そんなの、駄目、なんだ。

俺は、岡野や志藤さんの好意を受け取る資格なんてない。
あなたたちを悲しませていいような、人間じゃない。
あなたたちに触れていいような存在じゃなかった。

「………俺も」

これ以上は、駄目だ。
これ以上は、この優しい子に、近づいたら、駄目だ。

「俺も、岡野のこと、好きだよ。ありがとう、岡野」

好きだ好きだ好きだ。
とても、君が好きだ。
温かかった、優しかった、強かった。
一緒にいるだけで、自分まで温かく優しく強い存在になれる気がした。
返しきれないほど沢山のものをもらった。
岡野の存在で、俺がどれだけ救われたか、君は知らないだろう。

「こうして、出会えて、すごく嬉しい。仲良くなれてよかった。友達になれてよかった」
「………」

岡野が眉を顰める。
赤く色づいた小さな唇をきゅっと噛む。
胸が、痛い。
引き裂かれて、血が溢れ出す気がする。
いっそそうなったら、どれだけ楽なんだろう。

「ありがとう。岡野と会えて、よかった」

会わなければよかった。
でも、会えて嬉しかった。
嬉しかった嬉しかった嬉しかった。

ごめん。
ごめんなさい。
君を傷つけるのに、俺は嬉しかった。
君を悲しませるのに、俺は嬉しかった。

「………この、へたれ」
「岡野?」

会わなければよかった。
君を傷つけるもの全てから守りたいと思っていた。
でも、その俺が、君を傷つける。

「ばーか!」
「いだっ!何すんだよ!」

岡野に頭を叩かれる。
もっと痛みが欲しい。
君が受けた、そしてこれから受ける以上の、痛みをくれ。
いっそこの心臓が止まってしまうほどの、痛みが欲しい。

「いいか、あのね、私はね」
「う、うん。何?あ、友達って、言ったの、怒ってる?で、でも、俺は岡野のこと、友達だと、思って………」
「ちげーよ!」
「あ、は、はい」

俺は、いつもの態度をとれているだろうか。
上手に嘘がつけているだろうか。
家族にも、友達にも、嘘なんてつきたくなかった。
なのに、どんどん嘘を重ねる。
お願い岡野、もう、これ以上、言わないで。
君に嘘なんて、つきたくない。

「えっと、岡野?どうして、怒ってるの?俺何かした?」
「だから!私は!」

駄目だ、これ以上言わないで。
耳をふさぎたい。
泣き叫んで、逃げ出してしまいそうだ。
お願いだから、もう、言わないで。
ごめん。
ごめんなさい。
君と出会ったりなんかして、ごめんなさい。

「二人とも、こんなところでどうしたの?」

その時、後ろから、聞きなれた声が聞こえた。
振り向くと、公園の入り口には、制服姿の眼鏡の少年が立っていた。

「………誠司」

なぜここにいるんだ、なんてことよりも、ほっとした。
助かったと、思った。

「な、んでこんな時に出てくるんだよ!」
「え、え、な、何?ごめんなさい?」

岡野がベンチから立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
藤吉は、焦った様子で、わたわたと慌ててみせる。

「お前聞いてたか?聞いてたのか?今の聞いてた!?」
「な、何が!?だから何が!?」

きっと全部聞いていただろう。
俺たちの後をつけていたのだろう。
ああ、本当に、藤吉は演技がうまいんだな。
ずっと、気づかなかったし。
でも、今はそんな藤吉に、心から感謝したい。

「もう、知らない!」
「あ、お、岡野!」
「くんな!」

岡野はふいっとそっぽを向いて、すたすたと歩いて行ってしまう。
追っていって謝りたくなる。
勇気を出してくれただろう君に、頭を地になすりつけて謝りたい。
気持ちを踏みにじった俺を、殴ってほしい。
でも、駄目だ。
ここで、追っては、駄目だ。

「違う。知らないじゃない」

岡野はぴたりと足を止めて、振り向く。
振り向くとは思わずに、びくりと心臓が跳ねる。
声が漏れそうになるのを、すんでのところでこらえる。
岡野が挑戦的な顔で、力強い光を宿す目で、俺を睨みつける。
そして、指をつきつけた。

「次は、許さないからな!!」
「………っ」

心臓が、きりきりと痛む。
なんで、そんなに、強いんだ。
俺はまるで炎に誘われる虫みたいに、君の強さに惹かれてしまった。
やっぱり、どうしても、その強さに、心奪われる。

「それまでへたれを直せよ、ばーか!」

そう言って、岡野は今度こそ公園を出ていく。
その背中を見送って、見えなくなったところで、足の力が抜けた。
膝をついて、座り込む。

「………次は、ない、よ、岡野」

出会わなければよかった。
それなら、俺のせいで君を傷つけることなんてなかった。
誰かと気持ちを通じることなんて、望むことすら許されなかった。
俺の存在で、誰かを傷つけるなんて、思ってみなかった。
俺が、誰かの心に踏み込めるなんて、考えもしなかった。
俺はただ、皆の横を通り過ぎるだけの傍観者だと思っていた。

