いっそ、自分で、この息の根を止めてしまえば、楽になれるだろうか。 でも、それをしても、もうどうにもならない。 それがたとえ一時だとしても、あっという間に忘れるのだとしても、それでも、俺が死んだら、優しい彼らを、傷つける。 じゃあ、このまま、何もしなければいいか。 それでも、俺はいずれ、消える。 それが枯渇の果てだろうと、奥宮になってあそこに幽閉されるのだろうと、彼らには、会えなくなる。 そして、また、彼らを傷つけ、悲しませる。 もう、駄目なんだ。 出会って、一緒に過ごして、思い出を作って、感情に触れ合った。 それは消せない。 出会ってしまったことが、全て間違いだった。 「………っ」 涙が溢れてきてこめかみを伝う。 気が付けば、見上げる天井はすっかり見えなくなっていた。 もう、夜なのか。 時はゆっくりと、けれど瞬く間に過ぎていく。 今は、いつなのだろう。 あれから、食事を何回食べたっけ。 藤吉と佐藤が迎えに来たのは、何回だったっけ。 土日も挟んだんだっけ。 よく、思い出せない。 泣きすぎて、頬も目も痛い。 頭も痛い。 ああ、まだ、生きているんだな。 息をして、食べて、排泄をして、眠り、ただ、生きている。 なんのために、生きているんだ。 俺は、道具なのに。 道具なら、感情なんて、いらなかったのに。 そうしたら、望むことなんて、なかったのに。 温かいものが欲しいなんて、思わなかったのに。 優しかった。 嬉しかった。 温かかった。 ずっとずっと、欲しかったんだ。 欲しかったのに。 これ以上は、もう、会いたくない。 あの人たちに、会いたくない。 これ以上、俺の存在を、認識してほしくない。 どうか、早く、俺のことを忘れて。 俺のなんていなかった日常に戻って。 俺の存在を、その記憶から、消え去って。 どうしたらいい。 あの人たちをこれ以上傷つけないために、何が出来る。 誰か、誰か教えて、俺に何が、出来る。 誰か、教えて。 いつも相談していた頼れる家族たちは、いなくなってしまった。 友達もいなくなってしまった。 岡野と槇には、これ以上会いたくない。 後は、もう、誰もいない。 残っていたほんの少しのつながりさえ、なくなってしまった。 後は、仕事で、出会った人、ぐらいだ。 管理者の家では、哀しい出来事ばかりだった。 管理者とは、痛みを受け止めなければいけないものなのか。 そうだ、雫さん。 雫さんに、会いたい。 残された人間は、どんな気持ちなのだろう。 そして、祐樹さんは、どんな気持ちだったのだろう。 大事な人を残したまま消えていくのは、どんな気持ちなのだろう。 でも、巻き込むわけにはいかない。 その時、カラカラと、玄関が開く音がする。 動く気にも、反応する気にもなれない。 「まーた、こんな暗い部屋で、風呂にも入らず、臭いってば」 うんざりとした声は、弟のものだ。 でも、そちらに向くのも、面倒だ。 「食べてはいるみたいだね。よかったよかった」 「………食べなきゃ、また、お前らが、ここに、来るだろう」 「そう。うん、学習してるね」 食べないと、無理やり食べさせるために人が来る。 家の人間には、もう、会いたくない。 誰にももう、会いたくない。 「奥宮にするなら、すればいい。だから、もう、放っておいてくれ。もう、俺に関わらないでくれ。最後の日まで、好きにさせてくれ」 四天が苦笑する気配が、暗い部屋に響く。 肩を竦めて馬鹿にしたような表情をしているのが、分かる。 「自暴自棄だなあ。ここでこのままずっとそうしてるの?」 「………」 「もっと楽しく最後まで過ごそうとかは思わない?」 「………」 最後。 俺の最後は、いつなのだろう。 もういっそその日が来ればいいとも思う。 もう、何も考えたくない。 岡野や志藤さんのことも、考えたくない。 全ての苦しみから、逃げ出してしまいたい。 「重症だ。まあ、仕方ないか」 傍に近寄ってきた天が、俺の隣にしゃがみこむ。 頬杖をつきながら、顔を覗き込んでくるのが、鬱陶しい。 「兄さん、どこか行きたいところある?」 「………」 「先宮と一矢兄さんが、外に出た方がいいだろうってことでね。どっか、行きたいところないの?」 「………行きたい、ところ」 何を言われてるのか分からず、鸚鵡返しに答える。 何を言っているのだろう。 今更外に出て、どうなるんだろう。 何もならない。 もう、早く、楽にしてくれ。 「そう。海とかは?行きたがってたでしょ」 「………」 海は、みんなで、行くって言っていった。 夏に、岡野と槇と、藤吉と佐藤と、一兄と双兄と天と、皆で、行く。 受験生だけど、一日位楽しもうって、皆で笑っていた。 岡野も海に行くって言ってくれた。 嬉しかった。 行きたかった。 海はみんなで行く。 だからもう、行けない。 「うーん、お気に召さない?じゃあ、前に行った別荘とか?でも、俺と兄さんで行ってもねえ。楽しくないし。岡野さんたちは誘いたくないんでしょ」 「………」 あんな楽しかった思い出が残る場所になんて、行きたくない。 あの思い出がすべて嘘だったなんて、知りたくなかった。 あそこにいったら、それを、思い知ることになるだろう。 これ以上、思い出を、失いたくない。 「だよねえ。うーん、どっかないの?」 「………いい」 「まあ、そうだよね。でも、学校も行かないとなると、ほんとこのままだね。それって楽しい?」 鬱陶しい。 早く消えてくれ。 もう、奥宮にでもなんでもなるから、関わらないでくれ。 もう、俺を放っておいてくれ。 それにしても、本当に、こいつはおかしい。 何を考えているんだ。 誰よりも真実を教えてはくれる。 けれどすべてを教えない。 戯れに言葉を投げかけ、惑う俺を楽しんでいるのかとも思う。 何が、したいんだろう。 「もう、遠出なんて出来るの、最後かもしれないのに」 遠出なんていらない。 道具なら、道具として扱ってくれ。 今更、慮るようなことをしても、空々しく、鬱陶しい。 ああ、うざったい。 消えてくれ。 全員もう、消えてくれ。 「困ったなあ。聞かないと俺が怒られるしな。海が嫌なら山でも行く?」 山は、何度か行った。 仕事で行くのは、山ばっかりだった。 海に行けないのを、残念に思ったのを、覚えている。 「………あ」 そこで、ふと思い出した。 一つだけ、行きたい場所がある。 会いたい、人が、いる。 「何?何か思いついた?」 はじめての仕事。 哀しい思い出。 優しい少女。 白い花畑の、毒々しいほどの赤。 「ワラシモリ………」 「ワラシモリ?あの東条家のバケモノ?」 「東条家に、いけないか?」 天と初めて目を合わせると、天は瞬きしてこちらを見ていた。 暗い部屋の中でも、冴え冴えと光る、深い深い黒い瞳。 「ワラシモリに、会いたい」 あの、哀しく優しい少女達の、なれの果て。 バケモノになってしまった、人間。 あのバケモノは何を考え、何を想うのだろう。 |