東条家へ行くことは、予想外にすぐに許可が出た。
天に頼んでから二日後の夕方には、出発することになった。
久々に外に出ると、あの日から、すでに一週間近く経っていた。
長く動いてなかったから足に力が入らず、うまく動けない。

岡野は、どうしている、だろうか。
あの時傷つけてしまったことを、謝りたい。
想いを気付かれないのは、否定されるのは、哀しく、辛い。
もう、そんなことはしたくない。
でも、もう一度会っても、また傷つけるだけだろうか。
どうしたら、いいだろう。

「三薙、気を付けて」
「………」

見送りに来た一兄が、優しく笑う。
いつもと変わらない、穏やかで頼もしい、笑顔。
能面の笑顔。

「これは、お守りだ」

反応しない俺の手に、お守り袋を乗せる。
そして優しく、頭を撫でてくれる。

「お前の旅路が、健やかなものであるように」

白々しい言葉に、乾いた笑いが浮かんでくる。
どこまでもこの人は本音で話してくれない。
道具なら、道具扱いしてくれればいいのに。
仮面をいつまでも、外さない。

「怪我でもされたら、困る?奥宮になるための、大事な道具だもんね」

嘲って見せても、一兄はやっぱり優しく笑うだけ。
そして、俺の髪を掻き揚げ、額にキスをする。

「ああ、困る。お前が傷つく姿は見たくない。俺はお前が何より大事だ」
「………」

どうして、ひとかけらの真実も、くれないんだ。
それが、何よりも、絶望する。
無力感に陥る。
あなたが、嫌いだ。
憎いよ、一兄。
あなたに、ずっと、憧れ、尊敬していたのに。
大好き、だったのに。

「いい子だ、三薙。いってくるといい。東条家の当主によろしくお伝えしてくれ」

一兄がもう一度頭を撫でる。
その大きな手でくれる慰撫は、全部嘘だったのか。
この長い腕に抱きしめられて眠った日も、泣いて慰められた日も、全部嘘だったのか。
全て全て、演技だったのか。
嘘だって、分かっているのに。

「じゃあ、行ってきます」

隣で荷物を車に積んでいた天が、軽く言う。
長兄は末弟に視線を送り、目を細める。

「ああ。四天も気を付けて」
「はあい」

車に乗り込む前に、天が振り向いて、にっこりと笑う。

「それにしても、俺でいいの?」
「俺も双馬も動けない。お前が一番適任だ」

一兄の答えに、天は軽く肩を竦めた。
それからうやうやしく演技がかった仕草で頭を下げた。

「そう。じゃあ、お役目ありがたく拝命いたします」
「ああ、頼んだ」

そんな二人を横目に、俺もさっさと車に乗り込む。
どこにも行きたくはなかったけれど、家から離れられると思うと、少し気が楽になった。
このままどこか、遠くへ行ってしまいたい。
しばらくしてから運転席に、誰かが乗り込んできた。

「あ」

細いフレームの眼鏡が、少し神経質そうに見える、綺麗な顔の人。
今はその顔にまだ痛々しい手当の跡が残っている。

「………志藤、さん」
「………出発します。お気を付けください」

志藤さんは俺と目を合わせないまま、静かに車を発進させる。
頭が真っ白で、何も考えることが出来ない。
何を言ったらいいのか、分からない。

「………天」
「話す機会、作るって言ったでしょ?今回は長旅だし、ゆっくり話せば?」

問うと、すでに寝る体制に入っていた天は軽く肩を竦めた。

「………」

志藤さんは怖い顔をしたまま、言葉を発しない。
どうしたらいいのだろう。
この人は、多分、俺に、好意を持ってくれている。
これ以上、近づきたくない人だ。
俺のことなんて、忘れてほしい。
どうしたら、いい。

分からない。



***




家を出たのが夕方だったから、すぐに夜になってしまった。
車は、建物がまばらな街の、小奇麗なホテルに入る。

「今日はここで一泊だね」

天がのんびりと狭い車内で体を伸ばす。
この前は遠かったけど、電車だったからその日のうちにはついた。
車だと、とても時間がかかるようだ。

「電車なら、すぐなのに」
「のんびり行けって言われてるから」
「………」

思わず、眉間に皺が寄ってしまう。
なんのために。
今更、俺に物見遊山をさせて、どうしようって言うんだ。

「今日はビジネスホテルだけど、明日は温泉だよ。よかったね。初めてでしょ、温泉。この前は鉱泉だったし」
「………」

そんなの、どうでもいい。
早く、ワラシモリに会いたい。
そして、それから、どうする。
何も、考えてない。
でも、ただ、会いたい。

「志藤さんも、いい加減だんまりやめてくれますか」

天は駐車し終わった志藤さんに、ため息交じりに言う。
志藤さんは、やっぱり怖い顔のまま、頷く。

「………はい」
「はあ。暗い二人に囲まれてる俺の気持ちにもなってください」
「………申し訳、ありません」
「ま、いいけど」

俺も何を話せばいいか、分からない。
話したらいいのか、このまま、何も触れない方がいいか。
何が、志藤さんの、ためなんだろう。
話したいと、思っていた。
でも、これ以上、傷つけることになるなら、何もしない方がいいのではないだろうか。

