 顔は腫れ、鼻からも口からも血を流していたけれど、その表情は、見覚えがある。 少し頼りなく優しい、志藤さんの、表情だ。 「ごめんなさい、三薙さん」 悲痛な声は、か細く小さいのに、耳に響く。 ああ、そうだ、これが、志藤さんの声だ。 「………しと、うさん」 でも、どうしたらいいのか分からない。 許すとも許さないとも言えない。 何が、なんだか分からない。 事態が把握できない。 ただ、志藤さんに近づく気にはなれない。 怖い。 とても、怖い。 「はあ………、本当にお二人にご迷惑おかけしました」 熊沢さんが志藤さんを投げ捨てるように手を離し、立ち上がる。 スーツをぱんぱんとはたいてから頭を下げた。 天はぼろぼろになった志藤さんを見てから、肩を竦める。 「本当ですよ。ちゃんと首輪つけておいてくれます?」 「無茶言わんでください。もう未成年でもないんですから、志藤君はすでに俺の範疇外です。俺はもうお一人で精いっぱいです」 「そういや、またあの人が漏らしたんですっけ?もう一人の方も見れてないじゃないですか。まあ、そっちはうちの身内の不始末でもありますけど」 「う、申し訳ないです。でも、もう業務量オーバーですよ………」 今までの暴力的な出来事なんてなかったかのような、なんだかコミカルなやりとり。 普段通りに飄々と話す二人に、うすら寒さを感じる。 助けてくれた二人だけれど、二人とも、怖い。 「まあ、俺はともかくあんまりあっちは責めないでやってください。こいつが」 「ぐっ」 熊沢さんがにこにこと笑いながら、もう一度足元の志藤さんの腹を蹴りつける。 痛そうで怖くて、目を瞑ってしまった。 「ちょっと目を離した隙に口先三寸で丸め込んでまして。無駄に知恵が回るんですよ、こういう時だけ」 「割と使えると思ってたんですが、噛み癖ひどすぎですね」 「ちょっとはよくなってきてたんですけどね。まあ、ことがことに暴走してしまいました」 二人が何を何を話しているのかも分からない。 だが、内容からすると、志藤さんに、奥宮のことを言ったのは、双兄ってことなのだろうか。 どうして。 なぜ。 何が、あったのだろう。 「そういや、うちの愚兄が暴走したきっかけは?」 「………お外の人に色々吹き込まれちゃったみたいですね。知らない人の言うこと聞いちゃいけませんって昔から言ってるんですが」 「ほんっとに、迷惑。あの人、いっつも自分で後始末はしないくせに」 天の吐き捨てるような言葉に、熊沢さんは黙って苦笑するだけだった。 忌々しそうに、天がため息をつく。 「そっちも使えないし、教育方針考え直したらどうですか」 「だからそこまで俺は面倒見れませんって。こっちに関してはすでに初期不良だったんですから。丈夫で使い勝手がよくて結構便利なんですよ?」 「故障しやすいですけどね。耐久力が低すぎる」 「メンテをきちんとしていただければ。今回は四天さんもちょっと使用方法間違ったと思うんですけどね」 「………まあ、認めます。こんな壊れやすいと思ってなかった」 二人とも、志藤さんのことを話しているのだろうか。 人をモノみたいに話すのは、やめてほしい。 俺も志藤さんも、モノじゃない。 もう、やめてくれ。 これ以上何も見たくない、聞きたくない。 「でも、家じゃなくてよかったです。ここなら、先宮も一矢さんも目が届かない。どうか双馬さんのためにも内密にしておいていただけますか?大変お気になさっていたので」 「どうして俺がそれを聞かなきゃいけないんですか?」 「またまた。言う気はないくせに」 からかうような言葉に、四天は表情は変えずに、ただ乱れた髪を掻きあげた。 「まあ、まだ使い道はありそうだから黙っておきます」 「ご恩情に感謝します」 「自分の仕事はしてくださいね。こっちはともかく、あっちはお願いします。これ以上こんなことがないように」 「肝に銘じます」 そこで天はこちらに視線を向けた。 ただ突っ立ってやりとりを見ていたので、急にこっちを見られてびくりと震えてしまう。 天も、熊沢さんも、志藤さんも、皆、怖い。 「兄さんのこと送ってくれます?俺はその犬に用事がある」 「あんまり虐待しないでくださいね。馬鹿な駄犬でもそこそこ可愛いんで」 「どっちが虐待ですか。俺はここまでしてませんよ、平和主義ですから。お話がしたいだけですよ」 「はい、かしこまりました」 熊沢さんは頭を下げると、こちらに近寄ってきた。 にこにこと笑っている顔は、さっき志藤さんを殴っていた時と、同じ顔だ。 「それじゃ、三薙さん、行きましょうか。大丈夫ですか?」 「あ………」 「お怪我もしてます。ちょっと落ち着きましょう。お話は後で」 怖い。 思わず縋るように、四天を見てしまう。 天も、怖いのだけれど。 「………天」 「大丈夫。その人は双馬兄さんに害が及ばない限り、何もしないよ。ほんっとーに何もしないから」 そこでふっと、意地悪そうに笑う。 「そんないかにも何かありましたーって恰好だと家族が心配するよ?色々とね。見つからないようにさっさと帰って着替えておきな。まだこの犬に同情する気があるならね」 そうだ。 俺に危害が加えられたと知られたら、志藤さんはどうなるのだろう。 少なくとも、うちからは追い出される気がする。 それ以上に、何か、あるかもしれない。 どちらにせよ、そんなことしたいわけではない。 志藤さんは怖い。 何を考えているか分からない。 でも、消えてほしいと思ってるわけではない。 ただ、元に戻ってほしいだけだ。 「三薙さん、ごめんなさい」 志藤さんに視線を向けると、すがるように見つめてくる。 その視線が、切実で、痛みに満ちていて、胸が痛くなる。 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 壊れたオルゴール用に繰り返される言葉が、聞いていられなくて顔をそむける。 「みなぎ、さん」 頼りない、子供のような声で、名前を呼ばれる。 手を差し伸べたくなる。 でも、怖い。 あの人は、俺が知っている志藤さんじゃ、ない。 これ以上、世界が壊されたくない。 何も知りたくない。 何も、見たくない。 |