「………三薙、大丈夫か?」
「………っ」

声すら、出ない。
涙があふれてきて、地面に水滴で染みを作る。

「あ…………っ、く………」

知らなかったんだ。
人を好きになってもらうってことは、人の心に踏み込むことだってことを。
人と触れ合うということは、人を傷つける可能性があるってことを。
知らなかったんだ。

「三薙………」

ただ、温かいものが欲しかった。
ただ、人と、触れ合ってみたかった。
友達が欲しかった。
恋をしてみたかった。
でもそれは、本や映画のようなものだと思っていた。
リアル感のない、フィルターを一枚通したような非現実的なものだった。

「………もう、嫌だ………っ」

自分がその中に身を置けるなんて、思っていなかった。
こんなに、痛くて辛いものだなんて、知らなかった。

知らなかったんだ。



***




「三薙、食事だ」
「………」

一兄が扉を開いて、入ってくる。
座っている俺の横まできて、膝をつく。

「顔色が悪いな。食べられるか?」

覗き込む心配そうな顔は、まるで能面のようだと感じる。
その時々によって見合う表情を、完璧に浮かべてみせる。
笑う顔、怒る顔、哀しい顔、困った顔。
これ以上にない、完璧な、俺の憧れの兄の顔だ。

「………ねえ、一兄」
「なんだ?」

憧れの兄なら、最後まで、俺の後始末をつけてくれ。
いつものように、俺の面倒を見てくれ。
俺を甘やかして、望みを叶えて。

「………奥宮の望みは、なんだって叶えてくれるんだっけ?俺の言うことを聞いてくるんだっけ?」
「………」

この人が、憎い。
俺をモノ扱いして、俺の心を無視し、俺に外の世界を見せた。
俺に夢を見せて、望んではいけないものを望ませた。

「だったら、戻してよ」
「三薙?」

知りたくなかった。
出会いたくなかった。
望みなんて、持たなければよかった。

「戻してよ!一年前に戻してよ!奥宮にでもなんでもなるよ!もう、どうでもいいよ!だから、戻せよ!あいつらに出会う前に、戻せよ!」

一兄のシャツの襟首に掴みかかり、強く締め付ける。
苦しい苦しい、憎い、辛い、哀しい、苦しい。

「もう、奥宮にでも、なんでも、すればいい!もういい、なんでもいい!なんだっていい!」

一兄は、じっと俺を見ている。
その眼はどこか、哀しげな色を宿しているようにも見える。
それもまた、能面なのだろう。

「だから、戻せよ!俺のことなんて、ずっと閉じ込めて、何も考えさせないようにすればよかったんだ!お前は生贄だって、そう言ってくれればよかったんだ!外になんて、出さなければよかったんだ!友達、なんて、いらなかった!いらなかった………っ」

憧れのままでよかった。
手に入らなくてよかった。
俺は、近づいたら、いけなかった。

「岡野を、槇を、傷つけたくなんて、なかった。知らなければ、よかった」

岡野も槇も、そして志藤さんも、傷つけたくなんてなかった。
俺が守りたかった。
彼らをすべての悲しみから、守ってあげたかった。

「こんなことになるなら、ずっと、一人で、よかった………っ」

その俺が、彼らの悲しみになる。
俺なんていなくなったら、すぐに忘れるのだとしても、感情が勘違いだったと思うのだとしても、それでも、一時は、傷つける。
すでに、傷つけた。
すでに、心を踏みにじった。

「外の世界なんて、いらなかった!」

だったら、いらなかった。
何も見なくてよかった。
ここで、この家の中で、嘘だけを見て生きていればよかった。
兄弟たちに甘やかされ、何も知らないまま、奥宮となればよかった。

「すまない」

されるがままに締め上げられていた一兄が、そっと俺のことを抱き寄せる。
胸に押し付けられると、一兄のお香の匂いが鼻腔を擽る。
いつだって、この匂いに包まれると、安心できたのに。

「離せ、離せよ!離せ!」

引き離そうとして拳を胸に叩きつけるが、たくましい体はびくりともしない。
こんなところまで、何一つ、俺の自由にはならない。

「一兄なんて、大嫌いだ!双兄も天も、父さんも、みんな大嫌いだ!いなくなってしまえばいい!みんな、いなくなってしまえ!」

いらないいらないいらない。
こんな、現実はいらない。
もう、全ていらない。
誰も、何もいらない。
過去も未来も、全ていらない。

「俺なんて、いなければ、よかった………っ」

俺なんて、いらない。
本当に道具だったよかったのに。
心なんて、いらなかった。
希望なんて、いらなかった。

「三薙」
「………離せ、よ!」

叩いても、ひっかいても、一兄は俺を抱きしめる。
落ち着かせるように頭を撫で、背中を撫で、強く強く、抱きしめる。

「いい子だ、三薙。お前がいてよかった。お前の存在が必要だ」

そうだ、俺は奥宮として、必要だ。
もうそれならそれで、いい。
好きに使えばいい。
でもだったらどうして、外を見せたんだ。
道具として、しまっておいてくれればよかった。

「俺は、お前の存在にいつだって救われている」

もう、いやだ。
こんなの、いやだ。

「いい子だ」

消えてしまいたい。
道具に心なんて、いらなかった。





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