「部屋は一応俺と兄さん。志藤さんは一人部屋で」

一番最年少の天が、てきぱきとホテルの手続きをしてしまう。
俺はやっぱり、こういう時、何をどうしたらいいのか、分からない。
俺は、何も、出来ない。
何も知らない。

「ま、まあまあ広いし綺麗だね。結界張っちゃうよ」

部屋に入ると、四天はぐるりと見渡して、荷物を放り出す。
どこかに泊まるとき、天は必ず、結界を張る。
そういえば、自室でも張っているときがあるっけ。

「………天」
「何?あっち行かないの?あ、外行った方がいいかもね。外いくなら声かけて」
「………」

俺が逃げても、いいのだろうか。
志藤さんと二人きりにしたら、逃げ出す可能性もあるだろうに。
それとも、そんなことはしないと、舐められているのだろうか。
いや、血結晶を飲んでいるから、いつでも、探し出せるのか。
それにしても、なんで、こんな風に志藤さんと、仲良くさせたりしようとするのだろう。
そんなことする、必要なんて、ないのに。

「お前の言うことは、矛盾、だらけだ」
「何が?」

天が何を考えているか、分からない。
何をしたいのか、分からない。
もう、その真意を問うことも、疲れてきた。

「先宮になりたい。でも、当主にはなりたくない。共番の儀をしたい。でも、家には興味がない。家が嫌い。家を守る気はない」

先宮には興味がある。
力と権力は欲しいと言った。
でも、当主には興味がない。

「お前は奥宮を化け物と言った。汚い化け物って、言った。なのに、奥宮を作るのか?」
「………それで?」

天が振り返って、先を続けろというように首を傾げる。
その顔は楽しそうな笑顔を浮かべている。

「お前は俺に強くならなくていいって、言った。でも、俺が奥宮に選ばれたころから強くなれって、言った。多分、俺を、ちゃんとした奥宮にしたいからだよな。それで、儀式の相手に自分を選べと言った。なんでだ。それに、双兄と黒輝と、藤吉の言うことが、違う。お前と一兄では、何が、違うんだ」

俺からしたら、どっちも、一緒だ。
二人とも俺を裏切り、道具として見ている、憎い、人間だ。

「お前は俺を奥宮にして、先宮になりたい。でも当主にはなりたくない。そして、宮守の家を、たぶん、守ったりする気もない」

でも、天の、行動は矛盾だらけ。
俺に真実に近づく言葉を投げかけ、たまに家を否定するようなことを言う。
奥宮を嫌い、家を嫌い、けれど、家を守るような行動をとる。
先宮になりたがる。

「お前は、先宮になって、何をしようとしてるんだ?」
「………」

天は、表情を消し、その深い深い黒い瞳で、俺をじっと見つめる。
人形のように整った、綺麗な顔は、そうしていると本当に作り物のようだ。

「また、秘密か?」

結局また、教えてくれる気はないのか。
それともやっぱり、全て、嘘なのか。
もう、考えることにも飽いた。

「………まあ、もういっか」

けれど天は、ふっと、どこか諦めたように笑った。
どきりと、心臓が跳ねる。

「ここまで引っ張ってきてごめんね。教えるよ、俺の夢」

二人狭い部屋で突っ立ったまま、変な光景だ。
でも、座ろうと思わない。
動いたら、天の気が変わってしまいそうで、動けない。
今までずっと何も言わなかった天が、ようやく、教えてくれる。
久々に、心臓に熱を持ち、早鐘を打つ。
興奮に頭が熱くなってくる。

「兄さんは、家が好きって言ったっけ?今はどう?」
「今は」
「そんな目に遭ってまで、この家が好きって言える?」

全て嘘だった。
全て裏切られた。
俺は道具として、作られていた。
意思をすべて、無視されている。
嫌い、憎い、辛い。
憎い。

「………わから、ない」

でも、出てきた言葉は、それだった。
憎いのに。
こんなに、苦しみを与えられているのに。
なんでだろう。
自分でも、分からない。

「そう。本当に兄さんは優しいね」

天は言葉とは裏腹に馬鹿にしたように喉の奥で笑う。

「雫さんが、気づいたんだっけ。兄さんの言うとおり、俺はこの家、大っ嫌いなんだ。こんな醜いあり方をする家、大事になんてできるはずがない。醜い、汚い、見苦しい」

天は笑っている。
声も明るく、優しい。
けれど言葉には、憎しみとすら感じるような感情が満ちている。
こんなにも、家への嫌悪感をあらわにする天を初めて見た。

「どうして、俺が傷だらけになってまで、生活を犠牲にしてまで、家を守らなきゃいけないの?周りの家も土地もどうでもいい。土地の人間が死ぬなら死ねばいい。闇を生み出すのは人だ。その業で人が死ぬなら、それが自然の摂理だ。管理者なんていなくても、世界は回る。人は生きる。そんな下らないものを後生大事にしてるのは、俺たち化石のような生き方をしてる人間だけだ。何を守ってるのかも忘れて、ただ守るってことだけをしつこく覚えてる間抜け」

嘲笑いながら、憎々しく、忌々しそうに、天は続ける。
ああ、誰だっけ
管理者なんていなくても、大丈夫って、言っていたのは。
あれは、露子さんだったっけ。

「まあ、既存権力が大事ってのもあるだろうけどね。今となってはそっちの方が大事かな」
「………」
「とにかく、嫌いなんだ。この家。汚くって、醜くって、無様で、大嫌い。見たくない。さっさとなくなればいい。消えてしまえばいい」

吐き捨てるような言葉に、何を言ったらいいか、分からない。
家を嫌いだとは、言っていた。
でも、こんなにも、憎んですらいるとは、知らなかった。
だって、天はいつだって家の意思を従い、家のために、生きていた。
反抗する様子なんて、なかった。
家に大事にされ、期待され、それに十分に応える弟を羨み嫉妬していた。

「でも、中々に宮守の家は、強固で堅牢だ。奥宮と先宮のシステムはよく出来ている。奥宮は土地の闇を集め、情報を集め、先宮はそれを使える。先宮は宮守の土地では最強の術者。異変にだって、すぐに気づく。生半可なことをしたら、簡単に返り討ちだ。ただの無駄死に」
「………」

死ぬという言葉に、ざわりと全身の毛が逆立つ。
家に反抗したら、どうなるのだろう。
家族といえど、天といえど、どうなるのか、分からない。
今となっては、そう思う。

「でも、ひとつだけ、あるんだよ。ここをつけば、全ての仕組みが壊れるって、ウィークポイント」

天が俺に答えを促す様に、にっこりと笑った。
それは、すぐに、分かった。
宮守の家の、要。

「………奥宮」
「そう。あたり」

褒めているのか、よくできましたというように天は手を叩く。

「奥宮は、宮守の要であり最大の弱点。だったら簡単な話だ。奥宮をどうにかすればいい」

世間話のように、楽しげに、何気なく天は続ける。
どうにかするって、どうするんだ。
何を、するのだ。

「でも、奥宮となってしまったら、もはや先宮以外接触できない。あそこで守られている奥宮は、触れることすらできない。じゃあ、どうすればいいか」
「………」
「奥宮に触れられる人間、先宮に、なればいい」

先宮と奥宮は二人で一つの対の存在。
強くつながりついた、存在。
そのための、共番の儀式。

「代替わりの時は、先代と次代、どちらも無防備になる。あの闇から解放される一瞬があるらしい」
「解放………?」
「そう、一瞬、闇から解かれる。あ、一応奥宮も一時的になら任を解くにも出来るらしいよ。1日ぐらいだったら解放されても大丈夫なんだって。ただ、以前に試した時は全員解放された後に自害しようとしたからやってないらしいけど」
「………」

ぞくりと、背筋に寒気が走る。
死を選ぶほど、奥宮には戻りたくなかったということか。
でも、それほどの、苦痛だということは、想像がつく。

「ま、それはおいておいて、奥宮をどうにかしようとしたら、その一瞬をおいて、他にない。先代から引き継ぎ、器となり、闇を受け入れる、その瞬間」

天が、俺の目を見て、口の端を持ち上げる。

「そこで、奥宮を、壊せばいい」

壊す。
奥宮を、あの、バケモノを、壊す。

「つまりね、兄さんのとれる道は二つある。あ、三つか」

天が指を一本立てる。

「全てを拒んで逃げ出して、枯渇して飢えて死ぬ」

そして、二本目を立てる。

「一矢兄さんを選んで、死んだ方が楽だと思うぐらいの苦しみを受け入れる」

最後に、三本目の指を、立てる。

「俺を選んで、一瞬の苦しみで、宮守のすべてを終わらせる」

宮守を、終わらせる。
奥宮となって、あの、家を、壊す。
天の言葉が脳裏でぐるぐるとまわって、頭が痛くなってくる。
眩暈がしてくる。
足元がぐにゃぐにゃしているように、感じる。

「兄さんのこと、嫌いじゃないって言ったでしょ。大事な存在とも言った。だってそうでしょ。俺の夢は兄さんの一存にかかってるんだから。」
「………」

今は、誰よりも大事な存在だと、そう、言われた。
天の夢は、自分の力と意思だけじゃ、どうにも出来ないと、言っていた。

「とても大事だよ。兄さんのことが、なにより、大事」

優しく優しく囁かれる言葉は、まるで睦言のようだ。
愛の告白を聞かされてるような、甘く 蕩けるような声。

「ねえ、兄さん。俺のために死なない?兄さんのためにも、それが一番いい選択肢だと思うよ?」

頭が痛い。
眩暈がする。

世界が、ぐにゃぐにゃと溶けていく。






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